snail5.gif (1130 バイト)  たつむり四方山話5

俳人・久保白船のうまれた佐合島

   山口県東部に、瀬戸内海に長く突き出た半島・室津(むろつ)半島があります。2003年
  春から、仕事の関係で自宅のある町(県中部に位置する小郡町)から離れ、この半島の端
   にある町(上関町)で単身生活を始めました。日曜日の夜、一週間分の食料を買いこみ、自
   宅からアパートに車を走らせます。光市室積から海岸沿いに国道188号線からの眺めは、
   何度見ても詩情的で心をうちます。海上に点々と浮かぶ島々。島の灯りが遠く、蛍の光のよ
   うに映ってきます。牛島(うしま)、馬島(うましま)、佐合島(さごうしま)。さらに沖に祝島(い
   わいしま)。そして、私の職場のある長島(ながしま)。細長く沖に向かって横たわる室津半
   島。田布施町、平生町、上関町がぐるりと湾を取り囲むように位置しています。

      年の瀬も押し詰まった2003年12月23日、天皇誕生日。平生町佐賀の沖合に浮かぶ小
 島・佐合島に渡りました。もちろん、陸産貝類の調査を行うためです。ほぼ1年ぶりの調査活
   動とあって、前日の夜からうきうきしていました。快晴の天気。朝9時30分、佐賀港発の町
  営の渡し船。買い物帰りの島のおばさんたち5人と同船となった。わずか7分間で島の岸壁
  に到着。佐賀側から見ての印象とは異なり、意外なほどの近さを実感しました。「釣りにお
  いでになったのですか?」「いえ、かたつむりを調べにきました」「この季節にいますか?」
  「はい、いますよ。この熊手で落ち葉を掘るのです」「・・・・・」

    佐賀港の待合場に掲示してある島の案内図を見て、佐合島が俳人・久保白船(くぼはく
  せん)の出身地であることを知ったのです。と言っても、久保白船という名前を聞くのは初
  めてでしたが。私の家族の住む小郡町に深い関わりのある俳人・種田山頭火(たねださん
  とうか)は、知っていましたが。久保白船は、隣町田布施町出身の俳人・江良碧松(えらへ
  きしょう)とともに、「層雲」の周防三羽がらすと称されるほどの人です。これから向かう小島
  が、そういう人の出身地かと思うと、「訪れて良かった」と改めて思ったのでした。

   かつて、水上交通が中心であった時代、瀬戸内海は船の往来が盛んで、この一帯は人・
  物・情報が行き交う要所としてにぎわい、発展を極めていたそうです。歴史をさかのぼれば
  万葉の時代からの深い歴史物語があることも知りました。久保白船自身、山口の旧制中学
  を卒業後、文学を勉強したかったのですが、実家が醤油醸造業を営んでいたので、やむな
  く佐合島に帰ってきたそうです。当時、大規模に醤油業を営み、原料の大豆や製品の醤油
  も、船便を利用して大量に輸送できたそうです。
   佐合島と久保白船について、紹介したいと思います。
 


  佐合島(さごうしま) 瀬戸内海国立公園  総面積1.48平方キロ(周囲5.5キロ)

  人口44人(平成13年3月、※平成16年1月、25世帯、42人)
  佐合島は本土より南西海上2.1キロの沖合に浮かぶ、白い砂浜と豊かな緑に包ま
 れた美しい島である。地形は北部と南部に100メートルを超える山があり、ほとんどが
 丘陵傾斜地で平坦地は東側の海岸の5パーセント程度にすぎない。

   この島の歴史は古く近世には毛利藩の直轄地であり、島の山頂には狼煙場(のろ
 しば)があり、藩主の発着、幕府の上使、朝鮮信使の通航外船の防備等に馬島、戸
 津(へつ)間の連絡をしていた。島の名は、慶長5年(1600年)の検地帳の「佐合」、元
 禄12年(1699年)の郷帳に「佐合島」と記されている。かつてこの島には、天保13年
 (1842年)に694人、明治22年には975人が住んでいた。しかし、耕地が少ないため
 男の多くは遠く九州対馬方面まで漁業の出稼ぎをし、女は木綿織をしていた。以前は
 大島郡に属していたが、明治9年に熊毛郡となった。

  現在は観光の島として、潮干狩や岩場でのフィッシング、とくに夏場は海水浴客で
 にぎわっている。美しい海岸には、ハマボウフウ、ツルナ、アシタバ、オカヒジキなど
 が自生し、薬草として活用されている。     (渡船待合場の観光案内より)
 

 

 
佐合島の位置 佐合島遠景(平生町佐賀港より)

 
 

       俳人 久 保 白 船 (くぼはくせん)     種田山頭火の親友

  久保周一(しゅういち)(白船)は明治17年、この沖平生町佐合島で生まれました。
 県立山口中学を卒業すると、家業の醤油醸造業を継ぐために佐合島に帰り、仕事の
 かたわら句作に励みました。
  明治44年、荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)の自由律俳句誌「層雲」(そううん)
 の同人となり、中学校以来の友人種田山頭火や、田布施町の俳人江良碧松とともに
 活躍しました。
  昭和初年には日本水彩画会に入選するなど絵画の面でも才能を発揮しました。昭
 和16年、満57歳でその生涯を終えました。

  白船代表作

    踞(うずくま)ればふきのとう
         海の青さ山の青さに雲重(かさ)なれり

  山頭火佐合島代表作

    島は音なく暮(く)るるなり黙(もく)しをる二人

                     平成十年八月  平生町教育委員会

 

   佐合島の陸産貝類

  約6時間ほどで、ほぼ島全域を調査した結果、13種を確認しました。植物相は雑木林で
 林床には落葉が堆積していましたが、乾燥気味で、陸貝の生息にとっては好環境とはいえ
 ませんでした。ヤマクルマガイとコベソマイマイの生息は、目を見張るほどの濃密度でした。
 黒帯型のコウダカシロマイマイが、かなりの頻度で観察されました。キセルガイの仲間とし
 ては、スグヒダギセルのみでした。

   ヤマタニシ  アツブタガイ   ヤマクルマガイ  ヘソカドガイ   スグヒダギセル
   オカチョウジガイ   ベッコウマイマイsp.   コベソマイマイ   ウスカワマイマイ
   チクヤケマイマイ   セトウチマイマイ   マメマイマイsp.  コウダカシロマイマイ

    

 

佐合島八幡宮社叢

佐合島八幡宮参道

佐合島観光案内図

佐合島の夕焼け


   ※ 平生町より「久保白船集」が2003年に発刊され、装丁・内容ともに立派な資料があります。
   ※ 流浪の俳人・種田山頭火は、28歳ころから文学活動を始め、地元の文芸誌に田螺公(たにし
     こう)の名前で投稿を初めています。
   ※ 最近の新聞(2004.1.15 中国新聞)で知ったのですが、東京芸術大学名誉教授でシンセサ
    イザー作曲家の南 弘明さんは、定年退職後、佐合島に移り住み、音楽評論や作曲をされていま
    す。意欲的に地方からの発信に取り組まれています。