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『DOOR III』 '96 彩プロ

監督:黒沢清
脚本:小中千昭
出演:田中美奈子・中沢昭泰・真弓倫子・天宮良・諏訪太朗・大杉漣・長谷川初範


 確かに『神田川淫乱戦争』も『ドレミファ娘の血は騒ぐ』も『地獄の警備員』も黒沢清的な世界観ではあるが、『復讐』シリーズから『CURE』を経て『回路』へと繋がる最近の黒沢清ワールドとは、全く異質なものだ。最近の世界観には、自己の表現方法を確立した事に対する幾らかの自信の様なものを感じ取れるし、また、実際にその表現方法が大きな魅力となっている。一方、前者、つまり、『復讐』シリーズ以前の黒沢清の作風には、模索というか、迷いというか、そういったものが感じられる。コメディ的(或いはパロディ)な要素を盛り込んでみたり、ハリウッドのホラー映画の様な仰々しい演出をしたり。一貫性が乏しく、なんだか実験的な雰囲気を感じてしまう。まあ、勿論、その実験的な要素が魅力でもあるのだが、映画を単純なエンターテインメントとして捉えた時には、些か物足りなさを感じてしまう。

 この『DOOR III』は『復讐』シリーズが始まる一年前に製作されたものであり(『DOOR III』と『復讐』の第一作目の間には『勝手にしやがれ!!』シリーズが二本製作されている)、言わば、黒沢清の転機となったであろう時期に作られたものだ。僕の個人的な意見なのだが、黒沢清はこの『DOOR III』を監督する事によって、独自の作風を獲得したのではないだろうか。

 この作品は、正しくホラー映画であり、「ホラーらしいホラーを撮ってやる」という割り切った様な空気すら漂っている。なんとなくトビー・フーパーやらブライアン・ユズナといったホラー職人の作品を観ているかのような感覚に近い。
 田中美奈子が香水を付ける冒頭からして、何がなんだか解らないが怖い。そして、そのまま“なんとなく怖い”という空気に支配され、その世界が恐怖によってのみ構成されているという事実に気付く。今の黒沢清だったら、その恐怖の理由付けを直接的に表現する事はなく、それっぽいものを仄めかす程度であるのだが、この作品については、恐怖の理由付けをしっかりと説明している。日本のホラー映画では、余り好まれないこの手法を、一切の迷いもなく採用しているのだ。ハリウッド型ホラー映画に近い。黒沢清らしくない。

 黒沢清にとって、この作品が転機になったであろう、という説の理由はそこにある。黒沢清は「ホラー映画らしいホラー映画」を一度作ってみたかったのだ。そして、『DOOR III』を作ったのだが、監督本人としては納得出来なかったのだろう。だから、この作品以降、「ホラー映画らしいホラー映画」を放棄し、現在の黒沢清的な「ホラー映画らしくないホラー映画」というものを選択したのだ。そういう意味では、最も実験的な作品なのかも知れない。

 黒沢清はハリウッド映画が大好きだという。本当は分りやすい映画を撮りたいのでは? なんて事を考えてしまった。でも、やっぱり最近の黒沢清的な作品の方が面白い。と、僕は思う。