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   一つの小さな灯火だって大きな力を
持ってます。
10月 
 十月の声を聞いて、急に涼しくなりました。
 皆様いかがお過ごしでしょうか。
 「灯火親しむの候」なんていいますが、火という言葉を聞くのもいやだった夏の暑さが過ぎると、一転、火が恋しくなりますね。
 火といえば、今年も沢山の灯火がつけられました。亡き人の供養をする灯火が。
 それぞれの人が、それぞれの想いでつけた小さな灯火の中に、あの懐かしい人々の顔や懐かしい故郷の景色が浮かんでは消え浮かんでは消えしたのでしょうね。
 「火」という漢字は、燃え上がる炎の形から出来たものですが、その俗の意味に「なかま」というものがあります。
 火は人間の仲間であり、火の周りにはには仲間が集うというものです。
 動物にとって、火はすべてを焼き尽くす大変怖い存在です。人もかってはそうでした。
 はるか昔、強大な肉体も、するどい爪も牙も持たない人類の祖先は、常により強い外敵からの恐怖にさらされていました。その外敵から身を守るために、樹上生活をよぎなくされていました。
 その樹上生活をする人類にとっての最大の敵が、音もなく木を登ることの出来る当時の巨大なヘビだったそうです。
 「ヘビは人類にとっての最大の恐怖するもの」という遺伝子が、現代の私達にまで受け継がれ「ヘビを見ると恐怖する」感情が起こるのだそうです。
 その人類が、飛躍的に発展したのが「火」を自分自身でコントロールすることが出来るようになったからなのです。
 火は外敵から身を守り、暗い夜を明るく照らし、寒さをしのぎ、食料の幅を広げていったのです。
 恐れおののかなくてはならなかった「火」は、人類にとって量り知ることの出来ないほどの強大な力を持った「仲間」となったのです。
 しかし現代の人類は、その量り知ることの出来ない強大な力を持った「火」を、すべて人間の知恵でコントロールすることが出来ると思い誤ったのではないでしょうか。
 「火」は、私たち人類に無上の豊かさと快適な生活を与えてくれる天使の顔の裏には、すべての物を破壊することの出来る悪魔の顔を持っていることを忘れてしまったのではないでしょうか。
 東日本大震災における原発事故の悪影響はいつ終息するともわからないまま、人々の心と体を蝕み続けています。
 人知では量り知ることの出来ない強大な力を、安易にコントロールすることが出来ると思い誤った結果の一つではないでしょうか。
 本来の「灯火」は私たちに安らぎを与えてくれるもののはずです。
 アンデルセンの童話「マッチ売りの少女」が小さなマッチの炎の中に見たものは、暖かいストーブ、七面鳥の盛られたご馳走、飾られたクリスマスツリー、そして優しい祖母の姿でした。
 「貧者の一灯」という言葉がありますが、ネオンきらめく大都会の中にあっても、火の本質とも言うべき一本のマッチ、一本のローソクの灯りは、人々を優しく包み大きな希望を与えてくれるものになるのですね。
 
 一つの小さな灯火も、集まれば大きな炎となります。
 私たちも、一人一人の力は弱くとも、集まれば大きな力となります。
 秋の夜長、ローソクのほのかな灯りを見つめて、使い方によっては天使ともなり悪魔ともなる火の温もりと怖さを、今一度考えてみたいものですね。
 ローソクの灯りと虫の声で飲む温かいお酒、かなりいいですよ。 




   お彼岸は太陽が真西に沈む時です  9月
  夕日が西の山陰に沈みかかると、稲穂が刈り取られたあとの田圃の向こうに、茅葺き屋根の農家と、そこから立ちのぼる夕餉支度の一筋の煙が、茜色の空の下にシルエットとして浮かび上がります。
 こんな日本昔話のような景色は、現実には見たことがなくても、頭の中に思い描かれて、ちょっとセンチメンタルな懐かしい気持ちになるのが秋の夕暮れ時ですね。
 「暑い暑い」と文句たらたらで過ごした夏も、終わってしまうと悲しいようなさびしいような、懐かしい気分にもなるもんです。
 「喉元過ぎれば熱さ忘れる」
 昔の人はよく人間を観察したもんですね。
 辛かったこと、悲しかったこと、苦しかったことも、時の過ぎゆく中で忘れていってしまうのが私たちなんですね。
 でも、一度でも体験したものは、私たちの記憶から無くなってしまったものではないはずです。記憶の片隅の引き出しに仕舞い込まれていくだけの話です。決して私たちの記憶というものは、消えて無くなるものではないのです。

