お気楽調査日記番外編

馬国比較的好天
〜マレーシア紀行〜


旅行中に更新しています。帰国後改訂、写真を挿入することになると思います。

実は初めて足を踏み入れたインドネシアの隣国マレーシア。一週間、クアラルンプールとマレー半島東海岸だけではとてもマレーシアを語ることはできないけれど、自然とインドネシアと比較しながらモノを見ているので、色んなヒントを得られた。今回の主たる目的は、ジャランジャラン、とにかくマレーシアを見て歩くこと。インドネシアで当たり前だと考えていることが、マレーシアに出てみると普通じゃなくて、それでかえってインドネシアが分かったりする。今回行った東海岸はイスラーム政党PASが政権を握る地域で、クアラルンプールおよびPAS地域のイスラーム信仰を人の服装や行動や読んでいる本などを通して観察してみた。まあ、日記の内容はもっと日常的なこと。

8月4日 京都→シンガポール→クアラルンプール

シンガポール経由でクアラルンプール(KL)に到着。空港からバスに乗るが一時間以上かかって、ホテルについた頃にはもう午後10時。ホテルは中華の屋台がたくさんでている地域(ブキット・ビンタン)で、夜中までにぎやかだ。中国系の人たちはみんな中国語(福建?)をしゃべっているが、ぼくはインドネシア語。インドネシア語とマレーシア語はもともと一つの言葉だったので、方言程度の違いしかない。それでもマレーシア人のようにはしゃべれないのでおそらくインドネシアから来た華人だと思われている。カールスバーグRM5.5、野菜と白ご飯RM6.2、焼き魚RM10。あわせて700円近くになった。インドネシアに比べると物価はかなり高い印象だが、あまりにも空腹で、二人分ぐらい食べたのでしょうがない。おもしろいのは、それぞれの料理やビールは別々の場所から別々の人が運んでくることで、それぞれ運んできた人にお金を払うことだ。

腹ごなしをしたあとは、その辺りを散策。足裏マッサージを受けている人がたくさんいる。30分RM20(600円強)、やはり高い。中国語では20元と書いてあり、英語だと20ドルだという。元とかドルとかいうのはそれぞれの言語に応じて使われているようだ。ドリアンを売る屋台もいくつか。マレーシアにいるうちにどちらも試すぞ。へへへ。

8月5日 クアラルンプール

これまでに明らかになった忘れ物(日本に忘れてきたもの)。
  @携帯用の鞄、A腕時計、B大事な書類のプリントアウト
今日は午後6時に約束をしていただけだったので、KLを探検しながら、これらの問題解決をしていくことにした。
まず時計がないので寝坊し、10時半に出発。近くの伊勢丹で@を購入(RM20のトートバック)、Aはチャイナタウンで(R2のキティーちゃんの目覚まし時計)、Bはノートパソコンに残っていたのでシンガポールの空港からホットメールに転送して先ほどインターネットカフェでプリントアウト(午前1時)。この間、移動はほとんど歩いた。

歩くとだいたいの町の大きさや、人間の観察ができる。KLは意外と小さい。もっともジャカルタや東京が大きすぎるだけかもしれないが。歩いた印象では中心部は新宿区ぐらいの大きさ、大阪でいうと梅田周辺部ぐらいだろうか。寄り道をしながら丸一日歩けば、『地球の歩き方』に載っている要所のほとんどは制覇できる。若者の洗練度はやはりバンコクとジャカルタの間ぐらいの印象。やはり経済発展の度合いとファッションの洗練度や「個人主義」はだいたい正比例しているように思う。マクドナルドで一人で食事をしている若者をジャカルタで見ることはほとんどないが、ここでは結構たくさんいて違和感がない。

途中で一度だけ高架鉄道を利用した。レールは二つなのでモノレールとは呼べないけど、まあモノレールのようなもの。これがないのがジャカルタの決定的に遅れているところだ。9月にはKLにモノレールも開通しさらに便利になる。

1873年に建てられたヒンドゥ寺院(スリ・マハ・マリアマン)、1909年に英国人の設計で建てられたモスク(ジャメ・モスク)に立ち寄った。どちらも運良く礼拝の時間だった。ヒンドゥの礼拝を見るのは初めてだった。中心の建物を囲んで神々が奉られており、僧侶が順に祈りを捧げ、人々がそれについて回る(ぼくもついていく)。モスクではだらっと休憩。だいたいどの宗教でも、礼拝所は涼しくて、気持ちのいい空間だ。とくにモスクは開放的で、落ち着くところだ。

