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『痴漢電車 弁天のお尻』 '98 国映

脚本・監督:いまおかしんぢ
出演:鈴木卓爾・長曽我部蓉子・児島なお・佐々木ユメカ・内藤忠司・岡田智宏・川瀬陽太


 80分オーバーというピンク映画にしてはかなり尺の長い特撮モノ。ちゃんと『デメキング』という怪獣が出てくる。
 大黒(鈴木卓爾)がなぜか車に轢かれ、夢の様な妄想の様なシーンに突入し、それが未来を予知している、という事になっている。その非現実的ビジョンの中に怪獣が登場し、それ以降一切怪獣は登場しない。つまり、この映画、出オチなのである。
 その予知夢の中で、デメキングに踏み潰されて死んでいた、背中に弁天様の刺青のある女を未来において助けるべく、大黒はその女をストーキング。その女の男が殺された事を切っ掛けとして、神社の中での二人の生活が始まる。そして、それを取り巻く様々な人々(若いスリとか、おっさんのスリとか、売春婦とか、OLとか、リストラサラリーマンとか)がいつの間にか、その神社へと集まり、揃った7人でいざデメキングとの戦いへと。

 冒頭でこの物語の目的が明確化されているので、全てがラストに向かって収束している、という事は簡単に解る。どんな出来事があったとしても、それが来るべきデメキングとの戦いに向けた布石であろう事が予想される。そういう目的意識の中で進んで行く物語は、やはり大きな敵の打倒、という目的を持った特撮モノの物語そのものである。例えば、ライダー軍団総登場とか、ウルトラ兄弟勢揃いとか、そういう雰囲気を持ったものであり、正しい特撮映画であるのだ。しかし、やっぱり今岡監督ということもあって、登場人物の全員が普通の人間ではなく、全員が全員、分裂症なので、かなり強引な展開が繰り広げられている。表向きは特撮のフォーマットなのだが、それぞれの個性が全くもって自分勝手すぎて、完全にコミュニケーションを否定しているので、残念ながらその来るべき戦いに正当性を与える事は出来ない。でも、そういう勧善懲悪ではない部分こそがこの作品の主題だろうから、別にそんな事は知ったこっちゃないんだろうけど、やっぱり無理があるのは否めない。はっきり言っちゃうと、怪獣を登場させる必然性がなくなってしまうのだから。要するに、目的意識のある作品、明確な終わりのある作品を作りたかったんじゃないか、みたいな感じ。
 まぁ、別にそれでも良いと思う。面白くて、しっかり幕を引けるのであれば。ところが、この作品は、結局綺麗に幕を引く事が出来なかったのだ。冒頭の夢のシーンの様な、彼岸の世界を申し訳程度にラストで持ち出し、何も答えを出さずに映画は終わる。それこそピンク映画的な不条理っぽさが出ているのだが、わざわざ怪獣という余りに具体的で、余りに解釈し易い題材を扱っているのに、そのラストはないだろう、と思ってしまうのだ。「ピンク映画なのに怪獣」だなんていう安直なアイディア勝負だったら、なんだって出来る。そういうギミックとしての怪獣ではなく、もっと真正面から怪獣という題材を描いて欲しかった。「非現実のメタファーとしての怪獣」みたいな捉え方ももちろん出来るし、それであれば物語全体を覆うコミュニケーションの断絶や、現実逃避的行動を繰り返す7人の登場人物も解釈出来るのだけど、そういうのは別に珍しいものでもなんでもなくて、ピンク映画では散々描かれてきた事だし、怪獣の手を借りる必要はない。怪獣を使って観客に異常な期待を与えるのだから、どうにかしてそれに応えてくれないと、普通のピンク映画以上に消化不良を起こす。これは多分怪獣が出てこなかった方が面白かった、なんて思えてくる。

 もし冒頭の夢のシーンで怪獣を登場させなかったなら、だいぶ“普通の”“よくある”作品になっていたであろう。結果として、そっちの方が楽に観られる作品であった。でも、この作品のトピックはやっぱり実際に登場する怪獣のシーンであろうから、なんともパラドクシカルなもやもやが残って仕方ない。どうせなら、ラストシーンで壮絶なバトルでもなんでもしちゃえば良かったのに。それこそ完全なバカ映画になるくらいに。なんとなく、監督のインテリジェンスがこの作品を中途半端にしてしまった様な気がしてならない。