管理人の音楽日記帳
(2003年11月1日〜11月30日)


ミッシャ・マイスキー ファンクラブのサイトの管理人(小島昭彦)による音楽日記帳です。音楽の話題に限らず、日々思っていることも織り交ぜながら記していきたいと思っています。ご質問、ご意見、ご感想等をお寄せください。メールはこちらへどうぞ。


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2003年11月30日 日曜日■朝から雨。ちょっと寒々しい陽気の1日となった。自宅でのんびり過ごしたが、めずらしく1日が長く感じられた。◆今日は11月最後の日。ゲーリー・カーの演奏会まであと2週間となったが、券売では苦戦を強いられている。できる限りのことはして当日を迎えたい。◆マイスキーの次回の来日は2004年6月の予定。プラハ放送交響楽団との協演がある。そのご案内は近々会員の皆様に送ることになっている。

2003年11月29日 土曜日■ふだんは午前3時前に起きてそのまま寝ることはないのだが、今日は6時過ぎに床に入って普段寝ていない分を補った。結局起きたのは10時過ぎ。その後、息子を連れて近所のいわゆるスーパー銭湯へ遊びに行く。久しぶりにのんびりした1日。◆ゲーリー・カーのリサイタルの曲目であるが、ビリー・ストレイホーンの"A Flower Is A Lonesome Thing"なのか"A Flower Is A Lovesome Thing"なのか混乱する。もともとジャズに詳しいわけではないので、インターネットでも見てみるが、よくわからず、結局カー本人に連絡をして確認。どちらでもよいというのが正解。そしてタイトルは違っていても同一の曲である。ジャズの巨匠たちの中にこの曲を歌った際"Lovesome"と呼ぶ人がいて、ゲーリーもそれが気に入っているのだとか。スペリングのミスと思いこんでいたのだが、実はそうではなかった。ということで、当日のプログラムは"A Flower Is A Lovesome Thing"で行こう。

2003年11月28日 金曜日
■茅ヶ崎市民文化会館で春風亭小朝の独演会。ほんとうに落語は楽しい。噺家にもよるが小朝の世界は格別である。春風亭ロミオの「桃太郎」、春風亭小朝による「越路吹雪物語」。後半は林家こぶ平の「松阪牛」、そして再び春風亭小朝で「親子酒」。腹を抱えて笑える場面が何度もあった。

2003年11月27日 木曜日■昨日広報委員会の3年生、OさんとIさんが職員室に取材に来て、「先生の秘密を教えてください」と言ってきた。教員の秘密を集めてそれを校内新聞に掲載しようという企画らしい。「う〜ん、秘密ねえ・・・。」秘密なんてものは実はいくらでもあるわけで、でもそれが言えないからこそ秘密なのである。奥深い秘密はさすがに言えない。しばらく考えていると、「先生は奥さんとはどういうきっかけで知り合ったんですか?」と質問される。答えるとふう〜んと納得してメモしているが、あまりおもしろそうではない。記事としてのインパクトが弱いんだろうな(笑)。それで、「幼稚園の時に好きだった女の子の名前はあらい○○こちゃんって言ってね、ぼくが手を洗ってもハンカチでちゃんと拭かなかったから、いつもその子がぼくの手を取って自分のハンカチで拭いてくれたんだよ。」そう言いながら、「あっ、これは授業で話したよね」ということで却下(?)。「高校の時は好きな子いたんですか」という質問に「いたよいたよ、ずっと片想いでね。で、その子は現役でW(大学)に入っちゃったんだよ。ぼくは見事に落ちたけどね」(これも授業で話したでしょう?)。そこを同僚の英語科のH川さんが通り過ぎる。「小島さん、それがトラウマになっているんでしょ」とHさん、ぼくに鋭く突っ込んでくる。「H川さんは何か秘密はないんですか」と話を振ると、「いっぱいあるよ。でも言えないよ、そんなの」とかわして逃げて行ってしまった。そんなもんだよね、ほんとの秘密って。結局彼女たち、新聞に何を書いてくれるんだろう・・・。

