「気功革命」を語る

−僕が気功革命を作ることになったいきさつ。−   (森田トミオ)

 

 

○まったく、当時のぼくは疲れていたと思います。盛先生に最初に会ったときに、「慢性疲労に効く気功法ってありますか?」と聞いたほどでした。

 

 『気功革命』の本を作るために会ったのが最初でした。『気功革命』の本を作るきっかけとなったのは、12月のあるクリスマスの日でした。あるではない、1995年のクリスマスだ。

 どうしてそんなにはっきり覚えているかというと、その前の晩、つまりイブの夜に、J−waveのロバート・ハリスさんの家でクリスマスイブのパーティーがあり、ぼくは酔ってそのまま泊った。去年も確かそうだった気がして目が覚めた。ロバートハリスさんとは、太田出版の本の出版の話しが少し進んでいて、時々会って話しをしていた。でも、ぼくに実力が欠けていた。慢性疲労だったのだ。それで結局、本の完成には至らなかった。

(後日講談社から本になって出た。でも、それはぼくらの構想とは別の本だった。)

 

『気功革命』の話しだ。そうだ、気功革命はそんな風に、あるクリスマスの朝に目覚めて、みんなは2階で寝ているようなので、荷物を探して、一人で家を出た。

岡の上の家で、歩いて坂を下りると見晴らしがよく気分がよかった。のどが渇いていたので、坂を降りた小さな駅の商店街の喫茶店に入った。

アロエジュースと、アイスコーヒーを頼んだ。そして何気なく新聞を見ると、サハラ砂漠を、リヤカーを引いて横断したという人の記事が出ていた。

 

その記事を見たとき、(ああ、何と馬鹿な人がいるもんだ、サハラ砂漠をリヤカーを引いて横断するなんて!)と思った。

 

なんて馬鹿なんだ。でもなるほど、リヤカーにテントや食料などの荷物を積んで、引いて横断するのか。ああなるほど。確かにそれならできる。そしてこの人は、リヤカーを引いてサハラ砂漠を横断したのだ。やりきったのだ。

そうだ。最初は馬鹿みたいなことだと思ったけれど、この挑戦とその成功はすばらしいと思いなおした。

見ると年齢も近い。思わず自分を振り返って見ると、世界旅行をしようと思いはあっても出かけられず、本も書けずに、仕事もなかった。それに、慢性疲労。ああ、すべてにパワー不足だったのだ。

 

やれやれ。その時、そうだ気功の本を作ろうと思いついた。なぜ、気功の本を作ろうと思ったのかはよく分からない。とにかく、その思い付きがぼくを救った。

それから、東横線と井の頭線で吉祥寺のわが家に帰るまでに、その本の作り方が分っていた。それは、これは気功の先生を大嶋さんに紹介してもらえばいいのだと思った。

大嶋さんというのは、前に勤めていた『レディーコング』という、女性向夕刊紙の発行元新聞社の経営者であり、編集人だった人でぼくの上司だった。ぼくは、その頃フリーでは食べられなくなったので、その新聞社に編集者で入社したのだが、その新聞の立ち上げに3ヶ月、発行が3ヶ月の6ヶ月で会社は倒産、社員は解散となった。その日は、ぼくの入社からかっちりと6ヶ月で、後数時間遅いと、失業保険をもらい損なうというようなタイミングだった。

みんなはあたふたしているが、ぼくはまたフリーに戻っただけという気持もあった。2回目なので余裕も出来ていた。

 

 会社は解散となり、社員はそれぞれに散っていった。ぼくも散っていった。四谷三丁目に住んでいてたが、やはり吉祥寺を離れがたく、また井の頭公園近くに森の中のアパートを見つけた。格安で、静かに落ち着いて暮らすによかった。しかし、稼ぎは依然としてなかった。

 

