インドネシアのイスラーム(と政治)を専門とする、といいながら一度も中東、アラブ世界に足を踏み入れたことがなかったぼくなんですが、アラビア語の勉強を名目に1ヶ月ほどチュニジアとトルコにいってきました。基本的には語学学校と寮の往復の毎日だったので、非常に表面的な印象になりますが、インドネシアと比較しながら気付いたことを徒然なるままに書いてみたいと思います。(2000年7−8月)
らくだに乗ったぞ!
チュニジアの、とくに首都チュニスは一言でいうと「ここがアラブか?」と疑いたくなるような印象だった。チュニジアの人口の99%はアラブ系だが、とくにチュニスは旧宗主国のフランスの影響が強いように感じられた。水煙草をふかす男性しかいないカフェは、ぼくの想像の中のアラブそのものだったが、フランス風のカフェも多く、また女性が頭をすっぽり覆うイスラームのベールをしていることは稀で、むしろ格好良く煙草をふかす女性がめだっていた。とくに若者でベールをしている女性はほとんどいなかった。これは地方都市にいっても同様だった。大学生に聞いても、よくいわれているような「イスラーム復興運動」について話をきくことはなかった。また、チュニジアはアルジェリアとリビアという政情が非常に不安定な両国に挟まれていることもあり、政府は反体制運動やその他政治活動に対して敏感で、報道規制もかなり厳しい。イスラーム組織も当然コントロールの対象であり、神秘主義教団なども警戒され、大きくなるとつぶされる、という話を聞いた。それから首都に国を代表するような大きなモスクがないのがめずらしいのではないか。チュニスで有名なのは698年に建設が始まったグラン・モスク(ジトゥナ・モスク)だが、ごちゃごちゃしたメディナ(旧市街)のなかにあり、なにしろ古すぎてトルコのブルー・モスクなどいくつかのジャミィやジャカルタのイスティクラル・モスクのように「どどーん」という感じがない。チュニスから百数十キロ南にあるケロアンのシディ・ウクバ・モスク(640年建立、下写真)はマグレブ最古でイスラーム第四の聖地ともいわれるらしく、さすがに立派で美しかったが。ケロアンにはシディ・サハブという人の立派な霊廟があったが、その後にいったトルコにしても霊廟があちこちにあって、聖人信仰が結構強いなあという印象をもった。(インドネシアでは、イスラーム聖人の墓参を非イスラーム的な慣習として批判する傾向がある。) チュニスのメディナでは女性ばかりが通う霊廟もみた。安産とか美容とかに効くのだろうか、ぼくも「聖なる井戸水」を一杯いただいた。
ケロアンのシディ・ウクバ・モスク
チュニジアというと、イスラーム国にも関わらず一夫一婦制を憲法で定めていることが有名だが、以前非常に暑かった年に当時のブルギバ大統領が断食を無理にしなくてもよいという布告をだした、などという話もきいた。インドネシアと同じく「寛容」なイスラームといえるのかも知れないが、インドネシアと違いアラブ世界であるために自分たちのイスラームに(正統ではないという)不安感がないのではないか。インドネシアの方がいつも自分たちのイスラームが正しいのか不安を覚え、マジメに信仰について考えているんじゃないだろうか。だから「非イスラーム的」慣習に対してよけいに神経質になるんじゃないかな。
ところで、チュニスではたまたまインドネシア人留学生に会うことができ、インドネシア大使館にも遊びに行った。インターネットカフェでたまたま「コンパス」というインドネシア誌を読んでたら、横に「ジャワ・ポス」を読んでいる人がいたのだった。現在10人が留学中で、そのほとんどが(インドネシアの)宗教省の試験を受け、チュニジア政府から奨学金をもらい、当地のイスラーム大学で勉強をしている。ほぼ全員が高校レベルのイスラーム寄宿学校(プサントレン)を卒業後、大学学部レベルから留学、そのまま大学院に進学しているものも4名いた。出身地域や学校に偏りはなく、ジャワ以外の地域からもまんべんなく来ていた。1名アラブ系インドネシア人がいるが、彼はサウジ・アラビア政府の奨学金をもらい建築学を専攻していた。アラブ系の顔をしているが、ジャカルタで会ったことがあるような懐かしい顔、そうこういう彫りの深い「イケメン」がよく「トレンディー・ドラマ」にでている。
