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@レイキとの出会い
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A初めての施療
ひどい時には、一夜にして腫れ上がることもこともあるそうだ。私には原因が分かっていた。しかし、いくら先生と云えど初対面の人に、身の上話など出来るはずもない。ましてや内心何処かで胡散臭いと疑う、レイキヒーリングの先生だ。しかし、私の状態を見て、やはりストレスからなるものなのではと、せき院長は分かっていたらしい。徐々になれない環境や人間関係などについて話し始めた。そして初めての施療。最初、施療手順を説明されるのだがそれどころではない。なんせ未知との遭遇である。緊張していて、施療台に横たわっていてもなかなか落ち着かない。どのくらい経ったのであろう。身体の下の方から金色の光が上がってくるのが感じられる。とても柔らかくて、そして力強い。その光は喉元まで上がってくると、身体の表面から放出された。それからはあっという間だった。感想はとにかく「スッキリした」だ。何だか分からないけど身体の中のネガティブなものを洗い流されたようだった。幾分、喉のつまりも少なくなっているように感じた。あとで分かったことだが(せき院長に教えていただいた)、喉の詰まりもノイローゼの一種だそうだ。私が経験した限りでは、言いたいことを言えず、自分に無理を掛ける状態を何年も続けると誰でもこの症状が出るだろうと思う。この爽快感を継続させたい・・・、何処か怪しいと一歩引いていたレイキについて、もう少し突っ込んで知りたいなと思う。そしてあの光は?眼下に現れた映像は?(これについては体験に書かせていただきます)不思議なことだらけだったが、その時の私にはそんなことはあまり重要ではなかった。この重苦しい心と、そして少しづつ病みはじめている身体が両面から健康になるのであれば、こんなに素晴らしいことはない。わらをも掴む思いで、無意識下によって連れて行かれたような元気堂。私はここに通おう、そう決めていた。 只ただ自分のために、自分を救う為に受け始めたレイキ。当時は、自分のことでいっぱいいっぱいで、他人を癒すなんて考えてもみなかった。それがまさか癒しを一生の仕事としていきたいと思うなんて。後に思う、「人生に偶然などない、全ては必然である。」、小さな看板を見つけた時点で、私は素晴らしい偶然の出会いを果たしていたのだ。 |
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Bアチューンメント
アチューンメントを受けると、施療院に通わずとも、毎日のセルフヒーリングにより効果的に自身を癒すことが出来るのである。まずアチューンメントとは一体何か?自分自身の手により、レイキを流すことが出来るようにするためのチューニングと言えば分かりやすいだろうか。回路を開き、そしてチャンネルを合わせる。これはレイキの肇祖、臼井甕男先生が自身だけではなく、誰にでもレイキが使えるようにとの思いで考案されたそうである。レイキという名称のために(何となく宗教っぽいじゃないですか)胡散臭いなどと思っていたが、今ではこのアチューンメントを考案していただいたことを、全レイキ人口を代表してお礼を申し上げたいと思っている。というか毎日が感謝の連続である。何の修行なども必要とせず、私のような普通の女がこの恩恵に授かれるのだ。 |
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C段階
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D導き手
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| Eレイドウレイキ 私が伝授して頂いたせき院長は、青木先生主宰のヒューマン&トラスト研究所の出身である。私は、サードまで来たとき、大きな壁にぶつかった。10年近く本心を心の奥底に押し込み、何重にも鍵を掛けて来たため、そのはずし方さえも分からないのだ。それさえも分からなくなっている自分に驚き、そして只ただ涙が溢れ続けた。涙は解放の近道だ。絡まった糸を少しづつ組み解いていくうちに、ここまで来られたことへの感謝の念で心がいっぱいになった。そして、どうしても青木先生にお礼を言わずにはいられなかった。きっと突然のメールで、青木先生も驚いたことと思う。しかし、私が一番お伝えしたい気持ちは、きっと通じたことと思う。「せき院長と出会って下さりありがとうございます。」その出逢いがあり、私はレイキと、そして院長と出会ったのだ。やはり人生に偶然などないのだと思う。全ては必然であり、そして様々な経験が自分のために必要なこと。これからも沢山の学びがあるのだろうが、私はこのレイドウレイキから教授を受けたことを誇りに思っている。 |
| Fレイキの言葉の由来と意味 前文で、レイキという名称について触れさせていただいた。何となく宗教っぽくて・・・という下りだ。最初に述べておくが、私は宗教に対して批判的な気持ちはない。宗教といえば日本にだって仏教というすばらしいものがある。べつに無宗教であったってお盆になればお祖父ちゃん、お祖母ちゃん、そしてご先祖様のお墓参りに家族で出掛けたり、そしてその後はお寺の御住職様のお説教を聞いたりして。自然と生活の中に浸透していることだ。私自身、無宗教なのでよくは分からないのだが、きっと信仰するということはきわめて自然に、日常と一体化しているのではないかと思う。1日の無事を祈って、そして感謝する。本当はとてもシンプルなことだと思う。だが実際、宗教というと私も含めて多くのかたが二の足を踏む、それも無理のないことだろう。度々世間を騒がせている様々な事件、または過剰な勧誘。そういう一部の情報により、悲しいかな色眼鏡で見てしまうのは致し方のないことである。そこで、宗教と混同されがちな「レイキ」という名称についての由来を、是非これを見て下さっている方々に知って頂きたく、レイドウレイキの教本から一部分抜粋させていただき掲載しようと思う。 |