管理人の音楽日記帳
(2001年7月28日〜2001年12月31日)


ミッシャ・マイスキー ファンクラブのサイトの管理人(小島昭彦)による音楽日記帳です。音楽の話題に限らず、日々思っていることも織り交ぜながら記していきたいと思っています。ご質問、ご意見、ご感想等をお寄せください。メールはこちらへどうぞ。

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2001年12月31日 月曜日■指揮者の朝比奈隆が29日に亡くなった。享年93歳。新聞報道が遅れ、知ったのは今日の明け方だった。ご冥福を祈りたい。◆今日は午後、実家の物置に入っている本を整理。わが家では風呂の大掃除。我ながらよく頑張った。◆年越しうどんを食べて響祐と布団に入ったのが午後9時前。このあと息子よりも先に寝てしまった(as usual)。

2001年12月30日 日曜日■部屋は十分には片付かなかったが、まあよしとしよう(妻はそうは思っていないかも...)。◆いよいよ年賀状の準備。今年も元日に着くように送ることは出来なかった。あと2、3日余計にあればと思ってもみたりする。ファンクラブの方々から、SARABANDE No.14が届いた旨連絡を戴く。◆庄司紗矢香の「ルーヴル・リサイタル」というタイトルのCDをかける。ドヴォルザークの「4つのロマンティックな小品」に始まり、シマノフスキのソナタ、ブラームスのソナタ第2番、そしてラヴェルの「ツィガーヌ」。すばらしい才能の持ち主だと思う。まず楽器の音色の美しさ。透明でみずみずしい響きは魅力的だ。ドヴォルザークの作品75はそれなりに聴かせるのはたいへんな曲だと思うが、落ち着いてのびのびと歌わせているのがすばらしい。シマノフスキも初めて聴く曲だが、大いに惹かれる。ゴランのピアノが雄弁で、ヴァイオリンをしっかりと支えている。これはよいCDに出会えたものである【ユニバーサル UCCG-1100】。◆もう1枚、ピリスがベートーヴェンのピアノ・ソナタ(第13・14・30番の3曲)を弾いたもの【グラモフォン 453 457-2】も見事である。やさしさに満ちあふれたベートーヴェンだ。こういう演奏も歓迎されよう。昔からピリスのシューマン、モーツァルト、ショパン、シューベルトを楽しませてもらってきたが、ベートーヴェンもすてきだ。ピリスがベートーヴェンのソナタ全曲に挑むというようなことはないであろうが、自分の感性に合う作品を選び、無理のない形で聴かせてくれればよいと思う。ピリスがマイスキーと共演したらどんなデュオになるのだろうということも想像してしまったが...。

2001年12月29日 土曜日■部屋の大掃除。捨てるに捨てられない悪い性格はなかなか直せない。知らない間に誰かが思いきって片付けてくれたらどんなに助かるかと思いながら、いやそうはいかない、大事なものは自分でしかわからないのだという思いが混じり合う。岡山の義母が急に思い浮かぶ。整理整頓のスピード、思いっきりのよさ、手際の見事さ...。片づけは1日では終わりそうもない。はじめから予想していたことだが。◆友人K君より電話。正月にでも遊びに来てもらおう。◆別の友人K君が夜立ち寄ってくれる。いろいろいただく。年始、1月5日が土曜日、6日が日曜日なので、仕事始めが7日からという人が多いようだ。◆夜は年賀状書き。これがまたたいへんな量。生徒からは年賀メールのリクエストもあったりして、時代の流れを感じたりする。

2001年12月28日 金曜日■"SARABANDE"No.14の封筒詰めと切手貼りが終わったのは、「めざましテレビ」も終わろうとしている8時近くになってだった。昼過ぎに郵便局へ持ち込む。かなり重かったが、出し終えた後の肩の荷が下りた気分は久々に味わうものだった。◆あるソプラノ歌手からメールが届き、嬉しく読む。1月の来日時に会えたらと思い、某マネージメントに電話する。◆茅ヶ崎の2月の佐野成宏さんのリサイタルの曲目が出た。得意とするものがずらりと並んでいる。トスティ、マスネ、ロッシーニ、ドナウディのあと、プッチーニの「星は光りぬ」。当日、ホールは沸きに沸くのではないだろうか。7月に行ったインタビューをしっかり編集しておかないといけない。◆夜、友人のY君に電話。大学で社会学を教えている優秀な先生である。久々に近況を伝え合ったりして楽しく話ができた。

2001年12月27日 木曜日■"SARABANDE"No.14の編集が終わり、ようやくできあがるが、大変なのは封筒詰めと切手貼りの作業。膨大なというと大袈裟だが、かなりの量の資料もあり、時間がかかる。宛名がラベルなのでそれだけは楽だが...。◆夜、茅ヶ崎市楽友協会の事務局へ用があって出かける。◆今日は前任校の卒業生たちがクラス会を開いているだろう。声をかけてもらえ、うれしかったが、今回は別の用が入っており、残念ながら顔を出せなかった。卒業後に会う教え子の顔は皆一段と大人っぽくなっていて、立派な成長を感じる。彼(彼女)らの健康と活躍を祈りたい。◆夜11時過ぎ、ピアニスト斎藤雅広さんのサイトのチャットで遊ぶ。ほんの5分のつもりが、のめり込んでしまって、ついつい1時間にも及んで、まずいと思ったりする。ご本人らしき人もときどき登場したりしておもしろいけれども。

2001年12月26日 水曜日■『マリ・クレール』の記事が気になる。今日は図書館に行けなかった。年末。大掃除も年賀状の準備もまだしていない。まずい。"SARABANDE"No.14の制作もまだ残っている。夕方、某音楽事務所のマネージャー氏と会う。

2001年12月25日 火曜日■マイスキー関係の問い合わせであちこちに電話をかける。月刊誌『マリ・クレール』にマイスキーが載るという話があって、いつだろうかと毎月立ち読みで眺めてきたが、編集部に訊いたところ、「10月号」(4か月も前!)に出ていたと判明。ショックであった。さっそく明日図書館で確認しなければ。そのほか、東京オペラシティ、NHK、アスペンなどへ電話。◆クリスマス。今日もある場所で、ある母親が子供に向かって「言うこと聞かなければサンタさんが来ないよ」と言っている。これってよいことなのだろうか?それに効果があるのだろうか?実は、疑問を感じながらも自分でも今月5回は言ってしまった台詞だ。一時的に効果があっても、けっしてよくはないはずだ。「切り札決定版」のつもりで使ってしまった自分を反省。

2001年12月24日 月曜日■部活動があったため、学校に行く。午後、妻がピアノ伴奏の仕事で教会へ行く。響祐が行きたがり、結局あとから聴きに出かける。ルッツィの「アヴェ・マリア」ほか。◆"SARABANDE"No.14はまだ仕上がらない。

2001年12月23日 日曜日■"SARABANDE"No.14の編集に追われる。午後、モーツァルトとブラームスのクラリネット五重奏曲をかける。デイヴィッド・シフリンのクラリネット、エマーソン弦楽四重奏団による演奏を収めたCD【ユニバーサル POCG-10173】。ブラームスのクラリネット五重奏曲は、自分では晩秋あるいは人生の晩年にふさわしい作品だと思っている。聴くたびに何となく感傷的になるが、とても好きな曲だ。モーツァルトはこういうのどかな日曜の午後にいい。小春日和にはぴったりだ。大好きなアルフレート・プリンツとウィーン室内合奏団員との共演によるCDも聴いてみたくなった。

2001年12月22日 土曜日■近くの市民センターで、高校の吹奏楽部によるウィンターコンサートを聴く。◆午後、ラフマニノフの「シンフォニック・ダンス」とチャイコフスキーの「くるみ割り人形」の、アルゲリッチとエコノムのデュオによるCDを聴く。実に鮮やかで、音楽が「呼吸」している。2人の抜群のリズム感覚!天才的な閃き。すばらしい感性による絶妙なアンサンブル!18日のプリムローズ・マジックの名演をまた思い出す。いやあ、あの演奏は良かった。

2001年12月21日 金曜日■外の気温が3度から5度くらいと、空気が冷たい。朝焼けがきれいなのでデジカメを向けたくなり、撮ってみる。◆遅くなってしまったが、出さないよりは出した方がいいと思い、海外へのカードをようやく送る。ファンクラブからマイスキー一家へのカードは、マイスキーの誕生日が目標なので、今回は送っていない。◆夜、東京のトッパンホールで奥村愛のヴァイオリン・リサイタルを聴く。まだ若いのでこれからの人かもしれないが、ガーシュウィンの「ポーギーとベス」から2曲(ハイフェッツ編曲)や「パリのアメリカ人」(初めて聴く編曲 2001年12月21日、午前6時40分頃。東の空が美しい!PHOTO:(C)2001小島昭彦
版)、ワックスマンの「カルメン幻想曲」では持ち味が発揮され、ステージの前半では硬さがあった彼女の演奏も、後半に進むに従ってずいぶん伸びやかになった。今後の飛躍に期待したい。◆ピアノは斎藤雅広。彼女との共演は初めてとのことだが、「タイスの瞑想曲」のような作品では伴奏に徹し、彼女をやさしく支えていた。ガーシュウィンのようなリズム感と独特のセンスが要求されるような作品でも、音楽をよりいっそう豊かなものに仕上げる抜群の感性が感じられ、大いに楽しめるものとなっていた。さらに、前半のベートーヴェンの「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第8番」では、歯切れのよいピアノがヴァイオリンと張り合い、実に心地よい緊張感をホールにもたらしていた。◆初めてのホールだったが、キャパ(400くらい?)の割にはゆったりした空間。残響が思ったほどないので、弦楽器奏者にはシビアかもしれない。終演後、出演者や関係の方々に挨拶。サイン会は長蛇の列。チャーミングな彼女はこれからますます人気が高まっていくにちがいない。来年早々インタビューを予定しており、これまた楽しみである。◆帰りは茅ヶ崎市楽友協会のTさんに車で送ってもらう。年末で都内は大渋滞。◆日付が変わって22日。帰宅後まもなくK君から電話。1時間ばかり話し込んでしまった。

2001年12月20日 木曜日■海外宛のグリーティングカードをせっせと書く。今年は遅すぎたなあ。どうもいけない。これが終わると年賀状の準備、いやいや、ファンクラブの会報の制作もあった!◆マイスキーの好きな"BLOOD, SWEAT AND TEARS"のアルバムから2〜3曲聴く。なるほど、こういうタイプの音楽も好きなのか。「現代」の人たちではないけれども、聴いていて、妙にほっとさせるところがある。細かい感想はまた後日に。

2001年12月19日 水曜日■クリスマスが近づき、今日は授業で映画『34丁目の奇蹟』の話をする。これは2つのバージョンがあるが、最高裁でのサンタクロースの存在に関する判決の根拠が異なっているのがおもしろい。さらに作家O.ヘンリーの短編集を取り上げる。『賢者の贈り物』、『20年後』。いずれもよく知られているはずの名作だが、最近の高校生にはあまり知られていないので意外だ。音楽では、ナタリー・コールの"No More Blue Christmas"、バーブラ・ストライザンドの歌うテンポの速い、ちょっと変わった"Jingle Bells"と、"Have Yourself A Merry Little Christmas"、ゲーリー・カー(コントラバス)の演奏でクリスマス音楽などを聴かせる。◆夕方、オーチャードホールでのデュトワ指揮NHK交響楽団の演奏会へ行く予定だったが、職場の忘年会の日程と重なって、残念ながらキャンセル。教え子のN君にチケットをあげた。

2001年12月18日 火曜日■銀座の山野楽器でCDを1枚買う。 "BLOOD, SWEAT AND TEARS"のアルバムである。先日のDGのアーティスト・ディスカッションで、マイスキーがクラシック以外で気に入っているミュージシャンとして挙げていたので、どんなものか興味があって買ってみた。明日にでも聴いてみよう。◆夜は王子ホールで「銀座めざましクラシックス」。高嶋ちさ子&軽部真一の司会進行による楽しいコンサートで、「皆勤」で聴かせてもらっているが、これで18回目。ピアノ・デュオ、プリムローズ・マジックによるチャイコフスキー(ニコラス・エコノム編曲)の「くるみ割り人形」がすばらしい。若くして交通事故で亡くなった、ピアニスト兼作曲家のエコノムがアルゲリッチとデュオを組み演奏したCDがあるが、それを思い出しながら聴いた。デュオの1人、安宅薫は毎回アンサンブル・ピアニストとしても実に見事な演奏を聴かせるが、デュオでの演奏はそれとはまた別の個性を見せてくれ、実にヴィヴィッド。大いに楽しませてもらった。◆しかし、当夜の圧巻は何と言ってもスペシャル・ゲスト、山下達郎の登場。300余りのキャパしかないこのホールで、山下達郎の歌が聴けるとは幸せだった。客席も異様な興奮。思いがけないビッグ・サプライズであった。軽部君、ありがとう!

2001年12月17日 月曜日■2歳5か月になろうとしている響祐(息子)は卵(卵白)アレルギーだ。成長するにつれてアレルギーは減る可能性が高いと聞いているので、今のところそう深刻にはなっていないが、お菓子などを与えるときには卵や添加物等にずいぶん気を遣う。クリスマスが近づき、たまにはケーキを食べさせてやりたいと思い、卵を使っていないケーキを作っている店を探す。あった、あった!ここ何回かは息子が寝たあと妻とこっそり食べていたのでうしろめたさがあったが(笑)、今度ばかりは親子3人で楽しめそうだ。

2001年12月16日 日曜日■やることが長い列になって待っている。そんな感じの忙しさだ。1つ終わればまた次のこと。ファンクラブ通信("SARABANDE")の制作にかかる。

2001年12月15日 土曜日■あなたの小さなお子さんが誰かに乱暴されたり、いじめられたりしているのを見たら、あなたは自分のお子さんに何と言いますか?◆「やられたらやり返しなさい!男の子なんだから、やられっぱなしじゃだめでしょ!」と言うお母さんたちが意外に多くて驚いている。やられてすぐに泣きだす子を「弱い子」、逆に、負けずにどんどん相手に向かって手を出す子は「強くて逞しい子」と決めつけたりする。◆これはちょっと違うのではないだろうか。わが子が友だちに頭や顔を叩かれて泣いたときに、「やり返せ」ではなく、「本当に強い子っていうのは、人を叩いたり乱暴したりする子ではなく、そのときにじっと我慢できる子なんだよ。○○(=子どもの名前)は、お友達にぶたれたとき痛かったでしょう?同じことやったらその子だって痛いんだよ。そうやって、お友達に乱暴なことをする子っていうのは、本当に強い子ではないんだよ。」そんなふうに教えることはできないのだろうか。ちなみにわが家の響祐(きょうすけ)は、やられるとすぐ泣いてしまう側です(笑)...。

2001年12月14日 金曜日■午後、中大への入学時よりお世話になったO教授の最終講義があると聞き、久しぶりに出身大学を訪れる。研究室のO先生を訪れ挨拶。昔と変わらず若々しくお元気だった。隣の研究室には同じく恩師であるS先生がいらっしゃったので、お邪魔して話をする。◆O先生の最後の講義は、アメリカの作家、ドライサーの言語について。大学時代、ぼくは熱心な学生ではなかったが、今日は久しぶりに、文学を深く学ぶ喜びを感じることができた。『アメリカの悲劇』("American Tragedy")を中心に、ドライサーの作品やその中での言語に関して、実に興味深い講義を聴くことができた。自分が今、大学生なら、あのころ(15年も前)よりもずっと熱心に学んでいただろうと振り返って思う。◆多摩センターと中大の間は往復、モノレールを使う。昔は京王バスで15分から20分はしたのに、今はたったの6分である。お腹が空いて、おやつ(実際は昼食代わり)に鮭のおにぎりを買う。買って、駅のベンチで開ける。コンビニのおにぎりを開けたときに海苔がビニールの間に残るのは、缶入りのコーンポタージュスープを飲み終わえたときにコーン粒が缶に残るのと同じくらい不満である。そのまま海苔を諦めるわけにいかず、ビニールを両手でめくろうとした、その矢先だった。おにぎりがころころっとホームに転がった...。まったくついていない!

