八丁平通信41号 1999年2月
発行者データ: 前号に同じ
表紙スケッチ:伊賀谷右俣(平成9年6月29日)・・・・・・・石田万介
1P・・・八丁平現地報告1−1 98・10・28・・・・・・・・・木村一郎
−紅葉は冴えず、木々はどことなく力無く−
写真:1、鹿のヌタバ?2、3、周回道を整備中の久多市有林巡視員と
4、ルリタテ
2P・・・八丁平現地報告1−2 98・11・24〜25・・・・・・・・中川 泉
−遥かなる八丁平をたずねて
(20)−
3P・・・(続き)写真:1 大見から尾越へ 2、発砲注意
3、鹿の食害
4、スキー場後の部分笹枯れ 5、間伐(二ノ谷)6、間伐材の年輪
7、交通標識 8、路肩崩壊個所
4P・・・シンポジウム「芦生の森を考える」の報告・・・・・・・・・・・・鈴木博之
5P・・・(続き)
6P・・・森の中の旧駅舎を読んで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・尾高一郎
−比叡山ロープウェイの歴史を追って−
図:旧ロープウェイ模式図(京大鉄道研究会25号より)
7P・・・(続き)写真:1、蛇ヶ池スキー場 2、3、鋼索線開通前後の山駕籠
(『叡山電気鉄道鋼索線』より)
8P・・・京都労山近況報告自然保護活動の近況・・・・・・・・・・・・・・小鹿聡司
−登山者自然保護集会「六甲集会」(10/31〜11/1)報告
9P・・・(続き)
10P・・・読書1 現代小説に見られる京都北山・・・・・・・・・・・・・木村一郎
−村上春樹は花脊峠をバスで越えたのだろうか−
(ノルウェイの森)
・・・読書2 『うるさい日本の私』を読んで・・・・・・・・・・・・中川 泉
(中島義道著 洋泉社
1996)
11P・・・読書3 随想・変りゆく風景・・・・・・・・・・・・・・・・・木村一郎
−「山の自然学」を読みながら(小泉武栄・岩波新書)
12P・・・ インタビュー「八丁平の野鳥」
加藤忠夫氏に聞く(1)・・・・・中川 泉
−訪問日
1998年11月26日〜27日
13P・・・(続き)
14P・・・遥かなる八丁平をたずねて(20)・・・・・・・・・・・・・・・・中川 泉
−京都感傷紀行中級編−(A sentimental
hard rambling)
15P・・・事務局だより・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・事務局
・・・−京都市産業観光局農林部林業振興課林政係への照会について−
(市有林内の道標、交通標識について、他)
・・・平成11年「北山三角点トレック」の問題について
(多人数集中登山の問題点)
16P・・・(続き)
・・・掲示板 会員からのお便り
−おいしい水を育む山の木々を大切に。−・・・・・・・・・・・浅野齢子
−表紙の絵がすばらしいです。− ・・・・・・・・・・・松下武子
−自然史ガイドは北山を愛する人に有り難い記事です。・・・・・笠岡栄次
−八丁平でアオバトの鳴き声を聞いて感動しました。・・・・・・細 圭子
17P・・・(続き)
−いつまでも八丁平の自然が残りますように−・・・・・・・・・坪田雅子
−また元気になって八丁平を歩きたいです。・・・・・・・・・・花熊桂子
・・・第二掲示板
−水と緑をもまもる連絡会結成10周年記念号(21号)から−
1、京都御苑迎賓館計画について。2、特集住民投票神戸から京都へ
3、神戸空港への35万署名の意味
4、裁判住民交流会発足へ
環境アセス市民審査機構(仮称)の設置
インターネットホームページ開設準備
Eメール:hayashi-m@mbox.kyoto-inet.or.jp
・・・立ち話 ◎石田万介氏ご兄弟とともに京都新聞で紹介(11月25日)
◎鈴木正穂さんのホームページ
http://www.masaho.com
・・・編集部から・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・編集部
−発行遅れのお詫びと次号予告−
八丁平現地報告1−1
98・10・28
・・・紅葉は冴えず、木々はどことなく力無く・・・・
学校前から伊賀谷へ入る。出町からのバスは平日だがマイクロとはいえシートが埋まっていた。伊賀谷は9月の台風の影響か1KM足らずの所で谷からの土砂が林道を塞いでいる。林道終点手前も路肩がごっそり落ち、木橋は朽ちかけ傾き滑り易い。
多摩ナンバーのライトバンに乗った測量の二人と一緒になる。若い方の人は作業服に「近畿森林・土木コンサルタント」とネームが入っており、測量計を覗かしてくれる。大津の会社だという。年配の人は地元の人の様で自分の持ち山もあるらしく、測量の目的は、造林公社に土地を貸したので所有者の境界や面積をはっきりさせるためだという。地権者は伊賀谷全体で数十人という。今まできっちり計ってなかったらしい。植林する所はそれに適した所だけで、現在ほぼ実施済。全体が人工林に変わるのではないそうだ。
50年後に成長した際、所有者4:公社6の割合で代金を山分けする仕組みという。昨今木は売れないからそんなに拡大しないだろうとのこと。尚丸木橋は森林組合が来年修理するという。二人はクラガリ谷を源頭まで詰めて行くとのことで我々と別れた。作業は一日かかったらしく、帰りの16:30 頃も未だ車は停まっていた。
集水域に入る。今年は妙に暖かかったせいか紅葉が遅い。というより色合い悪くミズナラなど茶色っぽくなって落ちていく様子で、ウルシ、シラキ、ツタウルシは赤みを帯び、ハウチワカエデはこれからだが葉が汚い。マユミ、ズミ等の木の実が殆ど目につかない。11.2豊岡市内に出てきた熊が射殺された、との記事があったが、動物達にとっては苦難の年になるのだろうか。
ルリタテハ
オグロ峠のブナは汚れ気味だが紅葉している。ブナ林の部分は白いビニール紐で囲われ、幹は朱色のペンキで印され標識に金具が打ってある。ウリハダ楓も映えるような赤さが無いまま落下しつつある。昨日までの雨で樹皮が湿っているせいか、木々は何処となく力ない感じである。


周回道を整備中の久多市有林巡視員と
西南部で巡視員にあう。大屋さんと他一人がベンチ改修の為の分厚い板を運んでいる。キャタピラの小型作業車が回遊道に入れるよう、坂道の部分や橋を拡幅してほしいとぼやいていた。巡視員の高齢化や今後の事を考えると何とも答えようがなかった。大屋さんも既に70代の後半である。鹿が多く出てリョウブの幹の下部を剥いでいるという。また中央湿原でも鹿が暴れた跡があるので見にいってみろと言うから行ってみると、今春遠くから見たように、5M 四方位のヌタ場となっていた。クラガリ谷には鹿の糞がころがっていた。
鹿のヌタバ?
