悪魔の独り言

今日は真面目に過ぎし日のセレナーデ 

私の実家の近くからクラシックなケーブルカーに乗り、摩耶山(まやさん)に登ることが出来る。
その中腹辺りに、かつて西日本を代表するリゾートホテルが存在した。

              その名は「摩耶観光ホテル」
                       (今回はお遊びなしのドキュメントタッチであ〜る。)

      開業当時の景観(海側から見上げた)。

      以下関連サイトより抜粋
     摩耶山には,中腹に天上寺という古寺(西国33ヶ所霊場の一つ)があった。
1925年(大正14)1月6日 摩耶鋼索鉄道(後の摩耶ケーブル)開業。
     山上駅(後の摩耶駅)東側に4階建木造ホテル「摩耶山温泉」ができ,浴場・演芸場(活動写
      真等を上映)を併設したという。
     この建物は,後の摩耶観光ホテルの前身となるものであったのであろう。
1932年(昭和7)春 摩耶観光ホテル開業
     鉄筋5階建,L字型のアールヌーボー調で,海側にせり出した部分が軍艦のブリッジを思わせ
     るところから「軍艦ホテル」と呼ばれた。
     20畳敷きの岩風呂,舞台付き400人収容の大ホール,中ホール,大食堂,和洋客室13,屋上
     ビアガーデン,庭園の小動物園,ローラースケート場等があったという。
1944年(昭和19)2月11日 戦争激化に伴いケーブルの運転が停止され,摩耶観も営業停止。
1945年(昭和20) 戦争による資材提供のためケーブルの線路等を撤去  やがて終戦...。
     終戦後,米軍は優雅な摩耶観を将校クラブにしようと計画したが何故か中止された。
     その後摩耶観は営業を再開したが,ケーブルは撤去されたままで,まもなく休止に追い込ま
     れてしまう。
     また正確な時期は不明だが,戦災で焼け出された人々が不法に摩耶観に住みついたという 
     話も伝わっている。 
1955年(昭和30) 摩耶ケーブル営業再開 奥摩耶ロープウェイ開業。
1962年(昭和37) 摩耶観光ホテルが改装され営業再開。内装はイル・ド・フランス(豪華客船)から
      操舵輪・ステンドグラス・木製ベット等の豪華な家具や装飾品を買い取って使用された。 
1967年(昭和42)7月9日 摩耶観光ホテル閉鎖。
     台風の暴風の被害を被り,摩耶観は再開からわずか6年足らずで営業停止になる。
1974年(昭和49) 摩耶観,学生のための研修施設「摩耶学生センター」として開放。
1976年(昭和51)1月30日 天上寺が火災によって全焼。
     これにより,天上寺の参拝客を当て込んで営業していた摩耶ケーブルの摩耶駅西側のみや 
     げ物屋や飲食店等も営業を停止した。
1985年(昭和60) 映画「ユー・ガッタ・チャンス」(主演:吉川晃司)のロケに使用される。
1990年(平成2) TVドラマ「過ぎし日のセレナーデ」(主演:田村正和)のロケに使用される。
1994年(平成6) 管理人の体調不良により,「摩耶学生センター」が閉鎖。
1995年(平成7)1月17日 阪神大震災の被害を受け、ケーブル・ロープウェイとも運休。
1996年(平成8) ケーブル・ロープウェイ 一旦再開されるものの,まもなく営業停止
2000年(平成12) 摩耶ケーブル・ロープウェイはその管理会社から神戸市へ無料譲渡され、
2001年(平成13)春より運行を再開したが、ホテルの営業が再開されることはなかった。

ここは現在、全国的に有名な廃墟ホテルとして各メディアにも紹介されているが、歴史に翻弄
(ほんろう)され続けた数奇な運命を知る人は少ない。
実はこの摩耶観光ホテルは私にとっては非常に懐かしいものでもあるのだ。
実家が摩耶山の麓(ふもと)にあったために、私の部屋の窓からはいつでも眺めることができた。
(今では周囲の木々で完全に覆い隠されてしまっているのだが)

そしてあの出来事は、恐らくホテルとしての営業を行っていた終末期(私が4歳か5歳の頃)のことだっ
たと思う。
それまでにも、またその後にも何度かこの山には登っているのだが、あのホテルでのワンシーンだけ
は、なぜか鮮明に記憶している。

よく晴れた夏のある休日、私達家族はそのホテルを訪れた。
それは決して特別な日ではなく、いつもの散歩にほんの少し足を伸ばしただけだったと思う。
父は屋上のビアガーデンでビールを注文し、私は大好物のアメリカンドックを食べていた。
間もなく運ばれてきたビールを一口飲んだ父は、ウェイターに向かってこう言った。
「なんや、このビールぬるいなぁ」「氷持って来い!」
その時のウェイターの慌てぶりが可笑しくて、子供心に強烈に焼き付いている。
(今思えば、ビールに氷を入れようとした父もかなり可笑しいのだが。)
その夜、私は一緒に風呂に入った父の前でおどけて昼間の父を真似して見せた。
大声で笑う父の声は風呂場で更に大きく響ていた。
ごく平凡だが、幸せな日々の記憶である。

あれから30数年後のH14年、私は自分の目でその廃墟を確認することができた。
セピア補正(カラー画像はアルバムへ)
その変わり果てた姿にかつての栄華は見る影も無かったが、あのビアガーデンがあったのは紛れもな
くこの屋上だったのである。
廃墟ホテルを眺めながら、私は諸行無常と云うか人類の栄枯盛衰を感じていた。

こうした廃墟に魅力を感じる人は意外に多く、中には廃墟ばかりを撮り集めた写真集や、廃墟マニア
のサイトなども立派に存在するのだ。
実際には色々な受け止め方があるのかもしれない。
ただ私の目には、時と共に朽ち果てた姿が、悲しくもあり懐かしくもあり愛しくもあった。
そして目まぐるしく変化する社会から取り残された異空間には、かつてそこを訪れた人々の想い出や
魂までが残されているような気がしたのだ。

その時私の頭の中では映画「タイタニック」のオープニングテーマが流れていた。

反論を覚悟で、あえて結論を申し上げよう!!。
     
本来、当サイトは真面目に写真とカメラについて
考察することを信条としている!!。
いつもいつもバカな事ばかり考えているとは限ら
ないのであ〜る!!。 
                       あ痛ぁ〜、最後の最後でまたやっちまったぁ〜 
 








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