 時の立つのは、ほんとに早いものですね。

 ニューヨークの同時多発テロから10年、東日本大震災から半年が過ぎてしまいました。
 人々の記憶が少しずつ薄れてきたような気がします。記憶の引き出しの奥の方へ奥の方へと仕舞い込まれていくような気がします。
 ニューヨーク同時多発テロからわずか10年。この10年間にいったいどれほどの命が、心ならずも失われたのでしょうか。どれほどの血が心ならずも流されたのでしょうか。
 戦争・災害・事故・自殺・犯罪などによって失われた命は、私たちの想像を絶する数に上っています。その想像を絶する数の数倍もの命が血を流したのです。
 
 直接的被害にあった方々にとって、時間は止まったままであって記憶の引き出しに仕舞い込むことの出来ないことでしょう。
 しかし、その時々のニュースに心を痛めた私たちの記憶は、どこの引き出しに仕舞ったのかさへ思い出せないことさえあるのです。
 時は「無常」であり「無情」でもあるのですね。
 「喉元過ぎれば熱さ忘れる」
 この諺を、否定したくとも否定できないのが私たちではないでしょうか。

 どんな境遇にある人にだって、朝起きてから夜眠るまでの間に起こった事柄を一つ一つ綴っていけば、一冊の長編小説が書けると言われているのに、気が付けばあっという間に無為に過ぎ去る時間。
 人間て、ほんとに愚かな生き物なんですね。
 
 この9月。太陽が真東から昇り真西に沈む、もっとも夕日のきれいな時です。

 真っ赤な夕日。血の色のようですね。
 その太陽の向こうに、今は亡き人々が、命が、国を越え人種を越えて集い、私たちを見ております。
 そしてその中に、あなたの記憶の引き出しの片隅に決して仕舞い込むことの出来ない、あの人の顔も見つけ出すでしょう。
 その今は亡き命のおかげで、今生きている私たちです、今生かされている私たちです。
 今は亡きその命のご恩に報いるためにも、今ある私たちの命を無駄にしないで、明るく正しく仲良く精一杯生きていくことが大事なのではないでしょうか。
 西の彼方にいらっしゃるすべての命が、やさしい笑顔で見ていて下さるような生き方をすることが、私たちの責務なのです。

 なんだか今回は、元気が出るような話が書けませんでした。
 だって、未だに続く東日本大震災や、いつ終わるとも知れない原発事故の後遺症。そして新たな災害や事故のニュース見てたら、私だってやっぱりちょっと暗くなりましたもの。やっぱり秋なんですね。





     7月
 七月はお盆の月です。と言うと、今では「八月の間違えているんじゃないの?」なんて言われるくらいに、ひと月遅れの「八月盆」が主流の国民行事になりましたね。
 正しくはお盆は七月の行事です。とは言っても旧暦ですからね、今年で言えば8月14日が旧暦の7月15日ですから、どっちかと言えば「月遅れ盆」の方がちょうどいい感じかも知れません。
 このお盆、ご先祖様や今は亡きご精霊が、年に一度里帰りする時と言われておりますね。
 でも今年は、帰るべき故郷や懐かしい我が家の想像を絶する有様を見て、愕然とするご精霊がたくさんいらっしゃるでしょうね。帰った故郷の景色は以前と全く変わっ ていないのに、人の姿の消えた町や村に涙するご精霊もたくさんいることでしょうね。

 お盆の行事は、お釈迦様のお弟子のお一人だった「目連尊者(もくれんそんじゃ)」のお話に由来します。

 目連さんが、お釈迦様の元で一生懸命に修行をして、一人前のお坊さんになったある日、「あのやさしい私のお母さんは、極楽のどこにいらっしゃるのかな?」と、習い覚えた神通力を使って探してみたところ、あろうことか、あのやさしいお母さんは欲張りの罪によって「餓鬼道地獄」と言う恐ろしい世界で苦しみ悶えておられたのでした。
 そこで目連さんはお釈迦様にお願いし、7月15日の満月の日に特別な供養を行い、お母さんを餓鬼道地獄から極楽浄土に救い出しました、と言うのがお盆の行事の由来なんです。
 
