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『ドラゴンヘッド』 '03 『ドラゴンヘッド』製作委員会

監督:飯田譲治
脚本:NAKA 雅 MURA・斉藤ひろし・飯田譲治
原作:望月峯太郎
出演:妻夫木聡・SAYAKA・山田孝之・藤木直人・近藤芳正・嶋田久作・根津甚八


 間違いなく“歴史的な駄作”(主観)である原作をどういう風に映像化するか、っていうところにまず着眼してしまうので、なかなかどうして難しいのだろうけど、これまたやっぱり(良い意味での)駄作である。「ノリ勝負」「勢い勝負」「中身がある風なんだけど実のところは全くない」そういう作品。原作のアイディア勝負な駄作っぷりをかなり忠実に再現している。
 物語的には、そこそこ原作を踏襲している。上手い具合に要所要所のエピソードをピックアップし、適当に端折っている。まぁ、それで全てが説明出来ないのは当たり前だし、説明されていないのは原作そのままなんだから、何の問題もないと思う。でも、それっていうのは、あくまでも“原作の映画化”っていう部分での話であって、いざ一本の映画として捉えるとなると、正直言って全然ダメ。単純に「だから何なの?」ってなっちゃう。

 二時間の中で何かメッセージの様なもの、或いは伝えたいもの表現して、そして、ラストを締めくくる、っていうのは映画を成立させる最低限の要素である。若しくは、それを否定し、映画の別の可能性を模索する、というケースもあるだろうが、その場合、それ自体が伝えるものとなるので、それでも成立はする。しかしながら、この『ドラゴンヘッド』では伝えたいものが、一切伝わってこない、というか、表現していない。ただ単にテル君とアコが世紀末的廃虚の中を動き回り、生き続ける様が描かれるだけ。事件も謎の解明もあるにはあるけど、その全てがただ「これはこうなのだ」という事実を描いているだけにしか見えない。決して表面を見せて、その裏側を感受させる様なものではない。表面だけをそれが全てとして描いている。「だから何なの?」。
 主人公のテル君が余りにも「生きる」っていう事に執着してしまうのが、全ての元凶である。「生きる」っていう事は、普段意識される事ではなく、それは目的には成り得ないが、その「生きる」は全ての行為の前提であり、あらゆるものよりも優位である。つまり、「生きる」を意識しまうと、それだけにしか眼が向けられなくなり、その他の全てを捨て去る事になるのだ。「生きる」を意識しないからこそ、いろいろな感情が描かれる訳なのだが、この作品では「生きる」こそがテーマとなってしまったので、それ以外の部分を感じ取る事は不可能となる。人間(特に映画を観る様な人間)にとって、「生きる」とは当たり前の事であり、それはエンターテインメントにはならない。それをエンターテインテントにしたいのならば、真正面から馬鹿正直に「生きる」を描いてはいけないのだ。

 この作品に求めるのは、「生きる」という目的ではなく、「生きる」を目的にしなければならない状況とはどういう状況なのか、という事なのだと思うのだけど、それについては「人間が抗う事の出来ない自然の脅威」という事で片付けている。人間の作り出すものとしては余りにも稚拙で、そのうえ悲観的過ぎる。この「自然の脅威」が設定された時点で人間らしさは放棄される。この世界の中では誰もが平等に、ただ「生きる」という動物的な本能としか付き合えないのだ。つまり、この作品の中の登場人物達は、人間なのではなく、本能で生きる動物なのだ。そういう意味では、とても特殊な作品だから、観るに値するものなのだけど、普通の映画として考えちゃうと、ちょっときびしい。

 原作が連載されていた頃は、世紀末だったし、こういうテーマを描く事にこそ重きが置かれる様な状況だったから、あれはあれで良かったのだろうけど、世紀が変わって結構経って、既に21世紀すらも意識されない今、『ドラゴンヘッド』をそのまま映像化してもねぇ…、ってな感じです。