2003年11月26日 水曜日
■あと5日で11月も終わりである。先日は京都の紅葉を見逃してしまい残念だった。今度、時間にゆとりのあるときに訪ねたい。◆個人のホームページを見る機会はあまりないが、まったく知らない人のサイトでも、どうも個人の日記帳というのはおもしろくて覗き込んでしまうことがある。「覗く」なんていうと聞こえが悪いが、公開されているのだもの、見たっていいでしょう。ここまでは書いても大丈夫と思って書き込んでいるのだが、知り合いの方に「そういえばあれってどうなったの?」とか「○○へ行ったんだってねえ」なんて言われたときに、一瞬「えっ、なんで知ってるの?」とびっくりすることもないわけではない。わが家ではひょんなことからある人のサイトにある日記帳のようなページを読むようになった。その人の顔はもちろん知らないのだが、昔話の「しばかり」を勘違いしていた者同士ということで、以来興味を持ってその人のサイトを拝見している。妻に言わせると、ぼくはそこの人と何となく性格が似ているのではないかということなのだが、はたして実際のところはどうなのだろう。実はぼくもその人にちょっと興味がある(笑)。もっともその人は(どちらかというと)理系タイプだけど。

2003年11月25日 火曜日■昨日、岡山から神奈川まで車を走らせている間、ずっとラジオをかけていた。FM放送ではマイスキーの弾くシューマンの「おとぎの絵本」からも放送されたりして、うれしく思った。夜になると、ちょうどタイミングよくパブロ・カザルスの特集が放送されていた。バッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜をカザルスが入手したのは、カザルスが13歳の時だったこと。ドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏するにあたり、協演した指揮者がこの作品の出来栄えをこき下ろしてカザルスと対立した話などは、非常に興味深かった。また、カザルスが指揮者としていかに評判が芳しくなかったかなどの話もさらに具体的に知ることができてよかった。カザルスの演奏がいくつもまとめて聴け、貴重なひとときであった。◆今朝は寝たのが午前4時半。明らかに睡眠不足。しかも長距離運転の疲れがたまっている。東名高速の狭い2車線のところを夜、たくさんのトラックと並んで走らなければならないのが一番嫌である。

2003年11月24日 月曜日
■昨夜、演奏会後そのまま岡山へ。妻の実家から車を運んでくるためである。午前8時過ぎに倉敷を出て、昼前に大阪のレオノーレに立ち寄る。14時前に豊中から名神に乗って東京方面へ走らせたが、途中大垣あたりからえらい渋滞があるとわかり、サービスエリアで3時間近く時間をつぶした。女性のトイレは長蛇の列。2人の60代くらいのおばちゃんが男性用に入るのを見て、他の女性たちがついてくる、ついてくる。まあ気持ちはわかるけど、群集心理のこわさ(?)を再認識する。帰宅したのは翌25日午前2時過ぎ。760キロのドライブであった。浜名湖で鰻重でもと思っていたのだが、予定が狂って残念。

2003年11月23日 日曜日
■茨城県の岩井市民音楽ホールでマイスキーのリサイタル。今日はバッハの無伴奏チェロ組曲の第1番、第3番、第5番が演奏される。マイスキーならではの奥深いところまで追究した哲学的な演奏。第1番もコンチェルトの後にアンコールで演奏されるときにはテンションが高いせいか、勢いのあるかなり速めのテンポなのだが、リサイタルでは冒頭のプレリュードからかなり落ち着いた演奏を聴かせる。第3番は冒頭、一気に高い山に駆け上がるかのように力強く入ったのが興味深かった。第5番も聴きごたえ十分の演奏。終演後のサイン会は例によって長蛇の列。マイスキーは疲れも見せず、笑顔でファンに応えていた。

2003年11月22日 土曜日■茅ヶ崎市楽友協会主催でベルリン室内管弦楽団の演奏会。昼過ぎまで会場で配付する会報(『楽友協会だ!より』)を執筆していた。◆ヴァイオリン・ソロはこの室内オケの音楽監督でもあるカトリーン・ショルツで、彼女はコンチェルト以外はコンサートマスターの席について演奏。◆ベルリン室内管弦楽団は茅ヶ崎にはかつて3回、ハインツ・シュンクに率いられてやって来た。したがって今回4回目になるが、聴いてみての第一印象はまるで別のオケではないかということ。オケが若返って実に生き生きとしているし、何よりもその響きがインターナショナルになってきていることが大きな変化である。特に前半のモーツァルトのディヴェルティメントK.136や、ショルツがソロを受け持ってのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」では彼らの持ち味が発揮され、聴き手を楽しませた。ショルツのヴァイオリンは相変わらず上品で、澄んだ音色が特長。室内オケの中でもアンサンブルを見事に統率し、楽員からの信望が厚いと感じた。

