2012/02/02 
「チェーザレ」連載再開の喜びや感想を、早速メールで送ってくださった皆様、有難うございました。
大変楽しく読ませて頂いたと共に、不定期極まりないこの作品を、忘れずにいてくださった事を心より感謝しております。

先週掲載された再開第1話目は、思えば去年の3月に作画し震災後に編集部に渡した物でしたので、
自分で言うのもなんですが、改めて見て懐かしかったと言うか感慨深かったです。
言い換えれば、それだけ時間が経ってしまったという事なのですが、それでもあの大地震に見舞われたのが、
つい昨日の事のように思えるのですから、何とも説明し難い気分です。

再開前は私自身も、早く掲載出来る日が来るようにと願っていたのですが、いざ始まってみると早いですね。
週刊連載はやはり半端ないです。
現在10巻分の6話目までのネームが完成していますが、今週中に何とか7話目まではネームを作り上げ、
それから一気に下絵ペン入れを開始しようと思っています。
そうなると、3月末までに140ページ程の原稿を仕上げる事になるのですが、これだけ大量のページを仕上げるのも、
随分久しぶりですので、どういう事になるのかちょっと自分でも想像がつきません。
同じ姿勢を続ける事で、過去に何度か肘が固まってしまって、真っ直ぐに伸ばすと痛みが生じるという事があったため、
なるだけストレッチ等の柔軟は怠らずに、仕事をこなしていきたいと思っています。

ここの所、大寒波の影響で大変な寒さが続いている上、インフルエンザも流行っているとの事で、
とにかく体調管理だけは気をつけたいですね。
皆様もどうか御自愛ください。
それでは、仕事に戻ります。



2012/01/23 
今週1/26発売のモーニングで「チェーザレ」いよいよ連載再開です。
前回からの長い休載期間を経て、ようやく読者の皆様にお届け出来る事を大変嬉しく思っております。
本当に長い間お待たせして申し訳ありませんでした。

去年の段階で、9巻10巻合わせての雑誌掲載を考えていましたが、単行本9巻分は出来上がっていたものの、
10巻の内容でまたもや変更箇所が見つかり、その対応に多少時間がかかっていました。
土壇場での軌道修正は日常茶飯事なのですが、教皇選においての重要な影響力を持つ人物の詳細データが、
まさか2011年の後半に来て、イタリアから発表されるとは思ってもみなかったので、この段階で再度、主要人物達の関係を
整理し作り直していました。
教皇選までのデータは、おそらくこれでほぼ出揃ったと思いますので(出来ればそうあって欲しいのですが)
10、11巻まではこのまま描き進めていけそうです。
11巻以降ではローマの造詣に苦労させられそうですが、何せ現在のローマとは全くの別物の都市と思ってよいので、
また一から造り始める事を覚悟しなければならないでしょうね。
10巻分の進行状況はネームだけ出来るだけ溜めて作り、ある程度溜まったところで纏めて作画に移ろうと思っていますので、
1月中はこのままネームとラフ画を描き続けるだけとなりそうです。
現在で5話目のネーム作成中ですが、今月中に最低でも7話目までは作り込んでおきたいのが今の所の目標です。
何とか20話、掲載出来る様頑張ります。


さて、掲載までの間の暇つぶしという訳ではないのですが、日頃私達が目を通している文献の邦訳がどのような物であるか、
ある意味謎めいていて、とても面白いので一部御紹介しておきましょう。
例えば

・「彼は不審者達を出口のない部屋へ誘い込むと、即座に扉を閉めて彼等をそこへ閉じ込めてしまった」

・「彼等は祭具室に逃げ込むと内側から鍵をかけ、誰が来てもその扉を開けようとはせず、しばらく経ってから一人が
 秘密の出口から抜け出し外の様子が安全であるか確認した」

雰囲気としての状況は伝わると思うのですが、まるで御伽噺のような文章で、具体的に説明を求められると中々難しいものが
ありますよね。しかしこの記録は正しい物で、 ある意味忠実に状況を伝えているとも言えるのです。
※もちろん戦略的な意味で、余所者に都市の地図同様、建物の構造を露呈させないための意図的な表現となっていますが。

当時のイタリアの生活様式や、それに伴った建築物の構造等に詳しい方は、どうしてこのような表現になってしまうのか、
すぐにおわかりになると思いますが、とりあえずこの状況を色々と想像して考えてみるのも楽しいかと思いますので、
詳しい説明はここでは控えておきます。

それでは1/26モーニング誌上で御会いしましょう。



2012/01/05 
明けましておめでとうございます。
年賀状、年賀メール等を送ってくださった方々においては、本当に有難うございました。
今年も旧年同様、皆様と共に歩んでいけたら幸いと思っております。
どうぞ宜しくお願い致します。

2012年も明けて、すでに5日が過ぎてしまいましたが、いつもながら御挨拶が遅くなってしまってすみません。
旧年中は本当に色々な事があり、例年通り新たな気持ちでスタートとは、とても言い難い年明けとなってしまいましたが、
思えば、2011年の東日本大震災に限る事だけではなく、1995年の阪神淡路大震災、その前後のオウム真理教関連の事件、
1999年の東海村臨界事故等、過去において自然災害、人災、様々な忘れ難い大事件がありました。
私の中で、その全てをしっかりと見据えて来たか、と言えば決してそういう訳ではなく、
すでに過去の事として片付けてしまっていた事を、 去年の震災は思い出させてくれたような気がします。
だからと言って、何が出来るという訳でもないのですが、それでも何事もなく日常を送れる事がどれだけ幸せな事か
改めて教えられた年でもありました。
こうして無事に作品を創っていける事を、また皆様にそれをお届けできる事を自身の天命として、
これからも更なる精進に励みたいと思います。

尚、「チェーザレ」再開は今月、1月26日発売のモーニングにて予定しております。
詳しくは追ってまた御連絡する事となりますが、とにかく今は10巻分までの掲載を目指して頑張るしかないですね。
それではまた。



2011/012/20 
今年も後わずかで終わりですね。
今年はいろいろな事がありすぎて、本当に辛い一年でした。
3月11日に起こった震災は今でも信じられない程の衝撃で、我々日本人にはとても心の痛む出来事でした
震災の映像を見て、ただTVの前で立ち尽くす事しか出来なかった自分の無力さを、これ程痛感した事はありません。
そんな遣り切れない思いを引きずっていた所、私事ですが、追い討ちをかけるように今年の10月、
我家で可愛がっていた猫のコタが亡くなり、その事も含めて未だに悲しみが癒えない状態です。

我家に初めて猫が来てすでに21年が経っていました。
最初の子はタマと名付けた雄の猫で、その半年後に雌のミケが来て、そしてその二匹の間に生まれたのがコタでした。
コタはミケの二度目のお産で生まれた男の子で、逆子で危険な状態だったため、見よう見真似で私が取り上げたのですが、
予め猫のお産について色々と予備知識を入れていたものの、いざとなると実に冷や汗もので、
無事出て来てくれて息をしているのを確認した時は、本当に嬉しかったのを今でも覚えています。