その頃、大嶋さんに偶然再会した。神保町のある本屋さんの2階だった。その本屋の2階は、禅とか気功とか、神秘主義とか武術とか、UFOとか神さまとか、神徒とか、とにかくそういう本が豊富だった。そんな本屋の2階の一角で、おお、と偶然再開したので、大嶋さんもきっと神秘が好きで、それで、大嶋さんがこの分野が好きであるなら、そうとう詳しいだろうなと思った。

なぜなら、新聞社を作ったほどなのでそうとう博識なのだ。でも、今はその新聞社の借金に苦しんでいた。ということは、ぼくが前にもらっていた給料は大嶋さんの借金だったのかと思うと、こちらも心苦しくはあった。それで、その日は新聞の話しとかして、酔って大嶋さんの家に泊った。谷中の一軒屋だった。

 

まあそんなこともあり、(そうだ、大嶋さんによい気功の先生を紹介してもらおう)と思いついた。

 吉祥寺のアパートに帰ったのは夕方だった。それから少し落ち着いて考えてから、太田出版に電話した。幸い高瀬(社長)さんがいて、「気功の本で一冊どうでしょうか?」とお伺いを立てると、「まあ、とりあえずやってみたら」という返事だったので、これはOKということだった。

 とりあえず進めて、本になるかならないかは内容次第ということだ。それで、では進めてみますと電話を切って、さっそく大嶋さんに電話した。もらった名刺の事務所に電話すると、留守電だった。それで、留守電に森田ですと吹き込んで電話を切ったら、1時間ほどして、大嶋さんから電話がかかってきた。

 「やあ、ひさしぶりどうしてるの」と大嶋さんが言う。

 「じつは、気功の本を作ろうと思うんですが、誰かいい先生知らないですか?」とぼくは聞いた。

 「いやーぴったりの人を知っているよ。その人は盛先生と言って、鶴気功の達人なんだ」

 「ぜひ、その先生を紹介してください」

 「分った、いいよ。年明けに電話してみるから電話ちょうだい」と大嶋さんは言った。

 

 それで、『気功革命』はそのクリスマスの日の朝に思いついて、夜8時までにはよい先生が現れ、出版社の了解もあやふやながら取れた次第だ。何かが決まるときには非常にスピード感がある。

 

 

しかし、決まるときも早いが、試練も必ずやってくる。明くる年に、大嶋さんに電話して、とりあえず尋ねて詳しい話しをすることにした。

 

物事は、一瞬にして決まることがあるとぼくはときどき考える。そのときもそんな一瞬のひとつだった。

大嶋さんの事務所は、青山の骨董通りのそばのマンションの一室だった。開放的なつくりで、広めのアパートを改装したような感じもあり、日当たりがよくて感じがよかった。

また、少しずつコンピュータ関係の仕事で、事務所を開設して、盛り上げていた。倒産にめげず、億の借金を返す意気込み。えらいなあと思う。そして、大嶋さんなら、きっとそれが出来そうと思える不思議さ。それもきっとまた仕事を盛り上げ、苦もなくやってしまうのだ。そのパワーの秘密は何なのだ。その大嶋さんが第一として推薦してくれる気功の先生ってどんな人だ。と、いやがうえにもぼくの期待は高まっていく。

 

 「どうもひさしぶりです」と挨拶して、「それでいい先生って誰ですか?」とぼくは大嶋さんに尋ねた。

 「いや盛先生といってね、鶴気功の達人なんだ」

 「そうですか、中国人なんですか、日本語はしゃべれるんですか、鶴気功ってなんですか?」とぼくは大嶋さんに聞いた。

 「奥さんが日本人でね、日本語もバッチリ。それで、鶴気功というのは、鶴の形をした気功のことだよ」

 「大嶋さんはどうして知り合ったんですか?取材か何かで?」

 「そうじゃなくてね、弟が鍼灸師やっているんだけど、湯島の治療室を休みの日に使っているのが盛先生なんだよ。一日だけ気功治療もやっていて、僕もよく知っているけど弟も素晴らしい先生だといってるよ」と大嶋さん。