割と目立つのが湾岸諸国のアラブ人観光客だ。家族連れで、目だけをだしてあとはすっぽり黒いベールに包まれた女性をよく見かけた。しかし誰も気にする風でもない(ジャカルタだと違和感があり少し目立ってしまう)。中東・アラブ諸国以外でこういう格好で堂々と歩けるのはマレーシアぐらいなので、観光客が集中しているとの話。マレーシア政府も誘致しているらしい。

夜は若くて、やる気のある外交官Kさんと会食。ちょっと外務省の悪口を言いすぎたかもしれない。こういう人が出てくれば変わる。ぼくらの世代には外務省にもJICAにもいい人がたくさんいる。制度的な問題点は大きいだろうが、ぼくらの世代が天下を取れば変わると思うのは楽観的にすぎるだろうか?


8月6日 クアラルンプール

日本人ムスリムのNさんと行動を共にする。インドネシア出身だがマレーシア人と結婚してKLに住んでいるMさんに迎えに来てもらう。KLにいるとインドネシアが実に近く感じる。逆はまた真なり、ではなく、ジャカルタではマレーシアの近さは感じないものである。マレーシアにはインドネシア人も、インドネシアの出版物(とくにイスラーム関係)も多く流入しているが、逆はあまりない。

まずKL近郊の大学の著名な人類学者Sさんを訪問。よくしゃべる人で、2時間ぐらい話しっぱなしだった(英語)。彼の研究対象や研究姿勢には共感するところが多く、話には(ほとんど)飽きなかった。それでも昨夜あまり寝てなかったので、お昼(インド料理)を食べると疲れがどっと出て、Nさんの部屋で1時間ほど昼寝。3時半にホテルを出発して、近くのイスラーム団体へ(Mさんのオフィス)。Mさんに「マレーシア・ウラマー協会」へと連れて行ってもらう。ウラマーとはイスラーム法学者であるが、インドネシアとは組織形態がずいぶん違う。非常に単純に言えば、国家がイスラームを上から組織化したマレーシア、国家ができる前にすでに大衆動員力のある宗教団体ができていたインドネシア。マレーシアの20世紀初頭の歴史をもう少し勉強しなくてはこの違いを生んだ文脈を理解できないと思う。「ウラマー協会」ではウラマーの役割変化について調査をしているNさんがアラビア語で質問。理解できるアラビア語の単語を拾う努力をしたが、頭の中のボキャブラリーが少なすぎて集中力が持たない。

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8月7日 クアラルンプール→クアラリピス

KLからバスで4時間半かけて、内陸部のクアラリピスという町にきた。「倫敦旅店(ロンドンホテル)」という安宿に泊まっている。安宿とはいえRM35(1000円程度)するし、トイレは共同だが部屋には洗面台もついておりシーツも清潔だ。さっきまで、近くで汁そばを食べ、コーヒーを飲んで長居してきた。夜中の12時近いのに中国系の若くて綺麗な女性二人が子どもを連れていたのには驚いた。マレー系の若者たちがちょっかいをださない(インドネシアなら出すだろうな・・・)。「フードコート」と呼ぶにふさわしい場所で、明るくて開放的な空間にいくつかの店があった。インドネシアでもデパートやショッピングセンターの上にはこういう場所があるが、田舎町に、深夜まで開いているようなことはけっしてない。そのかわり、昔ながらの屋台がマレーシア、少なくともここクアラリピス、にはない。ちょっとチュニジアを思い出す。ずぶずぶハマっていくような魅力はないが安心感がある。これが「近代化」や「発展」ということなのかな。

8月8日 クアラリピス→コタバル

朝4時半の電車でマレー半島東海岸のコタバルへ向かう。予定通り午前9時半頃に到着、気のよさそうな中国系の若者二人をつかまえてタクシーをシャアした。このコタバルがあるクランタン州と次に行くテレンガヌ州ではイスラーム政党PASが政権を握り、イスラーム法を施行している。たしかにヘッドスカーフをしている女性は多いが全員ではない。アンソール・イン(※)というPAS系のホテルにチェックインして町を探検。「活気ある地方都市」という第一印象。大きな建物はないが、それなりに店があり、若者がたくさんいて賑やかだが、危険を感じるような危なそうな人たちは見かけない。イスラームの教義に比較的忠実そうだが、中国系住民ものびのびとしている様子。

中国系の店でまたまた汁そばを食べる。二日目の昼にKLで食べた細麺が断トツおいしかった(つまりここのはダメ)。町中に博物館が集まる一角があったので、いくつか入ってみる。入ったのはクランタン州伝統工芸美術館、イスラーム博物館、第二次世界大戦博物館。