他の兄弟姉妹は皆、知り合いの所にもらわれていきましたが、たまたま女の子が欲しいという方達が集中したため、
男の子のコタだけ残された形になり、(探せば引き取り手はいたと思うのですが、何となく離れがたくなってしまったため)
結局私の手元に置くことに決めました。
母猫のミケは二年半前に17歳で、父猫だったタマは二年前に18歳で、二匹とも癌で先に亡くなってしまい、
コタだけが大病を患うこともなく元気でいてくれて、二匹のいなくなった寂しさを埋めてくれていましたが、
やはり年齢的に限界だったのか、腎臓の機能低下により、10月下旬に19歳で静かに息をひきとりました。

こういう日が来る事を覚悟はしていたものの、やはり小さな命が消えていくのを目の当たりにするのはとても辛い事です。
人間の介護に比べればペットの世話は楽なものですが、動物は口がきけないため、とにかくこまめに様子を見てやるしかなく、
そういう意味では、三匹にとって最期まで良い飼い主であったかどうか正直自信はありません。
唯一の救いは、三匹とも私の腕の中で息をひきとってくれた事でしょうか。
それも看取る側の勝手な思い込みでしかありませんが・・・。

三匹はアメリカンショートヘアという種類の猫で、その性質のせいか犬のように活発で甘えん坊の猫達でした。
中でもコタは一番の甘えん坊で、いつも私のそばを離れず、仕事中は私の足元か仕事机の上で寝ていました。
(半分は邪魔ばかりしていましたが)就寝時間にそこへ置いたまま寝室に向かうと、鳴きながら歩き回って私を探すので、
いつのまにか、就寝前に必ず三匹を寝室に連れて行くのが習慣となっていました。
御蔭で今でもつい足元を見てしまい、気がつくと彼らの姿を探しています。

猫達がいなくなって、しばらくはこの事について触れる事も出来ませんでしたが、
震災、原発関連の余波も含めて、悲しんでばかりではいられないと思い、一つの節目として今日ここに書かせて頂きました。
HPを見てくださっている方々の中にも、猫を飼っておられる方がいて、御自身の猫の写真や我家の猫について
メールを送ってくださったりと、その度楽しく拝見しておりました。
あの子達はもういませんが、これまで気にかけて頂き本当に有難うございました。
その他にも、馴染みの方から初めての方まで、実にたくさんの方々から作品についての応援メール、
また編集部を通じてお手紙等を送って頂き、本当に感謝しております。
なかなか返事を返す事も出来ず申し訳なく思っておりますが、こうして皆様と繋がっている事を大変嬉しく思っています。


下の写真は2007年、イタリア・ルッカでの展覧会の際、絵と共に展示する私の近影を撮るために、カメラマンの方が我家まで
写真を撮りに来た時の物で、当時15歳のコタが机の上から近寄って来たのを、私がペンで「だめですよ」と制している所です。
当初、正面で笑っている写真を要求されたのですが、楽しくもないのに笑顔にはなれないと私が無粋な事を言ったため、
(その節は我侭ばかり言って申し訳ありませんでした)
結局、仕事中の画を撮ろうという事になり、仕事机に向かっていたのですが、コタがかまって欲しかったらしく、
撮影中にも関わらずカメラのフレームに入って来てしまい、このアクシデントをカメラマンさんが
機転を利かせてカメラに収めた思い出深い一枚です。
その後、撮ってくださったカメラマンさんの薦めもあって、この写真をイタリアへ送る事を決め、私と共にコタは
イタリアのファンにもその姿を披露する事となりました。
今となっては良い思い出です。

まだまだ割り切れない思いもありますが、今は私の作品を楽しみに待っていてくださる読者の方々の期待に応える事が、
私にとって一番の励みであり、また一日も早く作品をお届けできるよう頑張っていきたいと思っています。
今年最後の御挨拶が私事ばかりとなってしまいました。申し訳ありません。

どうか来年が平和でありますように。
それでは皆様良いお年を。

 
Finisce fra un po' anche quest'anno!
Un anno che mi ha fatto pensare molto.
Il terremoto che ci ha sorpreso il 11 marzo, era un avvenimento veramente triste.
Mi sono sentita nulla in fronte a un evento tragico. Sono rimasta in piedi senza parole davanti alle immagini trasmessse in tv.

Personalmente sono stata abbattuta dalla perdita di mio benamato gatto Kota in ottobre.
Kota che era il figlio di Tama e Mike, abbiamo vissuto insieme per 21 lunghi anni , ormai non ci sono piu'.
La madre Mike ha vissuto per 17anni, il padre Tama per 18anni, e Kota aveva 19anni.
Anche se erano piccoli gatti ero molto affezzionata e facevano parte della mia famiglia, ma io devo andare avanti senza loro.

La cosa importante per me adesso e' di scrivere/disegnare per voi che aspettate il mio lavoro e anche quello di rispondere alle vostre aspettative mi porta il vigore.
Grazie per le mail dall'Italia, le leggo con gioia. Questa possibilita' di stare in contatto con voi mi da immensa felicita'.
Vi ringrazio di cuore di avermi seguito questo anno. E chiedo gentilmente il vostro supporto anche per il prossimo anno.

Buon natale e felice anno nuovo a tutti!



As this year is ending soon.
This year has made me think a lot.
The earthquake that hit us on 3. 11 was a really horrible event.
The images on TV left me dazed and those tragic incident made me feel totally helpless.

On a more personal note, my adored cat Kota sadly passed away in October was 19 years old.
Kota was the son of Tama and Mike; we had been together for 21 years.
They were my best friends: Mike, mother of Kota, for 17 years; Tama, Kota's father, for 18 years.
But, I have to keep moving forward, even though it is without them.
The most important thing is still doing manga for you all!
Thank you so much for your continued and unwavering support.

Wishing you a Merry Christmas and a Happy New Year!



2011/011/26 
大阪、名古屋での「アサシンクリード・アート展」も無事終わり、御来場くださった皆様には改めて御礼申し上げます。
また、会場にてグッズをお買い求めくださった方々には、心より感謝致しております。
この収益は、東日本大震災への寄付金として、被災地に送られる事になっておりますので、
私の作品共々、ファンの皆様と一緒に、このような形で罹災された方々のお役に立てる事を、大変嬉しく思っております。
本当に有難うございました。


それにしても早いですね。今年も気がつけばすでに11月。(しかも、もう26日という事でかなり焦っています)
ようやく季節にあった気候になってきましたが、これまでの激しい寒暖差の影響からか体調を崩し気味です。
喉から風邪をひくタイプなもので、今も右の首筋のリンパがちょっと痛むのですが、何とか乗り切って行きたいと思います。
これから寒さも厳しくなっていくと思われますので、皆様もどうか御自愛ください。


仕事の進行状況は、現在9巻分はすでに描き終わっており、全て編集部にお渡ししましたので、
後は10巻分に集中するだけとなっています。
冒頭のカラー画稿は、まだ下絵だけで色付けをしてない状態ですが、とにかく本編だけ先に進めていっています。
現場のスタッフには、現在は休暇を取ってもらっている状態ですが、まず自分ひとりで出来る範囲の仕事から順に片付け、
準備が整ったら召集をかけ、全員で一気に仕上げに取り掛かろうと思っております。
10巻は3~4話と10話目が難関ですかね。
説明はちょっと難しいのですが、何と言うか、儀式的な場面での構成に時間費やしている感じです。
この当時の慣例行事は、500年経っているとはいえ、現在での形の基本だと思われますので、大きな違いこそないものの、
大部分が現代人である私個人の想像による物なので、相変わらずこういった場面には神経を使わざるを得ないです。
とは言え、物語としての作品ですから、慣例には従いつつも、それなりに見せ場は作っていきたいと思っています。