 「そうですか、多分完璧ですね。ぜひ、その先生を紹介してください」

 「おお、いいけど、どんな気功の本をだすつもりなの?」と大嶋さんが聞く。

 「じつは…」

 

 その時点で、ぼくはどんな気功の本にするか、なるものかとんと考えていなかった。すべては、先生次第だろう。だいたい、まあ、普通のレベルの先生なら、普通にあれこれの材料を持ってこれば普通の本はできるだろう。くらいに考えていた。

でも、その後に太田出版の高瀬さんに企画を通すときに、普通の気功の本では売れないかもしれないから、ちょっと精力を強くするとか、セックスに強くなるとか、そういう話しも入れる必要があるという了解がなされていた。

 つまり、そこが先生選びのネックになるかもしれないと、懸念していた。ネックになるというか、そこから先にどのような本を組み立てればいいのかも思案していた。

 

 それで、「じつは…」、と、まだどんな本にするかは考えていないこと。すべては先生次第であること。ただ、おもしろい本にはするつもりであること。それから、これがちょっとネックになるかもしれないんですが、ちょっと精力増強とか、セックスに強くなるという話しも入る必要があることを大嶋さんに話しをした。

 

 「でも、そういうんじゃあ、うちの盛先生はだせないなあ」と大嶋さんは言った。

 

 やれやれ、やっぱりそうか。でも、理想的だったのにな。まあ、でもしかたない。営業的に出版の方でもこの線はゆずれないだろう。後で迷惑をかけるのだけは避けたいから、とにかくほかの先生を当たろうと思った。

 「そうですか、まあ、それならしょうがないですね」とぼくは言った。

 「ほかをあたって見てよ」と大嶋さんは言った。

 「そうですね、では、そうします」と言ってぼくは席を立った。

 

 それから、のろのろと出口に向かい、靴を履いて、鉄の扉を開けた。その時、「ああ、この扉を閉めてしまうと永遠に何かが失われる」と思ったことを覚えている。でも、しょうがない。すべてはなるようにしかならない。まあ、それが運命だったのだ。また一から出直しだ。

 しかしこの流れは、クリスマスの朝に始まった流れで、縁起のいい流れなのに、ここで糸が途切れてしまうのかとも思った。まあ、しょうがない。出直すとして、さて、神保町の本屋でも行って見るかと思った。そうだ、大嶋さんと偶然出会ったあの本屋の2階だ。あそこに行けば、誰かよい著者が見つかるかもしれない。

 さてでは、と、のろのろと考え、靴を履いて、ドアを開けて、足を踏み出し、では、さようならとドアを閉めようとした瞬間、「まって、もう一度話しを聞くよ」と大嶋さんが中から声をかけてくれた。

 

 

 それで、その扉が閉まったときに、ぼくは部屋の中にいた。気功革命を考えるときに、あの時ぼくがドアの外にいたら、ぼくはどうなっていただろう。

 気功革命は生まれず、ぼくも盛先生に出会えない。さらに、気功革命をきっかけとする数多くの出会いも生まれない。さらに、読者同士の出会いやいろいろな体験、出来事も生まれなかっただろう。

 

 神さまが味方してくれたとしか思えない。それでぼくは部屋に戻って、もう一度大嶋さんと話しをした。それで、とにかく「盛先生の話しを聞いてみてからにしよう」という結論になった。

 

 首の皮一枚で繋がってそこから盛り返す。そんなときもある。ここに何かが生まれたがっている。パワーが発生し始めていた。

 

 盛鶴延先生は大人だった。はじめてあった時、気功の本の話しをして、それからいいにくそうに、少し遠慮気味にセックスに強くなる話しも入れたいのですがどうでしょうか?と問うと、「おお、それは大事ね。現代人は、セックスのし過ぎで気が赤字になって、病気のようになっている場合も多い。それは大事。精の浪費という観点からも大事な問題です。」というのでした。

