| 『おしゃぶり天使 白衣のマスコット』 '00 新東宝 監督:榎本敏郎 脚本:井土紀州・榎本敏郎 出演:川瀬陽太・横浜ゆき・林田ちなみ・奈賀毬子・長曽我部蓉子・秦国雄・伊藤猛 人生が運命だけによって決められているのだったら、それほど楽なものはない。ただ大きな流れに身を任せているだけで良いのだから。何一つ能動的に動かなくても、全てが行き着くべき場所へと向かっているのだから。生きる事も死ぬ事も全てが必然。何もしなくてもなる様になる。 と、考える看護婦(横浜ゆき)の虚無感が妙に心地よい。現実にしがみつき、欲望のままに生きる同僚達が馬鹿に思えてくる程に、完璧なエンプティーだ。真空こそが理想だ。 一方、現実を捉えずに、ただただ浮遊するだけの医師(川瀬陽太)は、激しく現実的である。それは唯物的であるという意味ではない。やっている事は看護婦と何ら変わりがない。しかし、そこに意志も理想もなく、未練と後悔がある。そして、逃げ道を探している。全てを受け入れるしかない、という事を理解している筈なのだが、それを見て見ぬ振りしているのだ。 医師と看護婦という人間の生死に携わる職業であるからこその、運命論であろう。自らの意志によって、他人の生死を左右出来る立場であるからこそ、運命論によって全てを説明させようとしているのだ。責任の所在を有耶無耶にしようとしているのだ。 ところが、医師は自らの手で愛人を殺めてしまい、そこで何かを悟る。人生に答えを出す。そして、医師を辞める。全てをリセットし、運命に身を任せる。 この作品は、現実的な事象と理想との間に生じる軋轢に関するドラマだ。自らの明確な意志を持つ事が、運命という究極に対していかに無力であるか、という事を人間の生死を通して描いている。しかし、結局は犯罪という現実に、その運命も抗う事が出来ないという、矛盾に収束する。なる様になったとしても、現実はそれを受け入れてくれない。意志を持った人間という存在が、意志の介在しない運命に身を任せる事の矛盾だ。 おそらく、現実と運命のどちらが優位であるかという問題ではないのだろう。或いは、意志を持つ事と運命に任せる事のどちらが正しいかという問題でもない。日常の断片にはそのどちらの側面もあり、常に揺れ動いているものなのだ、という事なのかも知れない。それは、ちょうど医師と看護婦の関係の様に。 自らの意志で自らの生死を制御する事によってこの物語は終焉を迎える。それは、この物語の全てを覆すものだ。つまり、結局何も解決していないし、何も伝えていない。単なる矛盾の物語だった! 現実的な世界を描く前半と性急にセックスばかりをする後半のコントラストが、迷走する医師と看護婦の情況を象徴している。ラストシーンを「運命」と捉えれば全てに答えが出るのかも知れないが、医師と看護婦の理想が完全に入れ替わってしまっているところを観ると、やっぱり運命ではなかったのかも…。(うーん、ピンク映画は面白いけど、こ難しいなぁ…) |