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満 八 十 二 歳 紀 念


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あとがき・・・・佐々木庶流間宮氏の歴史発見・・・・・・・・・・



先の第二次大戦が終わるまでの日本歴史は、それまでの、それぞれの時代の権

力者の影響を受けて作られ、その権力に都合のよいように書かれていた部分が

あったと考えられる。.........................

また、過去の歴史は、個人の研究が中心で、見方・考え方にかたよりがある

恐れもあり、歴史研究の方法も、未熟で、間違っていることや抜けた部分があ

ったり、よくわからないので、適当に想像した部分などもあったはずである。

これは、日本の国の、或いは社会の、主要な歴史についてのことであるが、

我々の祖先の歴史もまた、同じような時代に同じような影響をうけて、作くら

れたものであるから、これにも亦、日本歴史と同じようなひずみや間違い

があると思わなければならない。....................

このHPで述べた幕府官撰系譜などの間宮氏系譜の問題点などはそ

の一部に過ぎない。..........................

更に、次のような問題がある。......................

大変誇らしいことではあるが、本来名流の実績がある佐々木庶流間宮氏は

日本の著名な姓氏家系辞典類には必ず掲載されていて、その辞典類は日

本全国の図書館に架藏されている。...................

しかし、その内容は、寛政重修諸家譜をもとにしているため、前記のよ

うに、ひずみ且つ間違っていて、佐々木庶流の名流などとは到底云うことが出

来ないようなものになっているのである。また、これを見て、そのようにひず

み間違ったことを書いた書物が、今でも、時どき書店で見当たるのである。

これらを読んだ人たちは、佐々木庶流間宮氏を誤解し、また、これらの

書物によって、そのようにひずみ且つ間違った佐々木庶流間宮氏の歴史が、徳

川時代の中期以降、特に、明治時代以降、急速に世間に広まり、現在も、未だ

につづいているのである。.......................

そのなかには、甲斐国の武田信玄が駿河国に侵入していた時に武田氏に従って

いた駿河の海賊衆間宮造酒丞(甲陽軍鑑品第十七記載)が、寛永譜

来、当家系譜に侵入、寛政譜に於いても、間宮豊前守康俊が海賊衆造酒丞

の父のようになっているためであろうが、間宮氏を海賊衆と考えている人逹も

おり、現在も店頭にある書物に、次のように書いてあるのが見られる。...

間宮氏は、伊豆間宮村発祥の土豪で、もとは伊豆に配された北条水軍の船大

将であった。間宮武兵衞と造酒丞は兄弟である。兄弟の父は、北条家二十将衆

に名を連ねる間宮豊前守康俊で、兄は南伊豆の妻良・子浦を基地とした北条水

軍の将、康信であった(中央公論社発行中公新書伊豆水軍物語134頁)

更に付け加えて云えば、寛永譜では兎に角近江出自の名門佐々木庶

流ではあり得るが、寛政譜では、「伊豆間宮村出自の土豪」と云う佐々木

庶流にはあるまじき「浅はかな名流」に成り下がってしまっているのである。

祖先としては、まことに、耐えられないことであろう。いろいろ仏事などを

勤めて、祖先の供養をするのも良いが、此の改善是正なくして、祖先の真の冥

福はないと思う。...........................

幕府官撰系譜である寛政重修諸家譜は、幕府が将軍の命により、十四年の

歳月を費やして編纂し、将軍に献上された至上のものであるから、徳川時代に

は、その批判をすることなど、思いも寄らないことであったのである。...

更に、寛政重修諸家譜について云えば、前記のように徳川幕府が十数年

の歳月をかけて作った圧巻で、大変立派に見えるためか内容の検討もせず信用

し、ただ鵜呑みにする人達も多いと思う。................

この外にも、多くの問題がある筈であるが、特に重要なことは、日本歴史を構

成する主要な歴史などとは異なり、諸家の歴史について、その中のひずみと間

違いの発見・是正などを専門の先生方がやってくれることは、先ずないであろ

うと思わなければならない。......................

また子孫だと自然に問題点が見つけられるのに、他人には容易にわからない

ことがあるものである。従って、此のような問題の発見と其の是正が本当にで

きるのは、子孫だけではなかろうか。即ち、子孫がやらなければならないこと

であると思わなければならない。....................

新しい時代に巡り合った私達子孫は、自由に、正しく研究して、其のひず

みと間違いを発見し是正し、多くの困難を乗り越えて、正しい系譜を確立し

なければならないと思う。当面まず、子孫が、その実態をよく知り、正しく理

解することから始めたいと思う。....................

佐々木庶流間宮氏の歴史発見は、これから始まるのである。....

なお、現在では、社会で活躍するための力や立場を自分の努力と教育によって

身に付けることが出来るが、古くはこれが世襲的に伝えられていた時代が長く

続き、個人の実力よりも家柄や家系の良し悪しが重要で、諸家の歴史のな

かには、真実かどうか疑わしいことでも、飾りになりそうなことだと勝手に取

り入れたりして、自家の歴史を玉虫色に飾る風潮があったと云われる。

そのために個人の家の歴史とは、とかく其のようなものと思われたり、又、

特に、最近の若い人達にはそのような傾向が嫌われていると云う人もいる。

そのような実態からか、近代的な歴史研究活動の大きな役割は、 .....

過去の歴史の中にいる架空人物を払拭し、無駄な尾鰭を取り去るこ

とであるという人もいるのである。.................

これは大変大事なことで、佐々木庶流間宮氏の歴史発見の場合に於

いても、きびしく考えなければならないことであると思う。厳正に過去の歴史

の問題点を浮き彫りにして、誤りがあれば正し、間違っても、無駄な尾鰭など

を付けることがないように進めなければならない。............

佐々木庶流間宮氏が真に名流であれば、厳正に研究すればするほど、一層

その輝かしい実態を現してくるはずである。...............

なお、間宮氏には先祖から伝わった系譜があるはずだと当然考えられるはず

であるが、実際には、どの間宮家にも、寛政譜と同じものしか見当たらないの

である。それは、寛政譜と異なるものを持っていて災いを受けたと思われる家

があったと考えられるからである。(間宮氏正統譜消滅).........

幸い、昭和になってから一部の間宮家から二つ、一つは徳川時代の歴史家間

宮士信の生家から発見され、日色義忠氏によって「千葉文華」第18号(千葉

県文化財保護協会発行)に発表され、他の一つは、間宮惣右衛門家に保存され

ていたもので、間宮一族会会員間宮卓郎氏によって紹介され、此れらを基本に

正統譜の復元が可能になったのてある。.................

..2002年.........満八十六歳紀念 ...


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