 ではなんで、目連さんにとってやさしいお母さんが「餓鬼道地獄」に落ちなければならなかったのでしょうか。
 それは母子家庭、母一人で子供を立派に育て上げるためには、現在でも大変なご苦労がお有りになることだと思います。しかも、目連さんの時代は今から二千五百年も昔の、まだまだ人が人を差別するのが当たり前の時代でした。目連さんのお母さんのご苦労はそれはそれは大変なことであったでしょう。
 「自分の子さえ良ければ、自分の子さえ立派になれば」その思いが強すぎたため、他の人を思いやる心を忘れてしまっていたのでした。そのためたくさんの人に迷惑を
かけ、涙を流す思いをさせてしまっていたのでした。それが「餓鬼道地獄」の道になったのですね。

 でも、目連さんのお母さんが地獄に堕ちなければならなかった罪の理由はそれだけではないのです。
 その罪は、目連さん自体の生き方にもあったのです。
 お母さんが、地獄に堕ちるほどの罪を犯してまで、自分を育ててくれたと言うことに、目連さんは気づいていなかったのです。
 目連さんは、今こうして一人前のお坊さんになれたのも、自分一人の努力のおかげだとしか思っていなかったのですね。

 お盆は、昔のインドの言葉で「ウランバーヌ」と言います。
 この言葉は「逆さまに吊り下げられたような苦しみ」と言う意味があります。

 今の自分があるのは、私を生んで育ててくれたお母さんはじめ、数知れないほどのたくさんの生命があったからこそ。それに気づかず、思い上がり傲慢になっていた私。その事に初めて気づいた時、今ではもう取り返しのつかないその恥ずかしさに、目連さんは逆さまに吊り下げられたような苦しみを味わったのです。
 お釈迦様はおっしゃいました「気づき反省することに遅いということはない」と。
 
 お釈迦様が教えてくれた特別な供養とは、今あるすべての生命、そして過去せるすべての生命に、感謝の誠を捧げることだったのです。

 私たちもそうですね。
 自分でやって成功したことは、大きく見過ぎる事があります。何でも自分一人の力でやりとげたような気持ちがするものです。
 その逆に、失敗し挫折したことは、他人のせいにしたがるものなんです。

 自分がえらく見えすぎて、困り悩んでいる人たちを忘れて、傷ついた心を逆なでするような一国のご重役さんもいるくらいですから。
 
 お盆の行事は、すべての生命に感謝の誠を捧げる祭典であり、今一度自分自身を振り返り反省する生命の祭典です。

 亡き人たちに喜んで我が家に帰っていただけるような、国や町や村や我が家を、早くみんなで造りたいものですね。 





     6月
ありとあらゆる悪をなさず
ありとあらゆる善きことは 身をもって行い
おのれの心を清めんこそ 仏のみ教えなり


 このお釈迦様のお言葉は七佛通戒偈と呼ばれています。
 「悪いことをしないで 善いことをしなさい」と、すべての悟られた方はみんな同じことを言うんですよ。と言うことですが、私たちはこうして世間を生きていくと、何が悪いことで何が善いことなのか、また、何が正しいのか何が間違いなのかがわからなくなることが多々ありますね。
 あの十七条の憲法をおつくりになった聖徳太子も、その第十条に「是非の理 誰かよく定むべけんや」と書いております。
 一度戦争が起きれば、世の中で最も悪だとされる殺人さえも、手柄を立てたと褒め称えられることさえあるのですから。

 さる3月11日、日本は未曾有の大震災と大津波に襲われました。
 そして日本の将来のさらなる発展を担うとされた原子力発電所は無惨にも破壊され、事故はいつ終息するともわからず、被害は日々拡大を続けているところです。
 
 かって原子力は人知を超えた力を持つエネルギーとして、ありとあらゆる可能性が模索されてきました。おりしも第二次世界大戦という戦争の中で、その原子力は原子爆弾という兵器に姿をかえて、人々にその人知を超えた強大な力を見せつけたのでした。
 人間の明るい未来を担うべき原子の力は、悪魔の力をも併せ持つことを人々に知らしめたのでした。
 その後、その悪魔の力を封じ込めながら、「未来の光」としての原子力発電所が脚光をあび、気がつけば、世界中に数百機の原子力発電所が建設され、それにともない、電気を使う私たちの生活は飛躍的に発展したのです。