この日積雪計を東西二箇所設置。気温15度。昨冬樹氷を撮ったクラガリ頭部の枯れ木は伐採されていた。林道コクンド線を稜線から見ると、所々種の吹き付けによる緑化が施されている。崩壊しないと良いのだが。帰途気づいたが、中村乗越から北側だけでなく南側へも稜線上に笹を刈って道が開かれており、歩いて10分位の鞍部まで続いていた。ちなみに以前中川氏が湿原全体を望んだ撮影点は樹木が伸びて鬱蒼としていた。鳥の数は最近にしては案外多いようで声もよく聞こえた。
平日だが他に何パーティーかはいっており、同じバスで入った1人、尾越に車を置いてきた男女4人、それに大原からタクシーで久多へ入りオグロ坂を越え葛川へ出てきたという中高年女性2人。タクシー代は7000円かかったが二人で割れば大した事はない、と淡々としていた。我々は3人。弓井、南の両氏が同行。
『追記』 11月15日、皆子山から三谷峠を越えて来たパーティに小出石で出会い聞いたところ、紅葉が奇麗だったとのこと。やはり今年の紅葉はやや遅いようだ。ちなみに古知谷の阿弥陀寺のモミジは真っ赤だった。
(八丁平を守る会 木村一郎)
八丁平現地報告
1−2 98年11月24日〜25日
参加者:木村一郎 、 中川 泉
コース:11月24日(火) 大見尾根―八丁平
田淵さんに出町まで送っていただく。北大路で木村さんと合流。
天気はこれ以上望むべくもない快晴。(9:14)花脊峠。杉峠付近で、ハイタカ(たぶん)が上空を飛ぶ。前方に赤い鳥が、**マシコか。木村さんは待ってくれていたが、先も長いので、確認を諦める。
朽ちたチロル小屋の跡付近で路際の白樺を(多分)あれこれ詮索する。大見への下降にかかる辺り視界が良いが、峰床山の傷が痛々しい。この辺りの紅葉がきれいだ。ここから車輌用に路が付け替えられている。旧道もまだ歩ける。数年前の鯖街道マラソンの道標が括り付けられた杉の木に食い込んでいる。針金なのですぐにははずせない。
大見の神社の先に何故かメタセコイヤ(多分)があって見事に紅葉している。大見は何軒か人が帰ってきており、かすかに生気がある。川沿いの枯れ野でホオジロが、民家の庭にジョウビタキ(雄)が遊んでいる。吸江院跡の大銀杏の落ち葉が川筋あたりを黄色く染めている。
その先左手に新しく吸江院が建てられている。尾越へ越える前坂あたりの紅葉も美しい。峠を下ったところ谷筋にゴミが投棄されている。大見の中にもいろいろなゴミが捨てられている。
![]() 大見から尾越へ |
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山も川もゴミだらけ。昨日の桂川でも河川敷は種々のゴミで一杯だった。非常に醜い。こういう物は見なかったことにして、美しい紅葉の話しだけ書けば、この文章だっ多少は、きれいなものになるのかもしれない。日本中あらゆる所に捨てられたゴミを回収するにはどうしたらいいのだろう。組織的な取り組みをしなければ、とても追いつかないことは確かだ。
尾越にはログハウスが建ち、大学のセミナーハウスのような建物もある。フライフィッシングのカントリーレイクは休業中。その先で橋梁の工事をしている。今夏の台風で被害を受けた個所だろう。
山城高校芦火荘(1:30)この辺りに植栽されたカラマツはすでに8割方落葉しているが美しい。こんな所にカラマツがと、同行者が感激している。知らないはずはないのだが、もっとも私も久しぶりに見てその成長ぶりに感心した。ここは確か昭和44年(1969)頃の植栽で山林耕地課が戯れに植えたものだったか。だから、ちょうど30年くらい。一番元気がいい頃かもしれない。
管理舎に保管されていた看板の記載。林道大黒谷線、4898m
幅員3.6〜4m。フノ坂登山道の谷、確かカクレ谷といったか、(忘れた。)に堰堤(昨年9月施工とあったか?)。無駄な工事だと思うが。
八丁平周回道、フノ坂分岐(3:00)温度計測。相変わらず、加藤さんの記録がどっと連なっており圧倒される、感謝。現在気温8度、快晴である。紅葉は8割かた終わっている。
聞いていた通りマユミが全く実をつけてない、のみか、中にまだ青い葉をつけたものがある。変調である。他にも木の実をみないがヤドリギは実をつけている。
スキー場跡の笹がパッチ状に数箇所枯れている。オグロ峠を往復。
スキー場跡の部分笹枯れ
道沿い動物が掘り返したあとが目立つ。良く見ると朽ち木を齧ったようなあとがある。中に虫でもいるのだろうか。と思っていると、大杉を過ぎて、中村への分岐も近くなったあたり、道の前方にイノシシの親子に遭う。なんだ食事中だったのか。子供が2頭。あっと言う間に笹薮に消える。(4時)
木村さんは中村へ降りる。伊賀谷林道で中に蜂蜜を仕掛けた熊捕獲用の檻を見たとのこと。フノ坂から林道沿いに管理舎へ向かう。空はたちまちのうちに曇天に変わり、すでに辺りは薄暗い。
目を疑うような奇妙な看板を幾つも林道沿いに見かける。
水、トイレのある管理舎辺りで一晩過ごさせてもらう。寝袋だけ持参で来たので、軒下を借りる。巡視員の詰め所には明かりがついたまま。中には電話もある。緊急のときはガラスを割って使うように言われたことがある、と木村さんが言っていたが、まあ普通の人はそんなことはしない。そうならその旨書いておくべきだろう。尾越の下阪さんの所には公衆電話があるのに。私のほうが公で、市の方が私的だ。
11月25日(水)林道―八丁平―峰床山―オグロ峠―フノ坂峠―迂回路―南尾根―尾越―大見―花脊峠
朝から時雨模様。合羽を着込み手に傘。
(8:00)昨日見た堰堤を確認に行く。この谷から導水パイプが引いてあるが途中で切れている。二の谷を渡って林道へ這い上がる。この先すぐ左の谷の入り口辺りを埋めて整地してある。また何か物をつくろうと企んでいる。その先で路肩が13mに渡って崩壊している。H10年9月災害と表示がある。さらに亀裂が広がっている。
二ノ谷林道の路肩崩壊個所
奇妙な看板は木製の道路標識や方向の案内板だ。「ゆっくり走ろう森の道」と書いてある。オカシイ。全く怪しい。これでは管理舎のゲートを開ければそのまま即ドライブウェーに様変わり、という感じだ。案内板も設置個所が不適切だ。時間がないので今回はいちいち指摘してられない。もともと大して意味がないので、こんな設置の仕方をしているのだろう。でも、けっこう金はかかっている感じだ。阿呆馬鹿。吉原さん、なんでこんな事をするんや。
何のためにこんな物を?
フジ谷峠への作業道を歩く。間伐作業中である。けっこう良材に育っている。育てて来た林政の人も感慨があるだろうと思う。僕も嬉しい。しかし税金の賜物でもある訳だ。民間ではきょうびこんな教科書どおりの撫育は中々できずにいるのだ。この辺りは昭和35年(1960)頃の植栽で、第二回の間伐だろうと思う。ほぼ40年。玉切りしてあるが、売れる(売るつもり?)だろうか。
二ノ谷市有林の間伐
フジ谷峠からの谷(トオリ谷だったか)の上部に長いコルゲートの半円柱のパイプが引いてある。無計画に林道、作業道を切り回したため崩壊がとまらないのだ。全く無駄な事に金を使っている。そうでしょ、吉原さん。ルリビタキが暗い林床で鳴いている。キクイタダキが高い梢を渡っている。
八丁平に入ると雪になった。カケスがギャーギャー。(10:00)現在温度4℃。雪になるぎりぎりのところだ。
周回道沿いでもぽつぽつ鹿の食害を見る。新心荘跡の手前の水場付近右(湿原側)のカナクギノキに生生しい噛り跡があった。皮を齧って、しがんで吐き出してある。まだ唾液でべとべとしている。触ってみるとまだ生暖かいようだ。ここ八丁平の鹿もいよいよ問題になるのだろうか。
鹿が皮を齧った痕(直後)
クラガリ谷に入ると、ルート沿いの枯れ川が陥没して2m50以上深くえぐれている個所がある。地下の透水層まで落ち込んだようだ。少々危険でもあるが、土状のサンプリングができるかもしれない。遠くでかすかにゴジュウカラが鳴いている。登りにかかるところでルリビタキ。雌か雄かわからない。多分雄の若いの。峠で合わせて120才余とおぼしきお年頃のご夫婦に会う。一言挨拶だけ。この頃雪いよいよ激しくなる。スパッツ着用。
峰床山(11:20)ゴミもなく、割合いきれいな山頂が保たれていて少しほっとする。
オグロ峠(11:50)雨に変わる。そろそろ登山靴に浸水はじまる。ここから周回道をスキー場跡方面へショートカットしてフノ坂を越える。林道の迂回路の南尾根越し(1:24)
この先俵坂の手前付近で枝打ちと間伐。年輪をざっと数えると35年ほど、ここも昭和35年くらいの植栽だったかもしれない。直径は17,8cm余り生育は良くない。
ナメラ谷作業道(1:52)ここから、尾越との尾根境の新道を歩いて交流の森センターに抜け、風呂にでも入ってと目論でいたのだが、お粗末なミスをする。
木村さんから、この新道はナメラ林道を少し行ったところから、と聞いていたのを、勘違いして、南尾根をナメラ林道を越えてさらに先へ進んでしまった。百葉箱があった。どこからわかれるのかなあと思いつつ、ちょっと地図をだして見るのを横着した報い、何かおかしいなと思っているうち、二の谷の入り口付近が見えてきた。アホクサ。自分も焼きがまわってるわい。これで今回の山行はほぼ終了だ。重い足をひきずって、激しい雨のな
か、尾越、大見(3:30)と、とぼとぼと歩く。再び大見尾根を歩くうち日もとっぷりと暮れ
間伐杉の年輪 る。
昨日の好天が嘘のようだ。チロル小屋跡付近から琵琶湖の夜景が輝いて見える。雨もあがり空に月が現われた。明日は又晴れるそうだ。花脊峠(5:30)6時過ぎのバスまで間があるので闇夜の鞍馬街道をしばらく歩くことにする。時折通る車がこわいので、懐中電灯をつけたり消したり。
百井別れ(5:56)
ここで歩行を中止。待つこと10数分、闇の中からアニーローリーだったか、メロディーと共に私の専用バスが闇の中から峠を下ってきた。
(追加。夜、事務局田淵方にまたお世話になる。昨日、八丁平で別れた木村さんが仕事を終えて合流。山行の報告と検討会を行う。)
京大演習林を含む地域を世界遺産に登録する運動があると以前から聞いていたが,さる10月4日(日)美山町の文化ホールにおいて,「芦生の森を世界遺産にする会」および「日本山岳会京都支部」の主催で表記のようなシンポジウムが開催されると聞いたので,興味を持って参加した.その内容はすでに10月21日付けの毎日新聞朝刊に詳しく報道されたので,ご存じの方もあると思うが,小生なりの理解でここに報告することにする.
シンポジウムは原 剛・毎日新聞社論説委員が総合司会となり,斉藤惇生・日本山岳会会長の挨拶で始まった.
第一部:「芦生の森をめぐって」
河野昭一・京大教授が芦生の自然の生物学的価値について,生物多様性の保護の観点からその重要性が報告された.引きつづいて大阪の登山愛好家・中原準氏,芦生の森ネイチャーガイド・浅野目誠和氏,朽木山行会・角田康男氏が,芦生の森の現状,特に入山者の増大によるオーバーユースの弊害についての指摘があった.上谷の登山道の踏みつけによる拡大化,長治谷トイレの問題,休日における地蔵峠付近の駐車車両の激増などが問題にされた.
