温故知

2003年11月〜12月、2004年7月

一部でかなりご好評いただいた自虐ネタの爪哇暗転から約一年。久々の調査日記である。

今回は「故」というほど古くはないが、4,5年会っていなかった友人にも再会した。大学時代に参加した「インドネシア交流セミナー(EASE)」関連の友人や99年選挙の時にお世話になったイスラーム教師など。調査のことはおいといて、この数年で変化した人々について書いてみる。彼らが生きるインドネシア社会の変容にも触れてみたい。

現地の写真を見たいというTさんのリクエストにも応えてみよう。

久々に更新してみました、結構あちこち。

11月25日〜12月3日 断食明けのジャカルタ

ジャカルタに着いた日はまさに断食月が終わった夜だった。そのあとは断食明けを祝う一週間のレバラン休みとなる。いつもはすぐに渋滞するジャカルタの道路も閑散としている。去年まで同僚だった日本人の友人宅に一泊とめてもらったあと、ホテルに移った。本当はカリマンタン島に行くつもりだったのだが、旅行代理店も休暇で閉まっているし、覚悟を決めてしばらくジャカルタに留まることにした。

レバラン休暇中はほとんど店も閉まっているのだが、最高級のショッピングモールであるプラザ・スナヤンは違っていた。スナヤンだけは人で溢れていた。

このモールにはヴィトンやプラダなど欧米の一流ブランドも店を構えている。97年のアジア経済危機から立ち直っていないといわれるインドネシアだが、高級店にもお客さんは少なくないし、実際に買い物袋を持ってでてくる人もたびたび見かける。例えば、私が住んでいる京都のデパートの同じブランドの店よりははるかに頻繁に商品が売れているはずである。経済危機によってすべての人が困ったわけではない。むしろ経済危機の時までに米ドルで貯金をしていた人は、ルピアの暴落でかなり得をしたはずであり、その後も預金高を確保するためにインドネシアの銀行はかなり高い利率を提供してきた。そうした一部の金持ちを除いても、プラザ・スナヤンのにぎわいは一定の経済回復を示しているように思える。

店の入れ替わりは激しいが、今回目に付いたのはインテリア関係の店舗や売り場の急速な拡大である。消費が車やブランド品から家具などに向いてきたのは、一言でいってしまえばグローバル化の進展といえる。日本でもここ数年比較的若い層をターゲットとするインテリア商品の市場が拡大しているはずである。ジャカルタの金持ちのトレンドはどんどん日本などのそれに近づいている。「セレブ」という言葉も今回やたら目に付いた。どうやら「セレブ」は日本だけの流行ではないようだ。(2004.1.2)
12月4日〜5日 いとしのスマラン

ジャカルタで一週間「滞留」したあと、ようやく地方に出かけることになった。行き先は中部ジャワの北岸にあるスマランである。地方とはいっても中ジャワ州の州都、それなりに大きな町である。

昼間はインタビュー調査をしていたが連夜にわたって割と久しぶりに会う友だちとご飯を食べた。ウィンウィンという女の子とその旦那、弟なのだが、ウィンウィンは97年のインドネシア留学時代からの知り合い。彼女は私が学部時代に参加した「インドネシア交流セミナー(EASE)」の後輩にあたる。実はそれほど親しかったわけではないのだが、共通の友人が多く、何しろ「カワイイわ性格がいいわ」なので。。。

EASEのカウンターパートにあたるサティヤワチャナ大学はキリスト教系の私学なのだが、ウィンウィンはムスリム(イスラーム教徒)。結婚相手もムスリムだったが、車のバックミラーには数珠にオーストラリア土産のコアラがぶら下がっていた。割と軽いノリである。

ちなみにイスラームでも数珠を使う。とくにスーフィズム(神秘主義)で神の名を賛美して連呼する行があり、数をかぞえるために使われる。仏教の影響で導入されたという説もある。

ウィンウィンの旦那さんはトヨタの販売会社の社員だ。日本人の社員が出張で来ることも多いらしい。彼の勤める販売店は24時間で車のサービスを受け付けている。インドネシアには日本企業が多数進出している。車や電化製品、繊維などの工場が多く、私の友人でも日本企業で働いている人は多い。彼のように販売会社だと現地法人だし、特に地方都市の場合はよいのだが、ジャカルタの本社に勤務する友人たちには申し訳ないと思うこともしばしばある。インドネシア人は「現地採用」なので、「現地」すなわちインドネシアの給与水準に併せている。大卒、英語も堪能でかなり優秀な人もいるのだが、ローテーションでやってくる日本人の上司の何十分の一の給料しかもらっていない。管理職になることもない。

