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日常のささいなことでも日記ふうに書き綴るきっずはうすのドキュメンタリードラマです。

 


楕円のロック・クリスタルのペンダント*パリのエミール・フロマン・ムーリスの1860年頃の作品。

木の精のペンダント*1900年のパリのアンリ・ヴェヴェールの作品。木の精(ラ・セヴ)には、創造の活力という意味がこめられているそうだ。

 

 

1908年ロシアの宝飾デザイナーであるボリーンのサイン入り。
スター・サファイア

19世紀後半のメレリオ・ディ・メレーのストマッカー・ブローチ

孔雀の羽のブローチ*おそらくメレリオ・ディ・メレー(パリ)の1880年ごろの作品です。カボションのスター・サファイアをセットして、ダイヤモンドで縁取り、さらにカリブレ・カット・エメラルドで取り巻いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


アンティークジュエリー(1540年〜1940年)展
(福岡市博物館2003年)

ストマッカー・ブローチ:17世紀:ロンドン博物館蔵

このような色石とダイヤモンドを枝状の花や、時にはバスケットや花瓶にマウントしたものは、ジャルディネット、すなわちリトル・ガーデン(小さな庭)と呼ばれたそうだ。それらは、その後に続くフローラル・ジュエリーを提起している。

花束が2本の取っ手つきのダイヤモンドの花瓶に活けられており、葉には緑のエナメルを、花と蕾には厚い不透明の白いエナメルを施し、ディテールがカラー・エナメルと黒いエナメルで描かれている。ダイヤモンドの水滴できらめく花の中には揺れる仕掛けにマウントされているものもあり、また写実性を与えるために一匹の昆虫がその上を飛び、一羽のオウムが真ん中に隠れているのだ。

 

左:1860年頃のバングル;ルイ14世治下の芸術にインスピレーションを得たもので、結婚を祝うためにデザインされたものだそう。楕円のセンターピースにエナメルで描かれているのは、愛の神キューピドの像で、頭上に花束を掲げ、そのうえには金のラバーズノットが花綱飾りがある。ボックスには、フェルディナン・デュコの名前と住所、ボルドーのクール・ド・ランタン13番地が押印されている。

右:1810年:イギリス*このパンジーのブローチは、ゴールデン・トパーズと紫色のアメジストの花びらに、ダイヤモンドとクリソライトのオシベがつき、「私のことを想って」というメッセージを伝えたそうだ。
3枚の花びらの裏側に、所有者たちの3人の名前が刻まれているという珍しい実例。リストウェル伯爵夫人アン・ラソム。。。。その養子の3代バントリー伯爵ウィリアム。。。そしてその長女のレディ・アーディロン。

余談だけど、ベルギーの作曲家でピアニストのルイス・ストリーボック(1835年〜1886年)が作曲した「すみれ」というピアノ小曲があります。素朴なメロディーラインと弾むピアノの音が、すみれの可憐さを表現しています。

アール・ヌーヴォー時代(ベル・エポック)

1878年から80年のイギリス訪問の際に、フランスのアール・ヌーヴォーのリーダー*ルネ・ラリック(1860年〜1945年)は美術評論家のジョン・ラスキンとウィリアム・モリスの思想についても理解した。
彼はそれに対する独自の個性的な表現の追及を続けて、ジュエリーの新しいスタイルを発展させ、1900年にパリで開催された万国博覧会のオープニングにおいて、世界を魅了した。
ルネ・ラリックのインスピレーションの源は日本美術と自然であったが、彼はその自然を詳細に観察し、仕事中は常に花の入った花瓶を傍らに置いたそうだ。
彼は路傍のアザミやヤドリギ、バラや菊、アネモネ、パンジー、ポピーなどのそれらの茎までデザインに組み込むことを絶対に必要と考えた。
バッタや蝶、トンボ、スズメバチ、カブトムシといった昆虫はもう一つの熱愛の対象であり、コウモリや鳥についても同様だった。この自然の世界から、彼は寓話の領域へと入り、そこから不死鳥とスフィンクス、ドラゴンをモチーフにした。
ラファエル前派の絵画の夢のような女性たちにも魅了された彼は、裸身または着衣のほっそりした乙女たちの姿をベースにしたジュエリーを創造するが、彼女たちの顔は長い流れるような髪で縁取られた。ときとしてこれらの天使のような被造物は、花や魚の尾ひれ、蝶の羽と合体し、そうして生まれた混成種は、ラリックの最高傑作とみなされている。
フランスにおけるラリックの信奉者は、アンリ・ヴェヴェール(1854年〜1942年)、レオポルド・ゴートレ(1865年〜1937年)、ルイ・オーコック(1850年〜1932年)、ジョルジュ・フーケ(1862年〜1957年)らの芸術家たちがいる。

アールヌーヴォーのムーブメントがなぜ、短命に終わったかといえば、アールヌーヴォージュエリーは、一般の女性たちにとってあまりにも高価すぎたためだ。
1905年にロンドンで開催されたルネ・ラリックの展示会の失敗が物語っている(数点のリング以外には何ひとつ売れなかった)
それは着用することが難しく、まったく飾り気のないプレーンな生地の上でしか映えなかった。
すべてのジュエリーの第一条件、すなわちなんにでも合わせられるという条件を満たすことに失敗したのだ。
1910年までに、その人気の凋落ぶりは、ルネ・ラリックがヴァンドーム広場の自らの店舗を閉鎖せざるをえないまでに達し、以後彼はガラス作りに専念することとなる。