2003年11月21日 金曜日
■午前3時すぎ、ヴィクトリア時間で20日午前10時過ぎ、ゲーリー・カーに電話。誕生日のお祝いのメッセージを伝える。もう何年やっているかな、これ。この時間にかけると留守番電話になっていることはなく、ゲーリーはまず家にいる。カザルスも90代半ばまで演奏したのだから、「ゲーリーもあと30年は弾けるよ」と言うと、笑いながら「そうしたいね」と答えてくれた。62年前の11月20日、第二次世界大戦中。アメリカ合衆国は当時フランクリン・ルーズベルトが大統領をしていた。その日の夜8時ちょっと前にゲーリーは生まれたと聞いた。「なんだ、じゃあまだ61歳か(笑)」。ゲーリーいわく、「でも日本ではもう62歳でしょ?」(笑)。◆明日はベルリン室内管弦楽団の演奏会。会場で配付する『楽友協会だ!より』の執筆をしなければ...。

2003年11月20日 木曜日
■ゲーリー・カーの62歳の誕生日。ただ、ゲーリーが住んでいるのはカナダのヴィクトリアなので、お祝いの電話は明日早朝の予定である。◆英語の授業でマイスキーが演奏するバッハの無伴奏チェロ組曲第1番から「プレリュード」をかける。カザルスの生涯を扱ったレッスンなのでカザルスの演奏をかけるべきなのだろうが、個人的な趣味でマイスキー盤を選んだ(笑)。カザルスに発見されるまでバッハの無伴奏チェロ組曲の存在は知られていなかったということ、ついでにマイスキーの楽器が実はこの作品と同じ年に作られたという話を披露した。生徒たちは興味を持って音楽に耳を傾けていた。

2003年11月19日 水曜日
■だいぶ前にインターネットでビーレフェルダー(Bielefelder)のクラシックCDカタログを注文したのだが、それがようやく届いた。ドイツ語によるものではあるが、載っている情報は、作曲家、曲目、演奏家などの名前が主であるから、そう問題にはならない。このカタログの便利なところは作曲家別だけでなく、CDのレーベル別(品番順)の掲載もあることである。CD-ROMもついている。クラシックのCDカタログは以前から見ていて飽きることがない。パラパラめくっているだけでもさまざまな興味がわいてくる。◆それにしても便利な時代である。CDにしたって欲しいものがあればインターネットで検索して簡単に取り寄せることができるのだから。「だったらカタログなんか買わなくたって何でも検索すればいいじゃないの」という声が聞こえてきそうだが...。そういえば音楽之友社から以前はクラシックCDの総目録が毎年出ていたのだが、ここ2〜3年発売されていない。そんなには売れないということやインターネットで検索しやすい時代になったからということで、作るのをやめてしまったのであろうか。残念である。

2003年11月18日 火曜日■マイスキーとラトヴィア国立交響楽団は今日は福島公演である。マイスキーはこのあと東北、北海道で同オケと協演し、その後23、24日には無伴奏のリサイタルをして今回のツアーを終える。ツアー中に撮影した写真ができあがってきた。昨日ホールの舞台袖で撮ったマイスキーとミケルセンの写真もある。とりあえずここに1枚アップしてみた。◆学校の方は生徒の推薦書の作成が一段落。それでも今週はまだ受験を控えた生徒の面接指導に追われるだろう。◆英語の授業はパブロ・カザルスを扱ったレッスン。スペイン内戦が中に出てくるが、残念ながら生徒はまだそのあたりの知識が十分ではないようで、歴史の学習も併せて行う。◆さて、茅ヶ崎市楽友協会主催の演奏会も22日に迫ってきた。こちらはベルリン室内管弦楽団。カトリーン・ショルツが率いてやってくる。当日の会報の準備を始めなければならない。それが終わればすぐに12月14日のゲイリー・カー。相変わらずしばらく慌ただしい日が続きそう。 テリエ・ミケルセン(左)とミッシャ・マイスキー(右)
PHOTO:(C)2003 小島昭彦
2003年11月17日、東京芸術劇場大ホールにて。ドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏し終えて。指揮者テリエ・ミケルセン(左)と。