2001年12月13日 木曜日■クリスマスカードを送る期限(?)が迫ってきた。昨年は割と早く出したのだが、今年はまだ書けていない。テロのこともあり、特にアメリカでは人々が郵便物にも神経を使っているとも聞くが、実際のところどんな感じなのだろうか。先日あるデパートの店先で来年のカレンダーが並べてあった。ニューヨークの写真を集めたものが売られていたが、世界貿易センタービルの姿がそこにあった。早くあの悪夢から解放されたいと思いつつ、あの恐ろしい事件をぼくらはけっして忘れてはいけないのだということを感じもした。

2001年12月12日 水曜日■妻が整形外科へ通院。肋骨の疲労骨折とのこと。意外と脆いものだというのが率直な感想。自分には骨折の経験がないので、どうも実感がわかない。◆ドイツ・グラモフォンのサイトでは、マイスキーと聴き手との「アーティスト・ディスカッション」が盛んに繰り広げられている。新しいニュースもあるようだが、会員の方へは"SARABANDE"(ミッシャ・マイスキー ファンクラブの会報)で詳しく紹介しようと思う。

2001年12月11日 火曜日■慌ただしい1日。◆グラモフォンのサイトではマイスキーの(ファンからの質問の対する)回答が載った。1つ1つの質問に丁寧に答えてくれるマイスキーに誠実さと人間的な優しさを感じた。

2001年12月10日 月曜日■今日は新宿へ通院。痛風の発作は出ず、調子はよいが、中性脂肪値が高い。真剣に減量に努めなくては!◆渋谷のタワーレコードに立ち寄る。グラモフォンのカレンダーを(ここでは800円で売っている!)1部買う。マイスキーは「9月」のページに載っていた。フランス歌曲集の時に撮ったもののようで、好きな写真だ。買えずに我慢していたCDを買い込んで帰る。アバド/ベルリン・フィルの「ファルスタッフ」、ドビュッシーの管弦楽曲集、シャイー/ロイヤル・コンセルトヘボウ管のバルトークの「管弦楽のための協奏曲」ほか、ピリスのベートーヴェンのソナタNos.13,14&30、コンドラシン/モスクワ・フィルの1967年東京ライヴ第3集、セラフィン/スカラ座管の「トロヴァトーレ」、ハイモヴィッツのバッハの無伴奏チェロ組曲など。年末年始までにこれらを思う存分聴きたいと思う。

2001年12月9日 日曜日■試験の採点で忙しい。仕事をはかどらせるためにいろいろなCDを持ってきてはかけてみる。マイスキーとアルゲリッチの「ライヴ・イン・ジャパン」【ユニバーサル(DG)・UCCG1050】、プレトニョフの「カーネギー・ホール・ライヴ」【同・UCCG1028】(バッハの「シャコンヌ」に感動。ショパンの4つのスケルツォも個性的だが好きな演奏)、プレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管によるラフマニノフ作曲の交響曲第2番【同・POCG1792】、クイケン・アンサンブルによるバッハの「音楽の捧げもの」BWV1079【BMG・BVCD-1663】、ムーティ指揮ベルリン・フィルによるハイドンの「十字架上の7つの言葉」【フィリップス・434 994-2】と続く。◆仕事はいっこうにはかどらない。「ながら」ができないのである。音楽に、耳が、神経が、向いてしまうのである(笑)。◆ドイツ・グラモフォンのサイトにある"Artist Discussions"に投稿する。はじめはアルバムのことに話題を限定しようと思ったが、今までのこのサイトを見ていると、質問内容は自由でかまわないようである。そこで、この際だからと、マイスキーに出した質問はだいたい次のとおり。
1) 24年前のマルタ・アルゲリッチとの出会い
2) 今回どうやって(ショパン、フランク、ドビュッシーを)選曲したのか
3) アルゲリッチとの今後の録音予定(たとえばショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、ラフマニノフのソナタ、ストラヴィンスキーの「イタリア組曲」がすばらしいと思うが)は?
4) クラシック以外ではだれのCDを聴くのが好きか
5) チェロや音楽以外での最近の関心事は?
6) 次の作品を録音することについてはどうか?
@ ブリテンの無伴奏チェロ組曲第1番op.72---ロストロポーヴィチとは違う面を見せてくれたマイスキーの演奏を今でも鮮明に覚えており、最も好きな演奏だ、と書く。
A コダーイ、ヒンデミット、ブリテンの無伴奏チェロ組曲(ブリテンは3曲)---「ドイツ・グラモフォンは採算度外視でこの録音を実現せよ」という趣旨のメッセージも添えた。
B ブリテン、プーランク、リヒャルト・シュトラウス、バーンスタイン(原曲はクラリネット・ソナタ)などのソナタ
C オペラ・アリア集---叙情的で美しいオペラ・アリアの数々(例えばプッチーニの「トスカ」より「星は光りぬ」)。

2001年12月8日 土曜日■夜、グリーンホール相模大野で東京交響楽団の演奏会。秋山和慶指揮で、オール・ストラヴィンスキー・プロ。組曲「火の鳥」(1919年版)、「ペトルーシュカ」(1947年版)、そして「春の祭典」。すごい企画ではないか。何でもホールの熱心な担当者の発案と聞いたが、現実のものになって演奏会として実現したときの喜びは何ともいえないものにちがいない。ぼくにも演奏会を発案してから実現に至るまでの経験があるので、その思いはとてもよく理解できるつもりである。それにしても演奏者にとっては体力と気力の勝負かもしれない。◆はじめの「火の鳥」ではオーケストラのエンジンがかかり始めという感じで、まだテンションも高まっていない印象で指揮者とも噛み合っていないように感じられたが、2曲目以降は東響ならではの、ダイナミックで厚みのあるアンサンブルが聴き手を圧倒した。秋山和慶の棒さばきはさすがで、今日のような作品を聴くには適任の指揮者といえるかもしれない。「春の祭典」は洗練されていて土臭さがない都会的な演奏だったが、切れ味が鋭く、スリリングで聴き手を惹きつけた。東響はいつも聴き手の期待を裏切ることがないから好きだ。◆終演後、チェロ奏者の鷹栖先生(ぼくのチェロの先生で、来年またゼロから教えていただくことになった!)にお目にかかり、駅まで歩きながらお話を伺う。お忙しそうだが元気で活躍されている。うれしい。◆今日は妻も息子も出かけていて1人の夜である。ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」といえば、メータ/ニューヨーク・フィルハーモニックのレコードを20年近く前に買い、作品の美しさに感激したこと、さらにポリーニ(ピアノ)が演奏する「ペトルーシュカからの3楽章」の演奏が圧倒的で、このディスクを聴くたびにポリーニってすごいなあ!と感嘆することを思い出し、それらのCDをかけて過ごす。

2001年12月7日 金曜日■夜、ラヴェルとショーソンのピアノ三重奏曲を聴く。ボザール・トリオ(Beaux Arts Trio)による演奏を収めたCD【フィリップス・411 141-2】。昔、このトリオの名前が読めなかったのを思い出す。ボザール・トリオは知っていてもこのフランス語表記を知らなかった。常設で長年活躍しているトリオはそう多くないが、ボザール・トリオはメンバーが替わった今も世界でもトップの実力を誇るのではないか。リヒテルが絶賛したプレスラーのピアノは聴いていてほんとうにすばらしいと思う。

2001年12月6日 木曜日■友人でもあるKアナがテレビでニューヨークからリポートしている。テロの影響でニューヨークの活気はいまひとつであろう。それでもみんなで悲しみや辛さを乗り越えようと、ニューヨークでは何とか観光客を招いて、かつての賑わいを取り戻そうと必死である。かつて独身でアメリカを旅すると、必ずと言っていいほどニューヨークを訪ねた。行くたびに、街からあふれ出るエネルギーに圧倒されていた。ホットな街、常に最先端を行く街。タワーレコードが日本のあちこちにできる前、ニューヨークのタワーにずいぶん入り浸ってCDを買い込んだこともあった。

2001年12月5日 水曜日■昨日ある海外のピアニストにメールを送ったのだが、早速返事がもらえた。メールの威力を再認識。彼の出したレコード(CD)がすでに廃盤で残念に思うのは、聴き手のぼくらもそうだし、演奏家もそうである。彼のソロのディスクは、今はほとんど入手不可能である。レコード会社にもいろいろ事情があるのだろうが、発売されて1年程度で廃盤となるものも現在少なくない。いったい何のために記録をとるのだろうか。文化的な遺産としてのCD(レコード)の役割についても、レコード会社は真剣に考えてほしいと思う。

2001年12月4日 火曜日■息子を病院に連れて行かなければならず、午後帰宅する。朝から降っていた雨はあがるが、どんよりと曇っていていくぶんひんやりした1日だった。◆自動販売機で売っているコーンポタージュスープの缶詰を1本買って飲む。あのコーンが最後に缶の中に残るのがしゃくだ。1粒くらいは仕方ないにしても3粒も4粒も残ると、何とかして口の中へ入れたいと逆さにして底を叩くけど、結局だめだ。皆どうやっているんだろう。◆妻が週末に友人とイベールの「2つの間奏曲」を演奏する。どんな曲かとCDが欲しくなる。タワーレコードへ訊くが、どの輸入盤も入手は難しそうだ。◆夜、某音楽事務所のMさんから電話。中旬にある演奏会の件。◆ピアニストの斎藤雅広さんが掲示板に書き込みをしてくださっていた。ぼくら夫婦にとって斎藤さんは仲人のような方だ。とてもうれしい。THANK YOU!

2001年12月3日 月曜日■今日は別の試験の作問。勉強している側よりはずっと楽なはずだが、作るのもなかなか大変だ。採点ではみんなに高得点を取ってもらいたいと思う。誤答が多くて平均点が低かったりすると、彼らの学習量(または試験準備)不足よりも授業の進め方を反省することになる。もっともっと魅力ある授業ができるよう努力していかなければならない、と思う。◆夜、急遽、サントリーホールでヨーヨー・マの演奏会を聴く。シルクロードをテーマにしたコンサートで、ヨーヨー・マは日本語でトークもし、馬頭琴も弾いて聴かせてくれるサービスぶり。(失礼ながら)このプログラム、この料金(S券:\16,000)で満席になるのだから、ヨーヨー・マの人気の高さがわかる。今でこそミッシャ・マイスキー ファンクラブの事務局員であるぼくも、マイスキーが最も好きなチェリストだが、相変わらずヨーヨー・マにも大いなる魅力を感じる。グローバルな視点で好奇心旺盛なヨーヨー・マの音楽への探求心は、ぼくら聴き手の感性をも刺激する。ぼくは正直言ってオーソドックスな曲目での演奏を聴きたかったが、演奏会が始まってみれば、不思議な世界にいつの間にか引き込まれているのだった。気に入ったのは中国の作曲家チーピンの「関山月」。チェロと中国琵琶、中国笙、タブラによるアンサンブルからは、彼らがアイコンタクトをしながら音楽を心から楽しんでいる様子が十分感じられた。茅ヶ崎でヨーヨー・マの演奏会を行えるのはいつになるのだろうか...。

2001年12月2日 日曜日■期末試験の作問に追われる。

2001年12月1日 土曜日■朝、ブラームスの弦楽五重奏曲2曲のCDをかける。ベルリン・フィルのクスマウル、クリスト、ファウストら名手によるライヴ盤。まだ妻も息子も寝ている早朝に、ひとりコーヒーを飲みながら静かに聴くのもなかなかだ。◆仕事を終えて、午後、某メーカーの電子辞書セミナーに出かける。電子辞書というものを実際に使ってみる体験は初めて。意外と便利で、これなら生徒も単語をどんどん引いてみようという気になるのではないか。もっとも価格はけっして安くない。辞書の版が変わって新しくなっても電子辞書をバージョンアップはできないようである。値段がバカにならないだけにそのあたりが課題である。

2001年11月30日 金曜日■例のウィルスの入った怪メールは今日も何通か届いた。まったく同じパターンである。職場でも話題となる。◆期末試験が近づいてきた。試験問題を作らなくてはならない。試験勉強するよりはいいか...。咳が止まらないので夕方医者へ行く。

2001年11月29日 木曜日■相変わらず咳が出る。かなり頑固な咳だ。◆明日で11月も終わる。1年があっという間に過ぎていく。◆ところで昨日あたりから怪しいメールが届くようになった。アドレスが知人のものに酷似しているため、つい開けたくなるが、調べてみるとどれにも共通して、最新ウィルスの「W32/BadTrans」が含まれていることがわかった。いったい誰が面白半分にこのようなことをするのだろうか。◆夜、ピアニストのSさんから電話。元気で活躍されている様子にうれしく思う。

2001年11月28日 水曜日■今日も朝焼けが美しかった。かなり冷え込むようになってきたが、気持ちのよいものである。◆「未来への教室」Aの再放送も終わり、@が来月放送されると、今年のマイスキー関連の大きな「イヴェント」もいよいよ終わりという感じがする。日本のファンにとってはいつになく大きな1年だった。◆ファンクラブへの入会の問い合わせも多くなってきた。

2001年11月27日 火曜日■早寝早起きの生活が続く毎日。今朝も2時過ぎには起きてパソコンの前に座る。6時をまわると朝焼けが美しくなり、30分ほど経つと東の空に太陽が顔を出し始める。外の空気は冷たいが、ベランダに出てみると身も心も引き締まる。ここ何日か気に入りの時間帯となった。デジカメを持ってきて何枚か撮ってみるとなかなか面白い。まるで初日の出でも拝むときのようで、ついには寝ていた妻を起こして一緒に見ようと声をかける。 わが家のベランダから見た日の出
PHOTO:(C)2001小島昭彦

2001年11月26日 月曜日■空気が乾いていることも大きいのだが、このところ咳が止まらなくなることがある。喉が辛いのでかかりつけの医者で診てもらう。薬をもらってほっとする(昔からここで診てもらうと不思議なくらいあっという間によくなる)。◆テレビのCMでモーツァルトの弦楽五重奏曲第4番が流れている。実は、モーツァルトにそう大きな関心をもってこなかったぼくは、つきあい始めのきっかけは、短調の作品群だった。25番のシンフォニーも好きだし、20番のピアノ・コンチェルトも好きだし、8番のピアノ・ソナタもK.397やK.475の幻想曲もいい。だがしかし、この弦楽五重奏曲も忘れてはならない名曲だと、初めて聴いたときからずっと感じ続けてきた。久々に聴いてみようか。

2001年11月25日 日曜日■親友Oのお父さんの3回忌。息子同然に面倒を見ていただいたぼく。ごく身内だけでの集まり。久々にみんなで話に花を咲かせたが、親友Kは20年前のスナップ写真を持ってきてまわしてくれる。当時の自分を妻にも見られ、ちょっと照れくさい。

2001年11月24日 土曜日■夜、NHK「未来への教室」の第2回(「子守歌を憶えていますか」)が放送される。愛妻のケイのピアノによるブラームスの「ひばりの歌」、リリー(ピアノ)とサーシャ(ヴァイオリン)によるブラームスの子守歌が聴ける。教室の生徒たちの感性にも驚かされたが、ミッシャの2人の子の豊かな表現力にも感銘を受けた。日頃のちょっと落ち着きのない活動的な性格とは違った一面をのぞかせたサーシャのヴァイオリンもよかったし、リリーのやさしいニュアンスによるピアノが実に印象的で、感動的なシーンだった。2人の子供がロンドンで寄宿生活を始め、子煩悩なミッシャとケイは今かなり寂しい思いをしていることだろう。将来「マイスキー・トリオ」が実現することを祈りながら、心温まる気持ちで番組を見終えた。

2001年11月23日 金曜日■アバド指揮ベルリン・フィルによるヴェルディのレクイエムのCDが発売になり、先日その輸入盤(2枚で2,090円!)を買ったのだが、ようやく聴く時間が取れた。「怒りの日」では硬質で、しかも温度の高い演奏がききての心を揺さぶる。ピアニッシモとの見事な対比。ベルリン・フィルとスウェーデン放送合唱団の完璧なアンサンブル。同じアバドによるミラノ・スカラ座の20年前の演奏と並び、この作品のぼくのベスト盤の1つとなった。◆午後、家族で鎌倉・極楽寺へ。小学校の恩師のお嬢さんがお友達と展覧会を開いていると聞き、出かけた。小さなギャラリーに2人の若いお嬢さんたちの、魚やカバを題材に描かれた作品が並んでいる。若いけれども心豊かで色彩が実に素晴らしい。自分と相性の合う美術作品に出会ったときの喜びよ!息子に江ノ電とモノレールに乗る約束を果たせ、同時に今日はすてきな絵をみることができた。◆夜、「芸術に恋して!」では、ぼくにはじめて絵のすばらしさを実感させてくれた偉大なる画家、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが紹介された。実り多き1日。

2001年11月22日 木曜日■夜、職場の仲間の歓迎会。魚の旨い店で3時間あまりを楽しむ。睡眠不足で眠い。◆アメリカは「感謝祭」(Thanksgiving)。以前、アメリカの友人ができたての熱いアップルパイに冷たいアイスクリームをたっぷりのせて食べるのを見て真似たことがある。これが実にうまいのを思い出した。久々にやってみようかな。