 

 おおそうですか。では、ここにすべての問題はクリアになりました。ぼくたちは協力し合って気功革命を作りましょうとぼくはいいました。大嶋さんの事務所でした。午後の一時くらいの、日の当たる1月のことでした。

 「ところで、なんですかその気の赤字って?」とぼくはさっそく盛先生に聞きました。でも、よく分かるな、そのニュアンス。そうだ、確かに現代人は気の赤字だ。現代人は知らないけどぼくはそうだ。慢性疲労だし…。

 「それは、話すと長くなるけど……」と先生は話し始めました。

 

盛鶴延先生は中国上海の出身。気功指導に招かれて来日、そのまま日本語教室に通って気功指導を続けるうちに、弟子の女の子と結婚。つまり、奥さんができたので、そのまま日本に残り、日本で気功師道を教えるつもりでいた。終生日本にいるつもりらしく、やがて本も書きたいと思っていた。そのようなときにぼくと出会ったのだった。つまり、どちらにしても幸運な出会いだった。

 

 盛先生は原稿を書きたがっていた。でも、日本語は話せても、書くことはまだうまく出来ない。でも、たくさんの気功の知識を持っている。ぼくは、原稿を書くことが出来た。でも、書くものがなかった。だから先生の話しを聞いて書こう。ちょうどいいや。気功にも上達しようと思った。

 

 ぼくがいい見本だ。ぼくが先生に気功を習って、それを習ったとおりに書く。それで、効果が出ればそれは本物の気功だし、効果が出なければ、それは本物ではない。自分で試してみて分るのだ、これ以上のことはないだろう。

 ぼくが直したいことは、運なのだ。どうも最近運が悪いと思っていた。運が悪いんではなくて才能がなくて仕事がなかったのだが、運も悪いような気がしていた。でも、それを気功に求めるのもなんだろうから、とりあえずは慢性疲労を治したいと思っていた。慢性疲労、つまり気の赤字。

 

 ほんとうは才能があるないという以前に、まず努力が足りなかったのだが、その努力する気力が沸かない。ということが問題だったのだ。つまり、慢性疲労の気の赤字。ここを断つ事によりすべてが変化するということも可能なのではないか。そんな考えだった。

 

 

 「それで先生、慢性疲労に効く気功ってありますか?」とぼくは盛先生に聞いた。

 

 「慢性疲労?あなたが慢性疲労なのですか?ありますよ。それは天井に8の字を書く気功法です。こうやって。」

 「はあ―、こうですか」とぼくもその形を真似してみた。それから、

 「気功のコツは何なんですか?」と聞いた。

 「気功の第一の秘密は、気功は、イメージと呼吸と動作を一緒に行うことにあるのです。その三つを同時に行うことで、気功は他の方法と違って、効果が出やすいのです」と盛先生は言った。

 「イメージと動作と呼吸ですか」とぼくは言った。つまり、これからそれを1つずつ習って、それからさらにそのパートを掘り下げて行かなければならないなと思った。

 

 

 「人間はラジオの受信機みたいなものです。周波数があるのです。宇宙のパワーとダイアルを合わせるスイッチがある。でも、普通はそのスイッチの使い方が分らない。それが大方の人です。でも、気功の先生は違います。そのスイッチのありかまで、教えたいと思うのです」と盛先生は言った。

 

 それから、先生はいくつかの気功の形を披露してくれた。ぼくと大嶋さんは一緒にそれを習って、それから、先生と週に一回どこかで会って、話しを聞いてぼくが原稿にまとめましょうということで意見が一致した。帰りに、青山の中華料理店に寄った。オシャレな店で、ちょっと1本奥まったところにあるので静かで、テラスでもよかったし、2階でもよかった。ぼくらは三人で、2階でしょうこう酒を飲んで前途に乾杯した。みんな幸せになれますように。それから世界に平和が実現しますように。

