| 『唐獅子警察』 '74 東映京都 監督:中島貞夫 脚本:野上龍雄 原作:かわぐちかいじ・滝沢解 出演:小林旭・渡瀬恒彦・賀川雪絵・藤浩子・志村喬・渡辺文雄・誠直也・川谷拓三・安藤昇 対立と差別。社会において普遍的に存在し、その過剰な普遍性の所為で、日常の中で肉体的に感じる事の出来ないものを題材にした作品。構造的な問題がどうだとか、政治的な状況がどうだとか、そういうレベルの問題ではない、もっとプリミティブな部分での問題。つまり、体系的に捉えられるものではなく、感情的、いや、直感的にしか認識出来ないものを扱っている。理性で感じる事は出来ないので、なんだかとてもいやらしい気分になる。本能をくすぐられる様な、エロティックな気分になる作品だ。 腹違いの兄弟、小林旭と渡瀬恒彦。共にろくでなしの父親を恨んでいる。兄は東京でヤクザとして成功。弟は田舎で、厄病神的な扱いを受けながらも生活している。ある日、兄が田舎を訪ねた事を切っ掛けに、二人は再び接近する。弟は、成功した兄を妬み、上京。自ら組を立ち上げ、兄に戦争を吹っかける…。 とにかく基本は兄弟の対立構造にある。兄と弟。都会と田舎。静と動。とても解り易い図式が並べられ、その中でもつれながら、最期へと収束して行く兄弟が描かれる。 都会で成功したヤクザの兄は、常に冷静沈着。暴れる事もないし、言葉遣いも綺麗だし、女を貪る様な真似はしないし、クラシックを聴く。田舎の暴れん坊の弟は、全く逆で、すぐ暴れるし、言葉遣いは汚いし、強姦紛いにしか女を抱かないし、クラシックは聴かない。ごく自然な対立構造なのだが、その裏に隠れているのは、差別である。都会と田舎における差違が、意識的に差別の形として描かれてしまっているのだ。更に、弟のバックに付く大阪の組織の存在がその差別的な傾向を強める。田舎者が都会の権力に騙され、食い物にされて行くのだ。対立構造を端から見ている者が最終的に勝つ。そして、その勝者は都会の権力者である。元来の田舎者である兄も結局は組織に食い物にされるところなんかも、やっぱり差別的であった。 田舎者の持つ“反抗”というプリミティブな衝動と、都会人、そして権力者の持つ“差別”というプリミティブな衝動が、比較的オーソドックスなモチーフの中に散りばれられている。もし、これを意識的に描いたのであれば、もっと説教臭いものになるであろうが、そういう側面はほぼ一切感じ取れないので、これは間違いなく無意識的に露呈されたものだ。観客の観たいであろうもの、つまり、観客がいやらしい心でもって欲求しているものを描いてやろう、というあまりに東映的な感覚を持った作品だ。決して、中島貞夫らしい超絶暴力ムービーではないし、むしろ前半部分なんかは退屈なくらいに動きの少ない映画なのに、心の憶測の原始的な部分をかきむしる。本質的に東映らしい作品である。 そして、クライマックス、兄弟の故郷で繰り広げられる、二人の一騎討ちと、その最期がこの作品を象徴する。ほとんど会話も説明もしないまま、二人は戦う。それは最も単純化された対立構造だ。しかも、その理由付けは自らの命であり、完璧なエゴイズムの対決だ。 そして二人は破滅を迎える。そうすると、中上健次言うところの“路地”の人々が、散った兄弟に差別の目を向ける。非差別的状況の中の差別だ。これ程までにプリミティブでいて、しかも否定する事の出来ない感情はない。それをフィクションの中に焼き付けてしまう、人間の罪深さを感じる。 この作品は面白い。人間の無意識を触発するからだ。そして、エンターテインメントの中にこそ、人間が抗えない究極的な真理が隠されている事を証明する。観客が求めているものは、とても怖い。監督のマスターベーションの方が、特別な感情もなく、単純に楽しめるのかも知れない。 |