| 『修羅の狼/蜘蛛の瞳』 '98 大映 監督:黒沢清 脚本:西山洋一・黒沢清 出演:哀川翔・ダンカン・大杉漣・寺島進・菅田俊 前作『修羅の極道/蛇の道』と同様、『復讐』シリーズの続編として作られるはずであった作品。主人公である新島は名前こそ前作『修羅の極道/蛇の道』と同じであるが、別人であるのだろう(この辺りは明確にされていない)。否、そんな事はどうでもいい事なのかも知れないが。 それにしても、黒沢清は簡単に人を殺してしまう。ヤクザ映画ですら鉄砲玉は様々な葛藤を持っているものだ。しかし、黒沢の世界では一般人がいとも簡単に拳銃を弾き、人を殺める。それはまるで登場人物に心がないかのように。 と、黒沢清の映画について書くと、毎回同じような内容なってしまいがちなので、今回は全く別の切り口で考えたい。 今回はダンカンが出演している所為で余計に感じた事なのかも知れないが、黒沢清と北野武は似ている。ミニマルな台詞、過剰な暴力、静かな狂気。ハリウッド的な解り易いエンターテインメント性と伝統的な日本映画のフォーマットを否定するかのような演出方法は、新たな映像表現の可能性を示唆するものである。実際、北野監督の『HANA-BI』がベネチアでグランプリを取り、黒沢監督の『回路』がカンヌで批評家賞を取った訳であり、この二人が日本映画を牽引するであろう事は容易に想像できる。 僕は『その男、凶暴につき』が北野監督の最高傑作で、その後の作品は徐々にトーンダウンしたと考えている。最も狂気をプリミティブに表現していたのが、『その男〜』であり、その後の作品は狂気をエンターテインメントへと昇華させる事で評価を獲た、というのが僕の考えだ。もちろん、エンターテインメント性がある事は否定されるべきものではないが、その他の作品に埋もれてしまう可能性が上がるのも確かである。その点、黒沢清は人間の狂気をエンターテインメントとして表現せずに、恐怖という形で表現しているので、他の作品とは確実に差別化されている。同じ狂気を扱った二人の監督であるが、その表現方法の違いによりしっかりと個性は発揮されているのだ。 ちなみに、狂気という点だけで考えると、北野作品の『みんな〜やってるか!』が最も狂っている。コメディーとしては失敗だったかも知れないが、その狂いっぷりは群を抜いている。その不条理な世界は黒沢清のそれをいとも簡単に凌駕する代物だ。 この『修羅の狼/蜘蛛の瞳』を北野作品に例えるならば『Kids Return』であろうか。狂気そのものよりも、人間と人間の関係を描いた作品なのだ。その関係性の裏側に見え隠れする狂気は、より一層日常性を帯び、それまでの黒沢作品にあった不条理よりも、むしろ、身近で当たり前のもののように感じてくる。観終わった後に、なぜか心が安らいだのは気のせいではないだろう。 |