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『岸和田少年愚連隊 血煙り純情篇』 '97 吉本興業

監督:三池崇史
脚色:信本敬子・NAKA 雅 MURA
脚本構成:NAKA 雅 MURA
原作:中場利一
出演:千原浩史・千原靖史・鈴木沙理奈・やべきょうすけ・中島ひろ子・菊池万里江


 不良の気持ちは不良にしか解らない。三池崇史は不良であるからこそ、この映画を撮る事が出来た。もし、三池崇史がオタクであったのなら、キャラクター達に魂が宿る事もなかっただろうし、それ以前にこの映画が面白くなったはずもない。

 かつて、流行の最先端は不良が担っていた。ヤンキー・カルチャー(現在のそれとは違う)も、羨望の対象であった。ユース・カルチャーの根底にあるインモラルを体現する不良こそが、ストリートの支配者であり、彼らの支持を獲る事がカルチャーの成功を意味していた。
 しかし、八十年代以降、全てのカルチャーの主導権をオタクが握る事となる。ストリートと直結して然るべきはずのカルチャーにオタクのフィルターが懸けられ、カルチャーの中の社会性は薄れて行った。そして、オタクに因るオタクの為のカルチャーこそが受け入れられる事となる。それは、安全牌の商売となり、更に蔓延する。
 現在も続くオタク主導のカルチャーの世界において、不良を地で行く三池崇史は稀有な存在だ。勿論、他との差異が大きい為に、突出し過ぎている印象も否めないのであり、それ故に色物的に扱われてしまう事もあるのだが、彼の作品に一度触れれば、それが大きな間違いである事に気付くはずだ。三池崇史はカルチャーの根底にあるインモラルを体現する。

 最早、現在の若い人々には理解出来ないであろう、力だけに任せたリイチの思考回路は、僕が小学生くらいの頃に持っていたそれである。それは、下手に色々なものを吸収し過ぎて、何もかもを理解している様な気になっている今現在の僕が忘れてしまった純粋な部分だ。三池崇史はそれを今でも確実に持っている。そこには憧れるしかない。若しくは、影響を受けるしかない。

 不良は素晴らしい。オタクはダメだ。こんな極論でさえ、真実であるかの様に感じてしまう。