欧米法人などでより国際化している企業の場合は、給与も地位もかなり高いところまでいける場合もあるのだが、日本企業でそういうシステムを採用しているのは聞いたことがない。しかし、不況により各企業が経費節減に努めているので状況は変わってくるかもしれない。この話はまたジャカルタに戻ったところでしてみよう。(2004.1.17)

 スマランの夜景を一望できるレストランから
 ’04.7 追記
発音どおり書くとウィンウィンじゃなくて、ウィウィンであることを発見。今回の滞在では会えなかったのだが、5月に無事出産したとのこと。電話で一度話したが、相変わらずマニ〜ス(「あま〜い」)ウィウィンでした。


12月5日〜6日 懐かしのサラティガ

スマランから内陸に1時間ばかり入ったサラティガに移る。ここに来たのは4年ぶりだ。サティヤワチャナ大学がある街であり、97年に留学した当初は毎週のように通っていた。4年前はサラティガ近郊の村で選挙を見た。この村にはイスラーム学校(プサントレン)があって、この学校の先生には色々教えてもらい、選挙のときにも泊めてもらっていた。この先生は村の有力者であり、彼の支持なしには村長になることは不可能である。

イスラーム学校を予約なしで訪ねると、おそらく4月に控えた選挙の相談のために20人ほどが先生の家に集まっていた。4年前の村長もいたが、すでに新しい人に代わったという。「また選挙があるから来たのか」と聞かれてしまった。選挙以来一度も訪ねていなかったのはよろしくなかったな。4年ぶりの挨拶代わりに少し話をして失礼する。

サラティガではアリ君の家に泊まった。彼もEASE参加者であり日本に留学したこともある。前に会ったときはまだ大学生だったアリは現在はサティヤワチャナ大学で英語と日本語を教えている。アリの両親が下宿も経営している広い家の敷地の奥にはアリがデザインした家が建っていた。建築資材が安く手に入るインドネシアならではだ。2階建てでベランダではバーベキューもできるようになっている。ベットカバーの色なんかもセンスがいい。

アリの家にはジャカルタから高校生のイトコ姉妹も遊びに来ていた。「若者会話」をかましてみる。

翌朝起きると、アリがテレビの前で(かなりマジで)エアロビをしていた。日本的には「ありえない」がまあいいだろう。

アリのお母さんに歳を聞かれて、30と答えると唖然として「どうしてケンは若く見えるのか」理由をあれこれ探していた。独身で苦労してないとか。まあいいだろう。(2004.03.08)

 アリ(左から2人目)、アリの弟、かわいいイトコとイカ(右端)
 ’04.7 追記
電話するとアリはちょうど大学にいて、EASEの子たちと一緒にいた。アリは大学の先生をしているし、私と一番近い立場かもしれない。「ケンケンは何年に参加したんだっけ?」と聞かれた。94年、そうもうちょうど十年になる。現役の子らからしたらエラい上に見えるのだろうか。


 動くジャカルタ

前回、ジャカルタに戻ったところで旅行同様に調査日記も締めるはずだった。前と同じく今回も最後にジュンにあった。ジュンも学部時代のEASEの後輩。私が修士で中部ジャワに留学した際に、彼女も交換留学で来ていた同輩でもある。

ジュンはもう5年ぐらいジャカルタで働いている。以前は日本企業向けの通信社におり、転職して今はシンガポール人が経営するメーカーで日本企業向けの営業をしている。シンガポール人の社長は日本に長かったので、会話は日本語らしい。でもセンスが微妙に日本人とは違うので、やはり日本人と日々まったく接しないのはストレスにもなると言っていた。

今回は外交官をしている友人と三人で。とはいうのも、つい先週にジャカルタ在住の日本人の飲み会で知り合いになったというので初めての組み合わせで飲んだ。大使館の人が来るのは珍しいが、ジャカルタで働いている日本人は頻繁に交流しているらしい。ジュンが来た5年前に比べて、女性が増え、しかも年齢層も若くなっているという。


 動くスラバヤ

次回は知っている人は知っているハンドヨ君の話。ちゃんと更新しますよ。


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