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『昭和歌謡大全集』 '03 共和インターナショナル・バンダイビジュアル

監督:篠原哲雄
脚本:大森寿美男
原作:村上龍
出演:松田龍平・池内博之・斉藤陽一郎・村田充・近藤公園・安藤政信・樋口可南子・岸本加世子・森尾由美・細川ふみえ・鈴木砂羽・内田春菊・原田芳雄・市川実和子・古田新太


 気の違った若者とおばさんの壮絶な殺し合いを、数々の昭和のヒット曲にのせておかしなテンションでお送りする、クライム・コメディ・ムービー。正常な人間はひとりも登場しない。正常な会話は一切登場しない。完全なる気狂い映画。

 全体を覆う狂いっぷりを原作のテンションそのままに描こうとしているのは、充分に伝わるのだけど、ただ単に「こういうお話なんですよ」的な感じが強くて、狂ったエピソードが垂れ流されるばかりだった。原作の狂いっぷりは、あくまで“地の文”の上に成り立つものであり、第三者の目による描写であったから、正常と異常との間にある厚い壁が無意識的に認識できるものだったんだけど、“地の文”のない映画となると、正常を表す部分が存在しないので、何が正常で何が異常だか分からなくなる。全員が異常だと、それが当たり前に見えてくる。だから、おかしくもないし、珍しくもない。全てが当たり前の物語でしかなくなってしまう。
 原作を読んでいて、目の前に浮かんでくるものは、登場人物達の姿ではなく、「どう? 面白いでしょ?」とニヤついている村上龍の暑苦しい姿である。つまり、イシハラ(松田龍平)もスズキミドリ(樋口可南子)も村上龍の面白さを描く為の媒介でしかないのだ。主人公は村上龍でしかない。
 しかし、勿論ではあるのだが、映画に村上龍は登場しない。作品の主体そのものが消失する。その代わりに、松田龍平が主人公となり、その視点を観客に強要する。こっちは気狂いではないので、全然理解できない。「ああ、そうですかぁ」とシラーっとした気持ちになってしまう…。
 かといって、村上龍の“地の文”的を登場させるような描き方をされても、この作品は面白くはならなかったかも知れないけど、どうにかして正常な部分を登場させないことには、若者とおばさんの戦いが浮きだってこなかったのではないのか。気狂い共に異常者扱いされる、市川実和子の短大生あたりが、おそらく正常者として描かれてもよかったのではないか。そうすれば、狂った殺し合いが当たり前の茶番には見えなかっただろうに。
 あと、ほぼ一切が原作を忠実に描いているといのに、ラストが違っていた、というのはどういうことなんだろう。その意図が全く伝わってこないのが、どうも気持ち悪い。

 最高に狂わせたつもりだったんだけど、そこに広がるのは箱庭の世界だけであって、決して正常な人間が楽しめるような代物ではなかった。ラストに手を加えるんだったら、思い切って夢落ちにでもすれば良かったのに…。