河野氏の講演以外に,芦生の森を世界遺産,とくに会がめざす複合遺産に登録することの意義について,もう少し詳しい説明が必要ではないかと感じた.また,他の3人の話は現状でのオーバーユースを問題にする内容であったが,世界遺産に登録すれば今以上にオーバーユースがすすむ可能性が考えられる(実際にそれを理由に登録に反対する人も小生の周囲には結構多い)ので,その対策も充分に検討される必要があると思った.
第二部:「世界遺産を考える」
最初に世界遺産登録の実務に詳しい日本自然保護協会・吉田正人氏が,芦生の森を世界遺産に登録する上での課題を指摘された.世界遺産には自然遺産・文化遺産・両者の複合遺産とがあるが,どれにするのか(この点については複合遺産とすることで会は意思統一されている),また,世界遺産として登録するためには,それ以前に国内法で保護指定されている必要があるが,自然遺産なら自然公園・自然環境保全地域・森林生態系保護地域など(環境庁主管),文化遺産なら文化財(文化庁主管)に指定されていることが前提になるが,芦生の森はまだどれにも指定されていない,といった厳しい指摘もあった.しかし,日本ではまだ複合遺産として登録された例はないので,その点では最初の例として意義があろうとの好意的指摘もあった.
ついで,すでに世界遺産に登録された白神山地と屋久島の登録後の現状が,作家・根深誠氏と屋久島ネイチャーガイド・大山勇作氏によってそれぞれ報告された.屋久島は世界遺産への登録後も保護運動体と地元自治体と国との連携が良好に進んでいるようである.ただし,観光客は倍増しており,宮之浦岳の登山者は5倍増,縄文杉訪問者は10倍増しており,登山道の荒廃やトイレ対策がやはり問題になっているという.一方,白神山地は屋久島とは対照的に登録によって事態が悪化した例であろうという.営林署が登録後の保護を理由に入山禁止や入山規制を一方的に強行しようとしており,地元の自然保護団体や登山者がこれに強く反発している.世界遺産に登録されれば何事もうまくいくとは限らないことを示すものとして留意する必要があると思われた.
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第三部:パネルディスカッション
最初に基調報告として,美山資料館館長の中野文平氏が,「村史から見える山里のくらしと芦生の森」のテーマで,氏を中心にして10年がかりで編集し,最近出版された「知井村史」の資料をもとに,きわめて具体的に知井村のくらしの変遷が話された.(ついでながらこの「知井村史」は村の内外に残る歴史資料を丹念克明にあさり尽くして,村の歴史,特にくらしの実態を,興味ある各種のエピソードもまじえて,詳細にビビッドに,学者に頼らず,地元の人々自身が記述した,きわめて出色の村史であり,一読をおすすめする.)
そのあと,嘉田良平・京大教授の司会で,「芦生の森を生かす知恵」をテーマに,河野昭一,中野文平,「芦生の森を世界遺産にする会」事務局長・高松武夫,地元の林業家・小林直人の各氏によるパネルディスカッションが行われた.高松氏は,20世紀は戦争とそのための科学技術発展の時代であったが,それが環境の破壊,精神の破壊,産官民の腐敗に見られる組織の崩壊をもたらした.
その反省から工業材料に依存しない生活を見直す必要があると考えて,かやぶき農家保存運動をすすめていると話された.河野氏は森の経済的価値中心観から環境的価値重視への変化が始まっており,各地でエコツアーなどが盛んになりつつあるが,エコツアーでも日本人特有の集中的観光・物見遊山的傾向が表れており,オーバーユースの危険が心配であるとされた.また,森や田舎を求める志向は中高年が中心となっており,もっと若い人たちにも参加させるための工夫が必要であろうと話された.中野氏は村のくらしにも都市型の生活様式が必然的に浸透しつつあり,都市からの訪問者がそれに不満を示すことが多くなっているが,村にもくらしがあることを理解してほしいと訴えられた.高松氏はまた,都市と田舎の共生をめざす住民自治のエコミュージアム推進を強調された.
小林氏は日本山岳会の会員でもあるが,都会からのUターン組の林業家としては,地元に密着し根ざした,現場からの発信者として発言し行動している.その目で見ると,このシンポジウムの参加者はほとんどが都市からのよそ者であり,地元の自治体関係者は誰も参加していないように見える.世界遺産への登録運動は今のところ都市側からの提案にとどまっている.また,世界遺産登録も結構ではあるが,林業家としてはクマハギの被害に泣いている.去年は被害ゼロであったのに,今年は70年もののスギ800本中の200本もが被害にあっている.世界遺産登録でクマの被害拡大が懸念される.このような地元の心配にも配慮が必要であろう.都市と田舎の共生を主張するならば,都市の住民はもっと田舎の生活を支えるための努力が必要であろうと強く訴えられた.
小林氏の指摘の通り,かんじんの美山町や京大演習林の関係者の話は聞かれなかった.当事者ゆえに現状では軽々しい発言ができないという事情は理解できるが,なにか片手落ちという感じがした.会の呼びかけ人には,会長の川喜田二郎氏を筆頭に,梅棹忠夫,梅原 猛,河合雅雄,川那部浩哉,吉良達夫,小原秀雄,筑紫哲也,筒井迪夫,沼田 真,奈良本辰也などのそうそうたる諸氏が名を連ね,現在の日本でこれ以上は望めないような豪華メンバーであるだけに,運動の実態がそれに相応していないような感じを受けた.運動はまだ始まったばかりのようであるし,仕掛け人は長良川河口堰の天野礼子氏のようなので,氏の馬力をもってすれば今後の進展は充分期待できそうにも思われる.馬力不足ながら小生もこの会に参加することにした.会員は10月末でまだ74名,会費は年3000円.問い合わせは高松武夫氏(電話0771-75-0282)へお願いします.
(地団研・鈴木博之)
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前号にて紹介された今では幻とも言える比叡山のロープウエイの記事を読み、発表の時期こそ遅れをとったが、この戦前に営業していたロープエイの所在に深い関心を持っていた私は、新たな資料が入手出来た喜びと同時に、かねてから親近感のある自分と同名の〈木村一郎〉氏が筆者であることに言いようのない嬉しさを感じた。氏が記された〈ロープウエイ旧線を辿って〉の通りの、高祖谷駅の廃墟を私が日にしたのは今から20年余も前のことで、現在はスキー場の体憩所が建っている場所から始まる尾根を、西塔橋から釈迦堂に至る〈松尾坂〉ヘ下る途中で気が付き、コンクリートの堅固な造りから戦争中の遺物と一端は思ったが、観察している内に構造にもロープウエイであると察知したのだった。その後中間点に立つ唯一の支柱も目にはしたがその地点はいまだに確認はしていない。
それ以後、折りに触れては主に京都在住の高齢者から、ロープウエイが動いていた当時の様子を聞き取ろうと試みてはいたが、尋ねた限りでは満足な答えは得られず、その存在さえ知らぬ人の方が率としては高い結果となった。しかし努力はしてみるもので昨年から今年にかけて貴重な資料が手に入り、機会があれば私が顔を出している山の会か自然観察会などに、京都の生活史として公表できるようまとめる考えでいたが、何とそれを見透かしたかのような木村氏の一文を見るに及んで、正直な所びっくり仰天の心境を味わったのであった。編集室も興味を持たれた素材らしいので、僭越ながら木村氏の記述を補遺する形で私の資料を書き加えさせて戴きます。
資料
1、表題「叡電沿線トワイライトゾーン探訪]
副題〜比叡山中に幻の空中ケーブル跡を見た〜執筆者 中沢 一公
所載京大鉄道研究会編‘叡山電鉄’京大鉄道研究会雑誌25号(平成4年)
これによると私と同様に真相を知りたい人からの依頼があって、研究会が同年の2月に跡地の探索を開始し、高祖谷駅と延暦寺駅の跡を確認したが中間の支柱は末確認と記している。設置した標高は710.0mと711.8mで延暦寺駅が僅かに高いが、両駅間の距離642mを思えば傾斜は考えられず、高さ12mの支柱一本のみとあっては、始動したゴンドラが沈み込むように走るのは想像されてくる。定員は16名、速度は秒速3m、両駅間を4分で走り、当時としては高速の部類に入るが、機材から綱索全てはイタリヤ製もしくわ技術導入した製品を使用したとある。但し運賃は片道20銭往復35銭で他との比較ではかなりの高額だったが、乗車券は記念として贈呈されたそうである。
上掲書より
2、地形図 京都東北部縮尺2万5千分ノl(昭和6年修正測量)
本図は大正11年版を修正したものだが、その当時2万5千図は都市近郊のみしか発行されてなかったはずである(記憶違いか?)。入手先は京都府立資料館で、これには<空中綱索線>と付記された直線と、<綱索線>とした現在と同じ路線のケーブル駅「四明嶽」から延びて、空中ケーブル「高祖谷」駅までの道が示されている。
3、表題 『 叡山電気鉄道鋼索線』 著者 山本 和七 電気公論社