そういった意味で、誤解のないよう御知らせしておきたいのが、8巻のフィレンツェでのレコンキスタの祝賀祭についてです。
この祝賀祭は、実際に1492年の1月5日にフィレンツェの市庁舎(現ヴェッキオ宮)前の広場で行われていますが、
※イスラムから、ヨーロッパ大陸の一部であったスペインを、取り戻した記念すべき出来事でしたので、
  かつてのローマ人であり同胞として、フィレンツェだけではなく、この年にはローマを始め、
  各都市でレコンキスタ終了の祝賀祭(レコンキスタ終了自体は1492年1月2日)が行われました。

8巻に描かれていたように、チェーザレとラファエーレがこの席に居たかどうかは、実は記録にはありません。
作中で、教皇庁(ローヴェレ派)に対するトスカーナ陣営(メディチ、リアーリオ、ボルジア)の結束と、今後の彼らの動向を
個人的にどこかで描いておきたかったという思いがあり、この祝賀祭が格好の場である事から、
敢えてこのような展開とさせて頂きました。
もちろん、チェーザレ、ラファエーレが1492年1月1日~7日の間に、確実にフィレンツェ以外の場所にいたという記録があれば、
この設定は消えてしまう訳ですが、運良くというか、当時の二人の所在がどの記録にも見当たらなかったため、
物語上の見せ場のひとつとして、フィレンツェの祝宴でロレンツォ、ラファエーレ、チェーザレ、
三人が同じ場に立つ所を絵にさせて頂きました。
※因みに、この後ローマで行われた祝賀祭には、ラファエーレが出席したという記録が残されています。

しかし、私がこういった設定を思い付く度、原さんは登場人物達の当時の所在証明を確認しなければならなくなり、
また、フィレンツェ以外での所在が明らかになった場合は、今度は私の方が設定を変更し、新たなエピソードを
考えなければならないという、お互いがお互いの仕事を増やしてしまう皮肉な結果となっているのですが。(苦笑)


ついでにもうひとつ、5巻でのピサの騎馬戦ですが、これも実際はもっと小規模なものであったのではないかと思われます。
原さんから、当時の催し物として模擬戦の場面を入れてはどうかと、当初から助言を頂いていましたが、
それは馬上槍試合という物で、騎士と騎士が単騎で戦う物を指していました。
しかし、それだと勝負その物に焦点を当てた儀礼的な戦いとなるため、出来れば当時の戦闘を意識した物にしたく、
そのために大規模な騎馬戦という形で描かせて頂きました。
これは作中で、学生達が実戦のリハーサルを行っているのと同様、私自身もこの先登場するであろう実際の戦闘場面を、
また、それを描くのにどのくらいの時間と労力を費やすか、予め知っておきたかったという思いもあったからです。

当時のピサはフィレンツェの統治下にあり、それほど豊かな都市ではありませんでしたから、
あのような大規模な騎馬戦の馬や武器、甲冑等を揃えるだけの経済力はなかったと思われます。
※余談ですが、アンリの場合は(作中では詳細に触れていませんが)、傭兵家業の家柄の子弟という設定に
  していましたので、彼の身に付けていた甲冑は自前の物として設定させて頂きました。

また、騎馬戦が行われた場所も、ピサ大聖堂の横の広場とさせて頂きましたが、
これは祭りの内容から(十字軍に纏わる祭りとしたため)大聖堂が見える場所が最適ではないかと思い、
そのように設定させて頂きました。
行事や祝祭は、当時の市民の唯一の楽しみでしたので、各都市で行われていたのは間違いないですが、
ピサの場合、大聖堂横の広場を使って、そのような騎馬戦をやっていたという記録は、実は残っていませんので、
今更で申し訳ないのですが、どうか御了承のほどを。



 
そして遅くなりましたが告知です。
11月11日に「美人伝心」という本が講談社から発売されたのですが、
現在、各分野で活躍なさっておられる日本の女性達に、各々インタビューしたものを一冊に纏めた著書で、
この15人の中に私も加えて頂き、拙いながらも言葉を載せて頂きました。
 
この本のコンセプトが「アンチエイジングのための女性としての生き方」
という事でしたので、実際どのような事を話してよいか皆目見当付かず、
当初お断りしていたのですが、
現在連載中の「チェーザレ」の制作話について話してもらえればよいと言う事
でしたので、結局お受けしたのですが、
このようなタイトルだとは当時まだ知らずにいたもので、正直、個人的には
場違いな気がしてならないのですが、私以外のいろんな分野の方々の
人生観や経験は一見の価値ある物と思われますので、
興味のある方は、どうぞ手にとってみてください。 

※124頁でギリシャ神話の登場人物ニオベについて女神と書かれていますが、
  正しくはテーバイの王妃、人間です。
  人間であったが故に神の怒りに触れた女性の悲劇の話です。

  入稿ぎりぎりまでこの取材をお断りしていたせいで、原稿を再考する時間が
  ありませんでした。
  改めてこちらでお詫び訂正させて頂きます。



それから、もうひとつ。
12月15日発売のBRUTUS にて、原さんが
現代人が如何にして歴史と向き合うかという主題で取材を受けていますので、
よろしかったらそちらも御覧になってみてください。
     
 


                                       
                              

2011/010/15
遅ればせながら、アサシンクリード展が大阪でも開催される事を御報告させて頂きます。
10月27日(木)~10月30日(日)の4日間、大阪梅田ロフトのロフトフォーラムで開催されます。
またその後、名古屋でも11月11日(金)~11月13日(日)の3日間、名古屋PARCOパルコギャラリーにて開催されますので、
アクセス可能な方はどうぞ足を運んでみてください。
右のイラストは、アサシンクリード展に出品した、チェーザレの肖像です。
27歳(教皇軍司令長官)当時を想定して描いた物ですが、
実を言いますと、東京での展覧会では、作画が開催期間に間に合わず、
未完成の物を出展してしまいましたので、
その後、一旦こちらに戻してもらい、納得のいくよう細部まで
手を加えさせて頂きました。
東京で御覧になった方には、大変申し訳なかったのですが、とりあえず
ほぼ完成状態の物を、こちらにUPさせて頂きました。
※正面から撮影すると私の影が写り込んでしまうため、斜めからの
  画像となってしまいました。すみません。

また、このイラストを使ったグッズを、何点か作るお話が進んでいます
ので、そちらの方も楽しみにして頂けると幸いです。

因みにUstreamでの講演会で、原さんがこのイラストの下絵について、
生とか死とか、何やら難しい事を仰っておられましたが、私自身は
そこまで深く考えていた訳ではありません。(苦笑)
原さんが公開していた最初のイラストは、ただ年齢を重ねただけの
チェーザレを試し描きした物で、そこからさらに、軍人のイメージを加え、
膨らませた結果が右の絵になった、というだけの話です。
(と、前日原さんに電話でお伝えしたのですが、原さんの中では
何か凄い事になってしまっていたようです。)


