| 『疵 血の黙示録』 '98 東映ビデオ 企画:安藤昇 監督:梶間俊一 脚本:武知鎮典 出演:木村一八・上野正希子・中野英雄・片桐竜次・渡辺哲・哀川翔・安藤昇 企画は安藤先生なのだが、陣内孝則の『疵』とは全く無関係で、安藤組も花形敬も登場しない。しかも、舞台は北九州。とてもこじんまりとした作品である。 物語は単純だ。対立する二つの組と第三者的立場にある大きな組織。危ういバランスの上に成立している勢力地図を塗り替えるべく、戦争を吹っ掛ける待鳥組(若頭は哀川翔)。それを受けて立つ少数精鋭の餓狼会(親分は木村一八)。しかし、哀川翔と木村一八が親友関係にあり、いつまでも睨み合いが続き…。てな感じだ。 東映実録路線が齎したものは、死のデフレである。末端構成員が簡単に殺されるのは当たり前、幹部クラスでも惜しみなく殺されて行く。抗争の名目の下では、人間の死は余りにも安い。また、映画表現における残虐性を正当化する為には、人間の生命に過剰な価値を与えてはならないのだ。生命がいとも簡単に、そして、残酷に扱われるところに面白味を感じるのは間違いない。これは、正義や悪を超越した部分の話である。人間がいかに醜いものかという事を表現すると、生命は軽視され、残虐性が露になる。それが、実録なのだ。 この『疵 血の黙示録』がこじんまり感じてしまう原因の一つに、生命の価値が高く設定されているという点が挙げられよう。主人公は末端構成員の死を重要視し、浪花節の精神で、抗争に足を踏み入れる。勿論、浪花節的なものはヤクザ映画に必須のものでもあるし、そこを否定する訳にはいかないのだが、その後の抗争の方法が物足りない。『修羅がゆく』の様に、「敵であれば全員殺す」というスタンスであれば面白かった。しかし、ここでは、反目の組の構成員の生命すらも重視し、事務所のガラスを割るばかりで、全くカチコミに行こうとしないのだ。そんなもの抗争じゃない。戦争じゃない。 そのまま抗争する振りだけして、手打ちになってしまうのかと思ったら、そうでもなかった。なぜか、最後の最後で最も重要視しなければならないであろう人物の生命がデフレーションしてしまう。それは、ある種の裏切りでもあるのだが、無理矢理物語に節目を作ろうとしている感が強く、なんだか中途半端な感覚を覚えた。戦争を否定するなら、「全く戦わないヤクザ映画」というのも面白かっただろうに。 企画が安藤先生である事からも判る様に、この作品は「本物が語る本当のヤクザの姿」を現している。おそらく実際のヤクザの抗争は、この作品くらいのテンションで繰り広げられているのであろう。そういう意味では、本当の実録映画なのかも知れない。でも、やっぱり僕が好きなのは東映実録路線の破壊衝動であり、死人の数が映画の面白さを左右してしてしまう。申し訳ないが、本音である。 |