これは知人が偶然にも古物商から入手した本で、昭和2年に発行された技術書である。A4判のアート紙が便われているが70年もの時を経た本だけに綴じも外れ、表紙は汚れていたが中身は写真も図面も極めて鮮明で、70ページ近い内容はケーブル線の車輛、レール、駅舎、電気機材、ケーブルに至るまで、正にこの一冊があれば全てが作成出来ようと思える設計図まで付随している。書かれている全てが山本氏ひとりの筆でなく、他にも10名もの専門家が加わっているが、ケーブル線が営業を始めた大正14年当時の技術力をうかがい知って驚かされた。当時は国内で10ケ所もの鋼索線が営業しており、坂本からのケーブル線もそのひとつであったが、全国から比叡山に登る観光目的の客が増えつつある時期であったことも事業に拍車がかけられたと思う。添付されている写真も豊富で、道床基礎工事や機材を山上へ運搬する作業者の労苦が偲ばれるが、延長1,458m、比高560mに及ぶ建設工事を僅かl年間で仕上げたことに再ぴ驚かされた。
さて本題の空中ケーブル線については本書の末尾に、四明嶽駅から空中索道予定線に続く道や、将門岩を頂点にして何故か9m差の等高線が書き込まれた、5千分ノlの詳細な地形図が綴じられており、ケーブル線の完成に引き続いて釈迦堂まで客を搬送する計画は、ケーブル線と同時進行していたことが伺われるのであった。以上前号の木村氏の一文とつなぎ併せてお読み戴ければ幸いです。比叡山に係わる紹介本は十指に余るほど目にしますが、この空中ケーブルに触れている著書には残念ながら出会っておりません。また別に坂本からのケーブル線に接続して、大比叡山頂まで空中ケーブルを設置する計画もこの頃に浮上しましたが、これは立ち消えになったようです。何時の時代も人を誘致することに懸命ですが、これからの比叡山がどのように変わって行くのか、見たいような見たくないような、これを書き終わった心境は複雑になりました。



『 叡山電気鉄道鋼索線』より 左、蛇ヶ池スキー場 中、右、鋼索線開通前後の山駕籠
(八丁平を守る会々員 尾高一郎)
| 『40号の訂正と追補』 「森の中の旧駅舎」で、ロープウエイ開通昭和10年とあるのは「昭和3年10月」の誤りでした。お詫びします。ところで、水資源開発公団発行の「日吉ダム発見マップ」には、「比叡山ケーブルのワイヤーを天若ダムに使用」とのコラムが載っている。文意からしてこれはロープウエイの意と思われるが、物見遊山だとして撤去された資材が、しっかり戦時体制に転用されていた訳である。 (木村一郎) |
98.12. 14 (上京明峯勤労者山岳会)小鹿聡司
八丁平通信ご愛読の皆様、大変ご無沙汰しております。
過日、10/31〜11/1、兵庫・西六甲の箕谷、グリーンスポーツホテルにて、労山主催(日本勤労者山岳連盟)の「登山者自然保護集会」が開かれました。
この集会も第10回目を数えることとなりました。
京都の労山からは、私を含め14名が参加しました。その時の、報告は、京都労山ニュース12月号に掲載させてもらいました。
今回は僭越ですが、それを転載させていただいて、最近の労山の「白然保護活動(運動)」の一端の紹介とさせていただきます。
第10回全国登山者自然保護集会―「六甲集会」に参加して―
上京明峯労山 小鹿聡司
京都連盟傘下の会からは、京都を代表して報告された土田会長、安達常任理事はじめ、14名の方が参加された。集会の参加者は237名で、ホテルの会議場は満席の盛況であった。(地元兵庫が134名、近畿は68名、全国から35名でした。)
●私は、仕事で、午後からの参加となり、新幹線、北神急行、タクシ一と乗り継いで会場に着いたら、全国連盟の基調報告は終わった後で、各府県連からの報告が行われており、ちょうど2番目の報告者である我が連盟会長の土田さんが報告をされている最中だった。土田会長の報告は、「ポンポン山ゴルフ場反対運動とその後の公金返還裁判開争」で、「楽しくなければ運動やない」の合言葉どうり、土田さん一流のユーモア溢れる語りに、会場は大爆笑だった。
●その他、計15本の報告が、31日の午後と1日の午前に分けて断続的に行なわれた。以下のとおりです。
・滋賀県における自然保護運動の広がり〜山から琵琶湖ヘ〜
滋買県勤労者山岳連盟会長 寺川庄蔵
・京都におけるローインパクト登山の取り組みについて
京都府勤労者山岳連盟常任理事 安達正明
・ 兵庫における山岳自然保護運動の歩み
兵庫県勤労者山岳連盟自然保護委員長 村上悦朗
・立ち枯れる近畿の屋根「台高・大峰山脈」
奈良県勤労者山岳連盟 前圭一
・ 武庫川ダム間題を考える
・ 兵庫・甲山勤労者山岳会副会長 安留紘一
・里山の緑を蘇らせる活動
兵庫・西宮明昭山の会 松井光利
・大万木林道建設の経緯と現状
島根県勤労者山岳連盟 安田晃
・妙見山の清掃登山での、テレビ放映の経験について
大阪府・豊中勤労者山岳会 池田茂
・士幌高原トンネル道路建設反対運動の活動とナキウサギ裁判
元海道・道央勤労者山岳連盟 鎌塚敬子
・長野冬季オリンピックが残したもの
長野県勤労者山岳連盟 今井邦雄
・高尾山トンネル発作掘削反対運動
労山都連盟自然保護委員 矢部弘幸
・宮城県におけるプナ林伐採反対運動
宮城県勤労者山岳連盟副会長 仲井輝吉
・21世紀へ尾瀬を引き継ぐための登山者の提言
群馬県勤労者山岳連盟
・
和歌山市・大規模民間開発「フォレストシティ計画」の県による許可取り消しを求める活動
和歌山県勤労者山岳連盟会長 井本良一
・渡り鳥の飛来地は守れるのか〜藤前干潟の現状報告
愛知県勤労者山岳連盟 田中好子
●また、特別報告として、三俣山荘オーナーの伊藤正一氏より「三俣山荘撤去命令撤回を求める裁判問争」の報告訴えがあった。氏は労山草分けの人でもあり、山小屋がいかに登山文化を支えているか、いかに林野庁の「売上高方式の地代」の言い分が不当なものかを切々と語られた。
この「北アルプス三俣山荘、水晶小屋、湯俣山荘への撤去命令を撤回させる」著名をはじめ、「首都東京に残された貴重な自然を守るため高尾山トンネルの見直しを求める署名」「大雪山国立公園士幌高原道路の建設に反対する著名」「フォレストシティー計画の許可取り消しを求める署名」の4署名を預かってきた。11月中に集め送り返しますので、ご協力宜しくお願いします。
初日の休憩時間には、明昭山の会の数村光利さんの本格的なマジックや、夜は全国「地酒交流会」など、楽しい催しが用意されていた。
私は遅れて参加したため聴けなかったが、全国連盟の「基調報告」については、「報告・資料集」にその全文が載せられていたので、その骨子を箇条書きで紹介しておきたい。
「ふるさとの山と緑を守り育てよう」
日本勤労者山岳連盟自然保護委員会副委員長
後藤功一
1.はじめに
第23回全国総会「21世紀登山のあり方の探求」の内、「登山と自然との真の共存・共生のあり方の探求
・クリーンハイク25年とこれから
・地球温暖化時代の山岳自然保護運動
・「六甲ゴミ一掃運動」「大震災から蘇り立上がっ
た」兵庫の仲間達
2.地球温暖化と山岳自然の大変化
・環境保全を前提とした登山活動
3.豊かな山岳自然は守られてきたのか
1、尾瀬とオーバユース
2、’96白神シンポジウムで問われたもの
3、大規模林道の犯罪
4、三俣山荘問題の本質
5、’98「第一回山岳トイレ・シンポ」の意義
4、何故、豊かな山岳自然をめざすのか
1、豊かさとは何か―「人間社会」の豊かさと「自然」の豊かさ
2、ふるさとの山を守る運動一新しいナショナルパーク像
5.深刻な高山植物盗掘間題
・北海道・タ張岳での大量盗掘
・’98/9月「高山植物盗掘防止シンポジウム」
・
登山者のモラルと教育「高山植物保護条例」の制定へ
以上の内容ですが、各地の報告と討論は、この基調報告とかみあって、一層それを深める内容のものでした。
●二日目の午後は、
A.武庫川ダム現地見学一ハイキングコース
B.六甲最高峰・登山コースに分かれて、
私は、奥田会長と、西山ハイクの安達さん、安井さん(長岡京市市議)と一緒に、Aコースに参加した。
JR旧福知山線廃線跡、西宮名塩〜武田尾間の渓谷沿いハイキングコースは、7〜8つもあるトンネル跡を、ヘッドランプたよりに通り抜ける、とてもユニークなコースで、その合間に「淵と滝と瀬」が交互に展開する渓谷美を堪能できる、素敵なコースでした。この日も天候に恵まれ、たくさんのハイカーと出会いました。
●こんなにも多くの市民に親しまれている「武庫川渓谷」と、阪神の奥座敷と呼ばれた「武田尾温泉」を一挙に水没させるダム計画は、許しがたいものです。行政は、100年に一度の洪水対策を口実に(京都の加茂川ダム計画の時も100年に一度の洪水だった)しているが、遊水池の設置で洪水は十分、防げるのだそうである。
●最後に、今回の「第10回全国登山者自然保護集会」の開催を引き受けて、立派に成功させた、兵庫の労山の皆さんの、ご努力とご奮闘に敬意と感謝の言葉を申し上げて、報告とします。
現代小説に見られる京都北山
(村上春樹は花背峠をバスで越えたのだろうか)
村上春樹の小説「ノルウエイの森」は今から10年程前にベストセラーになった。先日図書館で借りてページを開いてみると、10頁以上に渡って京都北山をモデルにしたと思われる場所が描かれている。
まずは花背峠と思われる場所。内面的に不安定になって山間部の「寮」に暮らす女友達を、主人公の青年が訪ねて行く場面である。要約すると「三条近くのターミナルからバスに乗り、鴨川に沿って京都市内を北へ、曲がりくねった道、杉林の中を進み、峠で待ち合わせ」る。
