| 『人斬り与太 狂犬三兄弟』 '72 東映東京 監督:深作欣二 脚本:松田寛夫・神波忠男 出演:菅原文太・田中邦衛・三谷昇・渚まゆみ・渡辺文雄・今井健二・室田日出男・内田朝雄 『一匹狼 vs 組織』という図式を描くヤクザ映画は数多くある。前作『現代やくざ 人斬り与太』は、正にその傑作であろう。『人斬り与太』シリーズ第二弾となるこの作品も、『一匹狼 vs 組織』という図式こそ踏襲してはいるが、その方向性は全く違う。前作の様な、一匹狼の格好良さは描かれていない。こちらの一匹狼は、とてつもなく格好悪い。そして、強くもない。ただ馬鹿で、狂っているだけだ。 組織に楯突くヤクザは、それを黙認されるだけの実力が必要だ。組長の絶対性を保ちつつも、組織にとってその狂犬を自由にさせる事で獲られるメリットがなければならない。例えば、敵対する組織に対する牽制であるとか、ただ単にその狂犬がヤクザとして誰しもが認める器であるとか、そういう理由があるのだ。でも、この作品の狂犬・権藤(文太)は、残念ながらそれ程までに男らしいヤクザである訳でもないし、折角バランスの取れている敵対組織との関係を壊そうとすらする。その上、狂犬三兄弟がする事と言えば、強姦紛いの売春稼業で、決して誇れる様なものではない。田中邦衛は実の親にたかるし、足の悪い実の弟をぶん殴るし、三谷昇は蛇でもって盆を荒らすし。格好良いヤクザというよりは、人間のくず、社会のダニとしてのヤクザでしかない。 主人公達がそんなんだから、物語は全然締まらない。狂犬達が暴れようが何しようが、彼等に絶対的な強さがないので、何か大きな事が起きそうな空気が一切なく、緊張感は皆無。弛緩しまくる。 その弛緩に拍車をかけるのが、渚まゆみ。例によって、無理矢理パンスケにされてしまうのだが、今回は処女で無口(台詞は「ああっ!」だけ)。純粋無垢なイモねえちゃんなのだ。文太に食って掛かり、全裸で夜の街を逃亡する、というびっくり満点なシーンこそ、その狂いっぷりを発揮するが、それ以外においてはほぼ動く事もなく。イモ空気を充填させるばかり。これはこれで違う意味での緊張感を出しているのかも知れないけど、通常のヤクザ映画でのそれとは全く逆のベクトルであるので、ヤクザ映画としてはどうしても弛緩してしまう。 そんなヤクザ映画らしからぬ空気の中、物語は抗争へと進むのだが、やはりその軸となるのはヤクザ映画的戦いの論理の上に成り立つものではなく、人間と人間の関係性の上に成り立つものであった。友情や愛情に近いものだ。特に、田中邦衛の最期などは、ヤクザ映画的なそれではなく、むしろ青春イライラ系映画の様なもので、その裏切りはものすごく気持ちが良い。ヤクザ映画としての弛緩を全て拭い去るだけの強烈さを持ち合わせたものだ。そして、ラストのラスト、渚まゆみがラーメン屋でラーメンを啜りながら字幕が出るところなんかも、ヤクザというテーマを完全に軽視し、文太とまゆみの関係性だけが抽出されたものであり、これもまた気持ちの良いものだ。 更に、この狂犬三兄弟の死体の描き方も、気持ち良い。主人公の死であるから、美学的な様相を呈しても良いのだろうが、そういう感じは一切ない。死体は本当に凄惨に、そして汚らしく描かれる。彼等の犯した幾つもの罪を肯定しない事を表す。 まるで、ヤクザを真っ向から否定した様な作品に思えてくる。いや、むしろ、そういう事なんだと思う。伝統的仁侠映画に対して疑問を抱いていた深作欣二の素直な気持ちが表現されているのだろう。 この作品の次に採られたのが『仁義なき戦い』。この作品で素直な気持ちを表現したからこそ、実録路線という形でヤクザの暴力を客観視する事が出来たのではないだろうか。“リセットボタン的”大きな区切りになった作品だ。 |