2003年11月17日 月曜日■東京芸術劇場でラトヴィア国立交響楽団公演。ミッシャ・マイスキーが出演するので、池袋駅のデパートでファンクラブから贈る花束を買う。客席に持ち込もうとすると主催者に困ると言われ、「いや、ファンクラブから何とか渡したい」と答えると、「では舞台上で渡されてはいかがでしょうか。」ドヴォルザークのコンチェルトの演奏が全部聴けないうちに舞台下手に待機していなければならない。そうなると、まさか会員の方にお願いするわけにはいかなくなり、覚悟を決めた。ミッシャのドヴォルザークを第1楽章だけ聴き、以後舞台下手袖に待機。演奏が終わると会場が大いに沸く。ブラボーの声も聞こえる。ミッシャが下手袖に戻ってくるが、ここはミッシャを驚かしてみようという話になり、すかさず身を隠す。その後、花束を持って舞台へ。ファンクラブからのカードも添えて渡すとまず驚き、それから満面の笑顔で喜んでくれた。(会場のお客様は「いったい誰?あの男は?」と不思議に思ったかもしれませんが、それは私でした。ごめんなさい。以上の理由からどうかお許しを。)◆アンコールにはまずバッハの無伴奏チェロ組曲第2番より「プレリュード」。そして拍手が続き、「鳥の歌」が演奏された!・・・悔しい!こういうときに限って自分は舞台下手に控えている。ここはミッシャの生の音がほとんどまったく聴けないのだ。◆実は、一昨日昭和女子大での演奏会後、「明日のHMVでは何を弾くんですか」と尋ねた。バッハの無伴奏からと「鳥の歌」かな、とミッシャが答えたとき、「明後日もぜひ『鳥の歌』を聴きたいなあ!」とぼくは思わずリクエストしていた。ミッシャはその通り約束を果たしてくれたわけだが、自分が客席にいなかったことが悔やまれた。会場に見えていた方が口々に『鳥の歌』は素晴らしかったと言うのを聞いた。◆マイスキーが弾くアンコール曲目を見てみると、同じものが重なっていないことにお気づきの方も多いかもしれない。ミッシャがアンコールで演奏している間、オケの楽員は舞台上で待っていなければならないわけで、彼らへのサービスも込めて同じものを弾かないようにしているのだとか(笑)。◆ミケルセン指揮ラトヴィア国立交響楽団による1曲目のヴァスクス作曲の『ヴィアトーレ』が実に美しい曲で大いに気に入った。◆演奏会後半は、楽屋裏でマネージャーのHさんと話をする。

2003年11月16日 日曜日
■今日は渋谷のHMVでマイスキーのミニ・ライヴとサイン会が行われたが、用があって出かけることができなかった。◆今日、激安の店、ドン・キホーテでバナナチップを買ってきた。バナナチップを初めて食べたのは今から28年前の9月。小学校6年次の日光への修学旅行の車中で、クラスメートのT君が分けてくれた。このころバナナチップはテレビのCMに登場していたから、どこかの菓子メーカーが売り出していたのだろう。おそるおそる食べてみると、これが意外とうまくてやみつきになった記憶がある。久々のバナナチップは家族にも喜ばれた。また買ってこなくちゃ。一方、反対にもう2度と味わいたくないと思ったのがドクターペッパー。こちらはその後何度かこれを飲む機会があって「敗者復活」をかけたが、いずれのときもぼくの口には合わないで終わった。

2003年11月15日 土曜日
■昭和女子大学人見記念講堂でテリエ・ミケルセン指揮ラトヴィア国立交響楽団の演奏会を聴く。前半がドヴォルザークの『森の静けさ』とチェロ協奏曲ロ短調(いずれもミッシャ・マイスキーのソロ)、後半がチャイコフスキーの交響曲第5番。ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、最新CDにおけるメータ/ベルリン・フィルのような完璧なバックではなく、ところどころオケがマイスキーの柔軟な変化についていけなかったりしたが、ききてをそれなりに満足させることのできる演奏にはなっていたように思う。アンコールにはバッハの無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調BWV1009より、「ブーレ」が演奏される。◆演奏後楽屋のマイスキーを訪れた。テレビの大相撲中継が放送されている。今は特に誰を応援しているというわけではないらしい。写真を撮るためにカメラを向けると、いろいろな表情で応えてくれる。明日は渋谷のHMVに行くことができない。ミニ・ライヴが聴けないのは残念。