峠の前後は実際とはやや交錯している感もあるが、これは小説だからあえて場所を特定できないように描かれている部分もあるであろうし、当時京阪は出町迄来ておらず、花背線のバスは三条京阪から出ており、16番と言う系統番号は実際の32のちょうど半分で、「バスが来ると犬たちは競いあうように吠えた」描写も、自由乗降のメロディに呼応して吠える場所が現実にあり、これは花背峠をモデルのしたものに間違いないとおもわれる。
ダイヤ上、峠で待ち合わせをしていた時代はさらに以前の事のように記憶しているが、作者は確か関西の人なので、何度か訪れているのかも知れない。
もう一箇所は、主人公達が「寮」から山道を歩いて「高原のようになった平坦な場所」に行く場面。「すすきの穂が高くおい茂って」「十二軒か十三軒の家は全て廃屋と化し・・ほんの七、八年前まで何人か住んでいた」「垣根に回りを囲まれた広い放牧場・・馬が何頭か草を食べている・・夏場だけここで放牧」これはどう見ても大見の風景としか思えない。そういえば大見への残土投棄計画の問題が起きた頃、地元のO氏と町のY氏が牧場をやっていて、そのすぐ隣で私の関わっているグループがFさんから畑を借りていて、私も農作業の合間に馬に乗せてもらったことがある。村上春樹氏も大見で馬に乗ったりしたのだろうか。
この小説がベストセラーとして多くの人に読まれながら、北山地域の宣伝材料として地元や観光業者が取り上げなかったのはどうしてだろう。私は文芸評などとてもできないがあっさりした文体の中に、どこかで社会性も踏まえていて読後感は悪くない。
もしかすると人々の感性や視点が様々であるがゆえに、ここに描かれている、内面的な問題を癒す為の「寮」という設定が、観光地の題材には馴染まないと考えられたからだろうか。それとも関係者が単に見過ごしていただけなのか。
(八丁平を守る会 木村一郎)
読書2 『うるさい日本の私』を読んで
【タイトル】 うるさい日本の私
【サ ブ】「音漬け社会との果てしなき戦い」
【著 者】 中島義道 【発 行】 洋泉社
【判 型】 A5
【発行年月】 1996年8月15日
【ページ数】 217p 【定 価】 1700円
【ISBN】 4−89691−224−1
【目 次】 まえがき
第1章:言葉の氾濫と空転
第2章:機械音地獄 第3章:轟音を浴びる人々の群れ
第4章:「優しさ」という名の暴力
第5章:「察する」美学から「語る」美学へ
以前、本誌で「きたない日本の私」というタイトルで、
ゴミ、糞尿垂れ流しの富士山や山小屋のことを書いたことがある。こんどはうるさい、である。
町には音があふれている。
多数の人はそれを騒音、雑音と思っていない、ようだ。
出す方は親切や単なる仕事として出している。音を出すことの効果は考えても意味や道義など考えてもみない。
それで苦しむ人の存在には想像が及ばない。
無いものの損失には気づくが、
過剰なゆえの損害には気づかない。
京都市バスに乗ると不気味な男の声のテープ(ICか)でドアが閉まります。とアナウンスされる。
扉が閉まるまで繰り替えされる。閉まります。閉まります。閉ま、と途中で切れる。この違和感はたまらない。ある時は閉まります。
と二回言い終えて閉まる。ある時は中途で切れる。
気になりだすとつらい。
たいていの人は仮に私のような思いをもったとしても、こうして書いたりぼやいたりする程度ですませている。
ところがこの著者は、自分に理があると信じるや、敢然と騒音、違和感の根絶に立ち向かう。
バス、電車、デパート、寺社仏閣、美術館、海、山、街頭。著者の戦いぶりには驚嘆させられる。ゴミ収集車、竹竿売り、選挙カー(あったかな?)美しい音楽も聞きたくない人には苦痛なのである。
この本には指摘がなかったが、私が最近特に思うのは、TV番組などの音楽である。
内容にそぐわない、
あるいは映像情報を損なうような、無意味有害な音があふれている。
音を消すとナレーションも消えるし、
無音も不自然である。映像は撮影者や被写体の説明が入るのに、どんな音楽を背景に使ったかクレジットが入ることはまずない。
著作権上、金を払ってケリがついていると考えているだけなのだろう。放送がデジタル化して音に関しても選択可能になるのならいいがまずだめだろう。
(中川 泉)
読書3 随想 ・ 変わりゆく風景
「山の自然学」を読みながら( 小泉武栄著・岩波新書 )
「『あっ、コマクサだ。きれいだなあ。写真を撮ろう』で終わるのではなく、『どうしてここにコマクサがあるのだろう?』と考えると、<山の自然学>がはじまります。(『まえがき』より)」といった視点で書かれたこの本は、八丁平を見つめ直す上で示唆を与えてくれる。
動植物、地形、気候といった事柄をそれぞれ別個にではなく、全体的に捉えるべきことを改めて認識させてくれる上で、一読の価値はある。
所で「二重山稜」の項では、図の説明によると氷河のみとは限らないようであり、二つの尾根の間に水が溜まって池が出来た例も挙げてある。そこでふと八丁平についても、峰床山が昔、葛川に直接連なるスケールの大きい山で、それがずれて出来た窪みが八丁平なのかなあ、そういえば尾根と谷の凹凸が東西で何となく対応しているなあ等と、素人の勝手気侭な想像を楽しんでみた。
なだらかな丹波高原から続く京都北山が、花折断層と呼ばれる急峻な葛川へ向かって落ち込んでいる、云うならば「辺境」に出来た場所が八丁平なのだろうか。
辺境。もしかすると移り変わってゆく時のその変わり目に於いて、風景も人々も最も光り輝いているのかもしれない。そしてそんな季節もやがて否応なしに「乾燥化」「陸地化」してゆく運命にあるのだろうか。変革期に輝いていた人々も妥協し、通俗化し得体の知れない「現実主義」をふりかざしてゆくのだとしたら、他人事ではなく自分自身に対しても深く肝に命じねばなるまい。
さて話を湿原に戻して、この本では、戦場ケ原でズミの木が乾燥化の促進に一役買っていて、伐採に踏み切ったことが述べられている。その他、日本のブナ林がどうして貴重なのか等、いろんな参考になる事が載っている。いろんな知識を吸収したいという意欲はあるのだが、読んでも右から左なのは、ただただ情けない話である。
近況 98・9
・4
久々に近所を自転車で走ってきた。すぐ近くの土手の下にあった牛小屋はいつのまにか辞めていて「歓迎・平野牧場」の看板だけが寂しそうだった。そういえば最近蝿が少なくなったようにおもうのはそのせいだったのか。
もう10年以上前だったと思う、ここへ牛糞を貰いにいって、借りていた小さな畑の堆肥にした。その畑もやっと土が出来て来た頃に駐車場になった。
土手のうえの道路に黒いカケラのようなものがあり、草亀だった。慌てて自転車をバリケードのようにしてクルマから守って、支流の川へ逃がしに行った。決してきれいな川ではないが40匹位の鯉がいた。
平の沢という池のオニバスは去年に続いて今年もしわくちゃの葉を広げて群生し開花しはじめていた。此処も道路が池の一部を横切り、風情がなくなった。東屋や観察用のテラスが設けられているが、以前の素朴で静かな雰囲気はなくなった。
たまに近所を走って見ると、少しずつ変化が有る。悪い方への事が多いが。保津川のような大きな河川は只眺めて居るのも悪くない。最近「さらば日本の川よ」(野田知佑著)
を読んだ。この本を読むと切なくなる。
明日は亀岡オンブズパーソンで市議会の傍聴に行く。
(木村一郎)
訪問インタビュー
「八丁平の野鳥」 加藤忠夫氏に聞く (1)
訪問日
1998年11月26日〜27日
小倉駅から電話をすると、すぐに加藤さんが、自転車で迎えに来てくれました。
駅前で夕食をご馳走になることになり、いきなり恐縮である。
ご自宅への道々、失礼ながら、お年を伺うと何と私と同学年であった。
まずご自宅の向かいにある仕事場を見学させていただいた。
加藤さんのお仕事は、種々の紙箱をつくるための木型製作である。
京都と言えば観光とお土産。さまざまなパッケージがあり、箱を開いてみると、その工夫された形に感心することも多いのです。
そのデザインを実現にさせるのが加藤さんの木型なのです。
そこにミリ単位で精密に埋め込まれた鋼の刃で印刷された厚紙を打ちぬいたり、折り紙で言う谷の線をつけたりするようできています。
技術の系統から言うと精密な木工でしょうか。
私も時折り、自分の作品用にダンボールを切り抜いて箱作りなどに難儀するものですから、面白くて、かなり詳しく説明していただきました。
さて、ご自宅のお部屋にお邪魔することにします。
おや、玄関の輪行グッズに目がとまりました。
中川:加藤さんサイクリングしはるんですか?
オートバイも?
加藤:いやいや、これはもう長い趣味でして。オートバイは八丁平に通うために買うたようなもので、、今は車で行きますが。
中川:一昨日(おとといから)八丁平に久しぶりに行ってきたんです。昨日は雪、霙、雨、と散々でした。鳥影も薄かったし。
加藤:そうですか、山の方ではしぐれてるやろなあ、とは思ってましたが。
まあ、一番数の少ない時期ではありますね。しかし、留鳥のカラ類などの数が少なくなっているようなので、最近気になっています。
中川:そう言えば、今回も殆ど群れにあいませんでしたね。
野鳥と写真
中川:加藤さんは、鳥と写真とどちらが先なんですか。?