ところで「チェーザレ」本編の再開について、残念な御知らせを
しなければなりません。
モーニング誌上での編成の都合で、掲載が年明けになる可能性が
出てきました。
現在のモーニングは週刊誌である事を前提に、
連載作品は毎週掲載を第一にしたいとの事で、これまでのような
ランダムな掲載が不可となりました。
確実な掲載を見込めない、こちらの作品に問題がありますので、
こればかりは仕方ないと思います。

ここの処、一人で手掛けなければならない作業が続いており、
実はまだ9巻10話目が終わらない状態ですが、上がり次第
このまま10巻の1話目に突入し、出来るだけ多く原稿を溜めていこうと
思っております。
毎度の事ながら、読者の皆様には御迷惑を掛けっぱなしで、
大変で申し訳なく思っております。
掲載が確実となりましたら、またこちらでも御連絡させて頂きますので、
どうか御容赦ください。
   

2011/09/03
8話の目処がついて9話目の準備に入るところです。
本来ならすでに、誌上での掲載が始まっているところなのですが、此処の所事情が二転三転しまして、
結局このまま10巻分まで描き溜めを続ける事となりました。

理由は、「チェーザレ」9巻の発売時期に、モーニング本誌でも連載を行っていて欲しいとの編集部の意向で、
結果、10巻分の原稿のストックがそこそこ溜まるまで、再開の時期を遅らせる事となりました。
掲載時期は単行本の発売から計算して、10月中ではないかと思いますが、
これ以上は、私の方で正確な時期はお伝え出来ない状態ですので、
読者の皆様においては、今後モーニングの公式を定期的に確認して頂くしかないようです。
順延に続く順延で、本当に申し訳なく思っております。
出来るだけ早く再開出来るよう、今後も精一杯努めていく所存ですので、どうぞその旨御容赦ください。



ところで話は変わりますが、先日行われた原さんの講演会ですが、Ustreamで私も自宅で拝見しておりました。
後日、御本人に会って話を伺ったところ、どうやら実際は15:30あたりから開始する予定だったものが、諸般の事情により
開始時間が15:45となり、その調整の対応に追われたため、冒頭部分で空白な時間が流れてしまう事となり、
その結果、全体の尺を急遽変更しなければならなくなったようです。
そのために準備していた15世紀から16世紀初頭にかけての、イタリア半島を主軸にしたヨーロッパの説明が
全く以て消化不良に終わってしまったらしく、私もモニターを見ながら首を傾げるしかない状態でした。



僭越ながら、一応補足で申し上げますと、当時のイタリアは小都市が乱立しており、
これが小さいながらも、大変強固な物となっているのは、僭主の存在だけはではなく、
多くはそこに住む市民達の強さによるものが大きいのです。
場所や時代によっては、その僭主のカリスマ性が基盤となっている場合もあります。
  例えば、メディチ家が実質支配していた時期のフィレンツェ等。

当時のイタリア半島の各都市は、フランス等の君主制とは違い、僭主と市民の力関係が良くも悪くも微妙なのです。
僭主と共に敵と戦っていても、いざ旗色が悪くなると、市民は自分達とその生活の場の街を守るため、
僭主を切る事を選択する場合もあるのです。
トカゲの尻尾切りの尻尾が僭主になるだけの話ですが、敵側にとってもこれは好都合な事で、何故なら
戦争の長期化は互いが消耗し弱体化していく事を意味するため、第三の都市に狙われる原因にもなり兼ねないからです。
それらを鑑みた結果、僭主一人を失脚させればダメージは最小限に抑えられ、
敵も味方も致命的な深手を回避する事が出来るようになるのです。

そういった意味では、ある意味イタリア人は非常に合理的なのです。
長い間、封建制という政治形態をとってきた日本人には、なかなか理解しにくい所ではあると思いますが、
イタリア人にとっても、日本人の行き過ぎた忠誠心は理解し難い物らしく、
例えば日本の武士の習俗である「腹切り」ですが、イタリア人にしてみれば、死んで何の得があるのか、という捉え方なのです。
彼らにとっては生き延びてこそ、再起挽回があるのであって、死んでしまっては全てがそこで終わってしまうのです。

これは私の個人的見解ですが、各々の生息地、風土、地形、気象等の地域的なものが、
そこに住む人間の生活習慣に、かなり影響を与えているのではないかと思われるのです。
大海に囲まれ、海という城壁に守られた島国である日本は、諸外国の干渉を受けにくい一方で、内紛が勃発した場合
敗者は逃げ場がない状態へと陥ります。
こうなると逃げ回った挙句、その先に見えるものは死しかないのです。
敵に嬲り殺しにされるくらいなら、自らの手で命を絶つという事は、敗者に残された最後の尊厳であり救いとも言えます。
元々自殺を罪としているキリスト教圏の人々には、中々伝わりにくい日本人ならではの観念かもしれませんが。

一方イタリアは大陸の一部であり、海は穏やかな地中海で多くの島々があるため、古来より海運が発達し、
流通や民族の移動が容易に行われていた地域でした。
このために各地の植民地化も進み、都市の分布図もまるでパズルのように複雑なものになっています。
つまり他国、都市に攻め込む事も容易である分、逃げ延びて反撃に転じる事も容易であるとも言えるのです。
要するにとてもしぶといのです。



これは原さんが講演会の冒頭で紹介されていた、あの複雑に色分けされたイタリア半島を統一させる事が、
如何に難しいかという事の証明なのですが、もし仮にあの各都市を一つに束ねる事が出来ていたとしたら、
おそらくイタリアはヨーロッパ最強の国となっていたでしょう。
そして作中のリアルタイムでは、ロレンツォ・デ・メディチがその可能性に一番近い人物でもありました。
ロレンツォは武力ではなく、各都市に対しての経済的援助(労働者達への支援)等によって同盟関係を築く事に
成功していましたが、最大の難関は(原さんも講演会で触れていましたが)教皇庁との関係でした。
当時の教皇庁(シクストゥスⅣ政権)は、このロレンツォの存在が教皇庁の地位を脅かす者として敬遠しており、
その結果、「パッツィ家の陰謀」という大事件を引き起こす事となってしまうのです。

この時もし、ロレンツォと非常に良く似た政策をとっていた、ロドリーゴ・ボルジアが教皇であったなら・・・。
これが所謂「歴史にifはない」の典型的な例とも言えますが、
どちらにせよ1492年、ロレンツォは急逝し、この事によりイタリア半島は混迷へと陥っていきます。
これに乗じてこの後、フランスに付け込まれる事態にまで発展するのですが、
それでもこの半島は、幸か不幸か各都市が独自の力を持つ事から、互いが譲らず自己主張を繰り返すばかりで、
全く纏まろうとはしませんでした。

イタリア統一。
ロレンツォ亡き後、これに挑むのがチェーザレ、そしてマキァヴェッリです。
チェーザレは貴族の立場から、マキァヴェッリは市民の立場からアプローチを試みますが、
結果、見果てぬ夢と終わります。
この見果てぬ夢を「チェーザレ」でどこまで描けるか、正直私自身にも今の段階では明確には答えられません。



この作品において原さんはナヴィゲーターと言える存在です。
どの時期にどこで何が起こったか、これは本作品では確実に描かれなければならない事実です。
問題はそこに至るまでの、各人物達の心情でしょう。

