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日常のささいなことでも日記ふうに書き綴るきっずはうすのドキュメンタリードラマです。

 

 


 

 

■マリア・テレジア(2006年5月21日福岡市博物館にて)

*1717年5月13日 - 1780年11月29日)は、神聖ローマ帝国皇帝フランツ1世シュテファンの妃、オーストリア大公、ボヘミア女王、ハンガリー女王。

福岡市博物館に「マリア・テレジア展」を観に行きました。

マリア・テレジアは、テーブルコーディネートとして初めて、生花を使った女王なんですって。

当時高価な砂糖菓子やマジパンの花を料理に添えるのが一般的だったらしいけど、彼女の経済観念とセンスがそのようなアレンジをもたらしたのだそう。

マリア・テレジアの娘のマリー・アントワネットが9歳のとき、ピアノの演奏にやってきた8歳のモーツアルトからプロポーズされたエピソードなど。。。

面白い話題を盛り込みながら、しっかり17世紀の世界史も勉強できますよ〜。

日本の長持ち(漆塗り)や、伊万里焼きの女王愛用のモーニングカップやお皿などもあったのが、不思議な気持ちにさせられました。

このような工芸品を東インド会社から、お金に糸目をつけず、マリア・テレジアは購入していたといいます。

富士山の絵などが描かれていて、どこからどうみても、日本のものだとわかる長持を、マリア・テレジアは「インドのもの」と説明していたことに対して、疑問をいだきました。

父に尋ねてみると、「当時のオーストリアにおいては、日本よりもインドのほうが知名度が高かったにちがいない」ということで、知名度を優先しての女王の発言だったのかなあ。

長持には、バロックからロココに流れの変わったニューデンベルク宮殿らしく、ロココ調ネコアシ家具が組み合わせてあったのが、いかにも「文化のミックス」のニュアンスをひきたてていました。

伊万里焼きの器にも、ロココの華やかな銀細工が組みあわされています。

マリア・テレジアが父カール6世から家督を受け継いだのは23歳のときでした。

そしてこのときプロイセン国王のフリードヒ2世が女性君主承認の約束を反故にしてハプスブルク家のご領地のひとつだったシュレジエンに兵を送り、その地を占領。

一度は女帝の結婚候補にまであがったフリードリヒ2世でしたが、こうしてマリア・テレジアの生涯を通してのライバル(天敵)となります。

女帝は、これまで仲の悪かったランスとロシアを自国の味方につけることにも成功します。

ちょうどルイ15世の愛妾で才媛のポンパドール夫人と、ロシアのエリザベート女帝も、フリードリヒ2世の女性蔑視をにがにがしく思っていましたから、好都合でした。

この作戦はフリードリヒを打ちのめし、皮肉って「3枚のペチコート作戦」などと呼ばれたそうです。

また興味深いのは、マリア・テレジアは、当時、あたりまえであった政略結婚とはまったく違う結婚をしています。

フランツ1世シュテファンという身分違いの男性(ただし、相思相愛だった)との結婚を後押ししたのは、彼女の女性家庭教師だったといいます。

結婚する直前に、マリアがフランツに宛てた直筆の手紙なども展示されていました。

結婚して、16人の子供に恵まれますが、当時のことです。幼くして命を落とした子供が多く、生き残ったのは10人だけ。

夫婦仲は円満で、夫の死後自分が死ぬまでの15年間、喪服を脱ぐことはなかったと言われています。


 

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