加藤:それはねえ、同じなんですよ。鳥を撮るために写真を始めたと言う感じで。
以前東寺の近くに住んでおりまして、小倉の仕事場に通っていた訳ですが、まだまだ開けていなくて、折々いろいろな野鳥を見ていたんですね。それである時本屋で何気なく手にした写真集をみていたら自分の見ていた鳥がでている。
ああ、これや、この鳥や、と言う訳で、その事がきっかけだったように思います。
二十歳前後やったと思いますが、殆ど偶然と言う感じなんです。
それまではサッカー少年でして、その後サッカーは40才まで現役でした。
中川:そうでしたか、サッカー、サイクリングとどちらかと言うと体育会系ですな。尤も体力がないと野鳥の撮影はできませんよね。
それで、八丁平に行かれるようになったきっかけは何でしょうか?
加藤:ちょうど、その頃八丁平の林道の事が報道されるようになり、野鳥の宝庫だと、そんな事をきいて、どんな所かなあ、と。
もちろん、サイクリングで周辺は走ってましたから、地理的な位置はわかっていました。
最初にいった時、バスで行ったかなあ。とにかく交通機関を使ったのは一度きりですわ。
中川:そうすると、最初に行かれたのは1980年前後、ということになりますね。
最初の写真展は1981年に出町の柳月堂でしたが、その10年後、1991年に堺町画廊でやったときは、加藤さんの写真をお借りして、目玉にさせてもらいました。トータルではどの位入ってはりますか。?
加藤:それは、詳しく調べればわかるけれど、年15回位掛ける2日掛ける年数ということになると、、
まあ、恐らく、丸々一年間相当は、行ってるでしょうね。
中川:同じ所へ、これだけ連続して通われている、と言うのは貴重ですね、あまり他に例をみないのでは。加藤:私の場合、雄雌、幼鳥、とあらゆるステージのものを撮りますし、春、秋の渡りの時に入る鳥もありますし、他の生き物も、とにかく動くものやったら何でもとりますんで、まあ年間を通じて、ということになりますね。
野鳥の見方と撮り方
中川:一昨日も木村一郎さんと歩いたのですが、我々が歩いてゆくと皆鳥が逃げてしまって。
やはり、一人でそーっと歩かないとだめでしょうねえ。まあ今回は探鳥が主目的ではなかったのですが。
加藤さんは、撮影は、”待ち”ですか。
加藤:待つ、こともありますが、どちらかというとあまりじっとしていませんね。そうろうと歩いて行きましても、落ち葉など、かすかな音で鳥の羽音などが聞こえないんですね。それで何となく気配で、この辺り、と言う所でとまってみます、するとちょっと逃げるんです。
同じリズムで歩いていた時には聞こえなかった鳥の羽音が聞こえます。それから待つんです。
木の葉や熊笹の動きなどで見つけます。
中川:そうですか。よく感じるのですが、こう道を歩いていきますと、通り過ぎる、直前というか、そのときぱっと飛び立つ、あるいはぶるっと羽音を立てると言う事がしばしばあります。どうして、?というのはもっと早くから逃げておけばいいと思うのですが。
それにこちらが気づいていないのだから、じっとして居ればいいのに、わざわざ目立つことせんでもいいのにと思うのですが。
加藤:それはですねえ、まず、道の際、林の際と言う所は餌が結構多いのではないかということですね。
良い餌場だということですね。それから小さい鳥ほど、人間との距離は近いですね。
それで、当然、遠くですでに気づいていると思うのですが、ガマンしてる、と思うのですね。
じっと。で近づいてくる、来る、もうアカン、というところで、ぱっと飛び立つ、ということやないですか。まあ驚かせている、とも言える訳ですが、しかし結構、鳥の神経も太いというのか、そんなに遠くには行きません。
八丁平で私が鳥をみていると、遠くから登山者がどたどたと歩いてきますね、当然警戒はしてますけど、そんなに逃げませんね。
ああこんなんしてるんやなあ、と、、
中川:その話しで思いだしましたが、先日桂川で釣り人がカイツブリを追い払おうと、石を投げているのにでくわして、肝をつぶしました。どっぼーん、と。でも暫くじっと見てるとまた、何時の間にか、のこのこ元の所に戻ってきているので笑ってしまいました。
それから今朝は、巨椋でケリを見ていたんですが、大体40〜50M位で逃げてしまいましたね。
加藤:そうです。ヒヨドリなんかも野生では15m、やっとですね。
中川:そんなもんですかね。でもやはり町にでてくるような奴は結構逃げないでしょう。今日も同志社の田辺のキャンパスへ寄ってきたんですが、ツグミが楠の実を食べてました。すぐ側へ行っても逃げませんでしたよ。随分人ずれしてるなあなんて。
加藤:ウーン。まあそんあこともありますかね。個体差はあるでしょうね。
中川:ところで、やはり、雄と雌では、雌の方が撮影は大変でしょうか。?
加藤:いやいや。全く逆。
中川:ホンマですか?
加藤:そうなんですよ。
私が思うに、雄は鳥同士の立場としても、目立つ格好してるでしょう。囀ったりもしますし。その分警戒心も強いんではないですか。雌は大体地味でしょう。それで自分でも目立たんと思ってるのか、良く撮影できます。今年のマミジロなんて、雄はなかなか撮れなかったんですが、雌はもう撮り放題といいますか、、
中川:それは、ちょっと意外だなあ、家の冬の餌台に来る奴なんかですと、又ヒヨドリで恐縮ですが、雄はもう5年以上も居着いて、手から食べたりしますが、雌は殆ど慣れません。水浴びも雄はきれい好きですが、雌はちょこっと申し訳程度で、きたないやっちゃなあなんて(笑)
加藤:私は雌の方が撮りやすいですね。
中川:それは、もしかすると、雌が加藤さんに気をゆるす、好かれているのかな、すると雄が警戒する、そんな感じではないですか、きっと。やはり人柄でしょうか。(笑)
加藤:ははあ、しかし、あの、私、同種にはぜんぜんあきませんのです、、、人間には、(大笑)
中川:?!そりゃあ、加藤さん、写真撮ってあげる、と言わはらへんからとちゃいます
?(爆笑)
ああ、おかしい。夜もだんだん更けてゆきます。話しを変えて。
写真集のことなど。
中川:ところで、撮られた写真はどこかで発表されたりはされないんですか。
加藤:いずれは、本にしたいとは思っているんです。漠然とですが。
中川:それは、是非、期待してます。
加藤:今のところ、出版社の人とか、そういう出逢いもありませんし、なんか機会があれば実現するかもしれません。いずれにしても、自費出版になるんでしょうけど。
中川:自費出版というのも、少々つらいところがありますね。自分の思いのままにできるんでしょうが。出来れば八丁平の植物とか、風景とかと合わせて八丁平の総合的な写真集、八丁平誌ということで協力もできるんでしょうが、ちょっと会や、私達のレベルが足りません。私なども幾らか使えそうなものあったはずや、と思って探してみますともう20年も前の写真だったりして、なんぼなんでもそんなもの使えませんわ。そうそう今回、木村さんが最新のカメラ買わはって、山にもってきてはりました。
加藤:写真をとった時の情景というのは鮮明に覚えていますね。
まあ、鳥の他にも、動物や風景なども多少いれようとは思ってますけれど。
中川:そうすると、現時点で写真として、八丁平の鳥で確認されたものは、大体撮られた、ということですか。そもそも何種くらい確認してはるんですか。
加藤:いやいや、それはとてもとても。確認種は90種です。
中川:とすると、3分の2くらいは行ってますか?
