インドネシアお気楽調査旅行日記パート2

 イスラーム団体全国大会視察の巻

2000.2.13 up!

現地から日記を更新するほどモバイラーになれないので帰ってからゆっくり日記を連載します。自分の記録のためにもなっていいんだけど、読者にも楽しんでいただけるだろうか。

新聞にのってしまった私


11月14日(日);数日前まで高熱を出していて、めずらしく体調に不安を感じながらの出発。関空を12時30分発のガルーダ・インドネシアでデンパサール(バリ島)へ。目的地はジャカルタ。なぜデンパサールで乗り換えなきゃいけないのかなあ、となんとなく不思議に感じていたら理由が判明。なんと関空からジャカルタ行きがなくなってしまったのだ。バリは相変わらず日本人でいっぱいだが、去年の騒動いらいジャカルタに行く人はすっかり減ってしまったのだろう。

デンパサールからジャカルタ行きの飛行機が2時間遅れ。暇つぶしに大阪から飛行機がいっしょだったインドネシア人(と思っていた)と話すとその中年女性の名字は「スズキ」。父親が日本人で、彼女(とつれの兄弟?)は兵庫県の山奥、吉川町の卵工場で働いている。そこに現れた別の男性もまた父親が日本人の「マチダさん」。彼の父親は沖縄出身の旧日本軍の残留兵で現在85歳でスラバヤにご存命。マチダさんのお父さんにぜひお会いしてみたいと思った。

11月15日(月);今回の旅行の最大の目的は東ジャワのクディリというところであるイスラーム宗教教育・社会団体「ナフダトゥル・ウラマー」の全国大会を視察すること。この日は朝からジャカルタにあるその全国大会の準備事務所に行って登録を済ます。その足で女性の人権などの活動をしているNGOにいって情報収集。

午後、ホテルに帰ったら雨が激しく降ってきた。雨季なので夕方まで降り続ける。夜まで予定がなかったので、ホテルのサロンで髪を切ることにする。かなりあやしい場所。3万ルピア(約500円、コカ・コーラ代を含む)。ホテルなので少し高いし、おばさんは半分素人みたいだけど、まあ失敗ではなし。

夜は関学のインドネシア交流セミナー以来5年のつきあいになるAと婚約者のEと三人で食事をした。Aは先日閉鎖させられた銀行に務めていたが首尾良く日本の大手総合商社にトラバーユした。Eは服飾関係の会社に務めている。二人とも優秀だしアメリカに留学経験がありこのご時世でも働き口がある。感じのいいレストランで快食!ジャカルタに住みたくなる。

11月16日(火);先月まで2ヶ月弱日本に来ていたインドネシア科学院の研究者D氏と連絡がとれ、彼の車でとあるイスラーム団体へ。いつも「寛容なイスラーム」とばかりつきあっているので今回のジャカルタでは多少「強硬派」の人たちにもあってもらおうと、この団体のことを調査しているD氏にお願いした。思ったよりジャワ人ぽい、気さくな人たちばかりで多少面食らう。夕方にはアポを取っていたF氏にあう。オーストラリアで修士をとり、イスラーム政治についてのコラムをよく書いている人。頭が切れる感じ。こういう人は好きだけど話は聞きにくい。こっちもありきたりなことを言って馬鹿にされたくないし。彼はアチェ人で(その時初めて知った)アチェ独立問題についてはあまり答えたくない様子。初対面なのもあってあまり深い話はできず、しかしパダン料理をおごってもらう。


11月18日(木);夜行電車でジョグジャカルタへ。たまたまテレビをつけると10月に就任したばかりのアブドゥルラフマン・ワヒド大統領の国会演説の中継だった。いままでの大統領とは明らかに違うスタイル。目が見えないせいでもあるが、原稿なしで好き勝手にしゃべっているように見える。笑いもとりながら2省庁の突然の廃止を説明、また反発して騒ぐ国会を幼稚園のようだと発言した。これに対して何人かの議員は猛抗議をした。これも数十年間野党が機能していなかったインドネシア国会にとっては十分に新鮮なことだった。議事進行の手続きがあいまいでまったく洗練されていなかったが、そんな未熟さを含めて、改めて動き出した民主化への確かな方向性を感じた。

ジョグジャに留学中の日本人大学院生3人とパダン料理屋(すでに3回目)で食事をした。はじめて会うS君には他の人に聞かれたことのない質問を色々されて新鮮だった。食事のあと古本屋街を案内してもらう。インドネシアにも「古本屋気質」はあり。


大統領(右から二番目)就任を祝う看板

11月19日(金);かつて一年住んでいたソロへ行く。留学時代の下宿の面々はほとんど変わらず、卒業しても就職もないしそのまま。留学生仲間など懐かしい顔に再会する(といってもたった半年ぶり)。98年5月の暴動で焼けたスーパーは再建が始まっていたが、先月メガワティが大統領に就任できたなかったことで起きた放火で去年焼け損なったBCA銀行、市庁舎、ゴルカル(かつての与党)支部などが焼けた。今回は華人商店が襲われるようなことはなかったという。

つづく