2001年11月21日 水曜日■11月20日はコントラバスのゲーリー・カーの誕生日。ちょうど60歳。今年も電話をかけ祝う。17時間の時差があるため、21日になってからとなる。むこうの午前9時過ぎだとたいていは自宅にいて、話ができる。今年は例年にもまして誕生日を祝うメールやFAXが多いと喜んでいた。◆ゲーリーは6月のインディアナポリスでの演奏会をもって、とりあえずステージでの演奏活動から離れている。自宅にはピアノともオルガンとも共演し録音できるスタジオがあり、実際、10年がかりのレコーディング・プロジェクトに取りかかりだしたのだが、演奏旅行していたときよりも忙しくなったという。◆今でこそ若い優秀なコントラバス奏者が多く世に出てきたが、カーのように叙情たっぷりに音楽性豊かに歌える演奏家はまだほとんどいない。来年暮れの来日が楽しみである。

2001年11月20日 火曜日■オリ・ムストネンのリサイタルを聴きにオペラシティ(新宿)に出かける。前半はベートーヴェン、後半はブラームス。客入りが悪く気の毒であったが、演奏の方はムストネンならではのもの。強烈な個性で賛否両論だろう。ホールはピアノの音で飽和状態になる。この人の手にかかると、まるでピアノがおもちゃのよう。感性の鋭い演奏家だ。イマジネーションが豊か。しかし、ぼくとしては、もっと近現代の作曲家の作品を聴いてみたい気がする。終演後持っていたCDすべてにサインをもらう。茅ヶ崎で撮った13年近く前の写真を渡す。当時何を弾いたかちゃんと覚えていた。さて、ムストネンはいったいどういう方向へ歩んでいくのだろうか。◆会場でヴァイオリニストのOさんに会う。マイスキーの茅ヶ崎公演の時以来。そのうち茅ヶ崎市楽友協会の広報紙用のインタビューをしたいとお願いすると快諾してくださる。来月21日には東京でリサイタルがあるので楽しみだ。実はぼくが期待する若手のヴァイオリニストの1人である。

2001年11月19日 月曜日■いつもよりも早く帰宅。やるべきことがたまってきた。思うように片付かない。◆明日はオリ・ムストネンのピアノ・リサイタルを聴きに出かけることになっている。1990年2月、ムストネンが初めて日本に来たのは、ストックホルム・フィルとラヴェルの協奏曲を演奏したときだった。茅ヶ崎でもこの演奏会があって、ぼくはこのとき初めてムストネンを知った。楽屋では差し入れたみかんをおいしそうに食べ、ほんとうにあどけない少年だったが、ひとたびピアノの前に座るとその音楽は、実にシャープで、心地よいほどの緊張感を伴ってききての中で響いた。途中ピアノの弦が切れ、後半もオケが使うのにどうしたらよいのだと調律師を泣かせたことも記憶に新しい。その後半、ムストネンと並んでホールの2階席でパーヴォ・ベルグルンドの指揮するショスタコーヴィチの交響曲第5番の演奏を聴いた。ぼくはときどき前に身を乗り出して音楽に集中するムストネンの姿に感動すらおぼえた。彼は大物になる。そんな予感がした。◆あれから何度かムストネンを聴いてきた。再会が楽しみである。

2001年11月18日 日曜日■私用で1日外出。夜、「未来への教室スペシャル2001」を見る。昨日の今日だけど、マイスキーの演奏に思わず身を乗り出して聴き入る。客席にいる自分の姿が映り、ずいぶん老けたものだと思ってしまった。◆早朝、サイトの更新。マイスキーとティエンポのツーショット写真の公開というのは初めてではないだろうか。

2001年11月17日 土曜日■NHKホールで「未来への教室スペシャル2001」の公開録画。マイスキーが出演するので、家族3人で出かける。マイスキーの出番はわりと短かったが、それでも生演奏や話がきけたので大いに楽しめた。ホール内では同時通訳を聴くための携帯ラジオが貸し出されたが、マイスキーの音楽を聴くときには音が邪魔になり、ボリュームをゼロにする。片耳で同時通訳の音声を聞くため、どうしても2か国語が一度に聞こえてくることになる。言われている内容を頭の中で整理するのが、意外と難しい。◆実は収録開始直前にマネージャーのHさんから電話があり、第1部の収録の間にタワーレコードへCDを買いに出かけていた。マイスキーが関心を持っている曲目のCD探し。2枚買って戻る。◆終了後、NHKの番組担当のMさんに案内していただき楽屋へ。マイスキー、ピアニストのティエンポらを訪ねる。

2001年11月16日 金曜日■特に変わったこともない1日。明日は「未来への教室スペシャル2001」の公開録画がNHKホールである。マイスキーは元気に来日しているとのこと。楽しみだ。

2001年11月15日 木曜日■東京文化会館でベルリン・フィル カンマーゾリステンの演奏会を聴く。安永徹、カッポーネ、クリスト、クヴァント、シュトール、市野あゆみの6人。ベルリン・フィルの首席奏者を中心に構成しているだけあってアンサンブルは実に緻密であり、音楽が豊かだ。前半、一部奏者に乱れがあったものの、全体的には満足のいく素晴らしい演奏。後半のリャプノフ(1859-1924 ロシア)によるピアノ六重奏曲Op.63は聴き手を飽きさせることのない名曲。こういう作品が数多く埋もれてしまっているという。ぜひレコーディングをしてほしいと願わずにはいられない。アンコールはトゥリーナの作品。終演後楽屋を訪ね、安永さんや市野さん、クリストらと話す。曲を見つけた後、譜面をわざわざ注文してつくったとのこと。演奏家として、彼らは実に精力的な活動を続けているのに敬服する。

2001年11月14日 水曜日■メールで、スキー、スノーボード関係のサイトから宣伝のメールが届く。要するにマイスキーと見て、スキー関連のサイトと勘違いしたようだ。思わず笑ってしまう。◆夜、上野の文化会館でプラハ国立歌劇場の公演「アイーダ」を観る。ホセ・クーラが当夜の目玉だったが、感想を言わせてもらうなら、今の段階ではクーラは自分の趣味とはちょっと異なるという歌手だった。まだまだ大味な部分もあるが、聴衆を惹きつける力が十分にあるスターであることは確かなようだ。ソリストはまずまず。アイーダもアムネリスも悪くなかった。ただ、オケと合唱にはがっかり。音が平板で貧弱な気さえするのである。アバドやムーティらイタリア人指揮者の振った、熱く、息のある「アイーダ」を期待して聴くと失望するかも。もっともっと呼吸をして音楽を演奏してほしいし、感情表現が豊かであってよいはずである。第2幕で聴くアイーダ・トランペットももっと輝かしく聴かせてほしく、いろいろ思うところがあった。

2001年11月13日 火曜日■昨日9時に寝たので今朝は早く起きることができると思っていたが、気づいたら7時半近くになっていて慌てて起きる。◆忙しい1日だった。前の職場の同僚や、知人、友人らから「未来への教室」を見ての感想などを送ってもらい、とてもうれしくなる。マイスキーを知らなかったがとても感動して次回も楽しみだと言ってくださるのも幸せな気分だ。◆夜、茅ヶ崎市楽友協会のTさんと会ってお茶を飲む。相変わらず演奏会は一部を除いて客入りが悪いようである。

2001年11月12日 月曜日■結局朝まで仕事が終わらなかった。今日は通院で新宿へ。◆やはり徹夜はこたえる。夜9時就寝。

2001年11月11日 日曜日■部屋の掃除を久々に大がかりにやる。◆フランクのヴァイオリン・ソナタをデュメイとピリスのデュオによるCDで聴く。大好きなデュオの1つ。夕方、岡山の義父が訪れ、妻の姉の家族とともに市内の鰻屋へ行く。老舗だけあって伝統の味。鰻がやわらかい。美味。夜はたまっている仕事がある。遅くなりそうだ。

2001年11月10日 土曜日■今日も雨模様の肌寒い天気。早朝はかなり冷え込む。◆夜、「未来への教室」の第1回の放送があった。小学生のような小さな子にはいくぶん難しい内容だったが、番組構成は実に見事だった。NHKのMさんからは途中経過を伺っていたが、マイスキーの人柄を十分感じさせることのできるすばらしい番組になっていたように思い、ぼく自身とても感動した。彼の新しい家には訪れたことがないが、住まいの環境もほんとうに素晴らしい。ケイさんには、ミッシャの来日の際よく同行されるので、お目にかかることが多いが、リリーとサーシャを見るのは久しぶりだった。2人の成長ぶりには驚かされた。リリーは落ち着きのあるやさしいお姉さんになっていた。サーシャの方はやや落ち着きがなかったが、相変わらず茶目っ気たっぷり。第2回がほんとうに楽しみ。放送終了後、いろいろな方からメールなどをいただく。

2001年11月9日 金曜日■雨が冷たい。放課後生徒と談笑。◆いよいよ明日が「未来への教室」放送日。編集作業は終わっただろうか。◆夜、テレビ東京の「芸術に恋して」を見る。今回は開高健がテーマ。旨い料理、食べ物を「うまい」、「おいしい」と表現せず別の言い方をしたのがすばらしかった。高嶋ちさ子さんの司会。◆この日記を打っているときにうたた寝。妻に叩かれる(肩を)。いい夢を見ていたのに...(うそ)。

2001年11月8日 木曜日■仕事が忙しく、残念ながらミンツの弾くベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の演奏会にも、藤沢でのラドゥ・ルプーのピアノ・リサイタルにも出かけることができなかった。忙しいからこそ音楽会で心を癒そうなどと思うのだが、時間や精神的な面でゆとりがないと、結局行くのをためらってしまう。次の日のためにやらなければならないことがたくさんある。行けばきっとそれが活力となって、自分の身体や心にエネルギーを与えてくれるにちがいないが、どうも遠くまで(東京も日によっては遠く感じる。ましてや渋谷や池袋あたりは)出かけるのがその日のコンディションによっては億劫にさえなる。そのあたりが年をとってきたということなのかもしれない。仕事先が都内だったりすればまだしも、家との距離がわずかだとなればますますいけない。家では妻子が帰るのを待ってくれているし(I do hope so. ---笑)、自分だけそうそう好き勝手にやっているわけにもいかない。

2001年11月7日 水曜日■「未来への教室」の宣伝葉書の写真にはマイスキーのほか、「生徒」となるこどもたちが6人写っている。その中で一番大きく写っているのは、愛息サーシャ。サーシャの右側で微笑んでいるのが愛娘リリーである。ところが、実はぼくはサーシャがあまりにも大きく成長していたので気づかなかったのだ。かつて王子ホールの楽屋前の廊下をダッシュで往き来していたわんぱく坊や。肩車して遊んであげた日がつい先日のように思える。今回の授業にはリリーとサーシャも登場する。その中できっと発言もしているだろうし、ひょっとしたら演奏だって聴けるかもしれない。楽しみにしよう。◆番組のお知らせが届き始めて、いろいろな方から電話やメールをいただく。

2001年11月6日 火曜日■明け方まで「未来への教室」の葉書の宛名書きをする。ふだんはマイスキーのことを話さない人にもどんどん送ることにする。こういう機会こそチャンスだ。「ミッシャ・マイスキー ファンクラブ」というのが何なのか、マイスキーがどういう人なのか知ってもらう一番手っ取り早い方法ではないか。寝たのが朝5時半過ぎ。2時間足らずの睡眠でややつらい1日だったが、マイスキーのためだ。頑張らなくては。チェロ関係、音楽関係のサイトの掲示板などにも番組の紹介を載せたりして、忙しく終える。

2001年11月5日 月曜日■「未来への教室」の告知と宣伝葉書の発送作業に精を出す。バックにマイスキーのCDを次々にかけ、能率アップを図る(???)。久々に聴くブラームスの歌曲や、ショスタコーヴィチとチャイコフスキーのトリオ。う〜ん、すばらしい。

2001年11月4日 日曜日■今日は茅ヶ崎で園田高弘ピアノ・リサイタル。朝8時過ぎまで会報の原稿書きに取りかかれない。結局書き終わったのは12時半。◆久しぶりにお目にかかる園田さんだったが、相変わらず精力的に演奏活動をされている。楽しみなシューマンのソナタ第1番は最近録音も終わったとか。演奏会にはもっと大勢の人が集まればいいのにと思う。教え子のS君が聴きに来てくれた。◆「未来への教室」でのマイスキーの登場が近く、番組用の宣伝葉書を知人に配る。◆演奏会、無事終了。終演後楽屋で園田さんと話をする。ぼくらに対しても実に気さくに接してくださる。グラズノフの作品は今度生で聴かせてほしい。帰宅後、妻と、園田さんが若かった頃の演奏を収めたCD(ラフマニノフの3番の協奏曲)を聴く。おっ、すごい!

2001年11月3日 土曜日■文化の日。用があって学校へ。吹奏楽部の生徒のアンサンブルを聴かせてもらう。◆明日は園田高弘さんのリサイタル。資料を整理して会報を書かなければ...。

2001年11月2日 金曜日■妻が横浜へ用事があって出かけるので、早く帰って息子と留守番する。◆「未来への教室」について学校で生徒に話すと何人かが興味を持って、このサイトを訪れてくれた。とてもうれしい。ぼくがクラシック音楽に夢中になったのも高校時代だった。LPで、ポリーニの弾くバルトークのピアノ協奏曲第1番&第2番と出会ったのが衝撃的だった。

2001年11月1日 木曜日■いよいよ11月。今年もあと2か月で終わろうとしている。今日もまた慌ただしい1日。◆「未来への教室」の放送が近づいてきた。ファンに限らず多くの方に見ていただきたい番組だ。チェリスト、ヨーヨー・マもいいけれど、ミッシャ・マイスキーのことについて知っていただくよい機会になるにちがいない。

2001年10月31日 水曜日■夕方から都内の某専門学校に行き、英語の授業を見学する。学生は社会人が多かったと思うが、皆ほんとうに熱心に頑張っている。見学しているだけでも十分刺激になった。実は自分自身受講したいと思っているのだが、週1回勤務を終えてから東京へ行くのを続けられるかどうか。11時半過ぎに帰宅。珍しくビールを買って帰る(だいたいふだん飲まないのだから「珍しい」なんてもんじゃない)。妻とこうして家でビールを飲むのは初めてかも。◆飲んでみたものの、あまりうまいとは思わなかった。いつもはそれでも最初の一口くらいはうまいっ!と声を上げたくなるほどなのだが、今夜はあっという間に嫌になった。向いていないのかなあ。手のひらが5分もしないうちに真っ赤になった。◆サイトのアクセス・カウンターが7000になる。ゲットしたのはなんとこの自分であった。

2001年10月30日 火曜日■健康診断。朝から何も食べず(飲まず)に受診したのでお腹が空く。やることがビッシリで休む暇もなく1日が終わる。

2001年10月29日 月曜日■コントラバスのゲーリー・カーからメールをもらう。6月のインディアナポリスでのステージを最後にしばらくはコンサート活動を休業、10年がかりの莫大なレコーディング・プロジェクトに取りかかっている。演奏旅行はなくなったものの、相変わらず忙しそうだ。◆4日に茅ヶ崎で園田高弘ピアノ・リサイタルがあるので、その曲目解説等の準備を始める。個人的にはシューマンのソナタ第1番を聴けるのが一番の楽しみである。アンスネスのCDがぼくは大好きだが、今日はエミール・ギレリスによる1959年、ロンドンでのライヴの盤(BBC)を聴いた【BBCL 4015-2】。モノーラルでダイナミックレンジが狭いのが惜しまれるが、52歳、まだバリバリのギレリスの演奏だけあって、音楽にもかなり強烈なインパクトが感じられる。同じCDに、スカルラッティのソナタK.141が入っていて嬉しかった。この前アルゲリッチが日本で弾いた作品だが、彼女以外にこの曲を弾いているピアニストのCDがわが家になかったので、聴き較べも兼ねて楽しませてもらった。◆それにしてもギレリス、ほんとうに懐かしい。ベートーヴェンの「熱情」の演奏には、精神的に落ち込んでいる自分自身を何度叱咤激励してもらったことか。この余分な贅肉をそぎ落とした強靱で厳しさのあふれる演奏は、ブラームスのピアノ協奏曲第2番と並んで、今でもギレリスの演奏による愛聴盤の1つである。1984年の来日時、上野の文化会館で到着して車から降りたばかりのギレリスにサインをねだったのを思い出すが、意外にもずいぶんと小柄な人だった。

2001年10月28日 日曜日■妻と渋谷のパルコ劇場へ行き、三谷幸喜作・演出の『バッド・ニュース★グッド・タイミング』を見る。出演は沢口靖子・生瀬勝久・久野綾希子・伊藤正之・八嶋智人・角野卓造・伊東四朗。都内高級ホテルのラウンジ。結婚式当日。ある幸せなカップル。互いの父がかつて『エントツ・トンカツ』の名で一世を風靡した漫才コンビだったが、10年前の喧嘩以来断絶状態。一触即発の父親らを前に、2人は無事式を挙げることができるか」という内容のコメディ。2時間笑いが絶えない最高傑作。超お薦め。三谷さん、ありがとうございました!