加藤:うーん、厳しいところですね。その位はいってるでしょうか。
中川:あ、いや、すいません、全部だなんて、変なハードルを設けたりすると、人生の残り時間足らなくなるといけません。図鑑ではない訳ですから。でもここからが、案外苦しい、と(笑)
加藤:まあ、普通の奴といいますか、そんなんが、案外撮れてないんですね。
中川:撮る気もなかった、と。
加藤:(苦笑)いや、そうでもないんですが、例えばヒヨドリだってこれがなかなか撮らせてくれないんですよ。
****
ここから加藤さんの作られた八丁平の野鳥リストと整理用のプリント控え、図鑑なども見ながら、一種ごとの検討会がはじまりました。私が、感心し、また安心したのは、加藤さんが、きちんとした、観察、撮影記録をつけられていることでした。とりあえず、それが記録されて保管されてあれば貴重な資料であります。
(以下次号に続く)
(お断り、この記事は加藤さんとの雑談をもとに中川が構成したものです。一部テープも参考にしましたが肝心な所がうまく録音されていなかったりして、事実と異なるおそれが多分にあります。加藤さんに校正していただくはずでしたが、通信がもう発車時間を過ぎた電車に駆け込むようなことになっており、平にご容赦を乞う次第です。過誤は次号以下で訂正させていただきたいとます。皆様もご承知おき下さいませ。)
Web版通信追加
NHKで放送された「野鳥百景」がビデオ化されました。全20巻でこのうち第16巻が京都
大阪編となっておりまして、八丁平(ウグイス)を加藤さんが案内しておられます。
遥かなる八丁平をたずねて(20)
−京都感傷紀行中級編−(A
sentimental hard rambling)
新年会も花見も、暑くなったら暑気払いでも、と言いながら夏も過ぎた。
11月22日 東京―京都
二転三転、何とか日程が決まった。この機を逃せば98年の上京、上山が危うい。瀬戸際である。
事務局方に今度もまた大変お世話になります。ところが夜行バスは景気のせいもあるのか、ことごとく満席。
時刻表を御覧になると驚かれると思うのだが、首都圏と京滋阪奈を結ぶ路線は実にたくさんある。
最近木村さんが教えてくれたのは、品川駅発、舞鶴行き、亀岡下車。こんな手もあるのか。
が、何とか、東京駅発、大阪駅行きの一席を確保できた。大阪まで行き戻ってくる事になる。
その分料金は高いし、帰り大阪から乗らぬのなら往復割り引きも利かない。
多少良かったのは通常、京都に6時前後に着いてしまうため意外と身の置き場に困るのだが、電車で移動している間に喫茶店などが開く時間になっていた。
11月23日(月)「京都市西部を攻める、の日」
京都駅:7時 快晴
風なく暖かい。いつものように東本願寺に近いUCCの喫茶店で軽食をとり一息つく。
ここで何とかこちらの人間に変身を図る。剥がれかけた関西言葉など二つ三つ呟いてみたりする。野鳥で言うとぐぜりというのかな。
京都在住の頃、まず東京の人間と思われたことはなかった、と言って、関西人とも思われなかった。では自分は何人でありますか。
"鳥取あたりですか"、と言われたことがあります。ルーツから言うとあたらずと言えど遠からず。(遠い?富山)ご当地の人がいたら、冗談じゃない、と言われたかもしれないが。
西京極:8時
ここから、久我井堰までは野鳥の会の定例探鳥コースになっている。
私は東京で会に入り、入ってから関心を向けるようになったほうだから、野鳥の生息地としての京都なんていうのは、以前は見過ごしていた新しい視点なのである。桂川ってどんな所なんだろう。
暖かく汗ばむほどだ。阪急の鉄橋をくぐって暫くゆくと、
桂離宮がありました。:ちょっと河川敷のコースからはずれて見学にいきます。中には入れません。
知らずに来た中年の家族連れの観光客が何かぼやきながら帰って行く所でした。
秋のシーズンの盛りなのに桂垣に囲まれた前庭辺りも、静かなものです。
私が写真を撮っていると、散歩のおじさんが、突然、前のめりに大転倒。びっくりするなあ。
低く張られたロープに全く気づかず、足を踏み入れたのだ。離宮の東を限る竹の生け垣を検分に行く。
この垣は中の竹林の竹を斜めにひっぱり、そこで、高さ2mほどの所で竹幹を折って枝葉を逆さにして集めて結ってある。
この離宮のシンボルの一つとも言える垣は竹が上の方にしか枝葉をつけない事、折っても容易に枯れない生命力を利用したものだ。
ところが最近、傷んでいると言う噂を聞いていた。
それは、この垣を維持するためには、垣から離れた一定の距離に同じ位の高さ(太さも)の竹が生えていなければならないのだが、太くなってしまったり、欲しい所に生えてくれなかったりするらしい。
一言で言えば竹林の管理がうまくいってない。
在京時、竹屋の若い衆がボランティアで竹林の手入で入った時に私も連れていってもらったことがある。御褒美は菊のご紋入りの煙草でしたな。宮内庁管轄。離宮の中は野鳥の楽園だろう。池もあるし。
新幹線陸橋下:ここまで川にはあまり鳥がいなかったです。カイツブリ、カンムリカイツブリ、カルガモ、ヒドリガモ、アオサギといった所。河岸ではツグミや、ジョウビタキは♂も♀もいて元気でした。
「カイツブリごっこ」:休日ですがバードウォッチャーは見かけません。釣り人はどこにもたくさんいます。
若い子は流行のルアーなんかのようですが。中にはご常連でしょう、川岸に足場つくって、屋根もかけて、と念がいってます。
あきれたのはその周りを耕して大根なんか作ってあります。
ドッボーン、と大きな水音がします。何と、釣り人が岸近くのポイントに集まってくるカイツブリに石を投げて追い払っているんです。
暫く成り行きを観察。すると一度は川の中央に逃げたカイツブリですがまた、いつの間にか寄って来ている。
おっさん、手でシッシなんてやってる。あまり悪気がないものか、カイツブリも殺気は感じてないのか。それとも命懸けなのか。
この両者、精神のレベルというのは同じ位ではなかろうか。微笑ましいというよりかなり可笑しい光景ではある。
そして一度ならず、この日、場所を替えて、別の人が、またドッボーンとやるのを目撃した。いじましい釣り人達だ。恥ずかし、ないんか。
それにしても素朴な疑問として、石を投げれば魚が逃げてしまわないのだろうか。
逃げた魚がまた戻ってくる頃、またカイツブリも戻ってくる。それじゃずっ〜と「カイツブリごっこ」じゃないですか。
久世橋西詰め:11時25分
久世橋下の河川敷公園から、久我井堰の間には冬の鴨達もだいぶ来ていました。先にあげた他、
ヒドリガモ(♂♀6)、オカヨシガモ(♂♀8)、マガモ(♂♀100)、キンクロハジロ、ミコアイサ(♂1♀2)、ハシビロガモ
2、堰の下にオナガガモ、コガモ。他にユリカモメが170、カワウが74、トビ、チュウサギ、とそんな所でしょうか。
公園ではバードウォッチャーも数組見かけました。公園で昼寝。
羅生門跡−東寺:故黒沢明を偲んだあと(私は、デルス・ウザラしか観た事ないので単なるこじ付け。)
境内に足を踏み入れた記憶がない超有名な東寺に参りました。
付近でDX東寺の看板を見かける。!?まだあるのんか。
わたしゃ知りません。ストリップ劇場なんでしょ。京都って何でも長持ちさせるんですね。
「千年後の観光ガイド:右に見えますのが、重要生態文化財指定DX東寺でございまーす。
その歴史は古く20世紀の昔昔
ウッフン。かってこの近くに有名な寺がございました。この劇場の名をとって東寺と言われていたそうでございまーす。」
あはは、罰当たり。
きっと人類も長い間に堕落し続け、果てにいろんな宗教ができてきたんでしょうな。ところで東寺の印象は??
八丁平を守る会:久久にメンバーが揃う。しかし脇さんは、これから6時間かけて富山の氷見まで帰るとの事。
帰り着くと日付が変わっているだろう。もっとも考えてみると集まった十五人ものメンバー(嘘です)のうち、京都市内に住んでるのは、事務局の田淵さんだけ。それだけ守る会が全国組織になってるということですな。
尾高さんにもヒノコの山小屋での作業からの帰路、お疲れの所来ていただくことができました。
二次会:出席者、木村、田淵、中川
11/25〜26八丁平巡回 −この項2P。
(中川 泉)42号に続く
旧年中はお世話になりました。
やっと八丁平通信41号ができましたのでお届けします。大変遅くなりまして申し訳ありません。先般はまたたくさんの方から、通信会費の振り込みをしていただき、ありがとうございました。
ただ、発行時期がずれ込んでおりまして気がづつないことです。
98年は2号しか出せませんでした。某会員から、実質的値上げになってるのでは、と耳の痛い指摘もありましたが、現行体制下で、一期4号は維持したいと考えています。
期間のずれに相当する分の補填はその分内容の充実で補いたいと編集部とも画策しているところです。今号の内容はいかがでしょうか。
電子化の対応もようやく緒に就いたところで、まだ軌道にのっているとは言いかねるようですし一方で新しいことに気を取られて旧来の仕組みがうまく機能しないようでは、本当のマルチメディア社会と言えないのではないでしょうか。どんな一年になるのでしょうか。本年もよろしくお願い致します。
京都市産業観光局農林部林業振興課林政係への照会について
八丁平林道う回決定後も毎年、市役所担当部局との会合を持ってきましたが、昨年98年は残念ながらその機を逸してしまいました。気にかかっていたところですが、11月末、会員から気がかりな報告(今号2P記載)がありましたので、早速電話で尋ねてみました。回答しだいでは、翌日市役所に出向くということで、会員に連絡しました。
1、久多、尾越線道標、及び道路標識の設置の動機と目的
2、八丁平の調査について
3、二ノ谷施設の管理について(作業所の窓など一部に施錠がされていない)
1998年11月26日午後2時、林政係長
ナヤさん回答(吉原課長は会議中とのこと)
1、
●久多尾越線(道標)交通標識(木製)は昨年(97年)設置した。
●地元車の通行及び林業施行や、緊急時の通行の利便性を向上させたい、と考えてのこと。
●登山者用の道標として設置
●ゲートを開けて開放する考えはない。
2、
●森林植生と湿原植生の調査をおこなっている。
3、確認して処置する。
と言う回答が得られましたので、緊急動員は解除されました。しかし、現地を見たN氏は納得しかねるとのことでしたので、また後日設置状況など詳細に調べてみたいと思っています。また関連して会員のO氏からも、知人からの話しとして。「ゲートが開いていたのでニノ谷から久多まで、車で走破した」との情報も寄せられており、どのような運用がされているのか、気になるところです。