この作品を作るにあたって、当初の時代背景(ピサのサピエンツァ大学からの導入部)
人物設定(フィレンツェ出身のアンジェロ、ユダヤ人のミゲル、ジョヴァンニの側近、ドラギニャッツォ等)の設定は、
実は全て原さんの原案によるもので、アンジェロにおいては、私が狂言回しが必要だと言った事から発生したものの、
それに最適な人物を選ぶなら、フィレンツェ出身の人物(チェーザレの生涯と深く関わる都市である事からこれは必至)
だとしたら、それはミケランジェロしかいないのでは、という結論を導き出したのは実は原さんです。

しかしミケランジェロは、チェーザレと同じ年に生まれ同時期に存在していながら、史実上二人が邂逅することはありません。
彼らは同じ時代に生きながら、別々の場所で別々の方法で改革を行った二人と言えます。
この事で私は何とかミケランジェロを、この作品のもう一つの主軸に据える事が出来ないかと思い
そこで原さんと相談した結果、考え付いたのが、職人の道ではなく、役人の道を選んだもう一人のミケランジェロ、
つまりアンジェロ・ダ・カノッサ、という架空の人物を創り上げるという結論に辿り着いたのです。

この段階で、私なりの見解からアンジェロ(ミケランジェロ)を、チェーザレとは対照的な人物にしたかったという思惑があったため、
かなり親しみやすいキャラクターに設定してみたのですが、
ところが、このアンジェロの人物造詣こそが、原さんにとっては長年思い描いていた若い頃のミケランジェロ像だったそうで、
第1話目で「とてもよくミケランジェロが表現されていますね」と言われ、
「いえ、私の中のミケランジェロ像を、敢えて全て逆のパターンで創り上げてみたらこうなりました」、と言ったら、
原さんは大変驚いていたのを覚えています。

原さんの中でのミケランジェロは機知に富み、柔軟で飄々とした人物で、
私の中では、頑なで自分の信念は絶対に曲げない、職人気質の人物であったのですが、
期せずして、結果的に双方が望む人物像が出来上がってしまったため、
このアンジェロ(ミケランジェロ)を、物語の中のもう一人の主役として展開させる事を、改めて決定したのです。



「チェーザレ」6巻までは、その殆どがサチェルドーテを基本として、原さん指導の下に展開しています。
アンジェロ、ミゲル、マキァヴェッリの登場、大学の授業の内容、フランス団の造詣、飢餓の塔の件、ピサのキンツィカ区、
織物工場建設、コロンブスの登場、そして馬の種類と戦闘形態等、全ては原さんの入れ知恵と言っていいでしょう。
騎馬戦については絶対に出した方がいいと奨められ(当時の戦闘をシミュレーションゲームとして紹介する良い機会として)
これら全てを具象化していくために、当然の事ながら私はかなり頭を悩ませました。

この時代に重要とはいえ、どれもこれも具象としての資料らしい資料が見当たらないのです。
文字情報で言うのは簡単ですが、当時の記録から現存している物はごく僅かしか残されてなく、
結局これらを映像化するには、それに見合った素材(絵画資料を含む)を大々的な物から些細なものまで、
手当たりしだいに集め再構築するほかありませんでした。

そして最も頭を悩ませたのが、読者の方でお気づきの方もいらっしゃるでしょうが、本作品にはト書きという物がありません。
ト書きとは大河ドラマ等で言う所の、ナレーションに該当するものです。
原さんはこのナレーションに当たるト書きを、「チェーザレ」では一切排除してみてはどうか?と提案されたのですが、
その理由は、「ト書きがなくなる事で臨場感が増し、映像的にその方が惣領さんの作品には合ってるような気がする、というか
個人的に見てみたいんですよね」と言い出す始末。

ト書きを排除するとどういう事が起こるかと言いますと、まず物語の進行は、全て登場人物の会話で成り立たせる事となり、
そのため作中では口語体のみで説明が行われ、状況説明が重要となる歴史を題材にした物語で
これが如何に大変な縛りであり、難度の高い物か、原さんはこの段階では全く認識していなかったと思われます。
敢えて、この場で初めて言わせて頂きます。素人の浅知恵以外の何物でもありません。

当然の事ながら私は即答で拒否しました。
ト書き無しでこのような厄介な歴史物を、どうやって表現していくのか、全く見当もつかなかったからです。
しかし、いざ「チェーザレ」の構成に着手してみると、知らず知らずのうちにト書きに頼る事が多くなり
作品がまるで論文の様相と化していく事に、私自身一抹の不安を感じるようになりました。
これでは原さんの言う通り、確かに臨場感が消えてしまうのは避けられない事態となり、
我ながら作品的にどうなのかと、疑問を抱くようになりました。
それでも、私にとってト書き排除はやはり最期まで悩んだ懸案でした。
悩んだ挙句、結局はこの案を取り入れたのですが、無謀な決断だったと実は今でもそう思っています。
ただ方法論として、やってみる価値はあったかもしれませんが。
このト書きは、7巻でランディーノのダンテについての語り(作中作の位置づけ)として、初めて使わせて頂きました。

その間、原さんはといえば(これはあくまで私の主観です)嬉々としてこの状況を楽しんでいたように思えます。
まるでパトロンが、絵描きに自分の理想をあれこれ要求し、私自身はそれを満たすためだけに、作品を創っているような錯覚に
しばしば陥っていました。(当然、原さんにその自覚はないと思います)

フィレンツェでレオナルドと遭遇 ピサ校内での闘牛ごっこ、お忍びの祭り見学、刺客退治、チェーザレの幼少時の回想等は、
場面場面での必要な素材集めのための、時間稼ぎとして捻じ込んだ私なりのエピソード、
実はあってもなくてもどちらでもよいフィクションです。
精度に拘ったがために、さらに細部までの考察が必要となり、そのための文献、または視覚的な素材をを広範囲において
集めるために、このような作品上での時間稼ぎが必要となってしまった故の所業です。
今こうして冷静に振り返って見ますと、原さん共々世界観を創り込む事に集中しすぎた事で、自ら次々とハードルを
上げていくはめに、なっていったのではないかと思われます。
チェーザレとレオナルドをメディチ邸で会わせるエピソードは、私の独断でやらせて頂きましたが、
  これは、まだ若いチェーザレと、すでにミラノの軍師となっているレオナルドが遭遇したら、どのような感じになるのか、
  個人的に試しに描いてみたかった、というだけの話です。
  厳密に言いますと、この時期レオナルドはミラノにいるはずでして、ただこの時ミラノ公とは騎馬像制作において
  もめている最中で、このためかつてのパトロン、ロレンツォ・デ・メディチへ、ミラノ公の下から去る事を仄めかすような手紙を
  送っていたという記述(ヴァザーリによる)から、作中ではレオナルドがミラノ公と冷却期間を置くため、
  一時期フィレンツェへ里帰りしている、という設定を前提に描かせて頂きました。