2001年10月27日 土曜日■1週間があっという間に過ぎていく。◆夜、教え子の会に呼んでもらい楽しく過ごした。15人くらい集まる。卒業以来、一人ひとりが着実に成長しているのを見て嬉しく思う。

2001年10月26日 金曜日■今日もあっという間に終わる。夜息子を寝かすのに一緒に9時に布団に入り、午前2時か3時に起きるパターンを続けていたのだが、このところ結局朝まで寝てしまうことが多い。やはりぼくの場合、睡眠時間は5〜6時間では足りない。

2001年10月25日 木曜日■共同通信社へ電話。伊熊よし子さんの執筆によるマイスキーの本の出版は来年春くらいになりそう。◆慌ただしい毎日だ。そろそろ次のファンクラブ通信の作成にも取りかからなければならない。

2001年10月24日 水曜日■睡眠不足といいながら2時間しか眠れなかった。三谷幸喜が巨匠ビリー・ワイルダーの住むロスに出向きインタビューするという番組をずっと録っていながら見ていなかったのでそれを見てしまい、寝るのがさらに遅れた。◆サイトでは別府アルゲリッチ音楽祭へのリンク作業。◆マイスキーの来日が近づいてきた。17日のピアニスト、セルジオ・ティエンポとの共演も楽しみだ。NHKのMさんによれば、「未来への教室」の編集作業は順調に進んでいるとのこと。ほんとうに楽しみだ。出演する子どもたちの中にはミッシャの子であるリリーとサーシャもいるそうだから、2人の成長ぶりを見ることもできるだろう。ぼくの自慢(?)の1つが数年前にもらったリリーとサーシャのサイン。「パパ」のサイン会は長蛇の列。それをそばでただ見て待っているのが長く感じたのであろう。ぼくはリリーにサインを求め、次にサーシャにサインをねだった。サーシャはにこっとし、それじゃあという感じで、嬉しそうに、ややぎこちなく、サイン帳に小さく名前を書いてくれたのである。ほんとうにかわいい子どもたちだ。◆今日はテレビで、1日のルビツァ・ヴァルギツォヴァ(S)と佐野成宏(T)のデュオ・リサイタルから放送されたが、佐野成宏は登場せず、ヴァルギツォヴァのリサイタルの形で放送されたようだ。知らなければ何でもないが、佐野成宏の当夜の充実ぶりが紹介されなかったのは残念。

2001年10月23日 火曜日■アスペンのサイトへリンクすることができた。◆CSでバレンボイム指揮シカゴ交響楽団のケルンでのライヴ、マーラーの交響曲第5番を録る。まだ見ていないが、とても楽しみだ。◆睡眠不足で疲れている。早く休もう。

2001年10月22日 月曜日■今日は研修でFrontpageを使ってのホームページ作成の練習。学校のウェブサイトを作ってみるというのが課題で久々に一から作ってみる。ぼくはホームページ・ビルダーを使っているのだけれども、ソフトが違うとずいぶん勝手も違うものだと思った。HTMLをもっと勉強しないといけない。このミッシャ・マイスキー ファンクラブのサイトももう少し見栄えもよくしなければいけないかなあ。◆夜、テストの採点に追われる。

2001年10月21日 日曜日■クレーメルが1979年に録音した小品集(ピアノはエレーナ・クレーメル)、ブレンデルの最新のモーツァルト・ソナタ集などのCDを聴く。学校が中間試験の谷間だがいろいろ忙しい。

2001年10月20日 土曜日■午後、テレビでラトル指揮ウィーン・フィルの東京公演の生中継。ベートーヴェンの第2番と第5番のシンフォニー。なるほど、これはラトルの演奏になっている。久々に新鮮で躍動感のあるベートーヴェンが聴けた。たしかにすごい。コンサート会場ではきっと大感動したにちがいないが、休憩中、布団をかけて昼寝はできないのだから、今日はまあこれでよしとしよう。疲れているときには無理をしないことだ。今日のアンコールは、ベートーヴェンではなく、意外にもドヴォルザークのスラヴ舞曲第3番。ラトルが自らティンパニ奏者となるというサービスだった。

2001年10月19日 金曜日■学校の業務で忙しく、あっという間に終わった1日。帰りがけに理容店に寄るが混んでいたので、待っている途中で諦めて帰る。実は訪れたとき、弟が店で散髪中だったと電話で聞き、驚く。

2001年10月18日 木曜日■昨夜友人から電話があり、ラトル指揮ウィーン・フィルの演奏会に行けないかと訊かれる。ラトルは好きだが、実はこのところベートーヴェンのシンフォニーはちょっと距離を置いてしまっている。ぼくとしてはロマン派の音楽を聴きたかったのだが、友人曰く、「そう言う小島にこそ彼らのベートーヴェンを聴いてほしい」。別にぼくにチケットを買えと強要して言っている彼の台詞ではなく、長年の音楽好き同士の会話なのである。そういうわけで、久々のウィーン・フィルを考えていたのだが、結局もっと熱心な買い手が見つかり、今回も「パス」となった。◆夕方横浜のタワーレコードに寄る。1975年生まれの俊英、ダニエル・ハーディングの指揮によるブラームスの交響曲第3番と第4番のCDを買う。オケはドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン。早速、明日にでも聴いてみようと思う。

2001年10月17日 水曜日■明日の試験問題を準備してあっという間に1日が過ぎてしまった。夜、生徒から試験に関する質問のメール。英語に関するなかなか鋭い質問でうれしく思う。それにしても時代は変わった。ぼくは携帯電話の番号もメールアドレスも生徒に公開しているので、生徒はいつでもこちらにメールを送れるようになっている。わからなければ学生が夜中にだって教員あてにメールで質問ができるのだ。ぼく自身はこういうコミュニケーションもあってよいと思っている。なかなか楽しいものである。

2001年10月16日 火曜日■めざましクラシックスの横浜公演に出かける。息子が手足口病にかかり、妻は急遽欠席。歌手の岩崎宏美さんが喉の不調でキャンセル(1日も早い回復をお祈りします!---ぼくが生まれて初めて聴いた生のポップスは岩崎宏美藤沢公演で、当時中学生だったぼくは終演後、楽屋口で握手ができて興奮したのを今でも覚えている)。代わりにフルートの4人組、Lynxが出演。フルートによる四重奏を初めて聴く。バス・フルートやアルト・フルートなど見たことのない楽器を聴けたのも収穫。高嶋ちさ子さんのヴァイオリンの話も面白かった。そのとき、2歳で始められるという16分の1サイズが披露される。息子は弦楽器をやりたがっているが、はたして2歳の子どもがどのようにしてヴァイオリンの初歩を教わるものなのだろうか?興味深いところである。

2001年10月15日 月曜日■妻の誕生日。いろいろ言い争うこともあるが、これからもお互いを尊重し合って仲良くやっていきたいと思う。結婚前は将来いつかチェロとピアノでデュオができたらなんて思っていたのだが、それはぼく次第だ。チェロの練習を再開せねば...。◆さて、話は変わるが、アメリカのメディアによれば「次のテロの標的」は頻度順に1)シカゴの合衆国で一番高いビル、シアーズタワー、2)フロリダ州にあるディズニーワールド、3)カリフォルニア州アナハイムのディズニーランドだという。冗談じゃない。なぜ市民生活がこんなにまで脅かされなければならないのか。これはアメリカに限った話ではないかもしれない。日本でだって、いつ起こってもおかしくない状況である。今、1人の教員として、あるいは人間として、ぼくには何ができるだろうか。

2001年10月14日 日曜日■炭疽菌(たんそきん)という聞いたことのなかったものが郵便で人に送りつけられるという事件がアメリカで何件も出てきた。死者も1名出た。とんでもないことである。人々の日常生活が脅かされてきている。ビンラディン率いる組織、アルカイダが犯行に絡んでいるかはまだわからないということだが、恐ろしい世の中になってきたものだ。◆今日はレナード・バーンスタインの命日。もう11年前のことである。早い。バーンスタインが生きていたら、きっと何らかの平和のメッセージを出しているにちがいない。

2001年10月13日 土曜日■研修の関係で、自分の授業のときにあるクラスの風景をデジカメで撮影する。いずれどこかで紹介できたらと思う。写真の掲載は、撮影前にあらかじめウェブサイトと肖像権について生徒に話し、承諾を得ているので問題はなさそうだ。◆思えば、今までにずいぶん多く演奏家の写真も撮ってきたが、肖像権のことがあって、何でもかんでも自由に掲載するわけにはいかないのだろうと思う。マイスキーは断っているのでよしとして、サントリーホールの楽屋裏で撮ったアルゲリッチのすてきな笑顔の写真はほんとうはとっておきの1枚として紹介したいところである。

2001年10月12日 金曜日■(高校の)試験での放送問題(英語)を編集。昔はカセットテープでやっていたが、今はMDが便利だ。録るものは片っ端から録ってしまい、あとでトラックを並べ換えればよい。機械操作を覚えてしまえば編集作業が実に簡単である。もっともわが家にはMDのデッキはない。20年くらい前にPCMプロセッサーを購入し、ビデオテープに信号を記録させてデジタル録音・再生を行うようになった。さらにDATが出るようになると、これにも飛びついた。CD-Rも便利なので使い始めた。そんなわけで、これ以上新たにMDデッキを購入したいとはあまり思わないのだが、使ってみてあまりの簡便さに、もはやカセットテープの時代は終わったのだなと思うようになった。

2001年10月11日 木曜日■忙しくなってきた。"Mainichi INTERACTIVE Mail"というメールマガジンが届き、はじめの方に「ミステリートーク 主催:日本推理作家協会、毎日新聞社」とあり、その下に「『WHISKY&MYSTERY』協賛:サントリー株式会社 11月9日18時30分(以下略)」と出ているのを見て、「あっ」と声を上げそうになる。書かれている文字が"MISCHA MAISKY"に見えたのだった。ちょっと疲れているのかなあ。自分でも苦笑い。

2001年10月10日 水曜日■創設25周年のエマーソン・カルテットの新譜、ハイドンの弦楽四重奏曲集【DG 471 327-2】を聴く。「騎士(騎手)」は第1楽章からもっとアップテンポで進んでいくのかと思いきや、じっくり落ち着いた演奏を聴かせる。CDの写真を見るとヴァイオリンのフィリップがずいぶん恰幅がよくなったように思う。◆エマーソンSQの演奏は、ドイツ・グラモフォンとの契約前から聴いてきた。当時、エマーソンSQがまだ売れない頃、日本でのマネージャーの一人、Kさんは、エマーソンSQに夢中なぼくに4枚組のLP(日本では入手できなかったもの)をくださった。上野の文化会館(小ホール)で初めて聴いた彼らのシューベルト(「死と乙女」)は、まさに「ノックアウト・パフォーマンス」(当時使われていたコピー)。◆数年前、彼らのCDを二十数枚全部持ってコンサート後、楽屋を訪れた。サインを求めると、おもしろがって4人が全てを順に回しながら書いてくれた。彼らと親しくなったのはこれがきっかけであった。2年半前、ついに藤沢公演を行うことになった。この際だからと、「アンコールにはバーバーの『アダージョ』がぜひ聴きたいのだけど...」、そうチェロのデイヴィッドにメールを送ると、気さくな彼らはそれに応えてくれ、感動的な演奏を披露してくれたのであった。◆エマーソンSQのますますの活躍を祈りながら、ハイドンの新譜を楽しんでいる。

2001年10月9日 火曜日■研修でプレゼンテーションソフト、PowerPointを習う。ふだんソフトを利用してプレゼンテーションをする機会はなかった。今後高校の英語の授業でこのソフトをどう活用するか、考えていかなければならないが、とりあえず簡単な作品を作ることができうれしく思う1日であった。初めてホームページの作成を学んだ日の喜びに近い。◆夜、ハーゲンSQのCDを何枚か聴く。秋の夜長は室内楽がいい。ハイドン、ヤナーチェク、ベートーヴェン。丁度茅ヶ崎での曲目をさらうような感じで聴いた。

2001年10月8日 月曜日■雨。肌寒い。友人Kの誕生日で、早朝、メールを送る。今日は1日、久しぶりにのんびり過ごす。身体がだるい。テレビではアメリカがついに「報復」に出たというニュース。アフガニスタンでは多数の死傷者が出ている模様。また、ミラノでは離陸しようとしていた旅客機の滑走路に小型機が侵入してきたとかで、こちらでも大事故発生。100人以上の人が亡くなった模様。世の中、いったいどうなっていくのだろうか。

2001年10月7日 日曜日■夜、テレビで、N響とマルタ・アルゲリッチとの協演を見る。今年のロンドンでのプロムスから、アルゲリッチの十八番、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番。指揮はシャルル・デュトワ。私生活ではうまくいかなかった2人だが、音楽での相性は相変わらず抜群だということか。それにしてもアルゲリッチのピアノは圧倒的。これ以上うまくひける人はいないだろう。できることなら、ラフマニノフの3番の協奏曲を生で聴きたいものだ。

2001年10月6日 土曜日■夜10時からNHKテレビの衛星第1で『発見!世界の子育て』を視る。<「パパ」〜父親に何ができますか?〜>と題し、「いま父親にできることは何か」、「父親の役割は何か」などについてのものであった。この中で、東京都立大学助教授の宮台真司氏が、よき父親の条件の1つとして「人間としてのいろいろなモデルを子どもに提供する」というのを掲げていたことや、母親の出産前後における父親の身体の変化を研究するクィーンズ大学のキャサリン・ウィンエドワーズ博士の報告、さらに男女平等社会が最も進んでいると言われているノルウェーでの父親の子育てについてのレポートなどが印象に残った。さて、自分はどうであろうか。いろいろ考えさせられるところが多かったのだが...。◆なお、NHK『発見!世界の子育て』のサイトを見れば、「いい父親とは?」、「子育ての中で父親にしかできない役割は何か?」、「どうすれば『父親としての役割』を果たす『いい父親』になれるか?」について、世界で活躍する様々な分野の専門家17人の意見を読むこともできる。もう少し早くからこの番組の存在に気づいていたらよかった。

2001年10月5日 金曜日■夜、アラーニャのヴェルディのアリアを聴く。アラーニャもすばらしいが、アバド/ベルリン・フィルのサポートも抜群だ。圧倒されっぱなし。それからもう1枚、「やられた」のが、エディタ・グルベローヴァの「狂乱の場〜グルベローヴァ・ベスト・アリア集」【キング KKCC-4321】。なるほど「コロラトゥーラの女王」の面目躍如たる絶唱。

2001年10月4日 木曜日■買ってきたCDを聴こうとするが、時間がなく結局明日に回す羽目になる。ロベルト・アラーニャ(テノール)がアバド/ベルリン・フィルと共演したヴェルディのオペラ・アリア集【EMI 5 56567 2】が早く聴きたい。佐野成宏の歌う「ルイザ・ミラー」の第2幕のアリアがあまりにもすばらしくて、今度はアラーニャとアバドの共演による演奏がたまらなく聴きたくなったのである。◆夕方、茅ヶ崎市楽友協会の事務局を訪ねる。

2001年10月3日 水曜日■夕方横浜に出る用事ができる。帰りがけにタワーレコードに寄り、何枚かCDを買い込んで帰る。ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)とクレメラータ・バルティカによる「アフター・モーツァルト」というアルバム【NONESUCH 79633-2】、エマーソンSQによるハイドンの弦楽四重奏曲集【DG 471 327-2】など。初めに取りだして聴いているのが「アフター・モーツァルト」。モーツァルトがこんなに新鮮にきこえる喜びを久々に味わう。もちろんクレーメルの才覚によるところが大きいのだとは思うが、精鋭クレメラータ・バルティカの一人ひとりの音楽的なセンスも素晴らしいにちがいない。おなじみの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」もレオポルト・モーツァルトの「おもちゃの交響曲」も、実にヴィヴィッド。それにしても、CDが安い。エマーソンSQの最新録音のハイドンは輸入盤だが2枚組で3190円。いささか古いかもしれないが、ムーティ指揮ウィーン・フィルのシューベルトの交響曲全集(EMI)が2000円しないで売られているのには驚く。このほか、キング・レコードから出たN響のシリーズは好企画。欲しいものがかなりある。こういうものをもっともっと早くから世界に向けて出していれば、N響も早くから世界的に「認識」されるはずなのである。

2001年10月2日 火曜日■涼しくなってきたのにまだ蚊はいる。刺されそうになり逃げる。◆マイスキー来日のニュース、しかもNHKの公開録画。大いに楽しみだ。演奏も聴けるとか。入場整理券の手配はしたが、さて、響祐は中に入れるのだろうか。静かに聴けるだろうけど、ミッシャが登場したら「あっ、ミッシャだ。ねっ、ミッシャだよ!」と喜ぶだろう。何名かの会員の方からお礼のメールをいただく。

