幻のチャオ

平成14年、川崎軍団は経営危機に陥っていた。不況と相次ぐマシントラブルへのクレーム。
我々の組織を広げるには
男カワサキビールへの誘いでは足りないのか・・・・



これぞ男カワサキ



これぞミスタービール

ある日、丹野貴之ははみかん箱の上に立つと正規メンバーの前で宣言した。
「オートバイ最高峰のイベント、もんじゃチャオ祭りを制覇し、日本の若者に希望を与える」



 ベント用のさっそくイベント用に向けてのチャオ作りは始まった。ベースはあかり嬢用スペシャルチューンされた
初めての自走マシン走る文京区通称Yellow Birdチャオの残骸を集めてつくった。以後残チャオと呼ぶ


残チャオの開発は、関根慎太郎ら若き技術者に託された。
ボアアップ、スペシャルチャンバー、ビックキャブ、ポート研磨、チタンコンロッド、ターボ、スーパーチャージャー、ニトロと
斬新なアイデアを考えついたが予算ゼロの為、メカニカル的なパフォーマンスはなく
イメージのみ追及した。目指すは孤高のカワサキレーサーKR500である。









 グラフィックデザイナーは社内から公募した。限界までスプレーを振りつづける佐藤真才。
海外から、マン島レースの実況を録音したレコードを取り寄せ、手探りでレースの戦略を練った。
開発現場に足繁く通 い、設計に注文をつけた。





 塗り始めて5時間、月島へ飛び立つ直前、悲劇が襲った。映画の撮影に協力するため箱根を走っていた佐藤が、
トラックと正面 衝突。帰らぬ人となった。関根たちメンバーは、佐藤の遺髪をマン島全景が見渡せる小高い丘に埋め、優勝を誓った。




 しかし、結果は最高6位。ヨーロッパ車との性能の差は歴然だった。それから2年、技術者達はマシンの開発に全てを賭けた。
1000分の1秒の狂い無く動くエンジンの設計。何万通 りを数えるギアの組み合わせ。
そしてライダー達は、石をつめたリュックをかつぎ、高速コーナーに耐えうる足腰を鍛えた。
そして平成14年5月14日佐藤の志を胸に運命のスタートラインに立った。






 後に「まるで時計のような精密さ。アイデアに満ち溢れた完璧なエンジン」と世界から絶賛されたマシンが、出走の時を待っていた。



 日本初の快挙の裏には「友の夢を果たす」という男達の誓いがあった。

 

しかし丹野のゴタゴタによりもんじゃ祭りには間に合う事もなく、当日はPで行く羽目になる
軍団全員が集まるものの残チャオの姿は無し・・・・・幻のチャオである。