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『喧嘩の花道 大阪最強伝説』 '96 ケイエスエス

監督:三池崇史
脚本:NAKA 雅 MURA
原作:二宮清純
出演:矢部享祐・奥田智彦・今村涼子・北村康・タイヘイ夢路・シーザー武士・渡辺二郎


 日本映画学校で先輩後輩にあたる三池崇史と NAKA 雅 MURA のゴールデン・タッグが、日本映画界に殴り込みをかける記念すべき第一作。これはヤバい。物凄く面白い。

 三池崇史は現場で脚本を大胆に書き換えるらしい。一説によると出来上がった脚本の60%くらいしか、再現していないらしい。自らでは絶対に脚本を書かない三池監督ではあるが、結局のところ、物語もほぼ自分一人で作っていると考えても差し支えないだろう。
 そんな訳で、脚本家 NAKA 雅 MURA を堪能したいのならば、三池監督作品よりも宮坂武志監督作品の方が適切であろうと僕は考えている。演出の面白味も勿論重要だが、やっぱり脚本ありきの映画である。脚本が糞だと映画もやっぱり糞になる。NAKA 雅 MURA が優れた脚本家であるという事を認識したいのであれば、所謂“三池的”な三池作品よりも、多少個性が足りないくらいの宮坂武志監督作品の方が好ましいのだ。まあ、つまり、三池監督作品は、誰のものでもなくやはり三池崇史のものなのだ、という事だ。
 しかし、この『喧嘩の花道 大阪最強伝説』については、多少異なる。三池的ギミックを一切使わず(実は三池ギミックを多用し始める以前の作品ではあるのだが)、しっかりと物語を表現している。そこには友情もあるし、恋愛もあるし、親子の愛情だってある。演出に頼らず、台詞によって人間の感情が表現されているのだ。脚本家 NAKA 雅 MURA の魅力が詰まっているのである。
 勿論、喧嘩のシーンはこれでもかという程に登場してくる。しかし、それが単なる暴力表現に陥る事なく、“感情の吐露”としての暴力となっている。利害関係が露骨に現れる暴力はそこには存在せず、ただ青春の1ページとしての馬鹿馬鹿しくも美しい喧嘩があるだけなのだ。スポーツよりもスポーツ的な爽やかさすら感じる。

 この NAKA 雅 MURA&三池崇史の初期の作品を観て思った事は、やはりこの二人が描きたいものは“人間の生”なのだ、という事だ。破天荒な演出の裏に潜んでいるテーマは、常に若者の生き方、或いは、死に方である。自らの進むべく道を模索し、見つけ出し、邁進する。暴力という手段に頼っていたとしても、単に相手を薙ぎ倒すだけではなく、自分の生の為に、或いは、生きる目的の為に、という大前提がある。安っぽい言葉ではあるが、これが“等身大の三池崇史”、“等身大の NAKA 雅 MURA”なのであろう。
 『喧嘩の花道 大阪最強伝説』は、このコンビがまだ駆け出したばかりであった頃の作品である。従って、何の枷も履かされていない本来の二人を観る事が出来る。はっきり言って、解り易い映画の面白さを追究しようとし過ぎている感が否めない最近の二人の作品には感じる事の出来ない、純粋な面白さがこの作品にはある。それは、映画としての面白さというよりも、三池崇史と NAKA 雅 MURA という人間の面白さに近いものなのかも知れない。

 なんて事を書いてはみたが、三池崇史と NAKA 雅 MURA は解り易い映画の面白さを伝える事が出来る、という点が評価に値するのであって、これは全く矛盾した話だ。まあ、この『喧嘩の花道 大阪最強伝説』は単純に物凄く面白い作品だ、って事でお茶を濁したりしてみたり。特に、クライマックスのまんま『ソドムの市』な乱闘一大パノラマは必見。