2001年10月1日 月曜日■今日も雨。朝はそれほどでもなかったが、1日かなりの量が降った。そんな中、サントリーホールへ、ルビツァ・ヴァルギツォヴァ(S)と佐野成宏(T)のデュオ・リサイタルを聴きに出かける。オケは現田茂夫指揮の新日本フィル。佐野成宏は相変わらず素晴らしい。特にヴェルディの「ルイザ・ミラー」から、「この穏やかな夜に」は絶品。声は相変わらず幅と奥行きがあり、見事なコントロール。ドラマティックな歌唱で聴衆を圧倒した。一方、ソプラノのヴァルギツォヴァは初めて。最初は自分の好みとは違うかと思っていたのだが、細いながらもホール全体によく行き渡る声で、聴き手をしっかりつかむ何かを持っている人だ。声のコントロールもすばらしい。ベルリーニの「夢遊病の女」からが印象に残った。終演後、佐野さんの楽屋を訪ねる。マネージメントの社長の方の佐野さんも見えていた。◆マイスキーの11月の来日は間違いない。もっとも17日のNHKホールでの公開録画に出て翌日には離日とか。ちょうど韓国ツアーで訪韓中のため、急な来日が可能になったようである。ファンクラブの会員の方へメール、葉書でNHKの公開録画についてお知らせする。

2001年9月30日 日曜日■午後から雨模様の天気。夕方、テレビで高橋尚子のマラソンを見たり、息子がチャンネルを変えた先の番組(「笑点」)を見る。久々にのんびり過ごした日曜日。明日から10月。◆夜になってNHK教育フェア2001「未来への教室2001」の公開録画にミッシャも出演するようだというニュース。サイトの方も更新の準備で急に慌ただしくなる。

2001年9月29日 土曜日■サントリーホールで東京交響楽団の定期演奏会を聴く。指揮はマルティン・ジークハルト。この指揮者の音楽はオーストリアの伝統的な解釈とは一線を画している。1曲目のモーツァルト(交響曲第25番)から実にモダンである。厚みのあるしっかりとした響き。スケールの大きさが感じられ、シンフォニックである。第3楽章の管楽器6人によるトリオの部分も爽やか。2曲目、クレメンス・ハーゲン(チェロ)のソロによるシューマンのチェロ協奏曲は、余裕を感じさせる演奏。はじめの印象では、楽器を車にたとえれば、4000CCクラスのデラックスな乗用車を運転している感じ。楽器が1698年製のストラディヴァリだけある。カルテットとは別の顔を見せていたハーゲンであった。休憩時にハーゲンを訪ねに楽屋へ。来年3月のリサイタルに行くと言ったら喜んでくれた。◆今日のメイン、バルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」はさすが東響。こういう難しい作品もきちっとこなしてしまう。第1楽章の抑圧された響きがはじめのモーツァルトと対照的で印象に残る。この作品をコンサートで聴く経験は初めてであったが、これは生で聴く楽しみが結構発見できる。ちなみにこのところ聴いていたのはブーレーズ指揮のシカゴ交響楽団のCD。終演後、チェロのT先生(ぼくのチェロの先生---「先生」と呼ばせてもらえるなら)やJさんに会えた。トルコ、イタリアの演奏旅行から帰ったばかりなのにほんとうにお疲れさまでした。今日の演奏会は実に楽しめた。

2001年9月28日 金曜日■オーストラリアのVEGEMITE(ベジマイト)の味が急に懐かしくなって欲しくなる。パンなどにバターとともに薄くのばすように塗るペーストみたいなものだが、日本人にはあまり受けがよくない。オーストラリアではどの家庭でも置いてあるもので、ほとんどの人が好むものだから、この独特の食品は、ちょうど日本で言うと、外国人に嫌われる納豆のような感じなのかもしれない。輸入食品を扱っている明治屋などで入手が可能らしいし、オンラインでも購入できるようになったというから、トライしてみようかな。ベジマイトに関する記述は日本語のサイトにもあると思うが、とりあえず1つだけオーストラリアのサイトを挙げてみる。http://www.vegemite.com.au/  ◆だいぶ涼しくなってきた。半袖で過ごせる日もあと少しだろうか。

2001年9月27日 木曜日■ある場所からこのサイトにアクセスしたのだが、カウンターが88888と表示されている。ビックリして何度か再表示を試みるが変わらない。これはやられたかと思い、知人のサイトのカウンターを見ると、そこも同じことになっている。どうしてだろうか。そこのブラウザがおかしいのか。気になって帰宅後チェックしてみると、正常である。ということはあそこのブラウザが異常ということだろうか。◆本屋で『FMfan』を買ってくる。昨日は『マリ・クレール』を立ち読みした。ミッシャが出る予定だという話を聞いているのだが、今月のにも出ていなかった。女性誌なのでちょっと遠慮気味に読むのだけど、自分の教えている女子生徒がそばにいて取りにくかった。読んでいたら、あっ、目が合ってしまった。別に悪いことをしているわけではないのに(笑)。そんなわけで、今日は買うのに何でもなかった。◆今日は弟の誕生日。

2001年9月26日 水曜日■特にこれといって何かあるわけではない日だったが、あっという間に過ぎた。それでもリンク集の方がとりあえず終わっているためか、肩の荷が下りて久しぶりにのんびりしていたように思う。◆朝日新聞のサイトを見ていたら、ニューヨークにいる坂本龍一氏が、朝日新聞オピニオン面「私の視点」に寄稿したとあった。「報復しないのが真の勇気」というメッセージで「暴力は暴力の連鎖しか生まない。報復をすればさらに凶悪なテロの被害が、アメリカ人だけでなく世界中の人間に及ぶことになろう。巨大な破壊力をもってしまった人類は、パンドラの箱を開けてはいけない。本当の勇気とは報復しないことではないか。暴力の連鎖を断ち切ることではないか。人類の叡智(えいち)と勇気を誰(だれ)よりも示せるのは、世界一の力を自ら動かすことのできるブッシュ大統領、あなたではないのか。 」と述べていたが、ぼくもまったく同感だ。ぼくら一般庶民は、今何ができるだろう。少なくとも坂本氏のように一人ひとりが声を上げることが大事ではないか。日本は危ない方向にどんどん突き進んでいるのではないだろうか。

2001年9月25日 火曜日■長い間関わっていたあるリンク集の手伝いがようやく終わりほっとする。◆朝日新聞の天声人語にユダヤ人としてのスターンの話が出ていた。スターンは今回の同時多発テロを知っていただろうか、もし知っていたならどう思っていたのであろうか、という思いはぼくも感じていたところである。◆疲れがたまっていて夜7時すぎに布団に横になる。そのまま寝てしまった。

2001年9月24日 月曜日■朝7時半過ぎから会報を書き始める。かなり出遅れたので、書けないかと思いきや、結構書くことがあってペンもどんどん進んだ。結局書きたいことが書ききれずに次回まわしになった部分もあったが、そのくらいでちょうどよいのだろうと思う。11時半すぎに完成。午後2時過ぎに茅ヶ崎市民文化会館へ。着くとすぐにハーゲンSQのメンバーも到着。彼らはすぐにホール向かいのジャスコに行って買い物。お寿司のコーナーでは、食べたい、でも今は要らない、終演後の時間では買えるだろうか、そんなやりとりがあったようだ(笑)。3時過ぎから1時間半くらい入念なリハーサル。真面目な彼らはほんとうに細かなところまで綿密に合わせる。よく話し合い、少しずつ弾いて他の3人に聞かせたり、熱心である。本番もすばらしかった。500に満たない聴衆の数であったが、肝腎なのは数ではなく、反応の方であり、メンバーは終演後ゴールの響きとともに聴衆を讃えてくれていた(社交辞令ではなく)。家にあったCDをすべて持っていってサインしてもらう。カルテットだけでなく、各人がソロで関わっているものも結構あってビックリ!4人ともニーノ・ロータのCD(中で1曲だけ演奏しているのだが)だけは、えっ、こんなのあったかなあと、CDの中の自分らの名前のクレジットを確認していた。4人皆素晴らしいけど、チェロのクレメンス、ヴィオラのヴェロニカはこれからますますソリストとしても多忙になるだろうと思う。穏やかで口数が多い彼らではないが、ホールを去るときにはどの顔にも満足した表情が現れていてうれしかった。◆アイザック・スターンの訃報を知る。享年81歳。朝日新聞でのコメントは黒田恭一さんだった。こういうときに亡くなった演奏家のことを簡潔かつ的確に言える人はそういない。黒田さんのコメントは見事。演奏家の人柄をも偲ばせる。

2001年9月23日 日曜日■1日、パソコンに向かっていた。夕方ある国の日本人学校のサイトを開けようとしたら、「警告」が出た。あっ大変だ!そのサイトのページが、あのウィルスNimdaにやられているというのだ。そのページを開けずに削除すればこちらには被害はないということらしく、開けずにやめておいた。妻に知らせると、大物アイドルに遭遇したかのようにはしゃいでいた(笑)。もっとも、わが家のパソコンがこいつにやられたら、笑い事では済まされないけれども。◆夜中に、明日の演奏会で配布する会報を書かなければ。

2001年9月22日 土曜日■青葉台(横浜市)のフィリアホールへ、ハーゲン弦楽四重奏団を聴きに出かける。今日が日本公演の初日。飛行機会社の不手際でチェロのクレメンス・ハーゲンのステージ衣装をおさめたスーツケースがなく、演奏会場に届けられるまでの間、クレメンスは普段着で演奏するというハプニングがあった。もっとも衣装は無事届き、後半のベートーヴェンには間に合ったが。◆1曲目のハイドン(弦楽四重奏曲第74番「騎手(騎士)」)の演奏が始まるとすぐ、彼ら一人ひとりが卓越した技巧の持ち主であり、カルテットとして緻密で、しかも澄んだ響きのすばらしいアンサンブルを築いていることがわかる。生ぬるくなったり弛緩することはなく、音楽はいつも引き締まっていて、実に生き生きしているのである。次のヤナーチェクの「クロイツェル・ソナタ」は、チェコの風土とヤナーチェク独自の語法が不思議な印象を与える作品だが、ここでは彼らの音楽は洗練され尽くしており、土俗的な雰囲気は払拭されている。そのあたりで聴き手の評価は分かれると思われるが、四者が一体となって音楽に対峙する姿勢はさすがだと感嘆せずにはいられない。後半のベートーヴェン(弦楽四重奏曲第7番「ラズモフスキー第1番」)では、彼らの音楽に安心して身も心も委ねることができ、彼らがすでに世界でもトップクラスの演奏家たちである証拠だと感じた。◆終演後楽屋を訪ね、挨拶をして帰ってくる。24日に発行する「楽友協会だ!より」の内容の構想が少しずつできあがってきた。明日の夜書くことになる。

2001年9月21日 金曜日■1週間があっという間に過ぎようとしている。高校生もアメリカの同時多発テロ事件と今後のアメリカの動向への関心が高い。アメリカはどうするのか、そして日本は...。アメリカの書店では「ノストラダムスの完全予言」などが急に売れ始めたという。ニュースによると、「予言の中に、二つの棟が崩れるというくだりがあり、彼の予言が的中した」という内容の電子メールが流れたためだとか。「ノストラダムス」はインターネットの検索語の上位にも入ってきているそうで、こういうところにもアメリカの人々が抱く大きな不安が反映されているように思われる。◆マイスキー関連では、『レコード芸術』にもレコーディング関連の記事が見つかった。早速「最新ニュース」に掲載したいと思う。

2001年9月20日 木曜日■今日は出張。情報教育関係の研修会。学校教育におけるパソコンやソフトの利用、個人情報の保護の問題、セキュリティ、ホームページ作成における著作権、肖像権、個人情報保護の問題などを学ぶ。高校時代の友人が声をかけてきてくれる。20年ぶり。中学で数学を教えているそうだ。◆帰りがけに『音楽の友』、『レコード芸術』などを買う。おっと、マイスキーの記事が出ているではないか!これは早速「最新ニュース」に載せなければ。忙しい日々が続く。

2001年9月19日 水曜日
■代休。家族で東京ディズニーランドへ遊びに行く。響祐にとってはじめてだったので、こども優先で遊んできた(あたりまえか...)。歩いてくれればどうってことはないのだが、抱っこしてあちこち行ったり来たりとなると、結構疲れる。◆ハーゲンSQの演奏会が近い。そろそろ茅ヶ崎市楽友協会で出している「楽友協会だ!より」の執筆の準備をしなければならない。

2001年9月18日 火曜日■今日は『音楽の友』の発売日だったのにすっかり忘れていた。駅へ行く用事があったので、『AERA』、『NEWSWEEK 日本版』を買って帰る。アメリカのテロが特集されているからだ。◆文化祭の代休で1日家でのんびり過ごしたいところだったが、パソコンを使っての仕事があって、そうはいかなかった。メールを出しているのに返事が来ないニューヨークの友人に電話をかける。無事でほっとする。

2001年9月17日 月曜日■慌ただしい1日。音楽を聴く余裕がまったくなかった。

2001年9月16日 日曜日■文化祭が終わっても体育館では後夜祭が行われ、全校の半数くらいの生徒が残っていた。見ているとくだらないことばかりやって皆笑っているのだが、そういうバカなことでも盛り上がれるのがいい。よい思い出作りをしてほしいものである。◆忙しくて読書が先へ進まなかったが、宮本輝の『森のなかの海』がようやく下巻に入った。◆先日買ったCD、ハーゲン弦楽四重奏団の演奏によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲第4番を聴く。エマーソン弦楽四重奏団のスタイルに近いものを感じる。自分の好きなタイプだ。

2001年9月15日 土曜日■今日と明日の2日間、学校の文化祭のため出勤。最近の高校の文化祭は、飲食関係の出し物がやたら多く、ぼくのところも例外ではない。しかし、一方で、3年生の音楽授業選択者によるコーラスや室内楽部の演奏、コ−ラス部の合唱、1年某組の自主制作映画などもあって、見るとほっとする。そういう出し物にもお客さんがたくさん入っているので嬉しい。こういうものも文化祭から消えないでほしい。昼前、響祐たちが遊びに来る。女子生徒たちが見るやいなやとんできて響祐に話しかけてくれた。◆今日、リストの「ファウスト交響曲」を久しぶりに聴く。バーンスタイン指揮のボストン交響楽団の演奏によるCD【DG POCG2403】。75分を超えるこの作品は、今聴いても複雑で入り組んでいるなあと思う。1981年5月6日、東京文化会館でのサヴァリッシュ指揮NHK交響楽団の演奏会。ポリーニを初めて生で聴けた日だ(ブラームスのピアノ協奏曲第2番)。後半がリストだった。当日NHKの生放送では今は亡き音楽評論家の大木正興氏が、「この晦渋な作品をサヴァリッシュがほんとうにうまく交通整理をしていた」と語っていたのを今でも覚えている。あの演奏会の前には何度も何度も聴き込んだ。演奏会ではこの作品が60分ほどに短縮されていたが、あのとき聴きに出かけるつもりがなければ、いまだに縁のない曲にちがいない。同じリストでも「ダンテ交響曲」は実は聴いたことがない。◆さて、わが家の上空を飛ぶ米軍飛行機の動きが目立ってきた。緊張感が高まってきている。湾岸戦争のときよりもぼくは怖い思いを抱いている。

2001年9月14日 金曜日■用事のついでにタワーレコードでCDを眺めてくる。行くたびに新しい発見がある。たとえ買わなくても、いろいろなコーナーを見て回るのは楽しいものである。もっとも1枚も買わずに帰るってことができない性分で、片手にメモした手帳を持ちながら、いつの間にか何枚かのCDも手に取っていた。ああ、病気。で、買ってきたのは、1)キョン・チョンファのブラームスのヴァイオリン協奏曲とベートーヴェンの交響曲第5番のカップリング【EMI 5 57165 2】。ラトル指揮ウィーン・フィルによる新しい録音。2)ピアニスト、ファジル・サイのリストのピアノ・ソナタ&チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番(テミルカノフ指揮サンクト・ペテルブルク響と)【Teldec 8573-87009-2】。3)ハーゲン弦楽四重奏団によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲第4番&第14番【DG 459 611-2】。それに4)村治佳織の「パストラル」というロドリーゴ作品集【ビクター VICC60034】。どれもいま旬の演奏家たちである。じっくり聴きたいと思う。◆それにしても海外盤には価格破壊に近いものがずいぶんある。ムーティのシューベルトの交響曲全集が3000円しないで買えるし、ノリントンのベートーヴェンの交響曲全集も同様である。ここまで安いと嬉しいけど、ちょっと演奏家に申し訳ない気がする。◆アメリカの同時多発テロ事件では、その後のアメリカの動きから目が離せない状況になってきている。ニューヨークの友人の無事を知る。テキサスで音楽留学をしているかつての同僚は、周りがパール・ハーバーにたとえたりすることに辟易していると言ってきた。彼の友人のアラブ系の学生もなぜか脅かされたりして嫌な思いをしているとか。ほんの一部の人間のせいなのだが。報復が報復を呼ぶことになっていかないとよいが、ほんとうにとんでもない事が起きたものである。21世紀はいったいどうなっていくのか。

