要約
インドネシア最大のイスラーム団体であるナフダトゥル・ウラマー(NU)はスハルト体制下の1984年に政党活動から撤退し、体制側の介入に脆弱な政治システムの外に出ることによって自律的な「市民社会」建設を目指した。しかしスハルト体制の崩壊によりNUは他の社会勢力と同様に政党を設立し、1999年10月にはNU中央執行部議長のアブドゥルラフマン・ワヒドがインドネシア共和国大統領に選ばれた。
小論は1999年11月に行われたNUのクディリ全国大会における見聞に基づき、スハルト体制後に組織内外において高まっている政治的、宗教的、地域的な要求への対処について、また今後の戦略について若干の考察を試みたものである。全国大会は政策的な議論をするシステムを持たず、国家の重大問題に対して建設的な提言をしえなかった。NU中央指導部のワヒド路線継続は明確であったが、人事面では外島勢力や反主流派にも譲歩する柔軟性を見せた。
目次
はじめに/政党の設立とヒッタの維持/パンチャシラ原則の維持/外島支部への譲歩/変革の胎動/新指導部の選出/おわりに
はじめに
筆者は、1999年11月21日から26日まで東ジャワのクディリにあるポンドック・プサントレン・リルボヨ(pondok pesantren Lirboyo)で行われたイスラーム団体ナフダトゥル・ウラマー(Nahdlatul Ulama、以下NU) の全国大会(Muktamar)に出席した。NUはジャワを中心とした主に農村部に位置するプサントレン(イスラーム寄宿学校)を基盤とし宗教教育と社会活動を主要な活動とするインドネシア最大のイスラーム団体である。大会は5年に1度開催され活動方針やイスラーム法の解釈に関する議論と決定、指導部の選出などが行われる。今回は1984年のシトゥボンド大会以降15年間執行部議長(Ketua Umum Tanfiziah)を務めたアブドゥルラフマン・ワヒド(Abdurrahman Wahid)が1カ月前にインドネシア共和国大統領に選出されたためこれまでにない注目を集め、数千人の支部代表やウラマーをはじめとするNU会員の他、マスコミ、研究者などあわせて十万人以上が東ジャワの地方都市クディリに押しかけた。筆者はNUの若い活動家たちが期間中借りていた、会場に程近い民家に泊めてもらい、連日、大会のメイン会場の吹き抜けのホール(Aula)やプサントレンのモスクなどで行われていた会議や委員会を見てまわった。また大会と平行して行われた「若者たちの全国大会(Muktamar Kaum Muda)」や公開シンポジウムなどにも参加し、若い活動家やマスコミ関係者などとも多くの話をした。
本大会はインドネシア最大のイスラーム団体NUによるスハルト体制崩壊以後初めての大会であり、アブドゥルラフマン・ワヒドが大統領に就任したということ以外にも、インドネシア社会全体に関わる注目すべき問題、課題は数多くあった。つまり、スハルト体制下で表出が許されなかった政治的、宗教的、地域的な要求が組織の内外で噴出する状況に対して、既成の社会勢力がどのように対応するかという課題である。小論ではNU全国大会の見聞に基づいてこれらの論点を整理し、NUの今後の展望について若干の考察を試みる。