| 『団地妻 隣りのあえぎ』 '01 国映・新東宝 監督:サトウトシキ 脚本:今岡信治 出演:中川真緒・伊藤猛・田尻裕司・佐々木ユメカ・斎藤つかさ いかにもサトウトシキらしい淡々としたリズムで、いかにもサトウトシキらしい彼岸ギリギリの物語がなんとなく垂れ流されていく。というか、「(ここ最近の)サトウトシキの団地妻シリーズ以外の何物でもない」という形容がいちばんしっくりくるような感覚。既視感にも近い安心感。とても魅力的な世界だと思います。 冒頭。団地の空き部屋にで隣部屋から漏れ聞こえるあえぎ声を待ち続ける主人公(中川真緒)。隣の団地妻がセックスを始めた瞬間、火を着けたばかりの煙草を揉み消し、オナニーを始める。 その煙草の消しっぷりがなんとも形容し難い鬼気迫るものであった。煙草ってものは、基本的にメインの行為とはならない。何かメインとなる行為を行いながら、片手間に吸えるものだ。だから、よっぽどの特別な理由やよっぽどのハプニングがない限り、火を着けたばかりの煙草を消すなんて事はない。なのに、冒頭でいきなりそんな特別な行為を見せられる。しかも、物凄い勢いで消すものだから、とんでもなく注意を引かれるのだ。 その煙草を消す行為によって、単純に“欲求不満の人妻”を表現出来るだろう。しかし、それだけではなく、もっと非日常的な、或いは危機的な何かを感じた。その主人公が煙草を吸うのもそのシーンだけだったりもして、冒頭のオナニーに至る全てが特別である事は何となく理解出来る。 で、それは何か、って言われても、適格な答えは出せないのだけど、多分、それは作品の持つ「彼岸ギリギリ感」であるとか、狂気と閑静の不安定なバランス感であるとか、そういうもので表現されるのだと思う。なんというか、つまり「サトウトシキ的団地妻ワールド」。具体的に言えば、「日常感があり過ぎる食卓で展開される、全く噛み合わない台詞」や「妻の不倫の最中に独りで妙な行為に耽る旦那」。「結婚という特別な契約の中でしか起こり得ない不条理な恋愛感情」。或いは「所有というエゴイスティックな行為における、主体と客体の不条理な関係性」。 何だか良く解らない事を書き連ねてしまったが、結局何が言いたいかというと、結婚によって人間は狂い出す、という事。「人間と人間が互いに所有し合う」という契約は、実に不条理であり、いかにも非日常的なものである筈なのだが、誰しもがその契約を求め、更にその契約を重んじている。だから、結婚によって人間は狂ってしまう。そういう事を描いた作品なのだ。結婚とは、火を着けたばかりの煙草を思いっきり揉み消してしまうくらいに、驚くべき非日常的なハプニングなのだ。 この契約を信じて信じて、遂に狂ってしまう人間として主人公の旦那(伊藤猛)がいる。その対となるのが、佐々木ユメカ演じる不倫をしまくる女(主人公が不倫をする相手の妻)である。この二人がセックスをする事で、結婚という妙な契約に何らかの答えが出そうなものだが、この作品ではそれがない。これは観客に対する気持ちの良い裏切りである、と思った。セックスの優位性を描く振りして、契約の優位を描いてしまう。だからこそ、やっぱり物語の非日常性は保たれる。メッセージに依存し過ぎずに、フィクション性(つまりエンターテインメント性)を優先した、と解釈した。だから、予定調和的なハッピーエンドも許せる。というか、あれこそが結婚という不条理を象徴する非日常なのだ、と思える。そういう意味で映画的である。 職業監督サトウトシキの得意技。だからやっぱり安心感のある作品であり、それはやっぱり面白い。なんにも裏がない作品なのかも知れないけど、いろいろと考える事が出来る作品、っていう事で、それはやっぱり面白い作品って事なんだと思います。 |