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『夏の思い出 異・常・快・楽・殺・人・者』 '95 オールプロダクツ

監督:斎藤久志
脚本:斎藤久志・宇野イサム
原作:山本直樹
出演:鈴木卓爾・小松留美・麻生愛美・石田貴子・諏訪太朗


 はっきり言ってしまえば、箸にも棒にもかからないようなVシネマの方が殆どであって、これは名作だ! と言える程の作品にはそう滅多に出逢えるものではない。しかし、だからこそそんな名作に出逢った時の感動は一しおであり、そして、更なる感動を求めて何本ものVシネマを手に取ってしまうのだ。
 Vシネホリックとも言えるこの僕が、久しぶりに出逢った名作がこの『夏の思い出 異・常・快・楽・殺・人・者』である。最早、原作の山本直樹の世界観すらどうでもいいと思える程に完成された映像世界には唯々引きずり込まれるだけであった。それは思わず言葉を失う程に。

 欲望、性行為、犯罪、レイプ、殺人、連続殺人、そして、再び欲望。淡々とし過ぎている物語の中で展開される異常な性的衝動と笑いに「条理」を見い出す事は出来ないが、漠然としたシンパシーを感じてしまう。かといって、その不埒なシンパシーに禁忌を感じる訳でもなく、むしろ当たり前のように「不条理」を受け入れてしまう。観客が抱いてしまう禁断のシンパシーは、この作品の真の主人公である中年刑事によって体現され、いつの間にか正当化されてしまう。これは、倫理観の逆転というよりも、密室における一時的な不条理の露呈であり、決して普遍性を持ち得るものではない。誰しもが持つであろう破壊への衝動をあくまで社会的に許される枠の中で具現化しているのだ。
 15人もの女性をレイプして殺した犯人は、絶対に不条理な存在である。それこそを正当化する事は出来ない。しかし、そこに対するシンパシーはある条件の下で突発的に正当化され、その瞬間だけにおいてのみ、完全なる事実として存在出来るのだ。邪悪な可能性を肯定する事は罪ではない。邪悪な可能性の能動的な具現化は罪である。自分の心に中にあるタブーを発見した時、貴方は一体どうするのであろうか。そこを問われてしまったのだ。

 エンターテインメントという前提を忘れさせるくらいに、僕を狼狽させたこの作品を上手な言葉で表現する事など出来ない。観終わった後に残った思索の断片を書き連ねる事しか僕には出来ない。僕に生じた幾つかの身体の異変が僕の中にあるタブーの存在を証明してしまった。