| 『月光の囁き』 '99 日活 監督:塩田明彦 脚本:塩田明彦・西川洋一 原作:喜国雅彦 出演:水橋研二・つぐみ・草野康太・関野吉記・井上晴美 いつもの調子の喜国雅彦マンガであれば、それ程好き嫌いが分かれるという事はないのだろうが、この『月光の囁き』に関しては、好き嫌いがはっきりと分かれる傾向にあると思われる。「ギャグが一切否定されているというギャグ」に嫌悪を示す人はこの作品を受け入れる事は出来ない。一方、ギャグというものを全く考慮しないで、作品を真正面から受け入れる事が出来るのであれば、この『月光の囁き』はとんでもなくエロティックでノスタルジックな魅力に溢れていると感じられるであろう。僕は完全に後者であり、喜国雅彦の作品の中ではこの作品が最高傑作だと思っている。決して、「喜国はギャグじゃないのも描けるんだ」などとは思わなかった。 そんな大好きな作品の映画化であるから、多少の期待は抱いてしまう、というのが常であって、つまらない映画化をされようものなら、怒りが込み上げてしまうって話だ。あのエロい物語をどうやって、映像化するのだろう…。つぐみは紗月をどんなにエロく演じてくれるのだろう…。 そして、出来上がった作品は、なんとも表現しようのない微妙な凡作だった。 水橋研二の朴訥とした雰囲気は決して悪くなかったし、典型的な田舎の高校生然としていて、下手に有名な人気若手俳優を使うよりも全然マシだった。大雨の中、自転車で滑走するシーンなどは本当に駄目な男の子って感じで、とても微笑ましかった。 つぐみも田舎では一番可愛いかも知れないけど、今一つ垢抜けない、という女子高生にしっくりきていて、なかなかのものだった。いつもの体当たり演技は、相変わらずの“やらされてる感”全開で、つぐみの真骨頂とも言えよう。 若い俳優陣や田舎的なイメージはよく表現されていて良かった。しかし、最も大切なものが欠けていた。それは、作品の根幹となるべき「フェティシズム」である。 この映像化において、“原作に対する再現性”が明らかに考慮されている。物語なんてものは、監督や脚本家の思うように書き換えられて然るべきものだ。しかし、この『月光の囁き』は、脚本・設定が原作に忠実であり、物語に監督の作家性を見る事は出来ない。喜国雅彦の強烈な作家性に支配されているのだ。否、作家性と言うよりも、喜国雅彦の持つ独特なフェティシズム。 この作品のテーマは恋愛でも青春でもなく、性行為の中に存在する“フェティシズム”そのものである。そして、その“フェティシズム”を描くには、その素質が不可欠である。喜国雅彦はその素質を十二分に持ち合わせているので、マンガ『月光の囁き』を創り出す事が出来た。しかし、映画監督・塩田明彦にはその素質が無かったのではなかろうか。だから、僕はこの映画に“フェティシズム”を感じ取る事が出来なかったのではなかろうか。 監督の塩田明彦は、この『月光の囁き』の直前に、小学生達の日常を描いた『どこまでもいこう』という作品を監督した。この作品のテーマは解りすぎる程の“ノスタルジー”であった。そして、『月光の囁き』にも“ノスタルジー”を過剰に感じてしまった。これは必然であろう。喜国雅彦の創作のテーマが“フェティシズム”に一貫している様に、塩田明彦の創作も“ノスタルジー”に一貫しているのだ。 “フェティシズム”を考慮しなければ、十分に“ノスタルジック”で面白い作品だ。しかし、『月光の囁き』という物語の持つテーマは“フェティシズム”である事だけは間違い無いので、やはりこの映像化は決して大正解であるとは言えない。面白いけど、認める事は出来ないのだ。 |