2001年9月13日 木曜日■ヘスス・ロペス=コボス指揮日本フィルの演奏会を聴きにサントリーホールまで出かける。演奏会に先立って、ロペス=コボスがアメリカでの多数の犠牲者に対して黙祷をと呼びかける。ラヴェルの「スペイン狂詩曲」、カステルヌオーヴォ=テデスコのギター協奏曲第2番「夕べの協奏曲」(ギター:村治佳織)、ファリャのバレエ「三角帽子」全曲(メゾ・ソプラノ:重松みか)というプロ。スペイン生まれのこの指揮者の持ち味が存分に発揮された演奏会だったように思える。「三角帽子」では、以前、広上淳一指揮日本フィルの名演を忘れられないが、今夜も情緒豊かでリズム感も見事なファリャの演奏が展開された。今生きていることへの感謝。しかし、今日の演奏で特筆すべきは村治佳織が弾いた協奏曲。彼女の生演奏は初めて聴いたがとてもやさしい音だ。心がこもった温かい演奏、という印象を受けた。演奏後楽屋を訪ねる。おそらく今日が日本初演ではないだろうかとのこと。明るくはきはきしていて、とても感じのいい人だった。笑顔がとてもかわいい。ファンが多いのも頷ける。◆帰宅してメールを開けると、「アメリカでのテロの犠牲者に哀悼の意を表すため、このメールを最低10人の人へ送ろう」という内容のものがあった。要するにチェーンメールである。考え方は人それぞれだろうけど、こういうのってどうなんだろう。首を傾げてしまった。

2001年9月12日 水曜日■昨日のアメリカでの同時多発テロでの犠牲者は1万人を超えた模様である。昨夜はテレビのニュースに釘付けだったので、寝不足気味になったが、今後の世界情勢がどうなっていくかと考えると重大かつ深刻な状況であり、相変わらず様子を見守っていきたいと思う。◆NHK「未来への教室」へリンクを張ることができた。11月あたりにはいよいよマイスキーが登場するのではないかと思う。Mさんをはじめ制作の方たちが今懸命に編集作業を行っているとのことである。Mさんには6月にはじめてお目にかかったのだが、ものすごい勉強家だ。番組制作への熱意と意欲には心打たれるものがある。準備段階での情報収集も徹底的だし、データのインプットも正確。微力ながらお手伝いさせていただいたけれども、Mさんと話すたびに、彼女の中にデータが一つ一つきちんと整理され収まっていることに感心せずにはいられない。楽しみにしていますよ、Mさん。

2001年9月11日 火曜日■昼間メール、インターネットを利用したとき使用後すぐに回線を切る癖はなかなか直らないのかもしれない。1日24時間繋ぎっぱなしでもよいというのは、いつでも最新の情報が入ってくるということである。今日は関東地方を襲った台風関連のニュースが役立った。◆夜は、アメリカ合衆国でのテロのニュース。ニューヨークの世界貿易センタービル(110階建て、高さ420メートル)に2機の小型飛行機が衝突、ビルが倒壊。また、ワシントン郊外の国防総省付近にも飛行機が突っ込み、炎上したとのこと。誰が何の目的でこんな惨劇を引き起こしたのか。ショッキングで悲しい事件である。

2001年9月10日 月曜日■フレッツ・ISDNがスタートした。とはいっても、全国でサービス利用が100万回線を超えたというのだから、わが家はけっして早い方ではないが。マニュアル通りにやればだいたいできるはずなのだが、実際の作業では、その「だいたい」というのは許されない。1箇所違っていたって、もううまくいかないのである。NTTやプロヴァイダに電話をかけ、サポートしてもらいながらようやくつながってほっと一息。これからは昼間でも夕方でも、妻の顔色を窺いながらパソコンに向かわなくてもよさそう(笑)。いやいや、ぼくは恐妻家ではないし、妻だってインターネットを楽しんでいるのだから気にする必要はないのだ(笑)。◆1999年11月に東京・大阪の一部でフレッツ・ISDNが試験的にスタートしたときには8,000円だったのに、昨年5月に4,500円、今年3月に3,600円となり、7月には3,300円となった。来月には2,900円というからずいぶん利用しやすくなったものである。妻もこの料金の推移に驚いているが、インターネット先進国アメリカ合衆国に較べれば、まだまだだなあと思う。

2001年9月9日 日曜日■いよいよ明日午後からはフレッツ・ISDNが利用できる。これでようやくインターネットに繋ぎっぱなしができるようになるわけだ。今までは夜11時になるのを待って、テレホーダイを目一杯活用してきたが、これで寝不足も多少は解消されるかもしれない。明日うまく設定ができるかどうかが問題だ。

2001年9月8日 土曜日■「ソニーコミュニケーションネットワーク株式会社(SCN、サービス名称:So-net、会員数171万人)ならびに株式会社ジャストシステムは、2001年10月1日付けをもって、ジャストシステムが保有する株式会社ウェブオンラインネットワークス(以下、WON、サービス名称:JustNet、会員数34万人)の全株式を18億円でSCNが取得する旨合意致した。」というニュースを知る。要するにJustNetが買収されてしまうということか。自分がJustNetに加入しているだけにいろいろ気になるところである。サービスの低下がなければよいのだけれども...。◆CS放送(クラシカ・ジャパン)でマイスキーのドキュメンタリー番組、"Dream Castles ... under construction"を見る。もう何度見ただろう。制作した人たち、放送している人たちへ感謝、感謝。

2001年9月7日 金曜日■『音楽現代』で「今、私が推すチェリスト3人」という特集が組まれていたが、9人の執筆者が最も多く選んでいたのはヨーヨー・マで6人、その次はわれらがミッシャ・マイスキーとアンナー・ビルスマで4人となっていた。さて、自分だったら現役のチェリストでは誰を選ぶだろうか。ミッシャ・マイスキーは当然として(笑)、やはりヨーヨー・マははずせない。そしてもう1人であるが、ビルスマやペルガメンシコフもいいし、ハンナ・チャンの将来性も大いに期待したいところだが、クレメンス・ハーゲンを選んでおきたいと思う。◆では、ピアニストでは?---ポリーニ、アルゲリッチまでは決まりで、あと1人はぼくはツィメルマン。もっとも、ブレンデル、ピリス、アンスネス、キーシンもいいし、邦人では(最近の)園田高弘、斎藤雅広がいるので、現役ピアニストで3人に絞るのはほんとうに難しい気がする。

2001年9月6日 木曜日■アクセスされたカウンターが6070近くまできている。10日前からのべ150人以上の方が見てくださっているということになる。そのご期待に応えられているかどうか。ウェブサイトは「更新が命」という。更新を怠るとリピーターがいなくなりますよ、と言われる。それに長い期間の「工事中」はいけないとも。ドキッ。ぼくも、CD・LDリストをなかなか作れていない。急ごう。◆秋の演奏会シーズンが始まった。聴いてみたいものはそれはそれはたくさんあるけれども、時間とお金の都合がつかない。来年春の演奏会のチケットもそろそろ発売というものもある。ちょっと早すぎるのではないだろうか。主催者としては「特に首都圏では公演が多いので、他の公演よりも先に前売りを開始して、チケットを売ってしまいたい」とか、「チケットの発売期間は、一部の公演以外は短期での勝負は難しいので、多少でも長い期間で売りたい」と思うのであろう。しかし、それにしても...、である。◆次に出かけるのはハーゲン弦楽四重奏団の演奏会の予定。今、旬のカルテットはというのなら、ぼくならエマーソン弦楽四重奏団とハーゲン弦楽四重奏団をあげる。

2001年9月5日 水曜日■涼しい。毎年この時期だと残暑が厳しくて、汗をかきかき仕事しているのだが、それがなくて助かる。県内のほとんどの高校は防音対策で設置されているところを除けば、普通教室にはエアコンがついていない。いや、職員室にもないのだ。◆たとえば、35度近くもある日に学校の教室に40人もの高校生が詰め込まれている。そこでじっと座っているのは大変だ。教えているこちらも蒸し暑さにうんざりするけれども(笑)。思えば、高校時代、自分も同じように「耐えた」はずだった。けれども、今の高校生の場合、多くの家庭にエアコンが普及しているものだから、エアコンがない環境で過ごすのは「地獄」らしい。ぐた〜っとしている様子を見ると、高校生の、いや現代っ子の抵抗力はどんどん落ちているのではないかと思う。こういうところで、「暑さに耐える精神力」なんて言い方はぼくは好きではないが、それ以前に体力の低下の方が心配だったりする。

2001年9月4日 火曜日■この秋、NHKテレビ「未来への教室」にミッシャが出演する。8月下旬のベルギーでの撮影が無事終了したというお知らせを制作担当のMさんからいただいた。◆伊熊よし子さんが書かれるミッシャに関する本の出版(共同通信社)も楽しみだ。来日は来年6月までないが、今年後半は2つの大きな楽しみがある。◆今日はディズニーシーがオープン。朝からものすごい数の人。わが家ではそちらが混雑している間に、ディズニーランドを訪ねようという計画を立てている。皆同じことを考えていたりして(笑)。

2001年9月3日 月曜日■今朝、NHK衛星第2テレビでマイスキーの演奏会Aが放映。◆新宿へ通院した帰り、藤沢で本屋に立ち寄る。新刊の中に偶然『金子みすゞ童謡集』(ハルキ文庫)を見つけ買って帰る。映画「みすゞ」がこの秋公開される。自分の中で急に関心が高まる。◆小学校の音楽で「小さな木(こ)の実」という歌がある。よく聴いたことのあるメロディだ。作曲はビゼーというので、原曲がどこにあるのかインターネットで調べると「美しいパースの娘」だとある。早速、デュトワ/モントリオール交響楽団によるビゼーのCD【デッカ UCCD 9020】を買ってきて、組曲「美しいパースの娘」の4曲を順に聴く。が、残念ながら「小さな木の実」のメロディはそこにはなかった。「美しいパースの娘」は歌劇なので全曲聴けばよいのかもしれないが、どなたかご存じの方はいらっしゃらないだろうか。教えてください。

2001年9月2日 日曜日■宮本輝の『森のなかの海』(光文社)を読んでいる。阪神大震災が背景となっているが、人の力の大きさと、同時に無力さを読みながら感じているところである。わが家は夫婦揃って宮本輝が好きで愛読している。◆さて、話は変わるが、最近店で支払いをしたとき、店員が「○○円からお預かりします」と聞くことが多い。この言い方がどうしても好きになれない。「1万円から預かる」とはおかしいではないか。多数が使うようになってくると、おかしくても「正しい」ことになってしまうのだ。結局ぼくが古いということなのかもしれない。

2001年9月1日 土曜日■王子ホールで「ギンザ めざましクラシックス」を聴く。親友の軽部真一(フジテレビアナウンサー)とヴァイオリンの高嶋ちさ子さんが司会進行を務めるコンサートで、すでに17回を数えた。◆今日のスペシャルゲストは中島啓江。コンサートのオープニングでこの人の「アメイジング・グレイス」を聴いたが、豊かな声量、見事なコントロールで、圧倒された。ジェシー・ノーマンを彷彿させるところもある。ただし、ピアノの伴奏はときに出しゃばりすぎ。クラシックにも多いけど、ポピュラー系でもああいうふうにヴォーカルのよさをかき消してしまうことがある。リズムは見事だし、しっかり合わせているのに、なんであんなに大きな音を出さなければならないのか。◆あとよかったのは、プリムローズ・マジック(石岡久乃と安宅薫による2台のピアノ)の「アメリカ」(バーンスタイン作曲の「ウェストサイド・ストーリー」から)。安宅さんのピアノは室内楽でも毎回安心して聴けるが、今日のデュオはシャープで切れ味のよい、実に楽しめる内容の演奏だった。軽部&高嶋のトークもいつもながら楽しめた。終演後、友人3人と食事をして帰る。◆日付が変わって2日、スカラ座による「トスカ」がNHK衛星第2で放送されている。ビデオには録画しているのだが、途中から見入る。やはりどうしてもスカルピアのキャラクターがどう演じられているかが気になる。指揮はムーティ。老眼鏡をかけているムーティを見て年月の経つのを感じた。◆8月17日の件。東○電話は東●電力のグループであることがわかる。でも何だか納得がいかない...。

2001年8月31日 金曜日■童謡詩人の金子みすゞの「大漁」は強烈な印象を与える作品だ。26歳の若さで自らの命を絶った彼女の作品をもっともっと読んでみたいと思う。最近は小学校の授業(国語、道徳、音楽など)でもとりあげられているとか。「大漁」の中での「とむらい」はもちろん「弔い」である。繊細な感覚で日々いろいろなものに接していたのであろう。もう一つ、「お魚」という詩でも彼女のやさしい心が見えてくる。誰か偉大な作曲家で「金子みすゞの詩による歌曲集」を書いてくれる人はいないだろうか。シューベルト、シューマン、ブラームス、リヒャルト・シュトラウス、フォーレ、ドビュッシー、プーランク...、お〜い、出てこ〜い。
 大漁            お魚          
朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰮(おおばいわし)の
大漁だ。

浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰮(いわし)のとむらい
するだろう。
海の魚はかわいそう。

お米は人につくられる、
牛は牧場(まきば)で飼われてる、
鯉もお池で麩(ふ)を貰う。

けれども海のお魚は
なんにも世話にならないし
いたずら一つしないのに
こうして私に食べられる。

ほんとに魚はかわいそう。

2001年8月30日 木曜日
■あっという間に8月もあと2日で終わりだ。ミッシャ・マイスキー ファンクラブの会員の方へ向けて送るSARABANDE(ファンクラブ通信)の「号外」を作って終わった。取り急ぎのニュースだけということで、今回は葉書1枚のつまらぬものだが、大事な情報はしっかり入れてある。このサイトをご覧いただいている会員の方には目新しいニュースは少ないが、9月・10月のマイスキーのテレビ放送予定を中心にお知らせするようにした。プリンタで葉書に印刷し、葉書には宛名ラベルを貼る。これによって作業がかなり軽減化している。もっとも会員数が75名を超え、事務作業が増えてきているため妻に手伝ってもらったりするが、こうなるとはやく息子が大きくなるといいと思う(笑)。◆ところで、27日の「サイトの今後の課題」で1つ書き落としたことがあった。それは「会員向けのページをつくること」である。会員の方のみがアクセスできるページをつくるということだ。また、マイスキー本人も登場するチャットのコーナーを用意してもいいかもしれない。ただし、これは以前ヨーヨー・マがやったことだが...。問題なのは、マイスキーはたくさん話すから、チャットでよりもいっそうのこと、そこに声で登場してもらった方がはやいのかもしれない。「夢の夢」の話だ。

2001年8月29日 水曜日■やらなければならない仕事が山積みだ。することが何もなくて暇をもてあますよりは幸せだと思うけれども、時間に追われて睡眠時間を削り、目をこすりこすり片付けていくのもつらい。◆指揮者の広上淳一さんはオケのポストをすべて返上し、充電期間に入るという。年に150回近くも飛行機に乗る忙しさが続くことに疑問を持った結果のようだが、ぼくも1年間くらい「充電」してみたい。残念ながら経済的なゆとりがないので、これは実現しそうにないが。

2001年8月28日 火曜日■たまたま小学生の学習に関するページに行き着いて、ああこれだ!と気づいた。8月23日に書いたことに関してである。◆「みなさんも手を耳のうしろにかざしてみてごらんなさい。前からくる音がとってもよく聞こえるようになります」とある。ウサギが大きな耳で小さな音を集めたり、どちらの方向から来る音なのかとらえることができる話が書かれていた。なんだ、小学校で習っていたのか。やっぱりぼくは理科が嫌いだったのだ。

2001年8月27日 月曜日■一昨日がサイト開設1周年だったことをすっかり忘れていた。カウンターが5900番近くまで数えた。ずいぶん多くの方に見ていただいているのだろうと思う。ファンクラブの会員の方はもとより、ファンクラブに入っていなくともマイスキーを好きな方、あるいはチェロの音楽をお聴きになる方が訪ねてくださるのだとありがたく思う。◆ところで、チェロの手ほどきをしてくださったのはT響のT先生で(実際はもう一度受け直さなければならなくなっている...)、先生にパソコンの話をしていたら、いつの間にか先生の方がずっと早くウェブサイトを開設された。T先生の場合はHTMLをきちんと勉強して作られているので、どのページも構成がすっきりしていて実に見やすい。無駄のないページだ。ぼくは昨年8月、ある講習会に参加してウェブサイト作成をおぼえたのだが、FrontPage Express を使ってのものだったので、ずいぶん簡単にスタートさせてしまった分、細かいところが意外ときちんとできていない。HTMLを少し勉強してみてはいるが、ホームページビルダーを購入してますますソフトを頼りにするようになってしまって、なかなか先へ進んでいかない。◆これからの課題は、1)多くの方にリピーターになっていただくこと、2)より多くの方にこのサイトを知っていただくこと、3)このサイトの内容をもっともっと充実させること、4)そして英語版もつくることである。

