『外交フォーラム』2002年2月号
「世界のイスラームDインドネシア 数千人規模の反米デモが起きた理由」
見市 建
(校正前原稿。引用はお控え下さい)
はじめに
2001年10月以降のアメリカの対アフガニスタン攻撃に対して、隣国のパキスタンやイラン以外でもっとも敏感に社会が反応したのは、数千人規模の反米・反戦デモがおこったインドネシアであった。マレーシアのマハティール首相はアメリカ政府に対する批判を明言した数少ない首脳であった。
イスラムといえばアラブや中東という一般的なイメージがあるが、アフガニスタンもインドネシアも言うまでもなくアジアである。特にインドネシアは世界最大のムスリム人口を擁する。小論では、インドネシアにおけるイスラムと政治の基本的な構造を踏まえた上で、今回のアフガニスタン攻撃に対するインドネシア人におけるムスリム(イスラム教徒)の対応について説明を加えたい。イスラム過激派や「原理主義者」と呼ばれるような人々の動きが目立つが、彼らだけを見ていても全体像は見えてこない。イスラム過激派と呼ばれる人たちはどういう人たちなのかを考えながら、インドネシアにおける多様なイスラムのあり方を示したい。そして、我々日本人が同じアジアの中の隣人であるムスリムをどう捉え、具体的にどういう対応を取るべきなのかを考える一助としたい。
多様な信仰と政治的な立場
インドネシアはその人口2億人のうち約8割がムスリムである。しかし、一言でムスリムとはいってもその宗教や国家、政治に関する考え方や行動はさまざまである。インドネシアの国是は「多様性の中の統一」であり、建国五原則パンチャシラにおいてもイスラムは他宗教と並立する公認宗教の一つに過ぎない。しかしこのパンチャシラを否定するムスリムも少なくない。1998年のスハルト体制崩壊以降、パンチャシラを否定してイスラムに基づく国家を作ろうという主張も表だってきた。
信仰のあり方もまた様々である。聖典であるコーランとハディースに書かれていることを文面どおり実行すべきであると考えるタリバーンのような復古主義的なムスリムはごく少数である。大多数のムスリムは西洋近代の科学や技術を利用することに何ら疑問をもたない。また、例えば死者への祈祷や聖人廟への参拝、ヒンドゥー教起源の影絵劇などをイスラムの教義に反する「不純物」だと非難する勢力もあるが、農村部に住む多数派のムスリムはこうした慣習を実践している。何が本当のイスラムであるのか、ということも人によって違うのである。統計上すべての国民が五大宗教のいずれかを信仰していることになっているインドネシアにおいては不信仰な「名目上のムスリム」も少なくない。
これまで人口の約8割を占めるムスリムは、政党支持においてはイスラム政党を選ぶ人々と、世俗的なナショナリスト政党を支持する人々に分けて考えられてきた。イスラム政党は、その宗教や特定の宗教団体をシンボルとして支持者を集める政党であり、したがって多くの場合インドネシアにおけるイスラム共同体の利益を優先する。ナショナリスト政党の支持者は名目上のムスリムであるとも言われ、ムスリム人口の半数以上を占めてきた。ナショナリスト政党はイスラム共同体よりも国民の一体性を強調し、他宗教の支持者も多い。ここ数十年の世界的なイスラム復興にも影響され、これまで名目上のムスリムと考えられてきた人々の間にも広範な再イスラム化が進んだが、イスラム政党が全体の得票に占める割合は増えているわけではない。したがって上のような二分法は依然として適用しうる。こうした前提を踏まえて、インドネシアにおける政治とイスラムの関係を見ていこう。
インドネシア政治におけるイスラム勢力の重要性
現在のメガワティ・スカルノプトリ政権は連立政権である。2001年7月に前大統領アブドゥルラフマン・ワヒド(民族覚醒党指導者)が「弾劾」され、副大統領のメガワティが昇格、第三党の開発統一党党首ハムザ・ハズが副大統領に選ばれた。メガワティは1999年選挙で最大議席を得た闘争インドネシア民主党(以下闘争民主党)の党首であるが、その得票は34%に過ぎず、単独過半数にはほど遠い。したがって常に複数政党による連立が必要である。スハルト大統領の時代にはゴルカルが7割近くの得票を誇り、大統領の再選は満場一致で決まった。しかし現在では大きく状況が変わり、大統領の地位は脆弱であり、国会の力が非常に大きくなっている。
主な政党は7つある(表1)。それぞれの政党の支持者を分かつ要素はいくつかあるが、ここで重要になるのはイスラム政治勢力と、宗教に中立的あるいは世俗的なナショナリストの区分である。他にも、スハルト体制の影を引きずるゴルカルと「改革勢力」、多数派のジャワとそれ以外の諸地域、都市と農村、社会階層の高低といった対立軸が考えられる。これら宗教以外の要素も頭の片隅に残しておいていただきたい。
主要政党のうち、闘争民主党、ゴルカルは宗教に中立的、あるいは世俗的なナショナリストである。民族覚醒党はイスラム団体ナフダトゥル・ウラマーを基盤としているが、ジャワを中心としたナショナリスト的政党である。残りの4政党は「中道軸」を形成するイスラム政党であり、国会内では概ね統一的な行動を取っている。中道軸は4党合わせても国会内の四分の一弱に過ぎないが、連立のキャスティングボートを握っており非常に重要な存在である。