 いったい何が悪だったのでしょうか。何が善だったのでしょうか。何が正しいことで、何が間違っていたのでしょうか。
 昨日悪だったものは今日は善となる、そして明日はまた悪となる。
 世の中すべてがそうだと思いませんか。

 「足るを知る」「物の本質を見極める」「信とは人の言葉なり」言うは易く、行うは難しです。
 この不幸な出来事の時に、もう一度、何が善か、何が悪か、おのれの心を清めて静かに考えたいものです。 




     5月
 先日、陸前高田に住む、私の後輩S君の死亡が確認されましたとの連絡が入りました。
 S君は、あの3月11日、勤めていた老人ホームで、入所者の避難誘導をしていたときに津波に飲まれて行方不明となっておりました。
 S君は180センチを越す長身と愛くるしい目が特徴の好青年でした。私どものお寺にも遊びがてらにお手伝いに来てくれました。ある日、足袋を忘れてきたS君に白のスポーツソックスを履かせて法要をいとなんだことがありました。なにしろ28センチを越す白足袋など急には間に合いませんから。そんな笑い話も悲しい思い出となりました。
 きっと彼のことだから、最後の最後まで入所者の避難活動にあたっていたのでしょう。
 今はただお浄土での活躍を祈るばかりです。
 
 江戸時代の禅僧、良寛上人のお歌に
「人の子の遊ぶを見ればにはたづみ 流るる涙とどめかねつも」というものがあります。
 震災直後、人々はその恐怖と悲しみとで、どうすることも出来ない状態に陥っておりました。それからひと月ふた月と時が過ぎ去ると、あらたに現実を直視しなければならないという苦しみにおそわれているのです。
 親も子も、兄弟も友人も、家も土地も財産も、すべてが一瞬のうちに消え去ったという、とうてい信じることの出来ない現実。
 自分だけが生き残ったという悔悟の念、明日への希望を失なった苦しみ。被災された方々にとって、眠れぬ夜は耐え難いほどの長さと暗さを持っていることでしょう。
 「また日は必ず昇るさ」「頑張れば必ず明るい未来が来るさ」
 こんな時、人が百千ほどの言葉を投げかけても、なかなか心の奥底までは届かないものなのですね。
 人の言葉の非力さに涙するばかりです。
 でも、荒れ果て、見るも無惨な姿になった場所にも、以前と同じように一輪の花が咲きました。木々は新緑の衣を纏いました。小川には清らかな水が流れます。そこには小さな魚が泳いでいます。
 人の言葉の何倍もの重さを持った、人々を勇気づけ、明日への希望を与える姿です。
 S君が幼い頃の思い出を話したなかに、
「春になると、学校から家に帰ると、お皿に味噌を載せてもらって、みんなで山に登ったもんですよ。山菜を採って味噌をつけながら遊んだんです。」厳しい寒さを乗り越えた東北の春の美しい景色を見た思いがいたしました。
 天地自然は、人の想像を絶するほどの荒れ狂い方をします。だから、天地自然は、人の想像を絶するほどの優しさを持っているのです。
 私たちも天地自然のなかに生きる一つの生命です。
 力も財力も、かける言葉も持たない人たちであっても、この一瞬を精一杯生きる姿を見せること。これが悲しみにくれる人々への最大の応援となることでしょう。亡くなった生命への最大のご供養となることでしょう。




   お釈迦様のお誕生日  4月
 大地震と大津波に襲われた、被災地にも桜の花が咲きました。去年と同じように。
 小さな島国でありながら、地震・津波・台風そして噴火などと、人の力では決して征服することの出来ない天地自然の脅威にさらされながら、負けることなく、古来よりその住み慣れた土地を捨てずに頑張って生活し続けてきた、私たち日本の人々。
 それは、荒れ狂う天地自然の人知を超えた猛威の裏にある、やさしくおだやかで、豊かな生活を与えてくれる同じ天地自然の姿を、ありのままに見てきたからなのでしょう。
 天地自然の脅威と隣り合わせにある、豊かな大海原と豊かな大地。四季折々に美しく彩られるこの島国は、そこに住む人々の目も心も、そして日々の暮らしも、楽しく和ませてくれた、決して離れることの出来ないすばらしい故郷なのです。
 そんな国だからこそ、そんな人々だからこそ、数百年、いや数千年に一度という未曾有の大災害にも負けずに、いつかまた、かなり早い時期に、きっと花咲く美しい国にもどってくれるはずです。
 