第二次世界大戦博物館は、日本軍の侵攻、原爆投下、敗戦、英国支配復活、マレーシア独立と、淡々と並べていて拍子抜け。日本の旗とクランタン州の旗の大きさが一緒だったり、山本五十六の写真が英国の軍人より大きかったり、原爆とその被害の扱いも大きい。このクールさ(?)はなんだろうか。独立戦争をしていないにしろ、もう少しヒロイックな感じにした方がいいのではないかと、他国ながら思ってしまう。他方では、この博物館とは対照的に、8月31日の独立記念日にあわせて日本軍の蛮行とマレー人のヒロイックな独立闘争を過剰に強調したような映画EmbonのテレビCMが流れている。それでも話の中心は日本兵とマレー人女性の恋愛にあるようで、このあたりの感覚がちょっとすぐには理解できない。

※アンソールとは、預言者ムハンマドがメッカからメディナに移住・遷都(ヒジュラ)したときに、移住先のメディナでムハンマドを助けた人々のこと。インドネシアのイスラーム団体の青年組織にもこの名前を冠しているものがある。

8月9日(金) コタバル→K・トレンガヌ

クアラ・トレンガヌのとあるホテルのスウィートルームからこんばんは。スウィートルームとはいっても、RM150(4500円強)。但しかなり値引きしてもらった。今日は一杯だったRM75(通常RM115)の部屋に翌日移る条件で泊まった。ここ数日各都市に一泊ずつと早足で移動してきたんだけど、正直に告白すると、一日間違えていたんだよな。今日は土曜日だと思っていて、トレンガヌからKLに帰る飛行機が日曜の午後だから、少し焦って移動していたというわけ。まあここに二泊すれば溜まっていた洗濯物を片づけられるのでよしとしよう。

今日は、というわけで金曜礼拝の日だった。朝からホテルの正面にあるPASの事務所前には千人ぐらいの人が集まって集会。有名なウラマーの説教を聞いたが、クランタン方言が強くてよく分からない。あまり政治の話はしていなかったようだし、たんたんと落ち着いた説教だった。露店もたくさんでて、ちょっとしたお祭りのよう。そのあと昨日行ったイスラーム博物館の隣にある国立モスクで金曜礼拝。モスクの中で説教を聞きながらウトウトとしていたのだけれど、みんなが立ち上がってお祈りをはじめたので、急いで後ろに退避。KLでは都会の真ん中だったので、モスクにはビジネスマン風の人が多かったが、ここでは腰布(サロン)を巻いたおじさんが中心だ。それでも、いかにも学生らしい格好をした若者や、BIG SALEと背中に書かれたTシャツをきた店員もいる。

前後して、近くの「国際イスラーム情報&布教センター」を訪ねる。タイソウな名前だけれど、いってみるとよくある観光案内所のように道の真ん中にたっている。タイでムスリムになったガーナ人(!)が一人で運営している。観光で訪れる外国人にイスラームの情報提供をしようという試みだ。こういう新しい発想はマレーシア人やインドネシア人からはでてこない。ガーナ人が一人でやっているのだけれど、小さな場所にビデオやDVDプレーヤーがあって、資金は豊富。聞くとクェートやUAE(アラブ首長国連邦)からお金がきている。アラブマネーの流れの一端をみた。インドネシアで改宗したというオーストラリア人、シエラレオネ人にも会った。こんなマレーシアの田舎でちょっと変なムスリム国際会議。少し疎外感を感じるが、誰でも彼でも「ブラザー」や友だちになれるわけではない。

午後4時のバスでコタバルを後にし、3時間後にトレンガヌ州の州都クアラ・トレンガヌにつき、このホテルにチェックイン。近くの中国系の食堂で鶏ごはん、中央市場でドリアンを食べ今に至る。ドリアン一つRM2。これはむちゃ安い!

8月10日(土) K・トレンガヌ

今日はいまいち。炎天下を結構な距離を歩いたがあまりおもしろいことはなかった。K・トレンガヌは大きいがメリハリのない町で、とりわけにぎやかな中心地があるわけでもなく、なんとなく広い。とりとめもなく歩いて引き返そうと思ったところで黄金のモスクを発見したが、図書館は閉まっているし、話を聞こうとしたら役所の宗教局へ行けとそっけない。しかも風邪気味でしんどいし。

ホテルに帰って、ずいぶんとトンチンカンな方向に歩いてたことが判明。取り返すべく、夜もまた歩く。昼間歩いたところとは違って、海岸部はずいぶんと貧しい地域であることが分かる。中心部というのもあったが、コタバルに比べて活気がないわりに大きな建物が多い。

