今から七百六十年ほど前(1241)、近江に於いて、佐々木氏が四家に分裂
した。佐々木氏の嫡流佐々木『六角氏』の重臣『舟木氏』の長男『信行』は、
親兄弟と別れて間宮を称し、六角氏と競合する佐々木『京極氏』に臣従した。

このことは、佐々木一族の氏神『沙沙貴神社』所蔵の佐々木一族の系図、並び
に、『尊卑分脈』以外の(特に佐々木京極氏系の)佐々木系図の源流に於いて
確認することが出来る。これが間宮氏の起源である。...........
六角氏系の佐々木系図には、競合する京極氏に臣従した家臣を抹消したものが
あり、そのような系譜の佐々木源流には、間宮信行は見当たらない。....
尊卑分脈の佐々木系図は、そのような佐々木系図を底本にして作られたものら
しく、間宮太郎信行は見当たらず、舟木に残った弟たちが間宮となっている。
尊卑分脈の佐佐木源流には此の外にも不正な記述があって、それが、徳川時代
になってから二回目に作られた寛政譜の時に使われ、はじめの寛永譜に於いて
造酒丞家が結合されて歪んだ間宮家の系譜の不正が、さらに、増幅することに
なったのである。(次項参照).....................
2.幕府官撰系譜による歪曲
寛永譜に於いて造酒丞家が結合され、其れに伴い内陸の糟屋時代四代約百年が
消滅。その埋め合わせのつもりか、北条早雲に臣従した信冬を四代約百年先行
させ、次の信盛まで約百年間をこの間中絶としている。.寛永譜の間宮氏系譜
寛政譜では、改めて造酒丞家が「別流の祖先」を呈譜したが否定され、間宮家
側は前記の不正な尊卑分脈によって、近江出自の「佐々木庶流の源流」と始祖
「信行の存在」が否定され、何故か信冬が伊豆の間宮村に住んで始祖となり、
近江出自の名門佐々木庶流の間宮氏が、伊豆出自の、然も百年も中断した、浅
はかな佐々木庶流になってしまったのである。.....寛政譜の間宮氏系譜
現在見られる姓氏家系辞典の間宮氏系譜は、この寛政譜に準拠している。即ち
寛政時代以降二百年この不正な間宮氏系譜が一般に流布されてきたのである。
3.正統系譜の復元
昭和になってから、間宮士信の生家などより間宮氏の正統譜が発見され、各家
に伝わる口碑、外部に残る史料と共に改めて正統系譜が復元されたのである。
...
《以上の詳細はB系図集》
.................... 元に戻る .......【間宮氏の系譜】終わり