 今から二千数百年の昔の四月八日(今の暦では五月中旬)に、仏教の開祖 お釈迦様はお生まれになられました。
 お生まれになったお釈迦様は、右手を上にして天を指し、左手を下にして大地を指して「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんがゆいがどくそん)とお語りになられたそうです。
 この言葉は、「この世の中にあるすべての生命一つ一つがすべて尊いものだ」という、お釈迦様の心から願う叫びだったのです。
 この度の大震災でも、たくさんのかけがえのない尊い生命が失われました。
 人間の生命だけではありません、虫も鳥も魚も草も、すべて一つ一つが尊い生命がうしなわれました。
 しかしこの美しい国に住むすべての命は、決して天地自然の脅威に負けることはないはずです。いや、天地自然の力には決して勝てないことを知っているからこそ、あのやさしくおだやかな故郷を、また復活させることが出来るはずなのです。
 
 でも私たちが、忘れてはならないことがあります。
 この地球という星に住む人間の一部の者が、お釈迦様の切なる言葉をなかなか聞いてはくれていないと言うことを。

 人と人とが、欲と怒りとその愚かさ故に起こす、いたましい事柄を。

 人と人とが互いに殺し合うという紛争は世界中の至る所で起こり、人間のほんのわずかな不注意で起きる事故や事件や、悩み苦 しみに負けて、自ら尊い生命を捨てる人々の数は、災害によって亡くなる人の数をはるかに上回っております。

 今私たちの多くは、東日本大震災の被害に遭われた方達に、自分の身になって心からの救済の手を差し伸べています。たとえそれがほんの小さな事であっても。
 その今の心を決して忘れずに、他人の痛み悲しみを、自分のものとして一人一人が生活して行けたなら、きっとそのうち、お釈迦様がお生まれになった時のように、世界中に平和と平等という花が咲き乱れることでしょう。 




苦しみの向こうに 3月
 この度の東北関東大震災により、尊い命をなくされた方々に謹んで哀悼の意を表させていただきますとともに、被災者皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 人生きていく上で、たくさんの苦しみがあります。もちろん楽しいことだって嬉しいことだってたくさんあります。でも、その楽しいこと嬉しいことの裏には、いつも苦しいこと悲しいことが隠れているものなのです。いや、苦しいこと悲しいことの裏に楽しいこと嬉しいことがあるのかもしれません。
 人生のもっとも苦しいものに四つことが上げられます。それを生・老・病・死と言って「四苦」と言っております。
 まず最初が「生苦」と言って、この世に生まれ出る時の苦しみをいいます。
 今こうして生きて生活している私たちにとっては、生まれてきたときの苦しみなんて覚えていませんよね。でもきっと苦しかったんです。だってニコッっと笑ってVサインなんかして生まれてくる子はありませんものね。みんな激しくオギャーって泣いて生まれてくるんですものね。
 それが人間として最初の苦しみなんだそうです。
 時は一刻もとどまってはいません。みんなにちやほやされながら、ただ遊んでいればいいだけの子供の時代はあっというまに過ぎていきます。
 いままで出来たことが出来なくなってくる。振り返ってみれば「もうこんな歳になったのかな」時の過ぎ去る早さに胸が締め付けられるような苦しみを味わうのが人間なんです。これを「老苦」と言います。
 今までは、足も腰も痛くなるなんて思わなかった。風邪だって一日も寝れば治っちゃった。ガンだ脳卒中だなんて冗談交じりに言ってたものが、現実のものになることがあるんです。これを「病苦」と言います。
 「死ぬときはポックリと行きたいね」なんて酒の席で騒いでたのが、本当に死を目前にするときが来るのです。それを「死苦」と言います。
 人間としてこの世に生まれ出れば、年老い、病に罹り、死ななければならない。どんなに時代が進もうとも、どんなに科学が発達しようとも、決して逃れられない苦しみ。それが「生・老・病・死」という苦しみなんです。

 そして、人間としてこの世に生まれた以上、もう四つの苦しみがあると言います。
 「愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五取薀苦」と言う四つの苦しみです。
 前の四つの苦しみと、この四つの苦しみを合わせて「四苦八苦(しくはっく)」と言います。

