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『修羅雪姫』 '01 「修羅雪姫」製作委員会

監督:佐藤信介
脚本:佐藤信介・国井桂
出演:釈由美子・伊藤英明・佐野史郎・真木よう子・長曽我部蓉子・六平直政・松重豊・塚本高史・沼田曜一・嶋田久作


 ヒロインは処女でなくてはいけない。というか、処女でなければヒロインにはなれない。いや、処女の間だけヒロインであることが出来る。
 よっぽどの強い性欲の持ち主(人を殺さないと勃起しないくらいの)でない限り、日常的な殺人と共に生活をする事など出来ない。他人に対する何らかの感情がある人間であれば、他人を殺めるという事が決して許されないという事を何となくでも理解出来る。もし、殺人を犯すとしても、他人に対する何らかの感情がその動機となっている。つまり、究極的な非日常である殺人に一切の罪悪感を持たないという事は、常人にとっては有り得ない事で、日常的な殺人を犯すのは常人ではない。他人に関する感情が完全に欠落した人間だけが日常的に殺人を行う。
 雪(釈ちゃん)は、感情が欠落している。他人に対して愛を感じた事がない。故に処女である。まぁそういう描写は出てこないので、実際には処女ではないのかも知れないが(物理的に)、少なくとも精神的に処女である事には違いない。であるからして、簡単に他人を殺す事が出来るし、その行為に疑問を持つ事もない。
 普通の物語であったら、殺人者として産まれた主人公は、途中で愛情の様なものに触れ、その非日常的な殺人という行為に疑問を抱き、復讐などという戦いを持って、自らに決着をつける。しかし、この作品では、そうはいかなかった。愛情の様なものに触れ、精神的な処女を捨てる雪ではあるが、それが殺人に対する疑問へとは転換しないのだ。殺人だけは絶対に否定しない、究極のヒロイズムが描かれているのだ。

 物語のパターンとして、「愛情に気付いた主人公と愛情を否定する悪役」というものがよくある。この作品も、一見そういうフォーマットの中にあるかの様に見える。ところが、そうではない。仇役の長曽我部蓉子が死んだ時、敵のボス嶋田久作はその死体を哀しみの眼差しで見詰める。これは愛情の表現であり、悪玉としては不完全である事が証明される。一方、主人公の雪はかつての仲間であろうがなんだろうが、何の躊躇もなく斬り捨てる。そこに愛情はないし、疑問もない。
 一応「雪が他人への感情を持つ」という変化がテロリスト伊藤英明を介して表現されるのだが、それは物語そのものに影響しないし、雪の復讐劇には一切関与しない。周りの状況が変わろうが、どうなろうが、雪には関係ない。雪は単なる殺人者でしかない。

 ヒロインの処女性によってのみ成立する、究極の殺人ムービー。雪が明らかなセックスを行い、更に感じるまで、この物語は永遠に続ける事が出来る。それを証明するかの様に、物語は決着を迎えていない。続編はあるのだろう。このままずーっと殺しを続けて欲しい。プラトニックセックスを続けて、殺し続けて欲しい。