2003年11月14日 金曜日
■横浜・青葉台にあるフィリアホールで、今注目のアルテミス・カルテットによる演奏会。ヤナーチェクの弦楽四重奏曲第2番「内緒の手紙」、ピアソラの「天使組曲」、それにシューベルトの弦楽四重奏曲第14番ニ短調「死と乙女」というプログラム。音が実に豊かでパワーのあるカルテットだ。ときに弦楽合奏を聴いているかのような錯覚もおぼえるほどである。演奏が平板になることはなく、有機的で、表情豊かである。繊細さも備えている。とりわけすばらしかったのがピアソラ。チェリスト、エッカート・ルンゲによる編曲もよいのだろうが、ピッタリと息の合ったアンサンブルはききてを圧倒する。後半のシューベルトも立派な演奏。終楽章でチェロのアクシデントがあり一時中断したが、集中力が途切れることなく、聴きごたえのある演奏を披露した。◆ところで、このカルテットのヴァイオリン奏者のナターリア・プリシェペンコという名前は聞き覚えがある気がしていた。「この人、もしかしたら茅ヶ崎で演奏したことのあるヴァイオリニストではないか」と思ったが、ここのところまったくといっていいほど記憶力に自信がなかった。それで本人に確認もしなかったのだが、家に帰って調べてみると「やっぱり!」で、彼女に話せばよかったと後悔した。◆1991年6月11日に茅ヶ崎市民文化会館で行ったモスクワ放送交響楽団(ウラディーミル・フェドセーエフ指揮)の演奏会で、プリシェペンコはベートーヴェンのロマンスを2曲弾いていたことを確認。当時17歳の彼女はその前年、パガニーニ国際コンクールで優勝し、ブロン教授の指導を仰いでいるところだった。◆このカルテットの今後の活躍を祈り、次回の来日公演も楽しみにしつつ、会場をあとにした。

2003年11月13日 木曜日■世田谷区三軒茶屋にある昭和女子大学人見記念講堂で「黄砂防止基金 チャリティークラシックコンサート」が行われる。ミッシャ・マイスキーのほか、伊藤京子(ピアノ)、清水高師(ヴァイオリン)、劉鋒(Liu Feng)(二胡)、それに若手で構成された弦楽オーケストラが出演。この日のマイスキーは、バッハの無伴奏チェロ組曲第1番、ボッケリーニのチェロ協奏曲第6番ニ長調(CDに収録されているもの)、そして小室哲哉がこの日のコンサートのために書いたという"Seeds of the future"を演奏。◆マイスキーが弾くバッハ作曲、無伴奏チェロ組曲第1番のプレリュードのテンポはますます速くなってきた。ボッケリーニはマイスキーがバックのオケをリードしながら、生き生きとした演奏を展開し、会場から熱い拍手を浴びていた。終演後楽屋を訪ね、ファンクラブで作ったマイスキーの写真付き切手シートをプレゼントした。驚きと喜びで目を丸くしていたミッシャであった(笑)。それにしても久々の昭和女子大。かつてはここでずいぶん多くの演奏会が行われたのだが・・・。

2003年11月12日 水曜日■昨日は午後6時前に寝てしまったので、午前2時過ぎに目が覚めた。コンディションがとてもよい。4歳の息子も午前4時に起きてきて、5時過ぎには一緒に朝食をとった。そうだ、昨夜は食事をせずに寝てしまったのだったな。腹が減ったら寝る、という減量作戦ていうのもあるのかも。睡眠ダイエットなんて呼んだりして。◆明日は昭和女子大学人見記念講堂へ「黄砂防止基金 チャリティークラシックコンサート」を聴きに出かける。マイスキーとは前回5月にサントリーホールで会っているので、半年ぶりの再会になる。バッハの無伴奏チェロ組曲も演奏されるが、ボッケリーニのチェロ協奏曲はなかなか生では聴けないのでこちらの方も楽しみである。◆ここのところ急に秋が深まってきた。朝、目覚めたときもかなりの冷え込みで今年初めて暖房のスイッチを入れた。京都の紅葉は今年も20日前後あたりが見ごろなのだろうか。東福寺の通天橋もすばらしいが、京都に行ったら必ず訪れたくなるのが圓通寺である(圓通寺については2003年4月5日の日記をご覧ください)。

2003年11月11日 火曜日■ファンクラブ通信SARABANDE No.24を発送する。今回は演奏会案内のチラシが多く、発送までの作業にかなり時間がかかった。「冊子小包」にすると郵送料がかなり安くなるのだが、投函する数が500通を超えない場合、冊子類だけでなくチラシも同封された郵便物は「冊子小包」扱いにはならないのだと郵便局で説明され、がっかりする。う〜ん、そのへんは柔軟に考えてほしいよなあ。◆レオノーレから新しいマイスキー・グッズが登場。こちらも売れるといい。◆今日は用があって早く帰宅。午後5時50分(!)には消灯し、家族4人とも布団に入る。別に病気になったわけではないのだが...。ちょっと寝るのが早すぎたかな。

