いつもどおりのジャカルタの巻 :2001年5−6月
       Jakarta as usual...

今回もまたぼくが行っている間に暴動やらのニュースがあって、心配してくださった方もいました。でも暴動っていってもすごく局地的で、ニュースを見てないとあったのも知らなかったりするんですよね〜。いや、ホント、みなさん感謝しておりますが、わざわざこういうタイミングで来てるんですって。とはいっても暴動やらデモやらに飛び込むために来たのではありません。その辺のところを分かってもらおうかと思って、久々に日記を書くことにしました。今回はパソコンを持っていったので、その場で書いています。長いので、飽きない程度に少しずつ読んでもらえると嬉しいです。

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5月27日(日) タクシーとの対決!?

ジャカルタに夜7時半頃到着する。スカルノ−ハッタ空港から市内までは結構遠い。タクシーでも高速にのって40分ぐらいかかる。だいたいいつもは日中に着いて急がないときは、5000ルピアの公営バスに乗り、遅い時は80000ルピアのタクシー(チケット制)に乗る。前者は今のレートだと55円、後者は900円になる。でも4年前のレートだと250円と4000円。何が言いたいかというと、空港のカウンターでチケットを買ってのるタクシーはやたら高いということ。8万ルピアというのは、今でも他のものに置き換えると馬鹿にならないぐらい高い。市内から空港までメーターを使えば半分で済むのだから。それで今回は、めずらしくどちらでもなく、流しのタクシーに乗ってみようと思って、チケットを買わずに出口をでた。案の定、客引きが何人も寄ってくる。タクシー乗り場に直行すればよかったのに、つい交渉を始めてしまった。

交渉を始めてしまったものだから、7万ルピアで無免許のタクシーにのることになってしまった。安くもないし、ちょっとリスキーだ。乗ってしばらくすると、「急ぐの?」と変なことをいう。「え、普通」というと、「娘を送らなきゃいけないんだけど、寄ってもいいかな」と聞く。強く断ればそれで済むんだけど、またこれが断り損なってしまう。あ〜書いてて自己嫌悪になってきた。とにかく、高速から道を逸れて、集落の道の悪いところへどんどん入っていく。夜だし、さすがにちょっと不安になる。

運転手は北スマトラのメダンの出身。彼が属するバタック(人)というのは乱暴な性格で有名なんだ、これが。さっき携帯で電話してたのはどうやら本当に娘みたいだし、大丈夫だろうと思いつつ、メダンに行ったことがあるとか、バタックの友だちがたくさんいるとか、彼が喜びそうな話をしてみる。バタックは荒っぽいけど、人情に厚いことでも有名だし。結局、10分ぐらい回り道をして彼の家につき、秘書の勉強をしているという娘を拾ってホテルに直行。はあ、今は使えない(銀行で替えれば使える)スハルト元大統領の顔の5万ルピアを出して、わずかな仕返しをする。う〜ん、彼は別に悪気があったわけじゃないし、古い5万ルピアをもらって困ってるのを見るとちょっと悪いかなとも思ってしまう人のいい?ぼくだった(でもそのまま渡した^^;)。それにしても、あまり幸先はよくないな・・・。

 

5月28日(月) ちょっとした贅沢

8時起床。前からの友人二人に電話して今日の予定は決まったけど、とりあえず美容院に行く。日本だと、家の近くの「スピード」ってバリカンで刈る安い床屋でも2500円する。ましてや最近は美容院って入りにくくって、それこそ大学院に入ってから行った事がない(おっさん臭い発言やね)。それがこっちだと、高くても4万ルピアぐらい。昨日のタクシーに比べるとかなりお得感がある。

各地で髪を切るのが「趣味」みたいになっていて、留学中は路上でやっているマドゥラ人の1000ルピア(いまだと10円か・・・)の床屋にも行った事があるし、チュニジアでも髪を切った。最近はジャカルタでいつも同じ美容院にいっている。お金を節約するだけじゃなくて、贅沢をするため。ここはかなり「いけてる」サロンで、今日も隣りでモデルが髪を切ってた。

金持ち日本人の特権的な楽しみだとは分かっているつもりだけど。なんか金の話ばっかりやな。

大統領が聞きようによってはかなり非常事態宣言に近い声明をだす。

 

5月29日(火) 完封負けは逃れる

午後2時に国際観光ホテルで会合があるからこないか、と昨日誘われていたので内容もよく知らないまま行くことにする。時間が中途半端だったので、前にも後にも予定を入れなかった。会合にいって、それはそれなりだったんだけど、一日潰すほどのことではなく、なんだか今日はそれだけの日になってしまった。