「平成11年京都北山三角点トレック」の問題について
1998年5月8日鎌倉山―峰床山―大悲山口のコースで定員200名のハイキングが企画されております。主催は朝日新聞社・京都バス後援京阪電気鉄道・京福電気鉄道
ということです。
八丁平湿原域を回避されているようであることは、評価できる面もありますが、この催しには、幾つかの問題があるように思われます。
1、定員200名と言うことだが、希望者多数の場合、翌週追加企画などで3週で計600〜700名規模になる可能性もあるということだ。(過去の例)八丁平の中には入らないものの、稜線からオグロ谷方面にかけては八丁平と一体の重要な保全エリアと考えており問題があること。開催時期は野鳥の繁殖時期でもある。
2、コース中にトイレが一ヵ所もないこと。
3、参加費が無料(交通費のみ)で、主催者は事故等多くの免責事項を挙げているが、社会的に名のある企業が主催し、企画募集する催事でそのようなことが許されるだろうか、という責任問題。
4、上記に関連して、当日も主催会社のバスが同路線で運行されている訳で定時の運行に合わせて行動している、一般客とどう差別化が計られているのだろうか。不公平ではないか。
5、山の多様な自然を理解し楽しむには、よきリーダーやガイドの役割も大きい。そうしてこそ一時のブームでなく自分達で四季折々、繰り返し山を訪ねるようにもなるはずです。多人数登山では、自然を体感するには、雑音が多すぎ、得られるのは肉体的達成感が主となります。手間やコストをかけず無料ということで、安易に一時的に乗客数を増やすより、適切なコストを参加者に求めても社会的に有意義な企画をしたり、あるいは、もっと利用しやすいダイヤや運賃設定などの工夫をすべきではないでしょうか。
かって八丁平、クラガリ谷出口付近に同志社大学と同ワンダーフォーゲル部の山小屋、新心荘がありましたが、林道問題の渦中、調査団の指摘もあり部員の手で自主撤去、移転したことは、この通信でも何度か記事になっております。その指摘とは、そこに山小屋があり、一つの目標地点となることによって、人が集中し、その事が、八丁平の破壊につながる。ということでした。当時すでに屎尿を集水域外に運ぶなど、対策を取っていましたが、それでもイカンということだったのです。この事例も踏まえ、う回路線決定後も、八丁平のオーバーユース防止は守る会、通信の会共通の方針となっております。これに沿って1995年京阪・スポニチファミリーハイクが400人規模(最大で800人の事例があった)の八丁平を通過する企画の際、要望書を提出しました。これについては京阪担当部局より、コースを変更する旨、誠意ある対応がとられましたことは、通信28号に報告のあるところです。
私達自身についても、50人規模の観察会もまだ人数規模が多すぎるという検討もありました。
以上を踏まえて現在対応を検討中です。主催者の方もふくめまして、皆様のご意見をお聞かせください。
事務局に届いた皆様からのお便りをご紹介します。(順不動)
●10周年おめでとうございます。地味な仕事をこつこつと続けてくださってありがとうございます。山々の木々がいかに大切であるかをつくづく感じています。今まで(私の子供の頃)は水を買って飲むようなことはなかったのに美味しい水は買って飲む時代、少しでもこれからの子供達に買わなくても美味しい水が飲める様、山を大切にしたいものです。
(左京区:浅野齢子)
(公の物を私して儲け仲間うちで山分けするような仕組みがどこかで出来あがってしまっているようです。私達こそが公なのだということで考え直さないといけないのでしょうね。:な)
●八丁平通信総目次大変参考になります。特に八丁平通信の表紙、植物画も入れて下さっていて、楽しく知識にもなります。有り難うございました。ずっと続けて頂きたいです。
(大阪府三島郡島本町:松下武子)
(田淵さんの写真の表紙も良かったですが、石田万介さんのスケッチは好評で当通信の目玉です。前編集者が創られた簡素な紙面構成をどのように維持していけるか、試行錯誤ですが今後もご支持をお願いします。:な)
●八丁平通信40号の発行おめでとうございます。10周年の節目を迎え内容も力の入ったものからリラックスして読める記事に変わってきました。今号の「雲ケ畑から久多へ」など面白く拝読しました。「北山の自然史ガイド」は北山を愛するものにとって有り難い記事です。今後共よろしくお願いします。
(左京区:笠岡栄次)
(木村さんの北山交通史に関する記事は、現場に直接かかわっておられる氏ならではのものです。フツウの人が歴史を扱うのは、厳密さを必要とされ、困難が多い事でしょう。鈴木先生も毎号の内容に苦心されているようですが通信で現在唯一学問のにおいのする記事で頼りにさせていただいております:な)
●八丁平へはよく行くようになりました。ヤマボーシに埋まる季節があることを知りました。アオバトの鳴き声を聞いた時は感動しました。少額ですが会費余分はカンパです。出来れば10号のセミの所と黒沢湿原のページコピー送っていただけると嬉しいのですけど、、
(城陽市:細圭子)
(なかなか行くのが大変ですが、季節を変えコースを変え年を変え、飽きることがありません。皆様の観察で私達の知識も増えてゆきます。行かれた時は簡単で結構です、ぜひ様子をお知らせください。:な)
●いつも八丁平通信をお送り下さいまして有り難うございます。もう高齢になり登ることは出来ませんが通信を読ませて頂きまして、そのままに残されています八丁平をなつかしく思い出しています。いつまでも八丁平の自然が残りますように祈っています。
(左京区:坪田雅子)
(いろいろ交通機関が便利になりました。その気になれば、八丁平も近所にお買い物に行かれる程の体力があれば行かれることと思います。が、できるけれどなさらないというのも見識であろうかと存じます。行きたいしたい見たいことはいくらでもあります。誰かが心から楽しんでくだされば、それで良いと思うこともあります。行かなくても楽しめる八丁平通信をめざします。:な)
●いつも通信を送って頂き、ありがとうございます。パソコン通信たいへん面白いですね。最近体調悪く、登山は中止です。八丁平に早く行けるようになりたいと思っています。
(八幡市:花熊桂子)
(どうぞお大事になさって下さい。そして又レポートをよろしくお願いします。パソコンは頭が良くなるのか悪くなるのかビミョウな所です。体力と視力にはあまり良いことはないことだけは確かですね。:な)
第二掲示板
◎京都・水と緑をまもる連絡会、結成10周年。98年10月20日付け、21号が10周年記念号となっております。(八丁平を守る会も連なってはいるのですが、現在殆どお役にたてておりません。)
紙面紹介:1面=京都御苑内の京都迎賓館計画について。見出し、京都御苑の破壊は許さない。進御苑の自然破壊:世界有数の都市の森:百害あって一利ない。:二つ目などとんでもない:新段階に入る反対運動(京都御苑への『迎賓館』建設」に反対する連絡会事務局
竹本文夫)
2面=特集住民投票京都そして神戸から鴨川ポン・デ・ザール計画白紙撤回の顛末(京都水と緑連絡会代表幹事
田中真澄)
3面=35万署名は何を意味するのか:中田作成(なかたなりしげ神戸空港を考える会・事務局長)
4面=裁判住民交流会発足へ(小倉山、ポンポン山、一条山、市原野ゴミ裁判など)
10周年企画◎記念誌の発行:連絡会の歩み、参加団体各自の運動記録をまとめて冊子に。
◎環境アセス市民審査機構(仮称)の設置
◎インターネット・ホームページの開設準備中
発行所:京都市西京区大原野南春日町1175−1
Tel075−332−5322fax075−332−5139
E−mail hayasi-m@mbox.kyoto-inet.or.jp
立ち話
◎ 1998年11月25日付け、京都新聞夕刊に八丁平通信会員には表紙のスケッチなどでお馴染みの石田万介さん(手書き友禅作家)の記事が大きく掲載されました。(京都新聞社企画広告記事)京都清新群像part2というタイトルでご兄弟の峻也さん(手書き友禅作家・日本画家)陽介さん(彫刻家)とともにお仕事をすすめる背景、精神、業績などをお三人の写真とともに紹介してあります。
◎
八丁平、大見等の問題に取り組まれた、鈴木正穂さん(京都市会議員)がホームページを開設しました。
http://www.masaho.com/
編集部から
11月の中、下旬の発行予定ということで各氏に原稿を依頼しほぼ皆様から期日前後には原稿を頂いていたのでした。
ただどうしても、もう少し現地報告プラスアルファで紙面を膨らませたいと欲張ったことも災いして大幅に発行がずれ込むことになってしまいました。全て編集子の責任です。
それでも必死に作業を続け何とか後付けを書く所にたどりつきました。すぐに次号の準備にかからなくてはなりません。これまで同様、各号に守る会会員、労山、地団研、各最低一本の記事はお願いしたく思います。そして通信会員の皆様他たくさんの方々の声を紙面にのせ、繰り返し読むに耐えるものにしたいと思っております。
八丁平関係資料及び過去通信の電子化作業は殆ど進んでいません。少々息切れです。急ぐ状況でもなさそうなので徐々にやります。インターネット関連の記事はまた次号に。
その次号は4月、八丁平の雪が融ける頃には出したいと思っています。いや、必ず出します。すいません、また、原稿お願いします。
編集室〒187−0043小平市学園東町3−7−30中川 泉電話/FAX 042-345-0537
Email:take-wood.izumi@nifty.ne.jp八丁平通信ホームページ
http://member.nifty.ne.jp/take-wood/Bdaira/dairatuu~index.htm(少し長いです。)
当方のサイトからリンクをたどるにはhttp://member.nifty.ne.jp/take-wood/index.htm
表紙スケッチ:伊賀谷右俣(石田万介)
以上で八丁平通信41号は終わりです。通信42号は99年4月から5月頃にかけて発行予定です。
Web版は今度こそファイルが入手しだい逐次アップして行きたいと思っています。
八丁平通信42号(ここにリンクができます。)