2003年11月10日 月曜日■昨日、福山で行われたラトヴィア国立交響楽団の演奏会でマイスキーが弾いたアンコール曲は、バッハの無伴奏チェロ組曲第5番ではなく第1番であったとのことである。今日は京都での公演。ファンクラブの会員の方も大勢聴きに行かれていることだろう。◆学校で仕事をして動き回っていると暑くなるので、これまではずっと半袖のワイシャツでいたのだが、今日は失敗。雨も手伝ってかなり冷え込んでいる。寒い寒い。ぼくの半袖姿を見て、同僚も生徒も皆呆れていた(苦笑)。自分でもこんな日にこんな格好してバカじゃないかと思ったくらいだから仕方ない(笑)。

2003年11月9日 日曜日■今日は選挙の投票日。投票用紙をもらって心に決めた候補者を記名。ところが、下の名前を書いている途中で、それが自分の名前であることに気づく。投票に行き始めて以来のとんでもない大ボケ。いやあ、参った。◆マイスキーとテリエ・ミケルセン指揮ラトヴィア国立交響楽団の来日公演が始まる。指揮者ミケルセンもラトヴィア国立交響楽団も初めてなので、どんな演奏を聴かせてくれるのか楽しみである。初日の福山は大いに盛り上がったというから期待したい。◆13日のチャリティ公演の曲目はまだ完全には正式発表されていないが、ボッケリーニのチェロ協奏曲第6番ニ長調G.479のほか、バッハの無伴奏チェロ組曲が1曲演奏されるだろうとのことである。

2003年11月8日 土曜日昨日午後、学年の保護者懇談会が行われる。保護者の方のお名前を伺っていきながら、中には「う〜ん、よく似ているなあ(笑)」と思うお母さんも何人もいらした。親子はやはりよく似ている。「3年間を振り返って」をテーマにいろいろなご感想やご意見が伺える。「西高でほんとうによかったです」という声を聞くたびに、教員としてだけでなくOBとしてもうれしさひとしおであった。◆さて、今日は朝からソフトテニス部生徒の公式戦(新人大会)に付き添う。残念ながら初戦敗退。また頑張ろう。◆夕方、妻・息子・娘が帰宅。またわが家に活気が戻った。息子や娘はこの1週間でまたいちだんと成長した様子。送り出したときとはまた違う。妻はと言うと、・・・・・・(笑)。相変わらずであった。「お帰りなさい!待ってましたよ。」ただ、留守中、家のことをあまりやっておけなかったことは申し訳ないと思っている。

2003年11月7日 金曜日
■今週は地域の方や保護者、中学生らへの授業公開が行われている。中学生への公開は明日だが、今日は本校生徒の保護者の方々が見える。授業をしていても、廊下に訪問者の姿が見えると、急に気の引き締まる気がする。どちらかというと、身体の方を引き締めたい今日この頃であるが。◆肝腎の生徒たちがどれくらい興味関心を持ってこの単元に接してくれているのか実はよくわからないが、ぼくとしては、パブロ・カザルスとあって、最も得意な分野の単元といえるかもしれない。資料もたやすく見つけることができる。チェロが話の中に出てくれば、マイスキーやヨーヨー・マの話題に移せるし、CDもカザルス盤以外にはすでに、マイスキーやゲーリー・カーの演奏をかけた。昔、ある英語の教科書にレナード・バーンスタインが登場したときには、その学年にいなくて悔しい思いをしたのを思い出す。

2003年11月6日 木曜日■昨夜10時すぎ。ようやく眠りに落ちたと思われるころに電話のベルが鳴る。誰かと思って、眠い目をこすりながら仕方なく出ると...。あっ、妻だ!「別居生活」が始まってはや4日。たとえそんな時刻であっても「相手」の声を聞いて大喜びすべきなのかもしれないが、いやいや、どうしたって喜べない(>_<)。怒りすらこみ上げてくるのだ(というのはウソだが)。ふだんわが家の電気が早く消えるのは一番よく知っているはずなのに、参るんだよなあ、用もないのにかけてきて...。そんなに声が聞きたかった?(バカか) どうせなら午前3時にかけてもらいたい。「別居生活」といってもちょっと帰省しただけであって、明後日には早々戻ってくるのだからねぇ(笑)。

