| 『ニンゲン合格』 '99 大映 脚本・監督:黒沢清 出演:西島秀俊・役所広司・菅田俊・りりィ・麻生久美子・哀川翔・洞口依子・大杉漣・鈴木ヒロミツ 乱雑に積み重ねられた廃棄物。投げ付けられるゴミ袋。燃やされ続ける廃材。いとも簡単に捨てられる十年間の歴史。全てが要らないものだ。 とにかく、ゴミが印象的な作品だ。常に画面の端々にゴミが映り込み、人々はゴミの中で日常を繰り広げる。例によって、一切の台詞による説明を省いた黒沢清の演出は、映像に対する依存度を高め、只でさえ象徴的な“ゴミ”というものは、幾つもの事象を過剰なまでにメタフォリカルに表現する。 全てが“ゴミ”によって表現されている、と思えてしまう程にゴミ塗れの世界の中で、唯一自らを“ゴミ”に頼らず“ゴミ”として認識しているのが哀川翔演じる加崎である。加崎は「よく他人から『目障りだ』って言われるんです」と言い放ち、「僕は目障りですか?」と繰り返す。更に「目障りなぐらいが楽です」と続ける。何かを悲しんでいる訳ではなく、寧ろ、自信ありげに、自らを“ゴミ”化させる。“ゴミ”が単なる要らないものではなく、人生にとって必要不可欠な要素であるという事をただ一人知っているかのような顔をして、自らを“ゴミ”だと言い放つ。自分が“ゴミ”であるという事が、まるで最高の処世術であるかの様に。 十年間の昏睡状態からの覚醒。そして、社会復帰。という人間の根源に関わる様なテーマの作品ではあるのだが、実際には、その部分に直接触れられている訳ではなく、淡々とした描写が続く、余りに黒沢清的な作品だ。その中で、唯一そのテーマに触れているであろう存在が、加崎なのだが、物語に影響する事なく自ら身を引いてしまい、何もかもが有耶無耶にされてしまった。それを残念な事だ、と一概に言い切れないところがまた、黒沢清的であり、そこは確かに興味深くもあるのだが、物足りなさも感じてしまう。ただ、この様な、所謂深読みというものを観る者に強要するという部分が、ひとつの魅力である事も確かであり、解っていても、色々と考えてしまう。正直、黒沢清という映画監督が結構な具合に好きな僕なので、多少の投げやり感も許せてしまう、という側面もある。 ふと、思ってしまったのだが、「十年間の昏睡状態」というものには余り意味がないのではないだろうか。黒沢監督の頭の中に、冒頭に主人公の豊(西島秀俊)がベッドから落ちるシーンの映像が最初にあって、それを具現化する為に「十年間の昏睡状態」という設定が産まれたのではないだろうか。そして、最後の絶望を描く為に主人公の欠落が必要であったのではないだろうか…。 まあ、この説が正しいかどうかは解らないし、多分、間違っているのだが、余りに“ゴミ”が強調される映像には、何かが欠落した人間に対する悪意が感じ取れてしまい、「そんな筈はない!」と「十年間の昏睡状態」に別の理由付けをしたくもなるのだ。黒沢清が解り易い物語を作る監督であれば、こんな事にはならなかったろうに…。いや、でも、解り難いから面白いっていうのも、事実。 |