<表1:国会内の勢力> *は中道軸
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政党名 |
議席数(得票率) |
宗教 |
主要人物 |
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闘争民主党 |
153(34%) |
中立的 |
メガワティ・スカルノプトリ大統領 |
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ゴルカル |
120(22%) |
中立的 |
アクバル・タンジュン国会議長 |
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開発統一党* |
58(11%) |
イスラム |
ハムザ・ハズ副大統領 |
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民族覚醒党 |
51(13%) |
イスラム |
アブドゥルラフマン・ワヒド前大統領 |
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国民信託党* |
34(7%) |
イスラム |
アミン・ライス国民協議会議長 |
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月星党* |
13(2%) |
イスラム |
ユスリル・マヘンドラ司法人権相 |
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正義党* |
7(1.5%) |
イスラム |
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その他諸政党 |
21(−) |
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国軍 |
38(無投票で選出) |
中立的 |
ワヒド前大統領の選出(1999年10月)と「弾劾」(2001年7月)はまさにその中道軸を中心に行われた。99年の大統領選出においては、同年7月の総選挙の結果から、次期大統領は当然にスハルト辞任で昇格した当時のハビビ大統領(ゴルカル)と第一党のメガワティの争いだとみられた。しかしながら総選挙で勝利したメガワティ支持者はハビビが再選されれば暴動を起こす勢いであり、さらに旧体制のイメージを払拭できなかったハビビに対して左派や世俗的ナショナリストの学生運動が連日国会前でデモを繰り広げた。ハビビはスハルト体制下で結成されたインドネシア・ムスリム知識人協会の初代会長でもあり、中道軸はハビビ寄りであったが、スハルトの影を残すゴルカルをあからさまに支持するのもためらわれた。しかし、メガワティは明らかにイスラム色が薄く、開発統一党や月星党は女性であることを理由にメガワティ選出に反対した。また国軍は過激なムスリムを動員して「自警団」を結成させた。メガワティ支持者や左派の学生運動とこれを対峙させ実力で押さえ込む構えを見せたのである。そうした閉塞状態で登場した第三の候補がワヒドであった。中道軸の一員である国民信託党党首のアミン・ライスはワヒドを大統領に担ぐと、当人もすんなり国民協議会の議長という重要ポストに就いた。
ワヒドの「弾劾」もまた、アミン・ライスが中心となった。ワヒド政権は「国民統一内閣」としてすべての主要政党が大臣職を得た。しかしワヒドは大臣を次々と解任し、各政党との関係を悪化させた。国軍の人事にも口を挟んだワヒドは最終局面で国軍の支持を得られず、「空手形」の戒厳令もむなしく国民協議会特別会で「弾劾」された。国民協議会は国権の最高議決機関であるが、700名のうち500名が国会議員であり、各政党の多数派工作が非常に重要な構造となっている。
アフガン攻撃への対応
さて今回の対アフガン攻撃においては、中道軸の一部、具体的には月星党と開発統一党の支持者が反米デモや「アメリカ人狩り」、アフガンへの義勇兵募集などの行動にでた。国民信託党の支持基盤となっているムハマディヤの一部強硬派や、正義党の支持母体である学生の宗教団体も同様の示威行為を行った。アメリカのアフガン攻撃に対する激しい反応は政党よりも、その支持層や、政党組織に必ずしも組み込まれない在野の宗教団体が主導的であった。10月12日の金曜日にはジャカルタを始め各地でデモが行われた。南スラウェシ州マカッサルではアメリカのファーストフードチェーン店で小型爆弾が爆発、日本総領事館にもデモ隊が押し掛けた。イスラム諸政党はその勢いに押されるような形で、早々に訪米しアメリカ支持を打ち出したメガワティに態度の変更を迫った。特に月星党はアメリカと国交断絶をすべきだと表明した。しかし、メガワティがすぐに動向を注視しアメリカに対する姿勢を見直すとの異例の演説を行うと、これによって事態は急速に収束へと向かった。
どうやら中道軸を中心として、在野を含めたイスラム政治勢力に合意ができたようである。つまり、メガワティ政権はハムザ・ハズ副大統領を始め、各政党の閣僚が参加する「相互扶助内閣」であり、2004年の総選挙まで2年以上ある現時点で必要以上に揺さぶるのは得策ではないという合意である。ワヒド「弾劾」をめぐるゴタゴタを繰り返したくなかったことも理由の一つであろう。
