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『獣たちの性宴 イクときいっしょ』 '95 国映

脚本・監督:今岡信治
出演:新井総二郎( 岡田智宏)・奈賀愛子・伊藤猛・阿部節子(長曽我部蓉子)・佐野和宏・林由美香


 ポスト『ピンク四天王』的な括りである『ピンク七福神』の1人、今岡信治監督のデビュー作(ちなみに『ピンク七福神』には『ピンク四天王』の全員が含まれる)。人生の目的とか、生きる目標とか、そういうものに一切の重要性を見出せない様な、そんなよくある現代的な若者4人を主役にした群像劇。監督もこれがデビュー作なら、主演の俳優達もこれがデビュー作(伊藤猛以外の3人)という、とってもフレッシュな作品。物語の方も、青臭さに苦笑いをしてしまうくらいのフレッシュさ。
 だって、河原で死体を発見してしまうのだもの。昭和と平成の境界上の『リバーズエッジ』なモチーフがいきなり出てきて、相当困惑させられる。大人になってしまった僕が容易には受け入れられない非現実的なものへの憧憬を見せ付けられて、どうにもこうにも直視し難かったが、妙な爽やかさと非カルチャー的な馬鹿馬鹿しさに溢れた台詞に助けられ、どうにかこうにか楽しむ事は出来た。
 登場人物達が、比較的、というか思いっきりオプティミスティックであるところが心地よかった。変に自殺願望を持ったりされたら、観るに耐えなかった事は間違いないだろう。そうではなくて、亀の甲羅を削って吸ってみたり、ブロンを飲んだりして、ダメな方向へと快楽を追究していたから、説教をしたくはならなかった。やっぱり若者は馬鹿でないと。無駄なチャレンジ精神がないと。理想を掲げていないと。
 この作品の原題は『彗星まち』である。なんともロマンティックな題名であろうか。そして、爽やかである。この原題が示す通り、若者達が彗星に何か特別な力を見い出し、待つ。そして、彗星に願いを込める。
 こういうロマンティシズム、理想主義の様なものをあくまで前向きに捉える事は若者を描く場合、無条件的に効果を為すと思う。大人と若者の二元論を持ち出した時、その決定的な相違点は、現実に対するスタンスであろう。大人は現実にしがみつき、若者は現実を破壊しようとする。勿論、これが完全に一般的な考えであるとは思わないが、そういう解り易い対立構造がある事には違いないと思う。そして、この構造は安心感を与える。特にフィクションの分野におけるこのステレオタイプは相当な安心感を産むもので、その在り来たりさ加減と受け入れ易さ加減には教義的な匂いすら感じる。
 この作品はこの安心感を最大限に利用し、解り易い若者達を描いた。そして、そこに現代的な飽食の時代の無力感を伴わせる事で、“今”を明確に表現した。人生を捨てた様な振りをして、彗星に夢を見る、という矛盾こそが“フィクションの中の現実”であるのだ。
 人生を捨てて自殺する、というのは観るべきものではない。それはただの現実だ。フィクションなのだから、エンターテインメントなんだから、映画なんだから、観るべきものを観たい。その点で、この作品はしっかりと観るべきものを描いている。