| 『新幹線大爆破』 '75 東映東京 監督:佐藤純弥 脚本:小野竜之助・佐藤純弥 出演:高倉健・千葉真一・山本圭・織田あきら・宇都宮雅代・志村喬・渡辺文雄・竜雷太・藤田弓子・丹波哲郎・宇津井健 東映東京撮影所が総力を挙げて製作した、アクションパニック超大作。ヤクザはひとりも出てこないけど。なんと言っても、出ている俳優陣が豪華。上に名を連ねているメンバー以外にも、邦衛、北大路、川地が特別出演で、多岐川、志穂美、千葉治郎、なんかがチョイ役で出ている。そこら辺を探し回るのも楽しい。でもって、上映時間も2時間半を超えているし、タイトル通り爆破シーンも気合いが入っていて、超大作の名に恥じない正統派の作品だ。 新幹線ひかり109号東京発博多行きに、仕掛けられた爆弾。時速80kmを下回ったら爆発するというその特殊な爆弾を巡る様々な人間模様…。犯人グループのリーダーは高倉健。新幹線の運転手は千葉真一。管制塔の司令官は宇津井健。 はっきり言っちゃうと、冒頭、爆弾が仕掛けられている事が発覚してからの数十分が退屈。運転席も管制塔ももっともっと思いっきりパニックになって良い筈なのに、全然ならないで、でも千葉ちゃんなんかは汗だけ異常にかいてたりして、なんだかおかしな空気が漂っている。汗かく前に狼狽えなきゃ、なんて思って観ていたんだけど、いつの間にかガッツリ引き込まれてしまうんだから、こりゃあ完敗です。ちょうど犯人側のエピソードを描き始めたくらいから、引き込まれて行く。 この作品は、犯人側、警察&国鉄側、そして、新幹線内部、この3つの場面を代わる代わる描いていて、それらが互いに交錯する事はない。つまり、高倉健と千葉真一が同じ画面に映り込む事がないのだ。だから、観る者は無意識的にそれらの3つを区別して感じ取る。勿論、物語的にはそれらを同じ軸の上で捉えているのだが、物理的接触がないという決定的な要因によって、3つのストーリーは乖離されるのだ。むしろ、こういうのって、乖離されるべきなのだと思う。そして、この作品は、その乖離が上手く運んでいたから、面白いのだと思う。3つのシチュエーションそれぞれの人々の思惑をほぼ完全に理解する事が出来るのだ。誰かが善で誰かが悪だ、などという二元論的な押し付けがましさが一切ない。だから、観客は自由に観る事が出来る。こんな嬉しい事はない。 冒頭部分が退屈に思えたのは、犯人側の視点がまだ描かれていないという要素によるものであろう。物語にとって絶対的に必要な要素が抜け落ちている段階で、この作品に入り込む事が出来なかっただけなのだ。 逆に、冒頭部分で作品に入り込めてしまうと、犯人側のストーリーに面白味を感じる事は出来なかった、という側面もある。例えば、ハリウッド的パニックムービーにおける強固なヒロイズムでこの作品を描いていたのであれば、宇津井健と千葉真一の努力と友情だけで、全てが成立する。高倉健は単なる悪者であればいい。でも、この作品がそういうものではないという事を、冒頭の退屈さが説明するのだ。ハリウッドらしい一方的なヒロイズムを否定し、ニュートラルな視点で事件を描いているからこそ、3つの要素全てを平等に観る事が可能になり、更にどれかに感情を移入する事が出来る。もしくは、どれにも肩入れせずにもいられる。物語の結末は、決して平等なものではないが、最高のバランスが保たれている作品だ。これもやはり、自由度が高いという事である。 名を連ねる大物俳優達の演技は、皆が皆、控え目だ。あの千葉ちゃんですら(職業が職業なだけに)暴れる事はない。高倉健はパブリックイメージ通りの不器用さであるし、宇津井健は実直そのもの。それぞれの存在感は結構なものだけど、こう控え目に演じられると、面白いものも面白くなくなりそうなものだが、そういう気配は一切ない。この3人も誰もが突出せず、狂う事なく、淡々と物語(事件)を進めてくれるから、でかすぎるくらいのスケールの話でも成立するのではないだろうか。千葉ちゃんの破壊的なパワーで事件が解決していたのであれば、この物語の本質は損なわれた事であろう(まぁそういう話だったとしても、それはそれで面白いに違いないけど)。やっぱりこれもバランス。そして、贅沢さ。超豪華な俳優陣を使って、物語を丁寧に描いた、という事だろう。良い脚本だったらキャストが弱くても面白くなる、なんていうのは単なる言い訳。良い脚本だからこそ強いキャストを使う、というのが映画の醍醐味であり、また最高の贅沢なのだ。 アクション大作は今でもそれなりに製作されている。でも、どれもこれも織田裕二って感じ。似た様な映画にお金を掛けて、安定した収益を狙うのも良い事だと思うけど、そういう作品は、観客の自由は完全に奪われる。観客に自由を与える最高のバランスを持った“超大作”が観たい。新作で。 |