 まず最初は、愛別離苦(あいべつりく)と言って、愛する者との別離の苦しみを言います。
 「合うは別れの始め」なんて歌の文句にもありましたが、どんなに愛し合った者でも、一度合ったら必ず別れというものが来るという、悲しいけれど現実なんです。
 この度の大震災、親と子と、夫と妻と、ふれ合った沢山の人々と、別れたくはない別れたくはないと必死に願っても別れなければならない、この悲惨な現実を目の当たりにしたとき、だれが諸行無常・愛別離苦と簡単に声をかけてあげられるでしょうか。
 そして、あなたがもっとも愛している者、それは誰でしょうか。もしかしたら、元気で健やかなあなた自身ではないでしょうか。元気で健やかなあなた自身ともいずれ、老・病・死という苦しみの中で別れなければならない時がくるのです。

 二番目が、怨憎会苦(おんぞうえく)と言って、怨み憎む者と出会う苦しみを言います。
 怨み憎む者の対象は人ばかりではありません、地震や津波などの天災地変だって、誰だって会いたくなんかありません。一生のうち一度だって会いたくないものです。それはその人の運でもなければましてや罪でもないのです。
 人がもっとも会いたくないという怨み憎む者って誰でしょうか。それは生まれ出れば必ず一度は必ず会ってしまう「死」と言うものです。その苦しみそれを「怨憎会苦」と言うのです。

 三つ目を、求不得苦(ぐふとくく)と言います。求めても求められない苦しみを言います。
 元気で楽しく、どんな苦しみも悲しみもすぐに忘れてしまったあの子供の頃。もう一度戻りたいと思っても決して戻れない現実。
 歳を取りたくない、死にたくはない、千年も万年も若く健やかでありたいと願っても、決して叶うことの出来ない現実。
 亡き愛する人に、もう一度生き返って下さいと、いくら泣いても叫んでも決してこの世に生き返ってきてはくれない現実。
 寂しいけれど、それが求不得苦という苦しみなのです。

 そして最後を、五取薀苦(ごしゅうんく)と言って、肉体と精神に執着する苦しみを言います。
 誰でも一度は、青空をゆうゆうと飛んでいる鳥を見て、何の悩みも苦しみもないように大空を飛んでみたいな、と思ったことがあるでしょ。でも、そうはいかないんです。
 子供は子供なりに、青年は青年なりに、老人は老人なりに、病人は病人なりに、思うようにいかない自分の体と心に苦しむのが人間なんです。
 そして、生まれ出たならいつかは死ななければならないという、この体と心を持ったこと故の苦しみ。それを五取薀苦と言います。

 「四苦八苦」なんかこういう風に言うと、人として生きてきたならなんにも楽しいことがないみたいですよね。
 でも苦しみがあるから楽しみがあるんです。悲しみがあるから嬉しさもあるんです。
 人間としてこの世に生まれたら、生・老・病・死という苦しみが必ずあるんだ。とその現実をしっかりと見据えて、だからその時その時をしっかり生きていくことが大事なんです。
 歳を取れば歳を取ったなりに、病にかかれば病にかかったなりに、無理をせずおおらかに生きていくことが大事なのです。
 そしていよいよ死ぬときが来たならば、必ず阿弥陀様がお迎えに来ていただいて、何の苦しみもない極楽浄土に連れてってくれるんだと、信じて生きることが大事なのです。
 
 この度の東北関東大震災のために被災し、家族も家もなくして、身も心も打ち拉がれた人々にとって、ほんとに悲しく切なく聞こえる「諸行無常」「四苦八苦」という言葉ですよね。
 昔、良寛さんというお坊さんが詠んだ句に、
「ぬすびとの 盗り残しけり 窓の月」というものがあります。
 いかに大きな地震であろうと、いかにおおきな津波であろうと、すべてのものを奪い去ったわけではありません。
 人々の心の中の月の明かりは、必ず残っているはずです。
 亡くなった人々の心の灯りは、いま極楽浄土の阿弥陀様のもとから、勇気を持ってしっかりと生きる人々を照らしていて下さるはずです。
 それを信じて、いつの日か、亡き人々に、私たちの命が無駄ではなかったと喜んでいただけるような国土が築けることを願っております。