結果、この先登場するであろう教皇選の精度も、当然上げなければならない状態となり、
ここまで追い込まれた所で、ある意味切れたのでしょうね。
7巻以降は私の暴走です。
7巻、8巻、現在手掛けている9巻は、この先控えている教皇選のために、どうしても描かなければ、
今後、物語が教皇選に突入した際に、私自身が困窮するのが目に見えているからです。
教皇選の意味と、それに参加する枢機卿達の背景にある物、その使命、当時の宗教観と政治においての説明は、
教皇選に突入してからではもう遅いのです。
そのための基盤背景を描くために、原さんには徹底的な資料集めを要求しました。
とにかくあらゆる角度から資料を集めて頂き、そのためにそれ相応のな時間と労力を費やし、
原さんと編集者には、随分と勝手な我侭を押し付け続けました。
いつのまにか暴君となっていたのは私の方でした。

目の前に集められていく膨大なデータを、今度は私自身が理解し自分の血肉にするほか、これから先は到底描けないと
判断したため、もう時間稼ぎのエピソード等、考えている余裕など全くない状態となっていました。
その結果が度重なる長い休載です。



これによって、「チェーザレ」の時間に忙殺され、原さんは大学を辞めるはめになってしまいましたし、
担当編集者は体調を崩す事が多くなりました。
大変申し訳なく思ってはおりますが、もう後には引けない状態となっておりますので、こうなった以上最期まで
付き合って頂くしかなさそうです。
そして、それ以上に一番酷い目にあっているのは、誰あろうこの作品を読んで頂いている読者の皆様だと思われます。
本当に申し訳ありません。この作品を手に取ってしまったのが運のつきと思って、もうしばらく御付き合いください。

なお、Ustreamでも触れていましたが、サチェルドーテ版の邦訳が、ようやく完成しつつあります。
原書は5cm程の厚さの一冊の著書ですが、イタリア語はひとつの単語に多様な意味合いが含まれているため、
日本語に訳すと約六冊程の長さになりそうとの事。
とにかく一番怖いのは誤訳ですので、今は最終段階でさらなるチェックを行っているようです。
これが世に出れば、私も気持ち的に多少楽になるような気もするのですが、
これからも長い道のりになる事は間違いないようなので、どうか皆様、健康にだけは気をつけて御過ごしください。
それでは。



2011/08/27
現在8話目を制作中です。
この8話を含め残り3話分のエピソードは、すでに決めておりますので、後は形にしていくだけです。
作画スピードを上げたいのは山々ですが、中々画面が埋まらないジレンマに襲われつつも、何とか頑張って描いております。

ところで、前回お伝えした「アサシンクリード アート展」ですが
どうやら名古屋でも開催されるようですので、その地域の方々で興味あるという方は、是非御覧になってみてください。
詳しい日時と場所がわかったら、またこちらで御知らせしますので、どうぞ楽しみにしていてください。

また今月30日に開催される原さんの講演会ですが、敷居が高いのではと懸念されている方もいらっしゃるかもしれませんが、
元々このセミナー自体が、学会などの堅苦しさを失くし、自由度の高い発表会を楽しもうという趣旨のものなので、
参加を迷っているという方は、どうか身構えずに気楽にお出でになってみてください。
それでは。

※この講演会の模様は当日Ustreamで中継されます。15:30頃より配信予定。
  モーニング公式から飛べるようになっていますので、現地までは無理という方はどうぞこちらでお楽しみください。


2011/07/31
相変わらず時間に追われる毎日を過ごしています。
今現在6話目の仕上げに取り掛かっているところです。これが終り次第速攻7話目に取り掛かります。
今回は6話目までが、内容的にはかなり厄介な物があったので、これが何とか纏まり、まずは一段落という感じです。
モーニングでの掲載は、只今編集部と相談中ですのでもうしばらくお待ちください。すみません。

と言う事で、突然ですが別件での御知らせを二点。
TVゲームソフト「アサシンクリード」のイベントが8月11~13日に開催される事になりまして、
このシリーズから「Assassin's Creed: Brotherhood」(アサシンクリード ブラザーフッド)という作品が、
去年発売されたのですが (すでにプレイされて、御存知の方もいらっしゃると思いますが)
ゲーム内での舞台がルネサンス期で、ちょうど「チェーザレ」の時代とシンクロしており、
チェーザレもゲーム内に登場(敵側ですが)しています。
そこでチェーザレ繋がりという事で、ゲーム制作サイドからイベント用のチェーザレのイラスト依頼があり、
イラストを一点描かせて頂きました。
下記にて展示されるようですので、お時間のある方はどうぞ足を運んでみてください。

【アサシン クリード アート展】
 会場:スパイラルガーデン スパイラル1F(東京都港区南青山5-6-23)Tel:03-3498-1171
 開催日時:
  2011年8月11日(木)~8月13日(土)
  8月11日(木) 12:00~18:00
  8月12日(金)、13日(土) 11:00~20:00
  ※開催時間は変更になる可能性がございます
 展示内容:
  アサシン クリード シリーズの原画
  アサシン クリード クリエイティブアワード受賞作品
  ゲストアーティストによるイメージ画
  ……他
 入場料:無料


因みにイラストは、還俗して教皇庁司令長官になった頃のチェーザレです。
本編を読んでくださっている方々には、第1話の表紙以来、未だ見る事のないチェーザレ像ですが、
主催者側から、「ブラザーフッド」の時間軸に合わせたチェーザレを依頼されたもので、
完全に成人となったチェーザレを描かせて頂きました。

それから、イベントの概要ですが、私の紹介欄で誤りがあったので、こちらで訂正させて頂きます。
「チェーザレ」の掲載誌は、
講談社より発売されている週刊モーニング(木曜発売)ですので、
どうか御間違いのないよう、宜しくお願いします。
※但し「チェーザレ」は不定期掲載となっているため、残念ながら載っていない事の方が多いような状態です。



そしてもう一点は、「チェーザレ」の監修で御世話になっている原さんの講演会について。
8月30日に慶応義塾大学、日吉キャンパスにおいて、西洋中世学会ポスターセッションなるセミナーが開催されるのですが、
(ポスターを見て参加者でディスカッションを行う会だそうです。 http://www.medievalstudies/jp)
このセミナー後のイベントとして、原さんが「チェーザレ」の監修者の立場から、
本作品の制作裏話、及び時代考証について等の話をされるようなので、
こちらも御時間のある方は、どうぞ参加してみてください。
私との打ち合わせでは、お互い時間に追われている事もあり、毎回必要事項だけで慌しく終わってしまうので、
実は私も知らない、意外で面白い話が聞けるかもしれません。

西洋中世学会 若手支援セミナー企画 ポスター・セッション
+
原 基晶さん(『チェーザレ 破壊の創造者』監修者) による時代考証を巡るトーク

主催:西洋中世学会若手支援セミナー実行委員会 jsmes.seminar@gmail.com
後援:田尻記念若手支援基金*1、慶應義塾大学教養研究センター
日時:2011年8月30日(火)13:00-17:00
場所:慶應義塾大学 日吉キャンパス 来往舎1階 シンポジウムスペース
参加費:500円
全体での懇親会は予定していませんが、簡単なレセプションを予定しており、その費用は参加費に含まれています。
※ このイベントは、西洋中世学会の会員でなくても参加できます。