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8月11日(日) K・トレンガヌ→クアラルンプール

昨夜歩いた海岸部をまた歩いてみる。ボロ家のなかでもキレイに整備してある家があったりする。子どもが一儲けしたのか?
昨日見つけたイスラーム書の出版社を訪ねるが今日も閉まっていた。そのかわり近くに書店があり、だいたいどういう本が読まれているのかを観察。コタバルには大きなイスラーム書を主に扱う書店(PASの事務所の1階)があったが、K・トレンガヌにはこの小さな本屋以外には見つからなかった。それにしても風邪。しんどい。本屋だけ行って、フライトの2時間以上前に空港へ向かう。おっそろしく小さな空港で、フライトがない時間は土産屋も閉まっている。

夜、KLに帰ってきて、屋台でうまいもの(牡蛎の炒め物)を食べて少し元気がでる。先週に比べて明らかに日本人が多い。晩飯のときに後ろに日本人男6人ほどがいた。学生かと思えば、保険会社勤めが多いらしく、仕事の愚痴をこぼしている。なぜか少し安心する。仕事の話しかできない人はつまらないけれど、仕事の話もおもしろくできる人の方が楽しい、と思う。


8月12日(月) クアラルンプール

昼間はイスラーム書を扱う書店をいくつか回り、その一つが出版もしていることが分かったので社長にインタビューをするが、警戒されてうまい具合に話しを聞けなかった。一度会っただけでうまい話を引き出すのは虫が良すぎる、のでしょうがない。そのあと前出の外務省のKさんとともに、マラヤ大学のGさんと面会した。彼は二週間前まで神戸大学に客員教授でこられていたので、日本ですでに顔見知りになっていたが、ゆっくり話したのは今回が初めてである。もっとマレーシア政治の細かい知識を持たないといい質問ができないと感じた。次回来るときにはもう少し勉強してこよう。Gさんはマハティール政権にかなり批判的で、マレー人優遇政策の欠点をかなり冷静かつ的確に指摘していたように思う。

夜は、外務省のKさんと、トレンガヌの漁村で調査をしているK野さん、KL近郊の病院でお産の調査をしているK藤さんの四人で中華料理を食べた。なんだKばっかりやな。マレーシアの問題点についてさらに突っ込んだ意見を聞く。ここに書くと単なる悪口に取られてしまいそうなので止めておくが、かなりフェアーな批判が多かった。

K野さんの快適なマンションに泊めてもらう。朝四時まで話しがやまない。K野さんの調査地は、昨日歩いた海岸を渡った向かいの島であることが判明。ボロ家の中にキレイな家があるのにはK野さんも目を付けていた。しかし彼女曰く、キレイな家は特別金持ちではないという。たしかに、少し直したり、ペンキを塗っているものの、新しく成金的な家が建っていたわけでなかった。この差は貧富の差ではないという。では何か?


8月13日(火) クアラルンプール→シンガポール→ジャカルタ

最後になってマレーシアの問題点をたくさん聞いた。上に書いたようにかなりもっともな意見ばかりだ。オイルマネーを背景としたマレー人優遇政策によって、多くの人がいい生活をするようになり、かなりの自信も得た。しかし、政府の擁護なしに国際的に競争していく意気にも実力にも欠けている、というのが批判の中心だったように思う。(結局書いてしまった)

「空港行き特急列車」の車内および空港の待合室でこれを書いている。特急列車の乗り心地非常によくて、空港までバスだと1時間以上かかるところを28分で着く。空港もゆったりとして関空よりはずっといいと思う。統一的な計画性に欠けているところやバブル的で危ういところもたしかに感じられるが、こうした都市機能の整備自体は評価されていいと思う。いろんな問題点があるが、「インドネシアに比べれば100倍マシ」とぼくはついつい片づけてしまいそうになる。

もっとも、ぼくがもっと関心したのはクアラ・リピスのフードコートやコタバルの中心部のバランスのよい発展だ。こういう発展の果実こそが一番見逃されていることかもしれない。

イスラームと政治を研究をする立場からは、宗教的な権威や組織の制度化の仕方がずいぶん違うこと、(これは日記には書いていないが)都市と農村のイスラーム政党への印象のギャップがインドネシアと似ていることを、感じることができた。今回行った同一に語られることの多いクランタンとトレンガヌでも一見して大きな差異があるし、東海岸はおそらく西海岸とはずいぶん違うはずなである。もう少しちゃんと基本的な文献を押さえた上で、マレーシアを旅行して、近い将来に比較研究をしてみよう。


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