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『オーディション』 '00 オメガ・プロジェクト

監督:三池崇史
脚本:天願大介
出演:石橋凌・椎名英姫・國村隼・松田美由紀・根岸季衣・沢木哲・大杉漣・石橋蓮司


 「痛み」を伴う行為には二種類あり、それは「痛み」を受ける行為と「痛み」を与える行為である。しかし、人間は「心」というフィルターを介してのみ全ての行為や事象を認識し、常に行為の対象となる相手の「心」を自らの「心」の中に投影しているので、対象に「痛み」を与える行為にあっても、少なからず自らに「痛み」が還ってくるのだ。つまり、完全に「痛み」だけを対象に与えるという事はほぼ不可能であり、どんな冷酷な行為であってもそこには何らかの「自傷」を含んでいるのである。「痛み」とは共有によって成立しているのだ。
 共有のない「痛み」は、則ち対象ない行為であろう。そして、対象がないという事は「心」がないという事である。究極のエゴイズムによって、世界は完全に自分の所有物と化し、周囲の事象の全てが自らに向けて行われている事になる。エゴイズムの下では思い通りにならないモノがあってはならない。それの存在は自己存在の崩壊を意味し、またそれは世界の崩壊と同義である。従って、自傷を伴わない、つまり「心」の介在しない他傷行為は「世界の救済」という大義名分によって正当化されるのだ。もちろん、対象の存在を必須とするコミュニケーションに身を委ねる人間にとっては理解の範疇を超える事なのではあるが。

 この作品のヒロイン・麻美には「心」がない。彼女の行為には対象が存在しない。そんな特殊な人間の存在を信用しようといない愚かな男達は、彼女の魅力に溺れ、騙され、そして、共有しえない絶望的な「痛み」を味わう。男達は世界を失う事で初めて麻美の恐怖や自分の愚かさや世界の儚さや「愛」の醜さに気付くのだ。否、本当は何にも気付いていないのかも知れない。ただ絶望的なコミュニケーションに身を投じる事に快感を感じてしまっただけなのかも知れない。もしかしたら、「心」という足枷を脱ぐ事は最高の快楽なのではないだろうか。

 この『オーディション』は不可解な恐怖を否応無しに体験させられるとても不安で、そして、不愉快な作品だ。何一つ理解出来ないままに巻き込まれる嫌悪に溢れた映像は、この作品に出逢ってしまった事を後悔させる程に不快だ。もう二度と観たくない。もう二度と麻美に逢いたくない。
 しかし、僕はこの作品を何度も観ている。不快である事も自らに「痛み」が還ってくる事も理解してはいるのだが、何故だか何度も観てしまうのだ。僕は「心」の足枷を外したがっているのであろうか。麻美に絶望を味あわせてもらいたいのだろうか。

 コミュニケーションという人間にとって不可欠な要素を否定するヒロインは美しい。そして、彼女が与えてくれる甘美な絶望に誰しもが溺れる事であろう。