| 『団地妻 不倫でラブラブ』 '00 国映・新東宝 監督:サトウトシキ 脚本:小林政広 出演:横浜ゆき・林由美香・伊藤猛・本多菊雄・さとう樹菜子・川瀬陽太 最強のピンク映画を決定しようじゃないか! と誰かが言い出したのか、将又、誰も言い出していないのかは知らないが、「面白い映画よりも強い映画」というコンセプトの下に開催されたピンク映画バトル『P-1 グランプリ』。その第一回(2000年)のチャンピオンが、このサトウトシキ監督『団地妻 不倫でラブラブ』である。うん、これなら納得出来る。面白い。ちなみに、その大会ではピンク界の大御所・瀬々敬久が新鋭・国沢実に敗れるという喜ばしい波瀾もあった。 かつてのピンク映画では、物語とカラミのシーンが乖離され、唐突に何の必然性もなくカラミが始まる、なんてものが山程あったのだが、エロが目的である、という理由からそこに言及する事もなかったのであろう。勿論、物語とカラミとの融合が完璧なものもあったのだが、その様な作品は、その融合を称された。つまり、カラミのシーンに必然性など必要無かったという事なのである。それが普通だった。或いは、完全にエロ目的で作られていたので、必然性も糞もない、という話も(東映のポルノなんかはそれに近い)。 所謂ピンクヌーベルバーグ以降のピンク映画(特にピンク四天王の作品)は、カラミの部分と物語の部分の融合にかなりの比重を置いていると思われる。確かに、カラミに必然性がある。セックスをするべき場面で、しっかりとセックスをしている。しかし、その必然性を余りに重要視するが故に、その他の物語部分が逆に遊離されてしまう感覚を覚えてしまうのだ。穿った見方をすれば、「本当はピンク映画を撮りたいんじゃなくて、普通の映画を撮りたいんだけど、そこにだけは気付かれないようにしているでしょ? ピンク映画を愛している振りをしているんでしょ?」みたいな。 例によって、と言っては語弊があるかも知れないが、この作品でも、カラミには必然性がある。でも、台詞は全くの必然性が感じられない程に滅茶苦茶だ。台詞は噛み合っていないが、カラミについては完全に作品と噛み合っている。うーん、典型的な現代型ピンク映画…。 しかし、この作品が面白いのは、その“典型的現代型”という点であると思う。 物語の中で、登場人物達が古い考え方を否定して、現代的な考え方(個人主義的な)を主張する。これは、正にサトウトシキ監督の映画(ピンク映画)に対する考えそのままなのではないだろうか。監督の持つ映画に対する主張を、結婚やホモ・セクシャルに対する考え方における旧世代と新世代の対立に投影しているのではないだろうか。つまり、「ピンク映画を軽視するな! もう今は昔と違うんだ!(でも実は一般作品を撮りたいなぁ)」という事。 勿論、どちらの世代が正しいか、なんて問題に答えを出そうとしている訳ではないだろうが、そこに問題意識があるという事はひしひしと伝わってくる。たとえそれが、有り触れた対立構造で、それを語る事すら時代遅れであると思われようとも、そこに問題がある事だけは確かなのだ。サトウトシキは最低限のメッセージとして、この問題意識を設定した。 この映画が面白いのは、“典型的現代型”を提示し、変革を具体的に表現し、解り易い対比を試みたところだ。それなりの作家性とそれなりのシュールさとそれなりのエロスと、必然性の高いカラミ。典型的であるが故に、映画としての面白味が滲み出る。そして、それだけではなく、「どんな映画が面白いのだろうか。映画はどうの様に変わって行くのか」という問題を自然と考えさせられる。作品としての面白さも勿論だが、映画(ピンク映画)という存在(文化)の面白さを感じているのかも知れない。 この作品が『P-1 グランプリ』で優勝した理由は、単に面白いから、というものだけではないだろう。この作品が“映画(ピンク映画)”そのものを象徴していたから、優勝したのでは…。と、些か誉め過ぎの感は否めないが、僕はそれくらいの面白さを感じてしまった。 あと、あんまり関係ないけど、最後にちょろっと。僕は「ピンク映画なのに面白い」とか「ピンク映画の自由度が作品を面白くする」とか、そういう次元の話ではないと思う。この作品はピンク映画だ。というか、ピンク映画はピンク映画。一般映画とは別物だ。って思います。 |