2001年8月26日 日曜日■バーンスタインの「クラリネット・ソナタ」は、クラリネットの作品の中でも、ぼくが最も好きなもののひとつである。クラリネット奏者のエマ・ジョンソンとは、何度かの来日公演で親しくなった。茅ヶ崎で公演を重ねたことも大きな要因である。あるとき、来日を前にしたエマに手紙で、どうしてもあなたが吹くバーンスタインのソナタを聴きたいと書いた。しばらくして彼女は、あなたが希望したのでプログラムに入れておきましたと返事をくれた。東京公演の曲目にはたしかにバーンスタインのソナタが入っていた。◆津田ホールでのリサイタルに出かけた。この日は特別であった。最前列のチケットを買い、ぼくは生まれて初めて演奏会に花束を買って持ち込んだ。花束も奮発した(と思う)。◆今思えば当日の聴き手としての行動は、非常識なものだったといえるかもしれない。プログラム後半の1曲目に置かれていたバーンスタイン。このあとに2曲か3曲控えていたが、バーンスタインが終わったあとで、最前列中央に座っていたぼくは立ち上がって彼女に花束を差し出した。エマにはもちろんその意味がわかってくれたであろう。この曲のこの演奏に花束を贈りたいというわがままな聴き手は、今思えばやはり許されるものではないのだろう。プログラムの途中で花束を差し出すというのは、その聴き手が単に最後の曲目と勘違いしたとしか、演奏者にも聴衆にも受け止めてはもらえないのではないかと思う。

2001年8月25日 土曜日■13年前の今日、はじめての海外、場所はアメリカ合衆国マサチューセッツ州のタングルウッド。音楽祭を聴きに、というか、レナード・バーンスタインの70歳のバースデー・コンサートが目的で出かけていった。バーンスタインが熱烈に好きだったというわけでもないが、小澤征爾指揮のボストン響、ヨーヨー・マ、五嶋みどり、ロストロポーヴィチ、フォン=シュターデらがお祝いで出演するということもあって、大いに楽しみにしたガラ・コンサートだった。演奏会はたしか午後8時過ぎに始まり、終わったときには日付が変わっていたような記憶がある。◆バーンスタインはこの日は客席で家族らとともに演奏を楽しんで、同じ聴き手のぼくからも、オーバーな仕草で喜ぶバーンスタインの様子がよく見えた。大統領選を控えていたこともあって、会場には民主党候補デュカキスの姿も見られた。◆バーンスタインの指揮はその3日後、ボストン響を振ってのハイドンの交響曲第88番、チャイコフスキーの交響曲第5番。しかし、バーンスタインの体力がこの頃から相当衰えていたのかどうかはわからないが、演奏そのものは凡庸なものでパッとしなかったように思われる。ぼくがバーンスタインの姿を生で見たのは、残念ながらこの旅行のときが最初で最後であった。◆あの旅でアメリカ合衆国の面白さを知った。50州すべてまわりたい、そんな夢を抱くようになった。ニューヨークの街を歩くといつも刺激的で、街そのものからエネルギーを感じることが気に入って、以後何度も訪ねることに。◆1年後の1989年夏、ニューヨークを訪ねると、偶然にもモーストリー・モーツァルト・フェスティヴァルの演奏会にミッシャ・マイスキーが出演することがわかり、ぼくは興奮して聴きに出かけた。ハイドンの第1番の協奏曲が終わり、休憩時間になり、ぼくはミッシャの楽屋を訪ねる。ミッシャはたくさんの家族の写真を解説付きで見せてくれた。◆今、もしバーンスタインが生きていれば83歳になったということである。バーンスタインのクラリネット・ソナタをチェロ用に編曲したものがあり、ヨーヨー・マも録音しているが、実はミッシャもこれを弾いたことがあった。NHKで見たのだと思うけれど、たしかミッシャは第2楽章を演奏していた。ミッシャにはいつかこれを全曲録音してほしいと思っている。全曲と言ったって15分もかからない作品だし、ミッシャにとっては何と言っても共演者としても重要だったはずのバーンスタインの作品だから、思い出も数多くあるにちがいない。

2001年8月24日 金曜日■音大志望の生徒が訪ねてくる。一緒にプッチーニの「トスカ」のLDを見る。ニューヨークのメトロポリタン歌劇場での1985年のライヴ【LD=パイオニア SM138-3054】。指揮は今年春、オペラの指揮中に倒れたジュゼッペ・シノーポリである。トスカをベーレンス、カヴァラドッシをドミンゴが演じており、まさにこのオペラでの最強盤ではないだろうか。ベーレンスもドミンゴも持ち味を十二分に出して、その豊かな声量と見事な声のコントロールで、ききてを圧倒する歌唱力を備えている。ストーリーがわかっていても最初から最後まで目が離せないほどの緊迫感を与える演奏である。スカルピアのコーネル・マックニール(バリトン)も好演。この役にはいやらしいまでの好色家のもつ下品さと、憎々しいほどの狡猾さが不可欠である。昨年新国立劇場で見た「トスカ」のスカルピアは、ファン・ポンスが演じていたが、歌い方が上品すぎて、彼でも残念ながら役不足であった。その点、このマックニールは見事である。さらに書き落とせないのは、シノーポリの指揮。特に第3幕、オーケストラ演奏の場面で、しばらくシノーポリの指揮する姿が映し出されるところでは画面に釘付けになる。この「トスカ」の緊迫感を持続し続けていたのは、けっして弛緩することのないシノーポリの指揮があるからだということを改めて認識することになる。ゼッフィレッリの演出をもう古いという人もいるけれども、これを上回るものになかなか出逢えないのも事実ではないか。

2001年8月23日 木曜日■以前掲示板に書いたことがあるのだけれど、演奏会で両手の手のひらをそれぞれの耳にあてて、それをステージに向けるのを試したことがあった。音量が大きくなって聞こえるのだ。舞台上で鳴っている音楽の音量がどうしても物足りないときにやってみたのだが、たしかにちがう。ただ、それをいつまでもやっていると周りの人にどういう目で見られるかわからないから、そんなに続けるわけにもいかない。昨日の席は2階のバルコニーで、音のバランスはたいへん満足のいくものだった。それでも1度だけそれをやってみたのだが、聞こえる音量は上がったものの、高域ばかりシャリシャリしてすぐやめてしまった。

2001年8月22日 水曜日■ミラノ・スカラ座が来日し、アバドがヴェルディのレクイエムを振ったコンサートに出かけたのは、今から20年前、1981年9月3日、会場は上野の文化会館であった。あの頃の演奏会の日付は不思議と忘れない。作品を一所懸命「予習して」出かけた。「怒りの日」で打ちのめされた。スカラ座のオケの実力が当時過小評価されていたが、「イタリアのウィーン・フィルのような存在だ」という話は、けっして誇張ではなかった。フレーニ、ヴァレンティーニ=テラーニ、ルケッティ、ギャウロフというソリストもすごかったし、スカラ座合唱団も圧倒的だった。冒頭のピアニッシモのえもいわれぬ美しさ。終曲ではもう放心状態だった。◆今日は、すみだトリフォニーホールで佐渡裕指揮新日本フィルのレクイエムを聴く。佐渡裕ならではのダイナミックな演奏で、いろいろな発見があった。「怒りの日」は、オケが荒れ狂ったようにホールを鳴らす。今でも佐渡裕をバーンスタインとオーバーラップさせる人も多いようだが、今日の演奏を聴いていると、若きバーンスタインよりも作品によってはおもしろいのではないかと思ったりする。◆テノールは佐野成宏。実は、この人を聴きたかったからこそ出かけたわけだが、期待に違わぬすばらしい声。将来が楽しみな大物、という印象をいつも受ける。7月3日に茅ヶ崎市楽友協会の関係でインタビューをしたが、実に礼儀正しく、思いやりのある人。終演後、楽屋を訪ねてから帰る。

2001年8月21日 火曜日■(昨日の続き)それだからチケットぴあやチケットセゾンで買いたくない。1階のセンターが一番よいと思い込んでいる人の何と多いことか。もっとひどいと前から順にとくる。ポピュラー音楽ではないのだ。それに「ピアノでしたら左のお席が手がよく見えていいですよ」と言う。ピアノのリサイタルだったら絶対右側がおすすめではないか。事実、スタインウェイの調律をよくされている方も2階席のあるホールなら2階の右側(ホールによるけど、中段あたり)の方で聴くことを勧めている。◆ところで何でも最前列が好きだという方もいる。コンサートの常連さんでよく見かけるが、サントリーホールの最前列でオーケストラを聴いていったい音自体はどうなのだろう。N響をNHKホールで聴くときだけはぼくも1階の前が好きだ。ここに関しては不思議だけどバランスがよく、たっぷりとした音が来る。

2001年8月20日 月曜日■かねがね疑問に思っていること。◆コンサートに行く。何でもいい。オーケストラでもピアノ・リサイタルでもかまわない。そのホールで自分が気に入っている席に着いて音楽に耳を傾ける。はじめは音量が物足りなく感じられる。もっと自分に音が向かってきてほしい、と思う。ところが、演奏会が進むにつれて、いつの間にか音楽の中にのめり込み、物足りなさを感じなくなっていることに気づく。これは何なのか。たとえば、楽器の音が演奏が進むにしたがって「鳴る」ようになってくるのか。それとも、自分の耳が慣れてくる、あるいは人間の何かの調整力で、ある程度は、鳴っている音楽のレベルに合わせられるようになるからなのか。◆演奏会ではできるだけ1階席には座りたくない。小さなホールは別として。たいていは音響にがっかりする。もっとも横浜のみなとみらいホールや上野の文化会館は例外かもしれない。サントリーホールの1階席でベルリン・フィルを聴いたときには、ついに自分が「音楽の外にいるまま」で、大好きなはずのアバド指揮ベルリン・フィルのチャイコフスキーがとても無機質に聞こえたのを覚えている。サントリーホールでは1階席も2階席正面もどちらも音はよくないと思っている。1階では音が頭の上を通り過ぎていくし、2階正面は音が遠い。遠く向こうの方で鳴っているような感じだ。2階正面ならむしろ後ろの方がよほどまともではないか。音楽評論家が2階センター1列目で聴き、新聞や雑誌に批評を書いても、結果的に的を射ていないような内容だと思わざるをえないことがよくある。◆自分の好きな席がどこかはあえて書かないが、チケットを電話予約する際、座席が選べないときほどがっかりすることはない。「順番によいお席からお取りしていますから」という台詞を言うチケットセンターの担当者こそ、最も信用できない人たちである。

2001年8月19日 日曜日■ファンクラブの「会員の集い」が行われる。「常連」の方もいらっしゃれば、「参加は初めて」という方もいらっしゃる。23名もの方が参加してくださり盛会となった。詳しくは「最新ニュース」のページに記す。◆来年のマイスキーの来日情報が『音楽の友』にも掲載される。「セブン・スターズ ガラ・コンサート2002」は特に楽しみだ。まだ出演者等、詳細は発表できないとのことだが、相当の大物が集まるというからチケットも売切れ必至とみた。9月のアラン・ヴァイスとのリサイタルも期待できそう。今日、ファンクラブの会員の方(Sさん)から、「ミッシャさんにはぜひ東京でも公開講座をやってほしい」というご要望があった。まったく同感である。別府では相当の時間をかけてとても熱心にレッスンをしたと聞いているのでなおさらである【詳細は、会員向けファンクラブ通信"SARABANDE"No.13に掲載済】。◆ウェブ・サイトの更新をする。

2001年8月18日 土曜日■マリス・ヤンソンス指揮オスロ・フィルのブラームスの交響曲第1番のCDを聴く【SIMAX PSC1206】。ブラームスのシンフォニーを聴くのは何だか久しぶりだ。ブラームスは最も好きな作曲家かもしれないのに、第1番の交響曲にはずいぶんご無沙汰してしまっていたような気がする。懐かしい旧友に出会ったときのような気持ちで聴く。ヤンソンスのことは前にも書いたけれども、今一番期待したい指揮者のひとりである。オスロ・フィルはヤンソンスによって飛躍的に伸びた。今や第一級のオーケストラである。ウィーン・フィル1回聴くなら、そのチケット代金をヤンソンス指揮のオスロ・フィル2回分(3回分?)にまわしたいとさえ思う。アンドレ・プレヴィンがヤンソンスが退いたあとのオスロ・フィルを見るというが、プレヴィンが好きな指揮者にもかかわらず、あまり強い関心がわかないのはなぜだろう。ヤンソンス指揮オスロ・フィルのブラームスはダイナミック。緩徐楽章はロマンティックで実に味わい深かった。

2001年8月17日 金曜日■数日前、玄関のチャイムが鳴って、妻がインターフォンに出ると「東○電力ですが...」と言ったという。何だろうと思って玄関のドアを開けると、「東○電話なんですが、マイラインの方はもうすでに...」と話しかけてきた。「あれっ!?、電気じゃなかったのか?」。妻は聞き間違えたのではないと主張する。その後、外出する用事があって通路を歩いていると、さっきの営業マンが別の家のインターフォンに向かって「あのぉ、東○電力の者ですが...」。なんだ、そういうことか!ちょっと姑息な手口だなと思いながらも、彼が思いついた苦肉の策なのかとも思い、笑ってしまった。◆夜、ブラームスの間奏曲Op.117を聴く。多くのピアニストがこの作品を弾く中で、グールドの演奏に最も惹かれる。味わい深く、語りかけてくる演奏というよりは、ひとり静寂の世界でゆっくりと音を紡ぎ出すという印象を受ける。昔はこういう作品には見向きもしなかった。あまりにも幼なすぎたということか...。ようやくこのような作品の、しみじみとした味わい趣が魅力的に思えるようになってきた。このグールドの演奏は、かつてヴァイオリニストの安永徹氏も絶賛していたが、なんて味わい深いのだろう。【SONY CLASSICAL・SM2K 52 651】

2001年8月16日 木曜日■先日ヴェネツィア室内合奏団(Interpreti Veneziani)のダヴィデ・アマーディオに茅ヶ崎公演での写真を送ったところ、丁寧にお礼の手紙と最新録音のCDを送ってきてくれた。Bravo! というタイトル。パガニーニ、パガニーニクライスラー、ヴィターリなどの作品集なのだが、相変わらずこの合奏団のアンサンブルは明るくみずみずしく、実に新鮮である。アマーディオはマイスキーにも教えを受けたことのある若手だが、その音楽は実に深い感動を与えてくれるチェリストである。アマーディオは演奏するとき、楽器をかなり舞台に対し垂直に立てる。つまり、自分の方にかなりチェロを引きつけて弾くのだが、はじめはずいぶん違和感を覚え、不自然に感じた。しかし、そこから出てくる音楽のすばらしさ(フォーレの「エレジー」などは絶品!)に、ぼくは思わず身を乗り出して聴いてしまった。この最新CDでソロを受け持っているアマーディオの「モーゼ変奏曲」(パガニーニ)を聴きながら、あのときの感動を再び思い出したぼくであった。【RIVO ALTO・CRR2019】

2001年8月15日 水曜日■ミッシャ・マイスキーの来日公演で同行するのはマネージャーのH川さん(アスペン)。Hさんとは知り合ってからもうかれこれ15年が経つ。ミッシャだけでなく、指揮者のチョン・ミョンフンやクラウディオ・アバド、ベルリン・フィルなどから厚い信頼を寄せられているマネージャーである。H川さんのお陰でミッシャ・マイスキー ファンクラブの運営も順調に行われ、活動の幅が拡がってきた。公演のスケジュール調整を行いながら、オフィシャルなファンクラブということで、2000年1月のファンクラブのパーティーにはマイスキー自身が参加できるよう取り計らってくださった。日頃から様々な情報を提供してくださり、ミッシャのために、そして聴きに来る方のために労を惜しまない。来日公演ではどこでも、終演後サインを求める長蛇の列ができる。そのサイン会のテーブルにはたいていH川さんの姿が見られる。ハードな仕事でお疲れであるにもかかわらず、一人一人に丁寧に対応されている。Hさんのますますの活躍を祈らずにはいられない。

2001年8月14日 火曜日■ファンクラブの会員数は現在73名である。マイスキーの来日公演の招聘元(株)アスペンのご厚意で、今年の来日公演では会場で販売されるプログラムブックにファンクラブへの案内広告を掲載することができた。そのような案内、あるいはこのサイトを通じて、入会案内資料を請求してくださる方が増えてきた。しかし、資料を送ってみたものの、結局入会していただけないということもある。なぜか。◆このサイトを見ていればマイスキーに関する情報がほとんど入手できるからか(実際にはこのサイトではお伝えしていないウラ情報だってあるのだが)。あるいは期待していたものと違っていたのか。そのあたりはよくわからない。

