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『完全なる飼育』 '99 東京テアトル・丸紅

監督:和田勉
脚本:新藤兼人
原作:松田美智子
出演:竹中直人・小島聖・北村一輝・沢木麻美・塚本晋也・泉谷しげる・渡辺えり子


 あの気持ち悪い和田勉の初監督作品かぁ、それにしてもとんでもなくエロい題材だなぁ、などと思いながら観ていたのだが、調べてみたところ陣内孝則主演の『ハリマオ』が和田勉の初監督作品で、ああ、そう言えばそんな糞映画もあったなぁ、なんて事を思い出した。
 というのはどうでもいい話で、この『完全なる飼育』について。どうやらあまり評判の良い映画ではないようなのだが、個人的には結構好きな作品である。勿論、このエロさは好印象の原因の一つである。また、北村一輝、沢木麻美といったVシネマ常連の俳優が出演しているという事も僕にとっては嬉しい要素である。

 この作品の見どころとして、まっ先に挙げられるのは、小島聖の体当たり演技であろう。アイドル女優から本格派女優への脱皮を図るべく、あられもない肢体を中年男性に貪らせるという偉業に打って出たのである。それは十分な話題性を作り、またエロティシズムという最もシンプルでプリミティヴな観客の欲求を満たす事となる。どうしても、この部分に目が行ってしまうのだ。そして、監督の意図も少なからずそこにあるという事も伺える。
 このような作品は、例えば『ハンニバル』のように「純愛」というキーワードがその裏に潜んでいるケースが多いのだが、この『完全なる飼育』については、その「純愛」をテーマに据えているような振りをして、実は単なる下世話なエロを描きたかったのではないだろうか、という疑念に駆られた。つまり、芸術的なエロスに対するアンチテーゼなのではないだろうか。

 所謂ピンク映画というものは、幾らかの芸術性・実験性を持ち合わせている作品が多い。ピンク映画は基本的に商業作品ではなく、実用性を求められるものであるから、観客にとってストーリーや映像は関係なく、エロい描写があるかないかという事が問題となる。それは同時に、エロい描写を作品の中に入れさえずれば、その他の部分は監督の思うままであるという事でもあり、実際に監督はピンク映画の中で好きな事をしているのだ。従って、ピンク映画は妙に芸術的であったり、実験的であったりする。ピンク映画の主題はエロではない。
 これが、商業映画の範疇に入ってくると、エロの要素は緩和され、そこに娯楽性という要素が加えられる。この娯楽性は芸術性や実験性との共存を拒むものであり(共存も可能であるが、その実現はそう簡単なものではない)、必ずしも監督の思うままに事が進む訳ではなくなる。よっぽどの大物監督でない限り、監督の意図こそが主体になる事はなく、多くの場合は作品そのものが主体であるのだ。

 和田勉は決して、大物監督ではない。商業映画の中でエゴを発揮する程ではない。従って、この『完全なる飼育』は過剰に芸術的でも実験的でもなく、単なる娯楽映画であると言って良いだろう。テレビの世界で俗物的なものに触れ続けてきた和田勉はそこを十分に理解しているはずである。面白い作品が持つ、単純な娯楽を知っているはずだ。だからこそ、和田勉はエロを描いた。そして、その隠れ蓑として「純愛」のようなものをテーマに置いてあるかのような振りをしたのだ。つまり、ピンク映画の方法論とは全く逆の方法論であり、この作品の面白い部分はエロに隠れた「純愛」や和田勉の作家性ではなく、「純愛」に隠されたエロい描写そのものなのだ。これこそ完全なるピンク映画だ。

 やはり実話がベースとなっている作品であるから、登場人物の欲望に現実感があって当たり前である。物語そのものが俗物なのである。その完全なる俗物を俗物根性丸出しの和田勉が描くのであるから、こちらもこ難しい観点を放棄したくなってしまう。だから僕は単純な欲求であるところのエロに注目した。そして、単純に楽しむ事が出来た。