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『修羅の極道/蛇の道』 '98 大映

監督:黒沢清
脚本:高橋洋
出演:哀川翔・香川照之・下元史朗・柳ユーレイ


 元々は『復讐』シリーズの続編として作られるはずであったこの『修羅の極道/蛇の道』(劇場公開時のタイトルは『蛇の道』)と次作『修羅の狼/蜘蛛の瞳』(こちらも劇場公開時のタイトルは『蜘蛛の瞳』)である。どちらも『復讐』シリーズの不条理な恐怖を再現しつつ、更に深い領域へと迷い込んでいる。

 もはや黒沢清監督作品に完全にフィットしてしまっている哀川翔が、幾ら不条理な世界で不可解な行動を採ったとしても、そこに違和感を見い出す事は出来ない。哀川翔は完全に黒沢清の世界の住人なのである。それは、ある意味安心できる演技でもあるのだが、一方で物足りなさも感じる。哀川翔のフィルターを通すと黒沢清の世界の異常性を容易く消化出来てしまうのだ。とは言うものの、哀川翔贔屓の僕はどうしても哀川ばかりに目が行ってしまう。
 しかし、この作品ではそれが違った。香川照之の異常性が僕を魅了した。一般の人間でも持ち得る心の歪みを復讐という手段に変換して、静かに爆発させる演技は正に圧巻。そして、その爆発に明確な理由を見出せないまま物語は進み、その不条理極まりない世界観とそれを操る哀川翔に翻弄されるしかなかった。謎解きすらも必要無い程に歪んだ世界は、観客に恐怖を与え、絶望を与え、そして、なにより不安を与える。自分の中にある異常性を香川照之の演技を介して見せつけられているかのようだ。

 黒沢清の作品(特にこのような恐怖感を扱ったもの。『ホラー』とは言い難いが)は、多かれ少なかれ観客に不快感を与えるのだが、その不快感が心地よいものだと知っているが為に、何度も見たくなってしまう。それは、例えばスプラッターホラーにおけるある種爽快とも呼べるような不快感ではなく、とにかく陰鬱で後を引く不快感だ。しかし、誰しもがその不快感を心の奥底に持っており、常にそのやり場を求めているのだ。それを具現化してしまう黒沢清の映像世界は、誰しもが持つ不快感の受け口となる。そして、その不快感が一生終わらないものだと教えてくれるのだ。
 やり場のない不快感を解消してくれると共に、その不快感が終わらないという現実を見せつけてくる黒沢清。心地よくもあり、避けたくもある世界。