2001年8月13日 月曜日■ファンクラブを設立したくなったきっかけは、ある演奏会の終演後のミッシャとの会話だった。来日公演でブリテンの無伴奏チェロ組曲第1番op.72が弾かれたことがあった。これはブリテンがロストロポーヴィチに捧げた作品であったが、ミッシャの演奏はこの作品から、師匠の演奏とはまた別の魅力を引きだしたもので、このとき贈った賛辞ほど、今までにぼくがミッシャに伝えてきた中で喜んでもらえたものはなかったと思う。こんなにすばらしい演奏はぜひ録音してもらいたいと言った。するとミッシャは、あなたの気持ちはうれしいが、それをドイツ・グラモフォンにぜひ言ってほしい。私の力だけではどうにもならないのです、と答えた。ドイツ・グラモフォンの看板チェリスト、ミッシャ・マイスキーでさえこうなのか...。ミッシャの音楽活動を、経済的な面はともかく、別の何らかの形で支援できないだろうか、そう思ったのがぼくのファンクラブへの期待であった。ミッシャとの個人的な付き合いはファンクラブがなくてもできるが、ファンが集まれば何かできるはずだという思いをぼくは抱いた。◆ファンクラブというと、ミーハーな追っかけ軍団、あるいは(ファンクラブに属していない一般のファンに対して)ある意味では閉鎖的な集団と捉えられる方も多いのではないかと思う。しかし、ミッシャ・マイスキー ファンクラブはそういう集まりにしたくはない。基本的な理念といおうかその姿勢を、ぜひともご理解いただきたいのである。ファンクラブであるから、ミッシャ・マイスキーが好きで、演奏活動を応援したい、もっといろいろな情報がほしい、演奏会のチケットをいち早く入手したい、自分の熱い思いを伝えたい、マイスキーやチェロを愛する仲間がほしい(あるいは増やしたい)、などなど、人それぞれ様々な思いを抱いておられる。あるときはちょっとミーハーになってもいいのかもしれない。「一緒に写真を撮ってもらいたい」、もちろんそれはいいと思うが、ファンクラブの会員という理由のみで何でも特別扱いされるのは基本的には好まない。(明日に続く)

2001年8月12日 日曜日■1週間後、ミッシャ・マイスキー ファンクラブの「会員の集い」がある。会員の集いというとずいぶん堅苦しくきこえるが、要するに会員が集まって楽しくおしゃべりして親睦を深めるのが目的の軽いパーティーである。◆ファンクラブの結成を思ったのは4年くらい前だった。神原音楽事務所でチケット予約をすることの多い仲間が集まった際、会員の谷さんと出会い、話がトントン拍子に進んだ。カンバラチケットセンターにいらしたHさんやSさんの絶大なるご協力もあって、DMに同封されるニュースレターを利用し、他の方への呼びかけもしてみた。当面は会費も無料ということで希望者を募ったところ、10名、20名...と集まった。もっとも、マイスキーの知名度、会費が「無料」ということを考えると、すぐに100名、200名が集まるのではと思いこんでいたのだがそこまではいかなかった...(笑)。入会金、年会費、活動内容等、規約も整い、1998年1月10日、ミッシャの50歳の誕生日に現在のミッシャ・マイスキー ファンクラブがスタートした。このニュースはミッシャはもちろん、妻のケイさんにも喜んで受けいれてもらえ、とてもうれしかった。◆ファンクラブへの思いというのは人それぞれであろう。活動に対し期待することもさまざまである。そのあたりのことは明日書いてみたいと思う。

2001年8月11日 土曜日■昨年2月、ある日の未明、右足親指の付け根が急に痛み出した。スキー帰りの翌日だったのでそのせいだと思いこんでいたのだが、痛みは増す一方。8時半に病院に着いたときには歩けなくなっている状態だった。医者から痛風だと言われ、なるほどこれがそうなのかと納得。薬をもらって帰る。知人で痛風の先輩がいたので相談すると、病院を慎重に選べといわれる。紹介してもらった東京女子医大病院の膠原病リウマチ痛風センターで診察を受け、現在も月1回は通院しているが、以来、一度もあの痛風発作は起きていない。今はカロリー制限に努め、毎日正しく薬を服用するようにしている。なんでも、病院によっては適切ではない処置を施すことも多いそうで、病院選びの大切さを痛切に感じたのはこのときが初めてである。◆生まれたときから通っている医院(内科)もぼくにとってはとても大切で、風邪などひいて調子がおかしければすぐに受診に出かける。ここの先生も優秀な方で、全幅の信頼がおける。ぼくはふだんは高等学校の教壇に立っているのだが、人間同士の信頼関係がいかに大切かは、日々身をもって感じていることでもある。◆ところで、痛風にかかっている演奏家はどのくらいいるのだろうか。あるいは過去の作曲家でも...。

2001年8月10日 金曜日■クラシック音楽は好きでかれこれ25年近く夢中になって聴いてきたことになる。もともと母の影響が大きいと思うが、はじめはクーベリック指揮(たしか)ウィーン・フィルの「新世界より」、女流ヴァイオリニスト、ミシェル・オークレールによるチャイコフスキーの協奏曲(ロベルト・ワーグナー指揮インスブルック響)などのLPをそれこそ盤面が白くなるほど何度も聴いていた。あるLPはプレイヤーの針で傷をつけ、以来音が飛ぶようになってしまったが、今でもそれがどこで飛んでどうあとにつながったか憶えている。◆今、部屋の壁沿いにCDの収納棚を設けているのだが、収まりきらなくなってきてどこにどうしようかと途方に暮れている。昔に較べれば人生経験を積み重ねた分、聴き方が深くはなったのだろうけど、同じ演奏を何度も何度も聴くということは激減してしまったように思う。いつぞやは「これは買わねば!」と思って買ってきたCDなのに、帰って棚を覗いたら同じものがあって、自分自身に呆れてしまったことがある。◆CDは作曲家別に並べるか、演奏家別に並べるか。一長一短であり、選択は難しいところだ。茅ヶ崎市楽友協会での広報紙の執筆の関係で今は演奏家別に並べている(指揮、ピアノ(チェンバロ)、トリオ、弦楽四重奏、弦楽五重奏、弦楽六(八)重奏、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、と続き、ハープ、管楽器、打楽器、声楽、古楽...というように演奏家のアルファベット順で)。しかし、いざ、ある作品をいろいろな演奏者で聴きくらべようというときには、結局自分の記憶力が頼りになり、棚のあちこちからその曲が収められているCDを見つけなければならないことになり、いくぶん不便を感じる。パソコンのデータベースソフトを利用して目録を作れば便利だろうと思うが、忙しさにかまけてなかなか始められない。実際、CD1枚1枚のデータを打ち込んでいくよりも買うペースの方が速そうだし、それにデータが完成する前にこの世から姿を消しているかもしれず、何かよい方法はないものかと思案中である。どなたかよいお知恵をお持ちではないだろうか。ぜひお聞かせください。メールはこちらへどうぞ。

2001年8月9日 木曜日■大好きな指揮者の一人にマリス・ヤンソンス(b.1943)がいる。そのヤンソンスがウィーン楽友協会の「名誉会員」に選ばれたという嬉しいニュースを聞いた。サンケイの「モーストリークラシック通信」によると、「名誉会員は、1812年創設の楽友協会が贈っているもの。ベートーヴェンを筆頭に、ヴェルディ、ブラームス、ドヴォルザークといった作曲家に贈られている他、音楽家では指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンやアルトゥーロ・トスカニーニといった錚々たる人たちが選ばれてきた」とのこと。ウィーンで人気のハイティンク、メータ、小澤、マゼール、バレンボイムらがまだもらっていないというから、彼の実力と人気の高さは十分想像できる。◆ヤンソンスの指揮する来日公演にはずいぶん通った。ムラヴィンスキーの代役でレニングラード・フィルを振った演奏会が最初だったような気がするが、ぼくが最も印象深かったのはオスロ・フィルとの数々の公演である。ピッツバーグ響やウィーン・フィルとのヤンソンスももちろん悪くないが、オスロ・フィルとの相性は抜群で、こんなにもダイナミックでしかも豊かな表現力をもつ指揮者はそういないんじゃないかと、感銘を受けてきた。◆録音は数多いが、オスロ・フィルとの"World Encores"というアルバムが面白い。バーンスタインの「キャンディード」序曲に始まり、グリーグの「朝」(「ペール・ギュント」)、ビゼーの「ファランドール」(「アルルの女」)、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲などよく知られたものに、ふだんあまり馴染みのない、しかし一度聴いたら忘れることのできないような珠玉の小品も加えられ、計20曲が収められている。【EMI 5 56576 2】◆還暦もまだ向かえていない若さではあるが、心臓の持病があるときいている。以前、楽屋を訪ねたときに、父アルヴィドのサインを見せると懐かしそうに見入っていたマリス・ヤンソンス。「どうか無理をせず、これからもたくさんすてきな演奏を聴かせてください」、そう願わずにはいられない。◆なお、ヤンソンスはあと1年でオスロ・フィルの音楽監督を退き、2003/04年のシーズンからはバイエルン放送響の音楽監督に就任することが決まっている。

2001年8月8日 水曜日■6日間休みを取って倉敷へ出かけてきた。大原美術館も新しくなり以前見ることができなかった作品にずいぶん巡り会えた。美観地区も相変わらず情緒あふれる趣のある場所ではあったが、この時期、岡山はとにかく蒸し暑くてびっくりした。連日30度を軽く超し、35度を上回る日が続いた。昨日(ぼくが住んでいる)神奈川に戻ったがまるで避暑地といった感じ(笑)。それでも倉敷の魅力はたっぷりあって、またぜひ訪ねたいと思う所である。◆新潮社の写真週刊誌『FOCUS』が昨日発売の号を最後に休刊となる。久々に駅の売店で買い、電車に乗りながら眺めた。ぼくはけっして熱心な読者ではなかったのだが、同じ事件であっても、新聞、週刊誌あるいはテレビ等、他の媒体では見ることのできない角度から撮影された写真が多く収められており、それなりに深い関心を持って見ることが多かった。最後は1001号だったが、創刊以来クラシック音楽の演奏家もかなり多くとりあげられていたように思う。ずいぶん前の話ではあるが、ベルリン・フィルのコンサートマスターに安永徹さんが選出されたニュース、幻のヴァイオリニスト諏訪根自子さんが久々にステージで演奏を繰り広げたという話題は今でも新鮮に記憶している。その諏訪さんはこの後すぐに茅ヶ崎市民文化会館でリサイタルを行い、特に老年の音楽ファンには懐かしがられ、感銘深い演奏を残したのだった。

2001年8月1日 水曜日■いわゆる「ベスト・アルバム」は基本的には買わない。その演奏家と向き合ってみて、いいと思えば自分の意志でその演奏家のCDを選び、付き合いをひろげていけばよいと思っている。レコード会社の思惑にまんまとのってしまうようなことは避けたい。「ベスト・アルバム」といったって、基本的にはレコード会社のチョイスなのである。そこには商業主義が見え見えである。◆ヨーヨー・マの「ベスト・コレクション」がよく売れている。6月20日のリリース以来、売り上げがどんどん伸びているという。14曲収められているうち、ピアソラの「フィアー」という曲は'97年の録音にもかかわらず、今までのアルバムには入っていなかったものである。さらに、今年の4月に収録したばかりの曲も2曲収められている。ヨーヨー・マだから、実はとても聴きたい。けれども買っていない。どうも癪なのである。今まで1枚、1枚買ってじっくり聴いてきた誠実なききてをレコード会社は侮ってはいないだろうか。そう思いながらも、「待っていれば、今後発売されるCDに『フィアー』が収められるのだろうか」と考えてしまい、結局わからないから、待ちきれなくて「ベスト・アルバム」を買ってしまうということに行き着いてしまうのである。

2001年7月31日 火曜日■一時は結構騒がれても「あの人は今どこに?」というようなことがよくある。演奏家でも同じで、現れては次々に消えてもゆく。ぼくが好きなヴァイオリニストの中にシュロモ・ミンツ(b.1957)がいる。ミンツはけっして消えてしまったわけではないけれども、ここ数年、日本での意識のされ方はずいぶん低くなってしまったように思われる。ジュリーニ、ドラティ、アバド、レヴァイン、シノーポリ、メータら名指揮者との協演は数多く、一時はドイツ・グラモフォンから相当の数の録音も出たが、そののちエラートとの契約も続かなかったのだろうか、新しい録音の話を聞かない。輸入盤だったが、ミュージックマスターズ・クラシックスというレーベルからヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集が次々に出て、ぼくも追いかけるようにしてそのヴァイオリニスト兼指揮者としてのミンツの活動を追いかけてきたが、そのCDも9種類ほど入手できたところで止まっている。◆ミンツの録音でぼくが一番気に入っているものは、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番【メンデルスゾーンの協奏曲とカップリング DG 419 629-2】である。アバド指揮シカゴ響との1980年の録音だが、艶のあるこんなに豊かで美しい表現力を兼ね備えたヴァイオリニストは当時そう多くはなかったはずである。音程も確かだし、中低域のたっぷりと響かせるあたりはさすがドロシー・ディレイに師事した演奏家だと思わずにはいられなかった。「音楽の友」の誌上で、かつて音楽評論家の故三浦淳史氏と対談をさせていただいたことがある。そのときのテーマがシュロモ・ミンツだった。◆ミンツはどうしているのだろう、久しぶりにそう思っていた矢先、演奏会のチラシで11月の来日を知った。11月8日、渋谷のオーチャードホールにてロイヤルメトロポリタン管弦楽団(指揮:堤俊作)と協演。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。14日には大阪のザ・シンフォニーオールでも演奏する。久しぶりに、何年もご無沙汰しているミンツを聴きに出かけたくなった。

2001年7月30日 月曜日■暑い1日だった。夜、マキシム・ヴェンゲーロフの新しいディスクを聴く。今年の春、ウィーンのムジークフェラインザールでのライヴ録音。11人のヴァイオリニストとヴァグ・パピアンのピアノとの共演。このCDはもう4、5回は聴いた。聴いていてとても心地よい。ラフマニノフの「ヴォカリーズ」、ポンセの「エストレリータ」などすてきな小品がたくさん収められている。豊かな表現による歌も見事だが、バッツィー二の「妖精の踊り」、モンティの「チャルダーシュ」などヴェンゲーロフならではの切れ味鋭い快演は、ため息が出るすばらしさ!最後の盛大な拍手が聴衆の興奮ぶりを示している。【EMI 5 57164 2】

2001年7月29日 日曜日■午後、フルーティストの佐野真知子さんが遊びに見える。アントニオ・カルロス・ジョビンの「イパネマの娘」を吹いてくださり、2歳の響祐は大喜びだった。どこの親御さんも同じだと思うが、実をいうと、わが子には今のうちから頻繁に「本物の」音楽、しかもそれを「生で」聴かせたいと思っている。しかし、残念ながらそれがまず不可能だということも承知している。もし演奏会で隣りに小さな子どもがいたら、その子の鑑賞態度にもよるだろうが、ぼくだって聴くことに集中できず迷惑に思ったりしかねない。以前、0歳児でも入場できる演奏会に出かけたが、結局これは子どもたちがきゃあきゃあ声を上げたり、泣いたり、走り回ったり、挙げ句の果てはステージにのぼったりして、どうにもならなかった。今、CDのおかげで、すばらしい演奏の数々を子どもに聴かせることはできるけれども、与えることができる刺激のレベルはまったく異なると思っている。

2001年7月28日
 土曜日■藤沢リラホールにて、島てるみさんのリサイタルを聴く。藤沢西高校の卒業生。洗足学園大学音楽学部声楽科を卒業後、1998年にウィーンに渡り、昨年(2000年)11月ニコ・ドスタル国際オペレッタコンクールで審査員満場一致の優勝、聴衆賞も獲得したというソプラノ歌手。コロラトゥーラもなかなか見事であり、可憐な歌声がホールを埋め尽くした満員の聴衆を魅了した。なかでもニコ・ドスタルの「クリヴィア」より、“いつか恋に落ちて”は絶品。さらに研鑽を積み、大きく飛躍してほしいと思う。◆買ったばかりのギル・シャハムの新譜(ジョン・ウィリアムズのヴァイオリン協奏曲、"Treesong"などを収めたもの)を聴く。木をとおして自然の魅力をうたったものであるようだ。ギル・シャハムのヴァイオリンは相変わらず透明感があり、どの音域も実に美しい。◆昨日(27日)は紀尾井ホールで安永徹(ヴァイオリン)さんと市野あゆみさん(ピアノ)のデュオを聴く。茅ヶ崎でも何度か出演していただいているお二人だが、いつも思うのだが、あれだけ丹念に譜面を研究し、緻密な音楽を仕上げる演奏家もそう多くはないだろう。作品への向かい方が実に真摯だ。音楽への遊びこそなかったものの、聴きごたえ充分のブラームスのソナタ3曲であった。市野さんのピアノも特筆に値する。