| 『荒ぶる魂たち』 '02 大映 監督:三池崇史 脚本:武知鎮典 出演:加藤雅也・竹中直人・松方弘樹・石橋蓮司・美木良介・山口祥行・秋野太作・伊武雅刀・白竜・遠藤憲一 三池崇史に正統派を感じる事はない。だから、ヤクザ映画こそが三池崇史のウィークポイントである。ヤクザ映画というものには、常に“美学”が付いて回る。それを踏む事に重きが置かれるという側面を否定しないヤクザ映画は、正統派である事を宿命付けられているのだ。三池崇史が作ったものは、厳密にヤクザ映画ではない。 この『荒ぶる魂たち』は一見するととても解り易いヤクザの群像劇であり、殺し、報復、裏切り、などの血腥さに満ち溢れた世界は、歴史の中に切り刻まれた映画で栄える極道達そのものである。つまり、完全なる正統派なのだ。まるで、三池崇史が監督ではないかの様な正統派だ。 武知鎮典とのリンクが三池崇史の破壊性を抑えた、と考えるのが正しいであろう(三池本人もその様なコメントを残している)。ヤクザの描き手として正統派である武知鎮典の世界を三池崇史は尊重した。そして、出来上がったものは素晴らしき正統派ヤクザ映画であった、という事なのだ。 冒頭で死に晒す三池崇史本人のインパクトはかなりのものであったが、それ以降に繰り広げられる群像劇は意外にもシンプルであり、殺されるべき人物が然るべき残酷な形で殺され、生き残るべき人物が大きな傷を負いながら生き残っていく。観る者の欲した方向へと物語が進み、そして最も美しい形で決着を迎える。なんとも嬉しい限りではないか。 そして、出てくる男達もまた、観る者に安心感にも近い形での興奮を与える。格好良いものをそのまま格好良く見せてくるのだ。そのおかげで、単純な憧れの感情が呼び起こされ、映画の醍醐味である“架空の世界”へと没頭出来る。それこそ監督が三池崇史である事を完全に忘れてしまうくらいに。 ヤクザ映画の単純さが凝縮された作品である。若者 vs 老人、愚連隊 vs 狡猾な親分、などの何の珍しくもない図式の中で展開される、嫌になるくらいに男臭い仁義が全編に渡って描かれる。加藤雅也の狂いっぷりばかりが目立ちそうなものだが、実はそうでもなくて、男と男の間の心の繋がり(それが仁義と呼ばれるもの)の方が、完全に優位となってスクリーンに映し出されている。俳優の演技もまた、丁度良いくらいに野暮ったく、仁侠映画の雰囲気そのままだ。 三池崇史は凡作を録る事が出来る。この作品はそれを示したものであろう。勿論、凡作というのはつまらないという意味ではない。完璧に正統派であるヤクザ映画、という意味である。三池崇史は、ヤクザ映画の心地よさをギミックを多用するお得意の切り口抜きで表現出来る普通の監督だった。 |