目次

『歯科医』 '00 ギャガ・コミュニケーションズ

監督:中原俊
脚本:及川章太郎
原作:勝目梓
出演:遠藤憲一・金谷亜末子・井上彩名・上田耕一


 『櫻の園』で90年度の映画賞を総なめにし、つづく『12人の優しい日本人』でフランスのオルレアン映画祭金の百合賞(グランプリ)を受賞した中原俊も元々はピンク映画出身の監督である。その中原監督が久々に究極のエロスを描いた作品がこの『歯科医』である。71分という上映時間からも、この作品がピンク映画のフォーマットを踏襲した作品であろう事が伺える。

 元来「エロス」とは、性的な快楽に因るものではなく、生殖本能に因るものである。種の保存を目的とした性行為に対する根源的な衝動を表す言葉であり、性行為に附随する快楽に対する衝動を表したものではない。しかし、本能による制御の箍が外されてしまった人間にとっては、本能的行動である性行為に旨味を与える効果の一つである「快楽」の部分こそに目的が据えられているのだ。「理性の箍」という表現がしばしば使われるが、それは全くのパラドックスであり、本来的には本能の方が生物を制御するものである。人間は本能を理性に置き換える事で、神の見えざる手による制御から放たれたのだ。
 生殖本能に対する生的な衝動であるエロスに支配されている動物であれば、その方向性は常に「生」に向かっており、決してそこから「死」に至る事はない。しかし、人間のエロスは快楽に対する衝動であるが故に、その方向性は必ずしも「生」に向かっている訳ではなく、時として「死」を求める結果をも産み出す。サディズム、マゾヒズムは正にその典型例と言えよう。また、生殖行為の根本的な否定でもあるネクロフィリアやペドフィリアもその類いである。ここでは生きる事、種を残す事に対する本能は影を潜め、快楽の追求という理性的な行動のみが存在している。完全なる随意行動である。

 この『歯科医』では、動物的なエロスは全くと言って良い程描かれていない。この世界に存在するのは、人間が求める快楽の究極的な形であり、そのベクトルは「死」のみを目指している。「死」のみによってなされる永久なるオルガスムの焼き付けを目的としているのだ。性行為の根源的な目的である種の保存を真っ向から否定し、本能に由来しないタナトスに身を任せている。理性を介したエロティシズムは「死」によって初めて実体化される。

 エロスを完全に排除し、快楽の追求というタナトスのみをより人間的(つまり理性的)に表現した事によって、無駄な贅肉がそぎ落とされた感がある。愛故の快楽はタナトスへと昇華され、遂には愛すらも無意味になる。作品全体に醸し出される淡々とした無機的な空気が、逆説的に人間の理性が持つ欲深さを露呈させ、観る者は理性的な快楽ヘの衝動を駆り立てられる。理性は恐ろしいものだ。