| 『殺し KOROSHI』 '00 ミュージアム 脚本・監督:小林政広 出演:石橋凌・大塚寧々・深水三章・光石研・山本隆司・緒形拳 小林宏一名義で多くのピンク映画の脚本を手掛ける小林政広監督の商業映画三作目。ピンク映画出身であるにも拘らず、申し訳程度にしか挿入されていない、とんでもなくお座なりな濡れ場が失笑を誘う。ピンク映画出身の監督は、どうしてもエロの呪縛から逃れようとしてしまうのだろうか、などと考えてしまった。まあ、確かに裸にならない大塚寧々では、納得のいく様なエロは描けないのではあろうが。 エロはさておき、この作品はとても「色」が印象深い。勿論、エロを意味する「色」ではなくて、文字どおりの「色」である。サム・ライミの『シンプル・プラン』もそうだったが、殺人と雪が複合した世界には、意図しない非現実感とでも表現出来るような感覚に襲われてしまう。真っ白な雪と真っ赤な血の絶対的なコントラストが、それまで触れた事のない世界を如実に表現してしまうのだ。決して、混ざってはいけないものが、いとも簡単に、そして、鮮烈にスクリーンの中で混ざってしまう。それは、禁忌的な美しさのようなものだ。 この作品では、全編に渡って、画面が白い。それは雪の白さだけではなく、例えば、食器も真っ白であるし、牛乳を登場させたりもしているし、ついでに言えば、緒形拳の髭も白い。そして、その白の対照となる赤なのだが、安直に血で表現するのではなく、赤いセーターや赤い車といった無機的な存在によって赤を表現しているのだ。それらの赤は主人公の生業となっている「殺し」を間接的に表し、その鮮やかさと雪国の現実である雪の白との距離感が主人公の不可解な状況を具現化するのだ。また、その距離感は、刹那的な欲望の囚われてしまう男と、現実的な欲望を心得ている女を対照的に表現する。「殺し」に心を奪われた愚かな男とその男を簡単に切り捨てる女。身につまされる。 つまりは、主人公の情けなさとその妻の冷酷さが、男である僕にとってとても痛々しく感じてしまった、という話なのだ。鮮烈で激情的な「赤」よりも、落ち着き冷たい「白」の方が何十倍も恐ろしい。この映画は男性にとても厳しい。この主人公を自らに投影してみようものなら、思い出したくもない過去が蘇ってきそうな、そんな厭な感覚に襲われてしまう。兎に角、へこまされた。 最終的に強者となるのは、欲を満たそうとしていた男ではなく、現実を見据えていた女だった、というケースがピンク映画によく見られる。この『殺し KOROSHI』もその類いである。男の純粋な欲望は、女の現実感には勝てないのであろうか。そもそも、ピンク映画をエロ目的で観ている、という時点で、男が女に勝てる気がしない。 |