 

 飲茶のおいしい店で、蒸したての飲茶が蒸篭に入れられて出てきた。あれこれつまみに飲茶を頼んでいたとき、大嶋さんが「大根もち」を頼んだ。盛先生が大根もちは最後なのに、とその後、3人でまたその店に行ったときにはよくそのことが話題になった、大嶋さんの大根もちが、その最初の会合の時に注文された。

 

 

 

 それから盛先生とよく会ったのは、青山の大嶋さんの事務所だったが、大嶋さんも変わった人で、事務所の入り口を入るとすぐに、大きな八角の鏡が吊るしてあった。>

「何ですか? これは」と聞くと、

「いや、風水師がね…」と大嶋さんは言う。

 盛先生ではない、別の風水師がこのあたりに鏡を置いて、邪気を跳ね返した方がいいというのでそうしたらしい。大嶋さんもそういうことが好きなのだ。好きというか、ここ数年で新聞社を立ち上げ、駅の売店売りの夕刊紙を発行し、ところが億の借金を抱えて倒産し、しかしまた事務所を開設して盛り返すという、激動の運命を歩んでいるので、風水にも頼りたくなるのだ。

 頼りたいというか、多分実際に必要なのだ。それは、何かの流れを変える。人生は流れだ。運命も流れだと思う。

 

 大嶋さんの事務所には、また大勢の人が集まり出していて、コンピュータ関係の仕事も順調に進んでいるようだった。その事務所のすみの打ち合わせ用テーブルで、毎週水曜日の夕方、ぼくは盛先生に会った。水曜日は赤坂かどこかで、あるお金持ちの家庭の集まりに、気功の指導に出かけていた。その帰りに時間をとってくれたのだった。

 

 最初にピンときたのは、邪気についてだった。

 「みんな誰でも、エネルギーが欲しいといいます。宇宙のパワーが欲しい。でも、入ってこない。なぜですか? それは、体の中に邪気が溜まっていて、流れが悪いのです。だから、宇宙のパワーが入ってきたくても入れないのです。」と盛先生は言った。

 

 そうか、その通りだなとぼくは思った。考えてみて、ぼくのその頃の慢性疲労というのは、そうだ、邪気なのだ。邪気が溜まっているのだ。

そして、一番簡単な邪気を出す功法として習ったのがセイシュだった。手をブラブラと前後に振るだけのかんたんな気功法。何? 気功って、何? 手を振るだけ? と最初は思ったものだ。

 

 「気功で大事なのは、意識と動作と呼吸をひとつにあわせることです。それで、気功の独特の効果が生まれます。ただ体を動かすだけではラジオ体操と同じです。ラジオ体操でも体にはいいかもしれませんが、気功の効果は出ないでしょう」

 

 それから、2人で壁に向かってセイシュをした。

 はじめはどうということも無かったが、しばらく続けていたら、(おや、背中の方が暖かくなってきたぞ。)と思った。背中の方がモコモコ温かくなって、おやおや、気の流れが出て来たのではないか?

 「先生、いいですね、これは。簡単なのに」

 「そうでしょう。これだけでも、やると違うね」

 「そうですね。こんなに簡単なのに。現代の疲れているみんなに教えてあげたいですね」とぼくはいった。

 そうだ。これだけでもすごい。気の赤字の現代人に必要だ。僕は「気功の本」を作る糸口が見つかった感じがして、盛先生の気功に、本物の手ごたえを感じたのだった。

  次に習ったのは三円式タントウ法だった。

 「セイシュに続けて、三円式タントウ法をやるだけで、もう立派な一連の気功法です」と盛先生は言った。

 

そんなふうにして、ぼくは気功を習い始めたのだった。      気功革命ホームに戻る

 


(文 ・森田トミオ)