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『フリーズ・ミー』 '00 ケイエスエス・日活

脚本・監督:石井隆
出演:井上晴美・鶴見辰吾・北村一輝・松岡俊介・竹中直人


 清純派アイドルが歳を喰って、売れなくなって、ヘアヌードになったりVシネで体当たり演技(つまり、濡れ場)を見せたりする、という常套パターンの悲愴感は相当なもので、観ている方が心苦しくなる程に、女優の危機感が伝わってきてしまい、時に観客が罪悪感すらを感じてしまう。しかし、観客がその罪悪感にも似た感情を求めているのも確かであり、そんな悪趣味な欲求を満たす存在としての映画の価値は相当なものである筈だ。千八百円を払って、あの頃好きだったアイドルの乳首を観てやろう、という邪な気持ちで映画館に足を運んだり、ビデオを手に取ったりするのだ。決して間違った映画の観方ではない。至極真っ当な映画の楽しみ方だ。
 ただ、井上晴美には、そんな感情を持つ事は出来なかった。元々セクシー路線のアイドルが満を辞して脱いだとしても、何の価値も見出せない。何を今更、と感じてしまう。これが、井上晴美ではなくて、パードルの米光美保だったら…、などと考えつつこの作品を観た。

 井上晴美の体当たり演技そのものは、やはりはっきり言って特に有り難いものでも何でもなかった。
 まあ、それはいいとして、石井隆はいつまで昭和を生き続けるのであろうか。劇画『黒の天使』から何一つ成長していないのではないだろうか。例えば、冷凍した屍体に「綺麗…」などと言葉をかけるシーン。アナクロ以外の何ものでもない。何の躊躇いもなく使い古された屍体美を表現してしまう石井隆を許すには、相当の心のキャパシティーが必要だ。
 表現云々もかなり古臭いのだが、何よりそのテーマが古臭い。かつてレイプされた男達が再び現れ、女が復讐する。まあ、そのプロットはいいとしても、それをサイコスリラーに繋げる辺りが古臭い。よっぽど出来のいいサイコスリラーでない限り、コピーのコピーくらいに扱われてしまうというポスト・サイコスリラーの時代に、真っ向からサイコスリラーを取り上げるとは、何たる事か。観ているこっちが恥ずかしくなる。

 脚本も演出も時代錯誤である事が、逆に効果を為しているのであれば、納得も出来るのだが、まるで斬新な表現を繰り返しているかの様に、それらのサイコなシーンを全面に押し出しているのが全くもって鼻につく。鶴見辰吾の壮絶な死にっぷりもわざとらしさばかりが浮き彫りになってしまう。また、只でさえ食傷気味の竹中直人の暴力的な演技には、何一つ面白味を感じる事が出来なかった。何の捻りも何の実験性もない。十年遅れてきた映画だ。

 今、この手の作品を撮るのは物凄く難しいだろう。よっぽどでない限り、この作品の様に玉砕する事間違いなしだ。石井隆は敢えてサイコスリラーに挑戦した、というのであれば、幾らか観る部分もあったのであろうが、かつての劇画と何一つ変わりない物語にその“敢えて”を感じる事は出来なかった。石井隆は時代に乗る事の出来ない“天然”だ。