2003年11月5日 水曜日■帰りがけに今日オープンしたばかりのイタリアン・レストランに立ち寄る。人気店らしく、県西の方にある店の方はよく行列ができているのを知っていたので、かなり期待して訪ねた。午後7時前だったが中は広々としており空席もあった。それでも案内されるまでかなり待たされる。座って待っている間に周囲のテーブルの客が帰って行くが、それらのテーブルが20分以上そのままになっていて食器が片付けられない。給仕の数は多いけれども、初日ということでまだお互いの連携がとれていない。食事が出てくるまでの時間もかなり長い。クラムチャウダーやパスタの味はなかなかよかったが、値段の割にパスタは少なめでやや不満。禁煙と喫煙で場所を分けてはいるが、喫煙席の近くには座りたくないとも思う。次回訪ねたとき、店がどう変わっているかに期待しよう。それにしてもレストランへは家族でも友人でもいい、だれかと一緒に入りたい。一人で食事するのはやはり寂しいものがある。

2003年11月4日 火曜日■今週は独身生活。冷蔵庫の中を片付ける目的で、余っている食材を片っ端から胃袋の中におさめている(笑)。エノキダケが1袋出てきた。どうやって食べようか考える。結局、包丁で下のところをばっさりと切り落とし、長い形のままフライパンでササッと炒めてみる。バターと醤油を加え、あっという間にできあがり。これぞ「男の料理」だね!歯にこびりつきやすいが、味はなかなかであった。◆一昨日録り損なった『アルゲリッチ&フレイレのピアノ・デュオ』の放送開始時刻の番組欄記載について納得がいかず、今度は朝日新聞社へ確認をした。すると記載が「10:33」になっていたのは朝日だけではなく読売も毎日もだった、ということが判明。あれあれ、NHKさん、いったいどうなっているんですか?◆学校の授業では、パブロ・カザルス(1876-1973)を扱っている。ぼく自身実はカザルスの伝記を読んでいなかったので、この教科書を読んで初めて知る事柄も結構多い。たとえば、"One day when Pablo was six years old, there was an important festival in his town. He took a small flute and joined the parade. His father and mother were surprised to see him marching in the parade. Pablo played his flute as loudly as possible. He blew into the flute so hard that he fainted. His parents, who had lost four sons from illness, were worried about his health and took the flute away from him. That ended his flute playing."(東京書籍の高校英語教科書『English 21 Read on!』より抜粋)「カザルスは祭りのパレードでできる限りの音量でフルートを吹こうとして失神してしまい、健康を心配した両親は彼からフルートを取り上げてしまった」というようなこと。このおかげでカザルスはフルーティストにはならなかったわけである。伝記によれば、1880年から1884年までに弟4人が生まれては次々に亡くなったのだそうで、両親がパブロの健康に対し過敏になっていたのは容易に察しがつく。◆この教材を機に生徒たちが、カザルスやチェロ、あるいはクラシック音楽、さらには世界平和への関心を高めてくれたらよいと思っている。

2003年11月3日 月曜日
■ぐずついた天気でやや肌寒い。自宅でCDをかけながら家事や持ち帰りの仕事をして過ごす。◆昨夜、NHK教育テレビの『芸術劇場』でアルゲリッチ&フレイレのピアノ・デュオの演奏会が放送された。すばらしかった。それで、あとからまた見たいと思ってビデオをセットしておいたのだが、タイマー録画が始まる前にブラームスの演奏が始まっている。朝日新聞では「10時33分」からとなっていたのに番組は10時30分にスタートしていた。NHKに問い合わせたところ「朝日新聞の記載に誤りがある」との回答。やられた!◆それにしてもこの問い合わせをするのにまた時間がかかったのにも参った。以前渋谷のNHKにかけていたときにはたいていつながり、かなり丁寧に応対してくれていたが、いつの間にか「NHK視聴者コールセンター」が窓口になった。ナビダイヤルで近くのセンターにつながり、オペレータが対応するのだが、質問に対する回答もその場で得られないことが多い。そして、このコールセンター、なかなか繋がらない。「ただいま電話がたいへん混み合っています。恐れ入りますがもうしばらくお待ち下さい」(15秒程)そして、「ただいま電話がたいへん混み合っています。恐れ入りますが、おかけ直しいただくか、もうしばらくお待ちください」(15秒程)そしてとどめは「たいへん申し訳ございませんが、ただいま電話が混み合っております。恐れ入りますがしばらく経ってからおかけ直しください」と自動応答が流れ、一方的に切られてしまう。なんてことだ!何度かかけたが、そのたびに電話料金が取られていくではないか。ちょっとNHKさん、何とかしてくださいよ!料金払っているんですからね。言うことは言いますよ。◆今日かけたCD:(1)ボッテシーニ作品集=ゲーリー・カー(コントラバス)&ハーモン・ルイス(ピアノ)ほか【Amati Productions GK104】 (2)萩原貴子 カルメン・ファンタジー = 萩原貴子(フルート)&斎藤雅広(ピアノ)【DENON COCQ-83509】 (3)THE ROSE ALBUM(シューベルト:アルペジオーネ・ソナタ、シューマン:幻想小曲集op.73、パガニーニ:モーゼ幻想曲ほか) マット・ハイモヴィッツ(チェロ)&イタマール・ゴラン(ピアノ)ほか【OXINGALE OX2002】 (4)MIDORI●ENCORE!(クライスラー、サラサーテ、パガニーニ、エルガー、ドヴォルザーク、フォーレ、バルトーク、イザイらの小品) 五嶋みどり(ヴァイオリン)&ロバート・マクドナルド(ピアノ)【SONY SRCR 9055】

