見市 建 「インドネシアにおける『イスラーム市民社会論』の二大潮流」

『国際協力論集』(神戸大学)、8-2、2000年。

 

 1990年代最後の2年間、インドネシアは40数年ぶりに政治の季節を迎えた。かつて1950年代のインドネシアは議会制民主主義時代と呼ばれ、ナショナリスト、イスラーム主義者、共産主義者の各政党が社会的な分裂を彩った。1960年代後半から30年以上続いたスハルト(Soeharto)体制は1950年代に見られたイデオロギー対立を解消すべく、共産主義をむきだしの暴力によって一掃し、イスラーム主義も1980年代中頃までにはパンチャシラ建国五原則の第一原則にある他宗教と平等な「唯一神への信仰」の中に押し込むことにほぼ成功した。  スハルト体制はパンチャシラをすべての政党・大衆団体に強制し、公定のナショナリズム言説が支配的な状況をつくった。スハルト体制崩壊後の1999年6月に行われた総選挙に参加した48政党のうち20政党がイスラーム系であったが、イスラーム国家樹立を唱える政党はなく、パンチャシラに肯定的な政党も少なくなかった。数千万人の会員を持つといわれる最大のイスラーム団体であるムハマディヤ(Muhammadiyah)とナフダトゥル・ウラマー(Nahdlatul Ulama;ウラマーの覚醒、以下NU)は、スハルト体制下のパンチャシラ・ナショナリズムのヘゲモニーを反映し、それぞれが設立した国民信託党(Partai Amanat Nasional)と民族覚醒党(Partai Kebangkitan Bangsa)はともに「イスラーム政党」を標榜せずパンチャシラを政党の組織原則(asal partai)に掲げた。特にイスラーム主義を代表する旧マシュミ(Masyumi)党勢力が多いムハマディヤを支持基盤とし、もっぱらイスラーム主義的人物と思われてきたアミン・ライス(Amien Rais)を党首とする国民信託党がキリスト教徒を幹部に迎え、パンチャシラを組織原則に掲げる「国民政党」を目指したのは非常に象徴的であった。

 しかしながら、政党の設立が自由化され、スハルト体制下では許されなかった宗教政党が台頭したことはインドネシアの政党の様相を大きく変えた。スハルト体制下で可能な限りイスラーム色を薄められてきた開発統一党は政党のシンボルマークをカーバ神殿に戻し、イスラーム政党としてのアイデンティティを取り戻した。かつてのマシュミ党やイスラーム同盟党(Partai Sarekat Islam)の後継者を自認する政党が現れた。アラビア語の横断幕も随所に見られ、宗教的言説や象徴を政治に持ち込むことはもはやタブーではなくなった。

 ところで、インドネシアではスハルト体制の黄昏が見え始めた1990年代後半からイスラーム勢力によって市民社会論がさかんに唱えられるようになった。インドネシアの市民社会論は1990年代始めから経済発展による新中間層の台頭と民主化への期待から徐々に広まったが、特に1995年以降「イスラーム市民社会論」が発展し、1999年6月の総選挙にあたってはいくつかのイスラーム系政党のスローガンとして使われた。市民社会論はポスト・スハルト時代の民主化と社会的分裂のジレンマを克服する新しいインドネシア像として提示されたが、その主張者により内容に大きな差異がある。最大の争点は国家や政治、社会統合におけるイスラームの位置である。

 1999年総選挙では正義党(Partai Keadilan)と民族覚醒党というイデオロギー的にも、社会基盤的にも対照的な二つのイスラーム系政党が市民社会の実現を謳った。すなわちもっともイスラーム主義的な政党で都市の大学キャンパスを支持基盤とした正義党と、イスラーム勢力の中ではもっともナショナリスト寄りでジャワのプサントレン(pesantren;イスラーム寄宿学校)とその周辺の農村を基盤とするNUを支持母体とした民族覚醒党、という二政党がともに市民社会の建設を主張したのである。しかし、その意味内容は大きく違う。市民社会は1980年代の東欧における民主化以降マスコミや研究者、NGO活動家などによって好んで用いられるようになった「シビル・ソサエティー(civil society)」という英語起源の概念であるが、そのインドネシア語における表現からして違うのである。正義党がイスラーム色の強い「マシャラカット・マダニ(masyarakat madani)」という表現を使ったのに対して、NUと民族覚醒党は「マシャラカット・シピル(masyarakat sipil)」という直訳語を使ったり、英語表記をした。本稿の目的は<イスラーム主義>と<ナショナリズム>というイデオロギーの対立軸を踏まえ、1990年代後半の「時代の言葉」としての「イスラーム市民社会論」の分析を通して、インドネシアにおけるイスラーム政治社会運動の動態を把握することにある。

 本稿ではまずイスラーム主義とナショナリズムのイデオロギーによるイスラーム諸勢力の分析手法について説明する。そして、イスラーム主義者が市民社会という言葉を採用するに至る歴史を概観し、中道的なヌルホリス・マジド(Nurcholish Madjid)の市民社会論を例示しながら、1998年に誕生した正義党が体現しているイスラーム政治の新潮流を明らかにする。次に「ナショナリスト的ムスリム」ナフダトゥル・ウラマー(NU)によるイスラーム主義的市民社会論への批判を取り上げることで、両者の思想的・社会的特性を浮き彫りにさせたい。インドネシアの「イスラーム市民社会論」の二大潮流は1950年代以降のイスラーム勢力のイデオロギー的な対立と平行して考えることが出来るが、新しい言葉を反映する新しい政治的な要素を含んでいる。インドネシアにおける1990年代の「イスラーム市民社会論」の分析はこうした政治的潮流の継続と変化を読みとる有用な視角である。