では、次回こそ掲載日を御知らせ出来ると思いますので、それまで後少しの間お待ちください。



2011/07/17
毎日暑いですね。
先週まで冷房を入れずに、自然の風だけで凌いでいたのですが(風通しが良い家ですので31~2度くらいなら結構涼しい)
全室の窓を開けたままだと、風が強すぎて作画にも影響が出るため、効率アップを考え
とうとうエアコンのスイッチを入れてしまいました。
最低でも28度までに設定にしてあるのですが、一人で仕事しているとちょっと肌寒く、
頭は冴えるのですが、腕の動きは鈍るという、何とも微妙な感じです。
まあ、飼い猫が高齢なこともあって、一番は猫の健康面を考えての事なのですが。(苦笑)

原稿の方は今現在6話目を制作中です。
ここまで中々しんどい展開でしたが、ようやく見通しも立ち何とか乗り切れそうです。
編集部からは、10話途切れずに纏めて掲載してもらいたいと言われていましたので、とりあえずは
6話目が完成してから掲載日を決めようという事になりました。
当初7月を予定して進めてきましたが、この分だと8月初旬にずれ込みそうです。
いつもながら時間かかって申し訳ないです。
来週には確実な掲載日をお知らせ出来ると思いますので、もうしばらくお待ちください。
それでは。

2011/06/12
梅雨の季節となりました。
不快指数が増す事を覚悟していたのですが、今のところはまだ過ごし易い日が続いていて助かっています。
個人的には冷房の方がきついので、毎年ぎりぎりまでエアコンの使用は控えているのですが、
作画中となると、やはり使わざるを得なくなり、今年は夏の間だけ窓の多い風通しの良い部屋で作業する等、
いろいろ工夫してみようかと考えている最中です。
「チェーザレ」の作画は漸く4話まで目処がつき、来週から5話に着手できそうな状態となりました。
連載再開は7月中と考えていますので、徐々にペースを上げていけたらと思っております。

9巻はいよいよ序章のまとめに入ると共に、新章の準備期間にも突入するため、思った通り難航しましたが
(毎度の事で読者の皆様もうんざりしていらっしゃるでしょうが)
それでも何とか、教皇選までの精査はほぼ完了したと、自分なりに思っていますので、
出来る限り作品に反映させていきたいと思っております。


教皇選については、(案の定)教会側のアレクサンデルⅥ選出時の記録が残されてなく、
またもや各方面からの資料集めに奔走致しましたが、苦労の甲斐あって
(ここまでの苦労は、相変わらず原さんと編集によるものですが)
何とか形にというか、御蔭様で当時の聖職者達の立場と事情が、かなり正確に見えてきました。
アレクサンデルⅥ(ロドリーゴ・ボルジア)選出時のコンクラーヴェ(教皇選)に、参加した枢機卿は23名、
この中で重要な動きをした枢機卿は、最終的に教皇となるロドリーゴを除く約7名に絞られます。

※この時代の教皇選は、出席者の3分の2の票数を獲得すれば教皇は決定します。
 現在では満票でないと決定しないようですが、当時は3分の2を獲得した段階で「勝負あった」と見なされ
 (個人的には、教皇選とは心理戦による醜くも崇高なバトル、と思っている処がありますもので)
 その後、慣例として3分の2以上取った者の名を、その者以外の全員が票に書いて投じ、
 これによって、最終的に満場一致という形で教皇が選出されていました。


この7名の枢機卿の置かれた立場と、その出自、性質等を調べていくうちに、
自然とそれが教皇選の票の流れとシンクロしていき、その様子は実に興味深く面白いものでした。
教皇選とは、各国代表ともいえる枢機卿達の遺恨と、またその時々の故郷(国)の情勢が背景に潜んでいるため、
前の教皇選、そのまた前の教皇選と過去を辿って調べていくうちに、
結局はカリストゥスⅢ(ロドリーゴの叔父)崩御からの、ピウスⅡ(シエナ代表ピッコロミニ枢機卿)選出の教皇選まで、
遡って精査する羽目に陥ってしまったのですが、
逆にその御蔭で、教皇選が当時のヨーロッパ大陸において、どれだけ比重の置かれたものか、改めて再確認でき
今後の作品の造詣を深めるためにも大変役に立ちました。
後はこれを上手く表現出来るかどうかでしょうね。

時折、文献の束を目の前に怯む事もあったりする現状ですが、とにかく出来ることをやるまでですね。
気合の入れ時です。
それではまた。



2011/05/10
お知らせです。
本日より、ニコニコ静画「東北地方太平洋沖地震チャリティ」にて、待ち受け画像を配信させて頂く事となりました。
下がそのイラスト、
チェーザレ2点、ミゲル、アンジェロ、ルクレツィアが各1点の計5点です。
 
色付けは通常より淡く仕上げたものの、ボードではなくカラー用の紙に描いたので、この通りちょっと弛みが出てしまいました。
水張りすれば良かったのですが、思いつくまま描いてしまったのですみません。
 
これは震災直後、私自身が精神的にかなり落ちてしまっていた事もあり、被災者の方々に対して何かお役に立てないものかと、
自分自身の気持ちを整えるためにも描いたイラストです。
当初はこれを欲しい方に買って頂き、それを義捐金にと思っていたのですが、どのような形で販売するか良い方法が思いつかず、
編集からはオークションへの参加も勧められたのですが、考えあぐねているうちに時間が経過してしまい、
とりあえずは、チャリティ待ち受け画面として、ニコニコ静画様の企画で取り扱って頂く事となりましたので、
遅ればせながらここで告知させて頂きます。


2011/05/02
ペン入れしてます。
今回は冒頭から厄介なシーンの連続で(毎回似たような事を言ってますが)
いつにも増してリテイクを繰り返し、収まりの良い構成となるまで随分苦労しましたが、
何とか9巻収録分の内容が自分の中で整理され、ようやく後は作画次第という流れになってきました。
(残念ながら今現在、出来上がってるのは2話分しかないような有様ですが)

9巻では教皇選まで残すところ約7ヶ月、ここからさらに多くの登場人物と各都市が登場する事となり、
世界史ならではのマクロな視点の中に、各登場人物達のエピソードが次々と展開していきます。
読み進めるのに、また一苦労する事もあるかもしれませんが(苦笑)
ここまで読み込んできてくださった読者の方々にとっては、さほど問題ではない事と思われますので
楽しみにしていてください。
出来るだけ早く再開出来るよう頑張ります。


ちなみに今回、私の地区で計画停電が数日実施された事を受けて、試しに蝋燭の明かりで絵が描けるかどうか
やってみたのですが、これがなかなか大変でした。
こちらが通常の照明の中で写した物ですが、まあ普通に広範囲が見えています。
 

そして蝋燭の明かりで照らした物がこちら。↓(昔買って仕舞い込んだままになっていたクリスマス用の燭台です)
 
このように画面に明暗の差が生じ、さらに一番明るい箇所は反射がきつく、非常に見辛い状態です。
連日の停電で仕事に集中する事もままならなかったので、この機会にと思い、ちょっと500年前の状態を再現してみたのですが
絵を描くには無理がありすぎ、資料を読むにしても蝋燭の火の煙が目にしみて、長時間は続けられない状態でした。