昨日行った、イスラーム団体のNGOみたいな組織で明日(水曜日)エジプトのイスラーム学者ハッサン・ハナフィー氏の講演があることを聞いたんだけど、同時にそのハナフィー氏がたまたまぼくと同じホテルに泊まっていることが判明。彼はインドネシアのムスリムにも影響があって、ぼくが最近書いた論文にも引用している。夜帰ってきたらまだハナフィー氏は外出中だったので、フロントにメッセージとぼくの論文を託すと、戻ってきたハナフィー氏から電話があり、明日の朝食を一緒に食べることになった。野球に例えるとゲームには大差で負けたけど、明日に繋がる1点を終盤に取った、てな感じやね。

明日、大統領弾劾の国民協議会特別集会を行うかどうかが決まる。

 

5月30日(水) ハナフィー・デー

一日ハナフィー氏に付き合う。朝食を二人でとった。嬉しいことにハナフィー氏はぼくの論文を朝食の前に読んでくれて、コメントしてもらった。午前10時からおととい行った団体のオフィスで講演会。数十人の参加者がいたが、三分の一ぐらいは知っている人たちでいつもどおりのリラックスした雰囲気。アラビア語の講演にインドネシア語の通訳がついた。英語で質問したが、ツカミはアラビア語でかます(いまいちウケなかった)。会が終わったあとで、このグループの若手リーダーのひとりウリルがくる。頭はいいが、これまであまりいいタイミングで会っていなくていい印象がなかった男。今回でそういう印象はなくなった。やっぱりちゃんと話してみないとね。ウリルその他4人と昼食を一緒にとる。他の大学でのハナフィー氏の講演(こちらは英語、通訳なし)にも行くが疲れて頭が痛かったので、途中で出てウリルに車で送ってもらう。

ハッサン・ハナフィー氏

夜もハナフィー氏を囲む集会に参加。あるイスラーム団体の本部で。ハナフィー氏は「イスラーム左派」と「革命」理論で有名な人。大衆・貧しい人のための宗教の役割、現状に合った革命的な頭の切り替えを訴えている。もう60代も後半だけど、今日のハードスケジュールにも夜まで元気元気。

国民協議会特別集会の開催が決まる(2ヵ月以内に開催)。ウリルは現状を「悲しい」と述べていた。これまで外部の人からどう見られようと、他宗教との共存や民主主義への理想主義的な信念があったと思われたワヒド大統領が自らの権力維持のために大衆動員や非常事態宣言も辞さない態度にでている。東ジャワでは政敵のイスラーム団体への破壊行為などがおこっている。ジャカルタはそれなりに大きなデモがあったけど外から人が集結しているという話もないし、いつもより渋滞がひどい程度。

 

5月31日(木) 国会議員との対決!?

最も排他的だといわれている正義党の本部でインタビュー。学生の宗教運動が政党まで発展しためずらしい存在なので注目している。非常にいい雰囲気でインタビューをしてたんだけど、途中できた国会議員だという髭のおじさんにえらい怒られる。日本企業や援助が貧富の差を広げている、貧困層への援助も汚職で消えてしまう、と。インドネシア政府の汚職まで日本のせいにされても困るよな。スハルト体制下で政府を批判して逮捕されたこともあるおっちゃん、怖い目を逸らさずに怒っていたが、びびらずに丁寧に言い返した。だいたいいつも相手に話しを合わせすぎて二枚舌になって後悔するけど、今日はすっきりしたぞ。

 

6月1日(金) こんな日も(結構)ある

金曜日ってお昼に集団礼拝があるので、オフィスもだいたい半日でしまる。今日は電話する先みんないないし、結局ご飯ついでにお土産を買いにいった以外は外出せず、部屋で論文をだらだら打っているうちに一日過ぎてしまった。退屈すると過去のメールを整理したり、ホームページをつくったり。まあ一日ぐらいいいとして、明日から3連休なんだ! どうしよう・・・。ちょっと郊外に旅行してみようにもガイドブック忘れたしなあ、部屋で勉強するかぁ。

 

6月2日(土) 携帯電話を買う

関学時代からの知り合いのアリフィンと携帯を買いに行くことにした。アリフィンとエヴィの間には子どもができたばかりで、その子も見たかったので家にまず行った。子どもの名前はジョハン君。

 

新居は初めてだったんだけど、和風の部屋も作ってあった。彼は以前の日記にもでてきたけど、アメリカ留学経験もあり現在は日本の大手総合商社の現地社員。ずっと務めるつもりか聞いたら、せいぜい4年で辞めるといっていた。給料が安いし、彼なんか日本の大卒より能力あると思うけど、日本人の上司によっては手伝い程度の仕事しかさせてもらえない。

携帯電話は郊外のショッピングセンターで、アリフィンのいとこのやっている店で購入。家族割引があるから値切ってやるよ、とか言っていたくせに、アリフィンは途中で赤ちゃんグッズを買いにいってしまう。ジャカルタではもっぱら人と会うのが仕事なので、携帯を手に入れてこれで連絡がホント楽になった。これでジャカルタっ子デビューやな。

 

つづく