2003年11月2日 日曜日
■鎌倉芸術館でジャン=ギアン・ケラスのチェロ・リサイタルを聴く。前半はバッハの「無伴奏チェロ組曲第1番」、ウェーベルンの「チェロとピアノのための3つの小品」Op.11、シューベルトの「アルペジョーネ・ソナタ」。後半はドビュッシーの「喜びの島」(ピアノ・ソロ)と「チェロ・ソナタ」、そしてラフマニノフの「チェロ・ソナタ ト短調」Op.19というかなり盛りだくさんのプログラム。ケラスを生で聴くのは初めて。ウェーベルン、ドビュッシー、ラフマニノフがよかった。特にラフマニノフではピアノとの濃密な対話がすばらしかった。ケラスは何でも器用に弾きこなすタイプではないのかもしれないが、表現の彫りの深さはすばらしく、弾いている姿勢はいくぶんヨーヨー・マを思わせるところも...。今後目を離せないチェリストである。◆ピアニストは1974年生まれのジェローム・デュクロ。まだ若いが1994年、ポリーニが主宰する第1回ウンベルト・ミケーレ国際コンクールで第2位と特別賞を受賞した実力派。ドビュッシーでのソロは音の絵巻で圧倒的。デュオでも蓋を全開して演奏したが、ケラスの音によく耳を傾け、絶妙なアンサンブルを聴かせてくれた。この人も今後注目すべき逸材である。◆なお、ラフマニノフの第2楽章で弦(たしかC線)が大きく緩むアクシデントがあり、途中5分ほど中断した(たぶん切れたのではないだろう)。◆アンコールのショパンのノクターンOp.9-2、クライスラー(「愛の喜び」、「愛の悲しみ」)はいまひとつ。本プロでの演奏がかなり聴き応えがあったからか、アンコール・ピースはあくまでも「お客さんへのサービス」というレべルにとどまっていたような気がする。それにしても今日は長かった(2時間45分!)。◆今日、妻が息子と娘を連れて一時帰省。といっても逃げられたわけではない(笑)。

2003年11月1日 土曜日■あっという間に11月に入った。今年もあと2箇月。高校3年生の大学・短大への推薦入試の出願は今月上旬がピーク。調査書は書式が決まっているので正確に記すことを主に考えていればよいのだが、推薦書の方は書く内容がまちまちなので、ときには非常に時間がかかる。今日も出勤して書類の準備。11月は土曜を入れると12日間も休みがあるのだが、ほとんど休めそうにない。その分家族にしわ寄せが行き、妻や息子は不満そうである。先に謝っておこう。ごめんなさい!(0歳の娘はさすがにまだ何だか分からないだろう。)◆そういえば、昨年の今日は、息子の幼稚園の入園手続きをした日だった。いわゆる「お受験」とは無縁で、先着順の幼稚園だったが、一般枠が6人分しかなかったので、何日前から並ぼうかと妻と作戦会議をたてたほどであった。息子を幼稚園に入れるのに、結局2泊した。一緒に並んだ他の5件のお父さん、お母さん、おじいちゃんらとはあのとき、妙な連帯感や親近感が生まれた。おにぎりや飲み物をお互いに分け合ったりし、それなりに楽しかった。そこに並んでいた全員が入園手続きできるという安心感があったからだろう。深夜・早朝は相当冷え込んだけれども、その数日前に登山店で買っておいたシュラフ(寝袋)がとても役に立った。その店からは今でもセールのたびにDMが届く。ぼくは登山はしませんよ。