これは仕事机に3本の燭台を置いて試した物で、燭台の数を増やせばもう少しましにはなると思いますが、
何せ500年前の西洋の石造りの建物とは違い、また余震もまだ頻繁に起こっている頃でしたので、周囲に水を配していたとしても、
当然のことながら、現代の日本では大変危険で実用的とは言えません。
それでも蝋燭の明かりはとても柔らかく、まだ電化製品がそれほど普及していなかった頃の日本を思い出させてくれました。
いつでも明かりが付き、容易く情報が手に入る現在の環境があってこその今の現状ですが、
いつのまにか、これを当たり前のように思い込んでいた自分自身に、今回の震災は色々な事を
思い起こさせてくれたような気がします。

これは今に始まった事ではなく、かつて人間が道具を使い始めた頃より日々邁進してきた事です。
チェーザレ達が生きていた500年前も例外ではありません。
500年前のヨーロッパでは、人間がより快適に過ごせるように進歩を願う者と、また一方では
それらを自然に逆らい、人として道義に外れた考えであるとする者が、今以上に鬩ぎあっていた時代でした。
どちらにせよ、どのような事でも偏った考えや行動は、決して良い方向へは向かわないのではと、
そんな事を物思う今日この頃です。





2011/04/17
連日の震災関連の報道、未だ続く余震、なかなか収束が見えてこない原発。
TVから流れてくる情報に胸を痛めるばかりで、自分の無力さをただ痛感するだけの毎日です。
あの震災以降、これまでのありふれた日常が一瞬で非日常へと変わってしまい、
被災地の現状に比べれば、全くもって微々たる事ですが、私の住むマンションも、度重なる振動により
亀裂が数箇所見つかっており、そのメンテナンスもまだ手付かずのまま現在に至っています。
その不安定さから、残念ながら私自身の創作意欲もかなり低下してしまい、集中が戻ってくるまで随分と
時間を要してしまいました。
何かに夢中になれるという事が、いかに平和で安全である事の裏付けか、改めて思い知らされています。

それでも時間とは不思議なもので、今では不安定である事が、当たり前のように思えてしまっている自分がいます。
(ある意味とても悲しい事ですが)
無事でいる人間が元気でなければ、困窮している人間を支える事もできない訳で、
今、こうして無事に過ごせている事にも意味があると、ようやく前向きに思えるようになりました。
半分は所謂、ヤケクソ状態という奴かもしれませんが、復興の原動力となるなら、この際
どのようなモチベーションでも大歓迎です。

読者の皆様には色々と御心配をおかけしましたが、今は何とか作業を再開しておりますので、
当初予定していた時期より多少掲載が遅れる事となりますが、編集とも話し合って、再開時期がはっきりとした際には、
またここでお知らせしたいと思っております。
いつもながら申し訳ないのですが、それまでもうしばらくお待ちください。
それではまた。


2011/03/17
前回、こちらは十分余裕です、というつもりでUPさせて頂いたのですが、HPを御覧になっていらっしゃる方々には、
逆に心配をおかけしてしまったようで申し訳ありません。
節電、節水、閉じ込められる危険性を考えてエレベーターを使わない等、多少不便な事はありますが、
これまでが快適すぎただけの話ですので、どうか今は被災地の方々、またその救援活動に携わっている方々を一番に
思いやって頂けるとありがたいです。
電話連絡も控えているため、こちらが伝言板のようになってしまっていますが、お気遣い本当に感謝しています。
ありがとうございました。


2011/03/15
大震災からすでに四日経ちました。
罹災された方々のために、何か出来る事はないかと色々思案しましたが、今私に出来ることは
目の前の仕事を片付ける事くらいしかなかったので、一人で仕事を続けています。
原発の事もあり、アシスタントさん達には大事を取って、自宅待機という事で様子見をお願いしているところなのですが、
昨日今日、近所の食料品、日用品店から商品が消えてしまい、なかなか手に入らない状態に少し困惑しています。
十分機能している東京で、このような事態に陥るとは思ってなかったので、想定外のアクシデントでした。
でもまあ幸いというか、猫を飼っているため、いざとなったら猫缶等を頂けば何とかなるでしょう。
被災地の方々に比べれば本当に些細な事です。自宅で暖をとれているのですから。

以前、一週間でカラー原稿16枚を仕上げなければならない状態に陥り、
その時はあまりの過密スケジュールだったため、食事をまともに摂っている暇がなく、止むを得ず水とチョコレートだけで
一週間を過ごした経験がありますので、健康ならば少々食事が制限されても、水さえあれば余裕で一週間は生きていられます。
被害を免れただけでも幸運として、出来るだけ冷静に対処したいです。
では仕事に戻ります。


2011/03/12
11日、東北地方を中心に大変強い地震が発生しました。
私の自宅も東京にあるため、かなりの揺れを感じました。
ちょうど仕事中であったため、アシスタント共々部屋中の照明を倒れる前に
横にしたり備品を抑えたりしていたのですが、自宅が高層マンションの上層にあるため、揺れが激しく
積み上げていた資料の山が崩れ、残念ながら完成していたカラー原稿がその下敷きになり、真っ二つに折れてしまいました。
色の重ね塗りを繰り返すため、最近は耐久度の高いボードに描くようにしていたのですが、
さすがにこれだけの衝撃には耐えられませんでした。
色の重ね塗りでボードが湾曲するため、机等の引き出しに入れ辛かったというのもあるのですが、
今週中か来週の頭には編集に渡そうと思っていた事もあって、資料本の束の上に置いていたのが災いしてしまいました。

前回、体調不良である事をここでお伝えした事で、読者の方々には余計な心配をおかけしてしまったようで
編集部にたくさんの方から、激励の言葉や贈り物が届き、御礼の言葉よりまず先に、形でお返ししようと作業を
再開していたのですが、このような形になってしまい非常に残念です。
それでも、アシスタントも含め、全員が怪我もなく無事だったので、この程度で済んで本当に幸いでした。
未だ予断を許さぬ状態が続いていますが、TVで刻々と流されてくる震源地とその周辺の状況を見る度に、
自分たちがどれだけ幸運であったか思い知らされています。

先日起こったニュージーランドでの地震報道を見て、地震大国と言われる日本でも、いつかこのような事態になるのではと
懸念していた矢先でしたので、被害に遭われた方々、またその最中におられる方々には、本当にかける言葉すらありません。
ネットも繋がらない地域もあるため、ここで案じていてもどうしようもない事なのですが、
とにかく無事を祈るだけです。


2011/01/29
御無沙汰しております。
新年の挨拶も儘ならないまま、気がつけば一月もすでに終わろうとしているこの時期に、このような形での更新で
毎度の事ながら申し訳ございません。
私事ではありますが、年末年始、体調を崩してしまい休養しておりました。
去年の暮れ、カラー原稿の仕上げをやっていた際に、兼ねてより微妙に疼痛のあった右腕に、痺れを感じるようになったため、
本来は利き腕ではない左手でその他の作業を行っていたところ、今度は左腕を痛めてしまい、そのため大事をとって
作画をいったん中止しておりました。
職業病ですので完全な復調は望めませんが、一時期よりは随分ましになってきましたので、今年も何とかまた
描き続けていけたらと思っております。
連載再開は編集と話し合ってる最中ではありますが、とりあえず春、4月を目処に考えております。
それに向かって今まさに自分に鞭を入れているところですので、どうかもうしばらくお待ちください。
それではまた今年もよろしくお願い致します。




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