これからフランスに留学したいというのが1名、彼はプサントレンではなく、ウラマー養成目的の宗教省特別プログラム(Madrasa Alia Program Kusus)出身だった。インドネシア宗教省からチュニジアへの派遣は90年代に始まったが過去2回だけで、今後継続されるかは未定。中東やアラブに留学したインドネシア人が何を勉強し、何を母国に持ち帰るのか? 前から調べてみたいと思っていたので色々聞いてみた。同じ北アフリカのモロッコには同じく10数名の留学が、多いのはエジプトで約2000人(経済危機以前はもっといた)、シリアに150名。リビアにも数名いるが、まったく行動の自由がないという。またリビアでインドネシア人のテロリストを養成しているという噂について聞いてみたが、実体は分からないとのこと。(フィリピンからは数万人!?来て、軍事訓練をしているといっていた。)またエジプトへの留学生は政治活動が活発で99年総選挙でも在外投票でイスラーム強硬派ともいわれる正義党が勝ったが、正義党支持者はエジプトに来て影響されたというより、インドネシアいるときからそうであった人たちである、と大使館勤務の元インドネシア学生同盟(HMI)活動家は解説してくれた。
チュニジアでは何しろ人数が少ないので、月一回勉強会を開く程度、現地学生の政治活動が厳しく制限されているためにチュニジア人との交流も少ない。大学教員はほとんどフランスのソルボンヌ大学出身でフランス政治思想なども広く学んでいる。ポストモダンなど現代思想に影響されたフランスやアフリカ、アラブのイスラーム思想家の名前を示すと、それらはすべて授業で教材として扱われているとの答え。こうした最新のイスラーム思想家の著作は、インドネシアではまだ宗教大学のカリキュラムにはほとんど入ってきておらず、(ナフダトゥル・ウラマー系の)NGOが出版し、学生団体などが勉強会をしたり個別に読まれている状況である。ちなみに99年総選挙は国民信託党(PAN)支持が多かったらしい。ある留学生はPANはオープン(terbuka)な政党というのが選択の理由だといっていた。留学先の事情と同じく寛容な学生が多いのか? 帰国後の進路について聞いてみたがまだはっきりしないようだ。チュニジアへの派遣は90年代に入ってからで、大学院まで進学した留学生はまだ帰国していない。
ガラタ塔からみたイスタンブールの旧市街、「どどーん」と古いモスクが点々としているのがおわかりでしょうか。
観光の「メッカ」ジェルバ島のモスク。いかにも地中海風
その後に行ったトルコでも、女性のベール着用に象徴される若者の宗教回帰は見られなかった。ベール(というよりスカーフ)を付けている女性は、その色や洋服とのコーディネートが上手くて、じょうずに着こなしている。ブルー・モスクを始め多くのジャミィの美しさには目を奪われたが、新市街やアジア側の住宅地を少し歩いた限りではインドネシアにみられるような中間層の宗教回帰はないように思われた。ここでも、いまだイスラーム化の過程にあり、「ホンモノのイスラーム」を探しながら、がんばって新しいモスクを建設するインドネシアと、イスラームは昔も今もその辺に漂っているという国の違いなんじゃないか、なんて思ったけどどうなんだろう? もっとも話を聞いた人が悪かったのかもしれない。チュニジアの語学学校のクラスメートで、イスタンブール大学の修士課程(歴史学)に在学している友人は左派政党に出入りしており、「私は無神論者」と言ってはばからず、さらにイスタンブールであった彼女の友人はアラブ系トルコ人だがカトリックに改宗したばかりだった。(そして日本でいうクラブ?に行き、ビールで乾杯した。) それでも前者の友人はアラブ世界やイスラーム運動に興味をもっており、そのためにアラビア語の勉強を始めたりしている。チュニジアは「ホンモノのアラブ」っぽくなかったので、今度はシリアに行ってみたい、などと言う。そういうのってインドネシアではちょっと考えにくい気がする。つまり、インドネシアでは宗教に興味のない人が「ホンモノのイスラーム」なり「ホンモノのアラブ」なりを探そうとは思わないのではないだろうか。
それだけトルコの方が宗教的にも社会的にもずいぶんと成熟しているということだろうか。ぼく自身も全体の感想としては、そのトルコ人と同じで、(まことにステレオタイプ、失礼かつ勝手だが)チュニジアとトルコだけではとてもアラブやイスラーム世界に深々と入っていったと感じることはできず、アラビア半島やシリア、ヨルダン、北アフリカでもモロッコやエジプトに行って比較してみたい、いや行くぞ!と思ったのであった。
ブラレジア(北部)の地下遺跡。ちょっとアートに加工
トズール(南部)のメディナで。手ぶれかな。
背景画像: ホームページ・フレンズ(フリー素材)