「イスラム過激派」とは誰か
ところで、どういう人たちが反米デモや「アメリカ人狩り」に参加したのであろうか。まず区別しなければいけないのは、義勇軍の派遣やアメリカ人狩りなどの過激な行動と平和的なデモンストレーションである。
まず前者のイスラム過激派である。イスラム過激派は、今回のアフガニスタンへの義勇兵募集やアメリカ人狩りだけではなく、これまでもキリスト教の教会を爆破したり、一昨年からキリスト教徒との凄惨な殺しあいがおこっているマルク諸島に義勇兵として赴くなどの行動をおこしてきた。彼らは中東や南アジアの急進的なイスラム組織において訓練を受けた指導者と、現状に大きな不満を持つ都市貧困層の一部やカルト的な組織を作る学生がその主たる構成員である。スハルト体制下ではイスラム過激派が厳しく取り締まられ、指導者たちはマレーシアなどに潜伏していた。またアフガニスタンには1979年以降数百人が義勇兵として参加していると言われている。1998年以降にこうした人物が帰国し過激派の組織化をおこなっている。1999年の大統領選に見られたように、多数の動員が必要な場合は金で雇われたやくざ紛いのものたちの存在が大きい。こうした人々は、様々な組織に分裂しているが、政党や国軍など政治的エリートとの関係は否定しえない。特にやくざ紛いのイスラム過激派はスハルト体制末期に、民主化勢力潰しのために国軍によって養成された経緯があり、現在でも政治エリートの目的に従って使われる存在である。
新しいイスラム政治勢力と民主化
しかし、一連のアフガン攻撃反対運動において直接暴力が使われた事件は非常に例外的であった。アメリカ人狩りも、一部ではホテルから白人が追い出されるようなことはあったが名前だけが一人歩きし、けが人などは出なかった。むしろ最も大規模で、そして結果としては最後の大きな示威行為となった10月19日に行われたジャカルタの反戦・反米デモ行進は実に整然としたものであった。このデモは正義党が企画したが、純白のベールを着用した女性が参加者の約半数を占める、非常に印象的な光景であった。正義党の支持者はキャンパスで宗教運動をする大学生が中心であり、その多くは非暴力や民主主義、男女平等という価値を重要だと考えている。女性の政治参加も積極的に容認される。イスラムのベールはしばしば日本や欧米のメディアでは女性抑圧の象徴とみなされるが、彼らによればベールを着けることによって男性の好奇な視線にさらされることなく、むしろより自由な行動が可能になるのである。正義党と国民信託党の支持者には敬虔だが穏健な都市部の中間層が多い。スハルト体制下の経済発展による社会変化とイスラム復興潮流の中で生み出された若くて新しいタイプのムスリムである。
アフガン攻撃へのリアクションがひとまず収まると、イスラム政治勢力の関心は急速に国内問題へと回帰した。端的にいって現在のインドネシアにおける諸問題は、スハルト体制の崩壊によって一度崩れた政治経済システムをどのように再編するかということである。大統領の権限が誇大化し中央集権的であったスハルト体制は崩れ、インドネシアは複数政党が割拠し地方分権が進む状況に変わった。マルク諸島など頻発する宗教・エスニック紛争や南スラウェシ州などにおけるイスラム法(シャリーア)適用の要求もスハルト後の体制再編と深く関わっている。民主化によってイデオロギー対立や社会勢力間の争いが顕在化し、社会が不安定になることはめずらしいことではない。紛争を公式な政治制度と法律の枠内で解決することが民主化であれば、そうした制度が重要であり守らなければならないという規範の定着が民主化にとって最重要な課題となる。この点で、同じ要求をするのであっても、暴力に訴えるのと、平和的で整然としたデモを組織するのは大きな違いである。
日本も戦略的な援助を
最後に日本はインドネシアのイスラムにどのような対応をとればよいのかを考えてみよう。日本はインドネシアへの最大の政府間援助供与国である。日本側からみても、インドネシアは最も多い供与国の一つである。しかし、特定の宗教や社会勢力に直接に荷担するような政治的な援助は行っていない。他方アメリカは、イスラム諸国への強硬姿勢ばかりが目立つが、インドネシアにおいては実は積極的かつ戦略的にイスラム勢力の支援を行っている。アメリカはアジア財団やフォード財団を通して、穏健で、よりナショナリスト的なイスラム勢力によるNGOの活動への資金提供を行っているのである。こうした勢力は、排他的でしばしば過激なイスラム勢力に対抗するような出版物の発行を行い、またそうした言説を形成するために各地方でセミナー活動を展開している。
もちろん日本が同じ事をすればよいというわけではない。しかし、例えば民主化支援はODA大綱にも謳われる日本の援助理念の根幹であるし、地方分権の推進を支援する動きもある。民主化や地方分権を支援するのであれば、こうした問題を積極的に議論し、促進していくような場の提供が可能であろうし、必要である。インドネシアにおいてはイスラムと国家をめぐる関係が政治勢力を分析する上で基本的な視角となっており、これを無視しては理解も支援もできないのである。