| 『ナマタマゴ』 '02 つんくタウンFILMS 監督:久保田哲史 脚本:いずみ吉紘 出演:飯田圭織・矢口真里・後藤真希・辻希美・おかやまはじめ・平尾良樹・山崎裕太・矢沢心・檜山豊・風間トオル・仲本工事 フジテレビで放送されている深夜番組『つんくタウン』。この番組は一億円を駆使して、様々な映画を製作しようというものであり、今まで『東京★ざんすっ』や『GO-CON!』などといった作品を製作してきた。そして、今回の『ナマタマゴ』も同番組内企画の一環である。 この『ナマタマゴ』は通常の配給形式を採っておらず、地方自治体の運営する公民館や市民会館での限定上映となっている。また、この形式は「マイタウン デジタル映画 プロジェクト」と呼ばれており、一つの街おこし的な意味合いも持っている。 作品を取り巻く環境はさておき、作品自体なのだが、意外と、と言っては失礼かも知れないが、十分に楽しめる作品であった。 確かに、4:3の画面には違和感を感じたし、デジカメで撮られた映像は安っぽく感じたし、また、おそらくテレビのハイビジョンと同じ形式であろう妙に鮮明な映像は決して映画的ではなかったのだが、物語だけを抽出してやれば、その違和感をも許せる程によくできたものだった。端的な言葉で表現すれば、「泣ける」作品だった。 映画というものは、善くも悪くも監督の独裁であり、監督が思うように好きなシーンを好きなように撮る事が出来るものである。現場で脚本を書き換える事だって、監督には許されているし、主演の俳優を物語の中盤で殺す事だって許されている。もっと言ってしまえば、物語とは関係ないシーンを撮る事だって、監督には許されているのだ。 しかし、テレビドラマでは話が変わってくる。テレビドラマに求められているものは、演出家の作家性ではなく、単純に物語としての面白さ、そして、出演している俳優のキャラクターである。従って、演出の中に、演出家のエゴイズムを露呈させる事は決して許される行為ではないのだ。勿論、それを許されている演出家もいるのだが、そうなるには演出家の名前だけで視聴率が取れる程の権威と信頼が必要となる。 この『ナマタマゴ』の監督である久保田哲史は、映画の世界の人間ではなく、テレビドラマの演出家である。しかも、フリーの演出家ではなくフジテレビの人間だ。この作品が演出的に稚拙に思えてしまう事は仕方ない事である。この作品に“映画”を求めてはいけない。だから、やっぱり、ショボい映像も安直な台詞も個性のない演出も許容しなくてはならないのだ。 五つの物語が平行して展開され、最終的に収束する。というのが、この作品の構成だ。解り易く言えば『マグノリア』である。昔から一つの手法として映画の世界では採用され続けたこの形式には、安心感のある面白さと、人間的な、或いは、社会的な構造の縮図を感じる事が出来る。 社会生活というものは、常に色々な事象が同時進行されているものであり、自分が今食事をしている一方で、どこかで誰かが風呂に入っていおり、また、どこかで違う誰かがセックスをしているのだ。本来、一つの時間軸の上でしか、物事を表現出来ない“映画”というメディアの中では、その同時進行を無視し、ひとつのトピックを抽出する事で、物語を成立させる。そのような物語にとって、物語そのものと関与しない事柄は全く無意味なものとされ、その存在そのものも否定されてしまう。この場合、観客はある登場人物に感情移入をする。ミクロの視点である。 『マグノリア』的な物語では、同時進行というものにスポットを当てられ、一つ一つの物語を特化させる事はない。観客は、幾つもの物語を傍観する訳であり、決して、誰かに感情移入する事はなく、その視点は神の視点に近い。マクロの視点だ。 しかし、勿論、物語であるという事には変わりがないのであるから、完全なる同時進行を表現する筈もなく、最終的に全てが繋ったり、どこかに収束したりする。観客はその収束の時に初めて、その物語に身を入れる事が許され、そして、心を動かされるのだ。つまり、神から人間へと変容する過程を体験しているのである。 社会の外側から見た社会を感じ、その後にそれまで自分が身を置いていた社会に復帰する。観客は自己を客観視し、社会を、そして、自分を見詰め直すのだ。『マグノリア』的な作品では、物語そのものによって感動しているのではなく、自分を見詰める事によって心を突き動かされているのである。社会の構造と、人間という存在を間接的に感じる事を強いられているのだ。 『ナマタマゴ』の物語が始まるのは、開始六十分後くらいからであろうか。点と点が繋がるまでは、そこには物語はなかった。社会が存在していただけだ。そして、僕は神となってその社会を傍観していた。 点と点が繋がった瞬間、僕は物語の中に入る事を許された。物語が繋がった快感よりも、僕は社会に身を置いているのだ、という実感の方が強く感じられた。傍観する事の許されない厳しい現実が僕を支配している。そして、スクリーンの中で涙を流すモーニング娘。達の厳しい現実に初めて感情を預ける事が出来た。 |