 

 

 

左:レリーフ付きブローチ(1898年)ルネ・ラリック作

右:菊の花のペンダント(1903年頃)ルネ・ラリック作

 

リング(1902年頃)ルネ・ラリック作

 

 

蛇のブレスレットと指輪(1899年)ミュッシャのデザイン&ジョルジュ・フーケ製作*このトグロを巻く翼の生えたヘビのバングルは連結されており、頭部が手の甲に位置するようになっている。胴体にはエナメルでウロコが描かれ、頭部はオパールのモザイクで覆われている。
両目はカボション・ルピーで、クチの両脇にある板状のオパールは小さなダイヤモンド。

これはチェコスロバキア人のアルフォンス・ミュッシャによってデザインされ、ジョルジュ・フーケによって製作されたもの。あのベル・エポックを代表する女優サラ・ベルナール(1844年〜1923年:右のモノトーンの写真)のために作られた。
サラは1890年にクレオパトラの役で大成功をおさめた。
クレオパトラが自殺にもちいたヘビは、古代エジプトにおいて王権の象徴の一つであったころから、サラ・ベルナールの舞台用のジュエリーは、そのテーマに基づいてデザインされたが、9年後にミュッシャが彼女のために表現しなおしたこれは、すべてのスネーク・バングルの中で最も有名なものである。

 

 

 

ウィング・ティアラ(1907年)ショーメ作
リヒャエル・ワーグナーのオペラ「ニーベルングの指輪」の中で空駆けるワルキューレが被る翼のついたカブトに、ショーメがインスピレーションを受けて製作したティアラ。彼の最も偉大な成功の一つと呼ばれている。
他の重厚なティアラと比較して、この軽やかなウィングティアラにすごく魅せられてしまい、しばらく前から立ち去ることができませんでした。こんなティアラをのせたら、ホントウに空を飛べそうでしょ?!

あらゆるエレガントな女性たちは、自らの重い19世紀のティアラを解体させて、宝石を新しいプラチナのセッシングにセットし直させたが、そのガーランドスタイルはルイ16世時代の芸術にインスピレーションを得たものといわれている。

絵:わらだ光絵

 

絵:わらだ実和

 

19世紀初期イギリスのシード・パールのティアラ

19世紀前半の麦の穂のティアラ:麦の穂のモチーフは、収穫の女神ケレースに捧げられたもので、豊饒と繁栄のシンボルである。
第一帝政の時代に広く用いられたこのタイプのティアラは、プリンセス・ポリーヌ・ボルゲーズが着用して、兄ナポレオン1世の1804年のフランス皇帝としての戴冠式に臨み、それから後には1837年のヴィクトリア女王の戴冠式においても着用されたらしい。

ロシアスタイルのティアラ(1910年頃)*サンクト・ペテルブルクのファベルジェ作:ロシア的な表現のガーランド・スタイルを示している。

 

 

1910年頃の作品*折りたたんだハンカチーフとしてデザインされ、大幅に透かし細工を施した波型の縁飾りが、レースをあらわしている。

ロシアのボリーンの作品*広げた扇の形のブローチ
森瑤子の小説にでてくる、ある登場人物が、扇の形の繊細なブローチをしているという設定だった・・・ な。本の写真にのっていた扇のブローチはもっと、硬質な感じで、これほど流線型ではなかったけれどね。
アタシのイメージの中では、このブローチこそがあの小説にふさわしいと感じました。

〜私達は乾杯の言葉なく、そっとグラスを合わせる。けれども、私はそれを飲めない。彼を失うという事実を呑み込むことができない以上、私はシャンパンを口に含んだまま、飲み込むことができないのだ。口の中が泡だらけになり、舌や上顎や喉を激しく刺激する。口の中のシャンパンの泡は温まり、熱感を帯びて煮えたぎろうとしているみたいだ。吐き出してしまいたい。全ての事実を吐き出してしまいたい。私の胃がそれを受けつけない〜

〜視線を落として申し訳なさそうにすべきなのかもしれないが、私はまっすぐに彼女をみつめた。黒い綿ジャージーのシンプルなドレスの衿元に、プラチナとダイヤでできた扇のブローチが留めてある。細工の見事さと美しさに、私は一瞬見惚れた。〜
彼女が静かにドアの向こうに消える。私の一部が彼女と共に、ドアの透き間からすべりだしてゆく。私の一部はピーターと彼女の記憶の中に生き続ける。私はもうそれほど孤独ではないと感じる。〜角川文庫「贅沢な恋愛」の中の、「扇のブローチ」より〜

THE 1920'S トゥエンティーズ

ジュエリーのまったく新しいスタイルは、1925年にパリで開催されたアール・デコ博覧会ひおいて、結晶化した。
それは変化した女性の生活状況と、その結果としての服装の簡素化と時代を同じくするものだった。
すなわち、髪はボブカットで、バストもヒップも包み隠すスレンダーな体型を包んだシャネルやリュシアン・ルロンによるドレス姿の女性たち。

パリのジュエラーたち*ブシュロン、カルティエ、ショーメ、デュゾゾワ、ラクロッシュ、フーケ、モーブッサンらが〜〜また、1917年の革命の後には、ロシア人のマルチャックが加わって、先導役となり、要求される革新的なデザインを創造した。
最も重要な顧客はアメリカ人たちで、そのすぐ後を追ったのはインドのプリンセスたちだった。

 

左;1923年カルティエ作
右:1924年カルティエ作

 

 

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