かたつむりや貝と私たちとの関わりを調べる中で、新しく知った情報を紹介するページです。 |
山口の鷲流狂言 |
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鷺流狂言の公演(1) |
鷺流狂言の公演(2) |
鷲流狂言は、その昔、大蔵流、和泉流と共に幕府諸大名の保護を受け、わが国の狂言三流派の一つとして、隆盛を極めた古典芸能でありながら、明治維新以後は家元制度ができず、存続・伝承のための手だてを失うことになりました。 多くの有能な狂言師たちが転職し、伝承のための力添えのなかった鷲流狂言は明治時代中期には滅亡したといわれています。 しかし、現在もなお家元のない素人の狂言師によって鷲流狂言が伝承されている地方が存在しています。そのうちの一つが山口であり、他には新潟県の佐渡があるのみであります。 昨年(平成8年)10月26日に山口鷲流狂言保存会により、山口に鷲流狂言が伝わってから110周年にあたることを記念して「山口鷲流狂言伝承110周年記念公演」が開催されました。 この110年の間の鷲流狂言伝承の道のりは大変厳しいものであったと聞いています。春日庄作には数十人の弟子があったと伝えられており、これらの門弟には玄人に対するような正統で厳格な稽古をつけたそうで、これらの弟子が活躍している間は芸がしっかりしていたので、かなり高い芸位を保っていたそうですが、春日庄作の弟子たちが没したり、狂言から離れたりしてからは、山口市の鷲流狂言は急速に衰微していきました。そして大正中期の頃に狂言役者は、10人を超える春日庄作の直弟子の一人である「吉見安太郎」と、その弟子の「中西治郎」のわずか2人にすぎなかったそうです。 |
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保存会のメンバーによるリハーサル |
鷺流狂言の舞台となる野田神社 |
※このページの作成については、末次和信さん(山口市教育委員会)から多くの資料の提供を受けました。また、次の文献を参考にしました。「山口に現存する鷲流狂言」(吉岡鎮香、1998,『甲南国文』第45号)、狂言ハンドブック(三省堂、1995)。 |